第50話 木杯の誓い
あまりに難しい話だった。
ボンフェラートの精霊にまつわる話を聞き、夜もふけた。よこになり寝ようとするが、まったく寝つけない。
起きあがって周囲を見わたすと、まだ起きているラティオを発見した。たき火から離れた倒木に背をもたれている。
おや、手には木の杯を持っている。みなを起こさぬように近づいた。
「犬っころも寝れないと見える」
ラティオがそう言って笑った。
「猿殿の手にあるものが気になってな」
その木杯をラティオは持ちあげた。
「葡萄酒だ。いるか?」
「無論、いる」
自分の荷物から木杯を取ってもどった。ラティオは酒瓶を持っている。
すこしいただこう。そう思っていたがラティオは酒をなみなみとついだ。
「みょうな話をボンじいがするもんだから、頭が冴えちまって寝れねえ」
冴えるのだろうか。自分は頭が痛くなりそうな気がする。
「おまえの副隊長、変わり者だな」
葡萄酒を口にしながらふり返った。たき火のそばで、まだボンフェラートとイーリクが話をしている。
「精霊戦士として、資質には恵まれているのかもしれん。だが、歩兵隊で精霊はそれほど重要ではないのでな」
コリンディアには優秀な精霊使いもいなかった。これがよい出会いとなればいい。
「まあ、われ関せず、といった肝の太いやつらもいるがな」
寝ているアトとドーリクだろう。ふたりは、すやすやと気持ちよさそうに寝ていた。
「あのふたり、じつは似ているのかもしれぬ」
「似ている?」
「強情なところが」
冗談を言ったつもりだが、ラティオはあごに手をやった。
「強情か・・・・・・」
つぶやいて葡萄酒を口にする。ちがうのだろうか。
「強情でなければ、激情だろうか。ザンパール平原で軍を止めたときといい、残されたイーリクへと馬を走らせたときといい、アト殿は、ああ見えて無茶をする」
もうひとくち飲もうとしたラティオが木杯を離した。
「グラヌス、それはちがう」
ちがうのか。思わず多くの葡萄酒を口にふくんでしまい、口もとを袖でぬぐった
「アトは必死なだけだ。ザンパール平原でやった無茶はな・・・・・・」
言いかけて、ラティオはぐいっと葡萄酒を飲み干し、あらたにそそぐ。
「おれが、よけいなことを言ったからだ」
「よけいなこと?」
「ああ。おれの家で言ったことだ」
なにか話しただろうか。ヒックイトの掟、それは戦争とは関係がないように思える。
「おれと、おまえが戦えないって話だ」
たしかに、そんな話はした。だが、今回の戦争とは関係ないはずだ。ラティオは軍隊に入ってない。入っているのは自分だけ・・・・・・
「待て、ラティオ殿、まさか、このグラヌスを戦わせぬためか!」
「ほかに、なんの理由がある」
「戦争を止めるという大義だ!」
ラティオはため息をついた。そして酒瓶を持ちあげる。いそぎ自分の杯をあけ、差しだした。
「おまえ、わかってねえよ」
酒をそそぎながらラティオが言う。なにをわかってないのか。
「アトは父と母、それに育った村を失ったんだ」
それは充分すぎるほどわかっている。痛ましいことだ。
「アトを知る一番古い知人。それはいま、だれだ?」
飲もうとした杯を止めた。そうか、アトの幼少を知る者はいなくなった。それにアトは、あの歳まで村をでていない。いや、待て・・・・・・
「自分なのか!」
ラティオは答えず、酒を飲んだ。
そうなのか。アトを知る一番の古い者は、自分になるのか。まだ出会ってわずかだというのに。
「それに、生まれた場所、産んだ親も知らねえ」
そうか。ラボスの村で拾われた子だ。はっとして、この場にいるみなを見まわした。
「アト殿が持つ絆、これがすべてなのか」
ラティオの言いたいことがわかった。七人の仲間。それが、いまアトが持つすべてなのだ。
「だから、イーリクを」
自分が漏らした言葉にラティオがうなずいた。
「それは強情とも、激情とも言えるかもしれねえ」
「いや、言えぬ。これは、そういう類いではない」
仲間を思う強さとも言えるが、あまりに切ない。夜空にむかって、ため息をついた。今日は月がでていない。こういうときこそ、月があればよいのに。
「まあ、見た目は一番おっとりしてるがな、激しいのもたしかだ」
「だが、その激しさは止めねばならぬだろう、おとなこそが」
ラティオは同意すると思ったが、今度もちがった。
「そこはなぁ。おまえ、子供のころに木登りしたか?」
「もちろんだ。こう見えて得意だ」
「おとなはだいたい、危ないからやめろと言うだろう」
たしかに、よく注意された。
「おなじだ。ただ、危ない。それを危ないからやめろと言う。そういうおとなに、おまえはなりたかったか?」
木杯を置き、腕を組んだ。
「ラティオ殿、いやなことを言う」
「あいつのやること、だいたい、まちがってねえ」
思わず、うなった。異論を唱えたいが、よい言葉が見つからぬ。
「長兄が悩むなよ。いや、一番上はちがうか。どう思うよ、姉としては!」
なにを言うかと思えば、暗闇からぬっと出てきたのはヒューだ。
「よく、わたしに気づいた」
「気づいてねえよ。ためしに言ってみただけだ。ほんとにいたから、あきれたぜ」
自分は軍で訓練を積んでいる。武術には長けているつもりだったが、ヒューの気配はいつも察知できない。
「それで、鳥姉さんは、どう思う?」
「とりねえ・・・・・・」
ヒューが無表情なまま、言葉を失った。生まれて初めて言われたようだ。しばし呆然としていたが、気を取りなおし持っていた木杯を差しだした。ちゃっかり持ってきているのか!
ラティオから葡萄酒をついでもらい、ヒューはぐいっと酒を飲んだ。その飲みっぷりは、とても女には見えない。だが、すらりとした長身の美麗は男にも見えなかった。鳥人族、ふしぎな種族だ。
ヒューは葡萄酒を飲むと、さも当然、といった顔で口をひらいた。
「ふたりは、そこそこに腕は立つだろう」
言われてラティオと見あった。たしかにグールとの戦闘でも見たが、ラティオは剣もよく使えている。
「おとなが三人もいるのだ。すこしづつ、それぞれが少年を加護すればよい」
言われなくとも、自分はアトを守るつもりだ。それを口にしかけたとき、ラティオが笑みを浮かべた。
「つまり、あてにしていいってこと、だな」
なるほど。この鳥人族はいつまでいるのか、その疑問はあった。
「ヒュー殿、その約束はいつまでなのだ?」
鳥人族はちらっとアトを見て答えた。
「あの少年が安全になるまで」
「わかった。あてにさせてもらう」
頭をさげた。信用のおける仲間が増える、ありがたいことだ。
「このグラヌスも、アト殿が安全になるまで、守りとおす。剣にかけ・・・・・・」
「これだ、犬人はおおげさだぜ」
ラティオにさえぎられた。大真面目に述べようとしたのに。
「なら、酒に誓うか」
ヒューが木杯をかかげた。
「おいおい、そりゃあ、ヒックイト族では義兄弟のしるしだ」
「義姉兄弟だ。わたしは女だぞ」
「はいはい」
ラティオも杯をかかげたので、あわてて地面においた木杯に手をのばす。木杯が倒れた。ラティオが笑う。
「さすが長兄、これでむこう三年は、酒の席での話題に困らねえ」
まさかこぼすとは。木杯を持ちなおすと、ラティオが空いた手で酒をついでくれた。
「そう言わんでくれ。ヒックイト族のかけ声は?」
「そうだな、ベルスラン! かな」
「では、ベルスラン!」
あらためて木杯をかかげた。
「乾杯!」
三つの木杯をこつりと合わせ、葡萄酒を飲んだ。コリンディアで酒といえば、ほぼ麦酒だ。葡萄酒で乾杯することも、かけ声も、生まれて初めてのことばかり。
ここはアッシリア領でコリンディアの街からそう遠くもない。だが、異国にいるような気分になった。
そういうものかもしれない。いっしょに過ごす者がちがえば、世界もちがうのだ。
自分の心は旅の途上、そうとしか言えない気持ちになっていた。




