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第46話 バラールの宿屋

 バラールの宿屋だった。


 さすがアッシリア王都と引けをとらないみやこだ。いま座っている椅子いすや、机など調度品のよさを見ると、高級な宿屋だろう。


 このバラールで停戦調停をすることになった。それがすむまで、部屋での待機を命じられている。


 両軍の兵士たちはザンパール平原で距離をとり、それぞれ野営していた。上級士官だけが、このバラールにきている。


 停戦調停の場として、バラールは以前にも何度か使われた。両国から独立した立場のバラールは、こういうときに便利だ。


 このまま停戦になることを願う。多くの異種族と出会い、思い出ができている。アグン山では、ラティオの家にまで行った。猿人族といま戦えば、ためらいの多い剣になるだろう。


 ひとり部屋をふり返る。


 思えば、しばらく大勢と旅をしていたようなものだ。急にひとりになると静かだった。


 アト、ラティオ、ヒューの三人とは、ばらばらの宿だ。それぞれ、明日の朝に両軍から聴取ちょうしゅが入る。寝泊まりするのは野営地でよかったのだが、公平を期すとのことで、四人の身柄はバラールの一時預かりとなった。


 いま三人はなにをしているだろうか。机の上に置いた雑記帳を手にとった。


 雑記帳はアトのものだ。あずかった荷物に入っていた。この雑記帳はラボス村での思い出があるらしく、大事にしてくれと言われた。


 窓のそとに目をうつすと、もう夜だ。酒場が近いのか陽気な喧噪けんそうが聞こえてくる。まだ夜は長いが、外出は禁止と命じられた。そのため、やることがない。


 アトが読んでもいいと言っていたので、雑記帳をひらいてみる。小鳥や兎の絵が描かれていた。そのほか日々のできごとも書かれている。


 ふいに扉をたたく音がして、顔をあげた。


 ゼノス師団長だろうか。扉をあけると意外な顔におどろいた。ラティオだ。


「よう、犬っころ」

「これは猿殿」


 犬っころとは侮蔑ぶべつな呼び方だが、ラティオが言うと腹は立たなかった。このヒックイト族の若者は、おのれのことも猿呼ばわりする。


 窓から下をのぞいてみた。宿屋の入口にはバラールの役人らしき男が立っている。監視役だ。


「よいのか? 外出禁止のはずだが」

「裏口から入ってきた。この宿屋のあるじは、すこし顔なじみなんでな」


 そうか。ヒックイト族はバラールに物を売りにくると聞いた。勝手知ったる街なのか。


「おまえは、なにしてた?」

「アト殿からあずかった雑記帳を見ていたところだ。なかなかにうまい絵を書いている」


 雑記帳を見せようとしたが、そうではないようだ。ラティオは、あごに手をやり神妙な顔をする。


「おれらが思ってるより、アトは賢いのかもな」


 言われている意味がわからず、首をひねった。


「まあ、わかれの挨拶にきた。短いあいだだったが、楽しかったぜ」

「なに、姿を消すのか?」


 明日の朝に尋問があるはずだ。


「停戦調停はまだ始まってもおらぬ。ラティオ殿にも証言してほしいのだが」


 ヒックイト族は種族としてはウブラ国民だが、かなり独立した山のたみだ。国がすることに興味はないのだろう。そう思ったが、若き山の民はさらに意味不明な言葉をつづけた。


「いや、明日だと間にあわねえ」

「間にあわぬ?」

「ああ、アトがな」


 アトが? 人間の少年にいそぎの用事があっただろうか。


「おまえ、やっぱり軍人だな」


 ラティオが笑った。あたりまえだ。歩兵隊の隊長をしている。


「ヒューの言葉を忘れたか? この騒乱を狂わせているのは、たったひとりの少年だと」


 たしかに言った。自分もそう思う。しかし、それとこれと・・・・・・


「まさか、アトの身に危険が!」


 ラティオが口のはしで笑った。


「にぶいねぇ」

「ラティオ殿、ここはバラールの街のなかだ。さすがになかろう」

「ないかねぇ。まあ、おれはアトを連れて逃げる。じゃまはするなよ。おまえ、アッシリアの軍人だからな」


 ラティオは異をとなえる暇もあたえず、部屋からでていく。


 アトが危険。思わず机に手をついて考えた。アトを消せば、仕掛けた者にとっては好都合だろう。だが、よけいな火種になるだけだ。今度はだれが殺したかという疑心が生まれる。


 いや、それでよいのか。そもそも、火種を起こしたいのだ。


 アトの背負い袋から帯革おびかわをだした。そこについた短剣をぬく。短剣についたアッシリアの刻印を見つめた。


 思えば、なぜ隠田の小屋にこれがあったのか。わざわざ刻印があるものを忘れていく理由がない。


 グールの騒動を利用して、アッシリアとウブラを戦わせたい者がいる。その犯人をアッシリアだと思わせたいのではないか。


 ラボス村にいた王都の兵士は、グールとの戦闘から姿を消したと聞いた。長きにわたり戦ってきた両国だ。あらゆるところに細作さいさく間者かんじゃはまぎれていよう。


 ラボス村の兵士は全員が間者だったのか、それとも、ひとりがほかを殺したか。


 アトの雑記帳が目に入った。ラティオは、アトが思ったより賢いと言った。ではこれは、アトが自分にたくしたというのか。みずからの身の危険を感じて!


 めまいに似た感覚をおぼえ、椅子に座った。


 どうやら、自分だけがのんきでいたらしい。ラティオが危険に気づいてよかった。


 ・・・・・・いや、よくはない。


 アトを守ると自分に誓ったはずだ。だが助ければ、まちがいなく自分は捕まる。いくさを止めた張本人を軍の者が逃がすのだ。


 それに軍人が国を裏ぎってよいのか。そこに大義はあるのか。


「大義ねぇ・・・・・・」


 ラティオがあざ笑った気がしてふり返った。だれもいない。


 だんだんと腹が立ってきた。自分は、なにとなにを比べているのだろうか。

 

「頭の足りぬ犬が考えることだ」


 自分をしかった。猿人族がよくつかう雑言に、犬の浅知恵、というのがある。まさにそれだ。


 いそぎアトの荷物を袋にいれる。アトの弓、そして自分の剣も持った。これ以上考えても無駄だ。アトが危険なのだ。自分が行かないでだれが行く!


 廊下への扉をそっとあける。見はりは廊下にも配置されているかもしれない。


 腕ぐみをして壁にもたれる男がいた。


「おせえな」


 ラティオだった。


「身のふりかたにでも迷ったか」

「いや、なにが正しいのかと自分に問うた」

「ほう、その答えは」

「問い自体が馬鹿馬鹿しい」


 大真面目に答えたのに、ラティオは声を押し殺して笑った。


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