第42話 ペレイアの夜ふけ
獣との戦闘は終わった。
グールの死骸は、街のそとに運ぶことになった。大蛇が大きすぎ荷車に乗らないので、街の住民が総出になり、引っぱって運んだ。
運んだあとは、油をかけて燃やした。いまでも街の北から黒い煙がうっすら見える。
ぼくとグラヌス、ラティオは中央の広場にある篝のそばで休んでいた。
まだ平穏というには、ほど遠い。女の人たちは治療に走りまわっているし、男の人たちは倒れそうな家など、急をようする箇所の修復をしていた。
「アトボロス、けがはありませんか?」
声をかけてくれたのは、癒やし手のベネおばさんだ。
「とくに大きなものは」
ぼくはそう答えたが、ベネおばさんは近寄ってきた。ぼくの手をつかむ。
「両手がひどい擦り傷です」
縄を必死でつかんだからだ。ベネおばさんは腰袋から小瓶をだすと、ねばり気のある液体をぼくの手のひらに塗った。傷用の軟膏だ。これも母さんがよく作っていた。
「あんたらは、だいじょうぶかい?」
グラヌスとラティオがうなずく。
「この街の者でもないのに、よくやってくれました。もうあとは任せてお休みなさい」
曖昧にラティオはうなずいた。ぼくは寝れるだろうか。とても寝れるとは思えない。
広場のはしには、助からなかった人々が横たわっている。落ち着いたら明日にでも埋葬するそうだ。
「おっかあ!」
男のさけびが聞こえた。広場に面した家のひとつ。あの大蛇が壁を崩した家だ。さきほどから数人の手で瓦礫をどかしていた。母親が下敷きになっていたのか。
ぼくは、思わずうつむいた。
「どうした、アト殿」
あのとき、躊躇した自分を思いだした。
「おい、アト」
ラティオまでぼくを呼ぶ。ぼくは顔をあげた。
「蛇が苦手だった」
「今日のやつか?」
ぼくはうなずく。
「毒蛇に噛まれ死にそうになったことがあって、それいらい苦手なんだ」
「そりゃ無理ねえ。なら、今日はよく戦ったぜ」
ラティオの言葉に小さく首をふった。
「あそこで怖がらなければ、壁は崩れなかったかもしれない」
ぼくが見ているほうを、ふたりも見た。瓦礫の下から亡くなった老婆が運びだされている。
「あのときか。アト、それは考えすぎだぜ」
「うむ。戦いに失敗はつきもの」
ふたりは慰めの言葉をかけてくれた。でも、そうではないのだ。
「失敗ならいい。ぼくの場合はただの未熟だ」
ぼくは戦士になれると思っていた。それは大きなまちがいだった。できないことが多すぎる。
「おいおい、おまえが未熟とか言いだしたら、策を練ったのはおれだぜ」
ラティオはため息をつき、広場を見まわした。
「まさか、中央からとはな。それは考えに入れてねえ」
「それは無理だ。ラティオ殿。だれも対応できない」
「いや、対応できなくてもいい。だが、考えてないってのは問題だ」
ラティオの言葉を聞き、今度はグラヌスまで、ため息をついて腕をくんだ。
「ふたりは民間人。その点、自分は軍人だ。コリンディアでは強いと褒められても、グールのまえでは、なんと頼りないことよ」
グラヌスがもう一度、ため息をついたとき、ちがう人影があらわれた。
「こんなところで若者が三人、なにかな? むこうには食事を用意しているというのに」
軽い口調は意外にも、ハドス町長だった。
「どうした? セオドロスの子、アトボロスよ」
ぼくはハドス町長を見あげた。せっかく信用してくれたのに、街は壊されてしまった。
「なにも、なにもできませんでした。申しわけありません」
ハドス町長は笑った。それは軽快な笑いだった。
「なにを馬鹿なことを」
町長はぼくの脇に手を入れ、頭の上まで持ちあげた。
「その目は節穴か、アトボロス! よく見よ。この街は生き残った!」
ぼくはまわりを見た。たしかに、みんな生きている。町長は、ぼくを地面におろし、それからしゃがんだ。
「アトボロスよ、ラボス村は本当に気の毒だった。だが、この街もそうなるところだったのだ。それを救ったのは、まぎれもなく、そのほうら」
ハドス町長は立ちあがった。
「亡くなった者も多いが、生き残った者は、いまは生き残ったことを喜ぶときぞ。悲しみに暮れるときではない。それは、断じてちがう」
ハドス町長は歩きだした。そのうしろ姿にラティオが声をかける。
「町長さん、兵士はどうした? そろそろ起きるんじゃねえか?」
町長はふり返らず答えた。
「心配ない。貴殿らはコリンディアの歩兵隊長、それにバラールの傭兵と説明してある」
傭兵か。あれやこれや説明するより、そのほうが単純な気がした。
「反対に、街の危機に酒を飲んでいたと、王都に意見書をだすと脅しておいた。いまごろ震えあがっているだろう」
ハドス町長は笑いながら帰っていく。
「あの町長、切れ者どころじゃねえな。くせ者だ」
ラティオはそう言って、腰に手をあてた。
「だが言ってることは、まちがいじゃねえ。生き残ったおれらは、飯でも食うか」
ラティオの言葉は正しく思えた。ぼくの肩をグラヌスがたたく。グラヌスも笑顔でうなずいた。
「たしかに、急いだほうがいい。ドーリクが平らげる心配がある」
ドーリク副長の大きな体を思いだした。それは、たしかに急ぐべきだ。ぼくら三人は、やや早足で広場をあとにした。
生き残った喜び。考えもしなかったことを、考えてみよう。そしてそれは、ご飯を食べながら噛みしめるには、とてもいいことのように思えた。




