第36話 牢屋から脱獄
日が暮れると同時にヒューがあらわれた。
ヒューが持ってきた長縄のはしを、入口の鉄格子にむすぶ。
みんなに手伝ってもらい窓にのぼる。窓から外を見ると目がくらんだ。高い。思えば、こんな高い建物はラボス村にはなかった。
縄を持ち、身を外に投げだす。風がけっこう強い。ぎゅっと縄をつかみ、ぶら下がる。そこから身体は動かなかった。
眼下に見える街の通りには、ランタンを吊したような外灯が見えた。点々とつづく灯り、それがぼくに高い場所だと強烈に意識させる。
「壁に足をつけて」
見あげるとヒューが屋根に座っていた。
ぼくの足は膝が曲がったままで、まったく動かなかった。
「アト、踏んばれ! いそがないと見つかるぞ」
ラティオの言うことはもっともだ。そのとき、塔の前の道を小走りに駆ける音が聞こえた。どこかの婦人だった。
婦人は塔を見あげることなく、駆け去っていった。よかった!
なんとか足を伸ばし、壁につこうとしてみる。綱を持った手がずるっとすべった。あわてて握りしめるが、反動で身体も縮こまる。
ばさり、と音がして背後から抱きかかえられた。
「手を離して」
ヒューだった。身体を持ちあげられたようた感覚がして、ぴんと張った長縄がたわんだ。浮いている!
手を離した。ぼくの身体は浮いているのか。手足が空のなかにあるようだ。
がくっと揺れ、急速に地面が近づいてきた! さけび声をあげそうになるが、なんとかこらえる。
地面にぶつかる! そう思ったときに羽音が聞こえ、ふわりと地面に降り立った。背後からまわされた腕が解かれる。
「ありがとう」
ヒューは、しみじみとぼくを見た。
「わからぬ。こけて頭を打っても死ぬだろう。怖がる必要はない」
「そうかもしれないけど、落ちると思ったら怖いよ」
ヒューが首をひねる。
「では、落ちるときは必ずわたしが手をつかむと約束しよう。これで怖くないか?」
そう言われても恐怖は消えないと思うが、申し出はありがたいのでうなずく。
「ぼくにはヒューという羽がある。そう思うようにするよ」
なんとか自分に言い聞かせてみよう。ぼくの今後の人生で、あんなに高い場所に行くことなど滅多にないとも思うけど。
話をしているあいだに、あっという間にラティオが降りてきた。
「ここで待たないほうがいい。こっちだ」
ラティオは塔から少し離れた路地裏まで、ぼくらを案内した。
「おい、あの副長のふたりは?」
ラティオがヒューに聞いた。
「最初に馬をつないだ街外れの木だ」
「よし、グラヌスとボンじいが降りたら、路地裏をぬけていく」
ラティオはすっかり街の地図を頭に描いているようだ。
「この街の人が、長と思われる人の家に集まっている」
ヒューがとうとつに話し始めた。
「そりゃ幸運だな。逃げるにはもってこいだ」
「アトがいう老人もいた」
「おじいさんが?」
「おい、こっちは逃げる身なんだ。余計なことはいい」
ラティオが少し声を荒げた。
「この街にも、昨日、土竜のようなグールが出たらしい」
思わずヒューを見上げた。それはグールの大群がくる前触れだ!
「おい!」
ラティオがヒューの胸ぐらをつかんだ。
「ラティオ殿、どうされた?」
グラヌスがきた。聞かれたラティオはその犬人には答えず、鳥人に聞いた。
「おまえ、なに考えてる?」
「べつに。盗み聞きしたことを言っただけ」
「ヒュー殿、どうされた」
ヒューは肩をすくめ、グラヌスを見た。
「このとおり、荒ぶる猿人に乙女の胸が危機にさらされている」
それを聞いたラティオが手を離す。ぼくは、さきほどの話を思いだした。
「グラヌス、この街にも、すでにグールはきてる!」
「なにっ、それはラボス村のときとおなじなら・・・・・・」
ぼくはうなずいた。
「ラティオ、街の人に知らせに行こう」
「だめだアト、いまは逃げたほうがいい。また捕まるぞ」
そうか。みんなを危険にはさらせない。
「ぼくが行って、自分の村のことを伝えてくる。みんなは街外れで待ってて」
「そうはいかねえだろう!」
最後のひとり、ボンフェラートもきた。剣呑な場のふんいきに不思議そうな顔をした。
「おお、どうしたんじゃ?」
ボンフェラートにも手短に説明する。
「・・・・・・ふむ。わしも逃げたほうが、よいと思うがの。コリンディアに行かねばならぬであろう?」
そうだ、戦争を止めなければ。でも、このまま街の人を放ってもおけない。どうしたらいい。
考えた。でも、考えても考えても、答えはでなかった。
「アト殿」
グラヌスがふいに口を開いた。
「どちらがよいか、自分には判断がつかぬ。ここは、アト殿の思うように」
「おい、グラヌス」
ぼくの思うように? それでいいのだろうか。考えこむぼくを見ていたグラヌスが、ラティオにふり返った。
「ラティオ殿、みなを連れ、街外れで待っててくれ。なにがあっても、このグラヌス、アト殿を必ず連れていく」
ラティオは天を一度あおぎ、ため息をともにうなだれた。
「しょうがねえ。行くしかねえか」
そしてラティオは、なぜかヒューをにらんだ。ヒューもなぜか、にやりと笑う。
「わたしが、なにを考えてるか言おうか。こんな世でも無垢は存在すると感心した」
「なにかあったら、責任とれよ」
ラティオとヒューが話す言葉の意味がわからなかった。
「では、案内しよう」
そう言ってヒューは歩きだす。ヒューが歩きだした道も路地裏だ。
ぼくは一度目をつぶり、それから大きく見開き、踏みだした。
グールがくる。今度は村をつぶさせない。絶対にだ。




