第32話 旅立ち
ぼくは、いつから座っていただろうか。
ずいぶんと泣いていた気がする。
ぼくの周囲に、だれかがいた。
右を見る。グラヌスだった。左を見るとヒューだ。ラティオがニーネの亡骸をはさんだ正面にいる。
「アグン山、帰るか、アト」
ラティオが言った。
なにを言っているか、わからなかった。ああ、そうか。ぼくは家を失ったんだ。家族も。
「おれらの里に来い、アト」
「ヒックイトは、よそ者を入れないのでは・・・・・・」
ラティオは親指でうしろを指した。
「それを勧めているのは、おれじゃねえ」
顔をあげ、ラティオのうしろを見た。ヒックイトの人たちだ。みんな地面にあぐらをかき、ぼくを見つめていた。
立ちあがろうとしたが、腰に力が入らなかった。
「まだ座ってていい」
ヒックイトのだれかが言った。
ぼくが泣きやむのを、みんな待っててくれたのだろうか。立ちあがろうとしたけど、やっぱり腰に力が入らなかった。
「アト殿」
グラヌスが見つめてくる。そうだ、兵士がいたのを思いだした。
「兵士の人は?」
「残り火を消化するよう指示した」
あたりを見まわした。ひとりの兵士が、半壊した家に斧を打ちこみ倒そうとしている。手にした斧はこの村のどこかから調達したのだろう。
ちがう兵士は鍬で燃えきった家の灰塵に砂をかけていた。
「グラヌスの部下?」
「そうだ」
「なぜ、歩兵隊が」
「うむ・・・・・・」
グラヌスは少し考え、首を通りにむけた。
「イーリク! ドーリク!」
人影がふたつ駆けてきた。あのときの副隊長だ。細身の若い人と、反対に体の大きな若い人。
「なにがあったが、もう一度、話してくれぬか?」
グラヌスの言葉に細身の副隊長、イーリクがうなずいた。
「隊長たちが出た次の日です。ラボス村の者がコリンディアにやってきました」
生き残った人がいたのか!
「その者が言いました。ラボスは猿人族に襲われたと」
「そんなっ!」
ぼくが反論する前にグラヌスはうなずいた。そうだ、グラヌスはわかっている。イーリク副隊長が話をつづけた。
「ザンパール平原に猿人族の兵が集まっています。それは、こちらに攻めこむため、そう歩兵師団長たちは考えました」
言われている意味がわからなかった。ラボス村が襲われたのはグールだ。
「各隊には、出兵準備の号がだされました。私とドーリクは隊長に会うために、ここに馬を飛ばしてきた、というわけです」
どういうことだろう。そのラボスの人は、なぜ嘘をついたのか。
「ラボス村の人の名前は?」
「あいにく、私が会ったわけではございませんので。訓練兵の若いかたと聞きました」
ぼくはグラヌスを見た。
「アト殿、どうした?」
「訓練兵は全員、死んだ。最初の日に」
グラヌスが目を見ひらく。
「ならば偽物か。なぜまた。もしや、これもあの馬鹿息子が!」
馬鹿息子、第一歩兵師団長の息子、ダリオン!
「いや、規模が大きすぎる。これは個人の話じゃねえ」
口をひらいたのはラティオだ。
「だが、アッシリア国とウブラ国を戦わせたいやつがいる。それはたしかだ。そいつがラボスの騒動を利用した。おそらく、そんなところだろう」
「でも、だれが!」
そんなことをして、いったいなんの得になるのか。
「それは、ここではわからねえ。アッシリア国なのか、ウブラ国なのか、はたまた・・・・・・」
「バラールか」
最後の言葉はヒューが付け足した。ラティオがうなずく。
「なぜ、バラールが?」
「戦争になれば、大量の物資が動く。どうやら、あの商業都市は調子が悪そうだしな」
まえにラティオが言っていた葡萄酒を買いたたかれたり、といった話か。でも戦争、それで儲かるのか。そんなことがあるのか。
「いまこのとき、自分はアト殿と共にいたいが、一刻も早く帰り、ゼノス師団長に正しい状況を伝えねばならん」
グラヌスの言葉にラティオがつづいた。
「だからよ、アト、おめえはヒックイトの里に来たほうが、いいんじゃねえか」
ぼくが、ヒックイトの里に・・・・・・
ラティオのうしろ、ヒックイトのひとりと目があった。にっと笑う。
「流れ者が来るにはいいところだぜ」
「ぼくは、人間です。猿人族と似てますが」
「知ってるさ」
「ではなぜ・・・・・・」
「おい、こんな現状見て、子供ひとり、ほっとけるわけねえだろ」
まわりの人が、そうだそうだとうなずいた。
「それにおめえさん、戦争になったら犬人の国にいるのは、あぶねえんじゃねえか」
そうか、アッシリア国とウブラ国が戦う。それは、猿人と犬人の戦いなんだ。ヒックイトの人とグラヌスが敵になる。
考えた。仕方がないことだとは、どうしても思えなかった。ぼくにできること、それがあるような気がする。
立ちあがろうとしたが、まだ足腰が立たない。
「グラヌス、肩を借りてもいい?」
「おお、いくらでも貸そう」
グラヌスの肩を借りて立ちあがった。立ちあがると腰のぬけた感触は遠のいた。足を踏みしめる。問題ない。
ぼくはグラヌスを見た。人生で初めての友。ぼくがそう思うだけで、年上のグラヌスからすれば面倒な弟のようなものだろう。
でも、グラヌスを戦わせたくはない。それは絶対に嫌だ。
「グラヌス、一緒に行くよ」
「アト殿・・・・・・」
「ぼくが、この村の最後の生き残りだ。ぼくしか説明できない」
グラヌスは迷うように口をつぐんだ。
「すぐに行こう、グラヌス」
「亡骸を埋葬しないでよいのか?」
ぼくは首をふった。
「遅かった。そのまちがいは二度としたくない」
ぼくの言葉にグラヌスが強烈に顔をしかめた。
「それはアト殿のまちがいではない! このグラヌスが叱責されるべきところ」
グラヌスの怒りが充分すぎるほど伝わってくる。やっぱりぼくは、この人を戦わせたくない。
「グラヌス」
「うん?」
「戦争を止めよう」
「うむ」
ラティオが立ちあがった。尻についた砂を払う。
「なら、おれも行くか」
「ラティオ殿、アッシリア領だぞ!」
「危なくなったら逃げるさ、なあ、ヒュー」
「わたしも入るのか」
いつのまにか、ヒューも立っていた。
「ありゃ、来ないの。帰るか?」
「帰るところなど、ない」
ふたりも来るのか。グラヌスが心配するとおり、それは危険なのかもしれない。それでも、ぼくはなぜか、この三人がいるという安心感がわいた。
グラヌスは自分の隊を集めた。乗ってきた馬は、ぼくらが使うことになった。気の毒だが、兵士の人は歩いてコリンディアまで帰ってもらう。
「ついでにアッシリア領の外まで、うちのヒックイト族を送ってくれねえか? 兵士といっしょなら無用な誤解がない」
ラティオの提案だ。そうだ、後続の人たちもいた。
「では、イーリク、ドーリク、ふたてに分かれ、こちらにむかうヒックイトの方々を探しながら行ってくれ」
グラヌスの言葉に副隊長のふたりがうなずく。
「いや、見送るだけだ。そのふたりは、こっちのほうがいいと思うぜ」
「イーリクとドーリクをか?」
「そうだ。グールと戦ったのを忘れるなよ。まだいるかもしれねえ」
グラヌスはすこし考えた。
「そのとおりだな。見送り部隊も、ふたてに分かれるのはやめよう。固まって国境まで」
「ラティオのほうが数がすくないのう。わしもそっちに行こうかの」
声をあげたのはボンフェラートさんだった。
「じじい、帰れよ」
「ぜがひでも、グラヌスとアトは着かねばならんのじゃろ。このなかで、いちばん強いのは、だれじゃ?」
ラティオとグラヌス、ヒューは顔を見あわせ、首をすくめた。三人がなにも言わないということは、ボンフェラートさんなのか!
「隊長、このかたは?」
「うむ、イーリク。このボンフェラート殿は精霊使いだ。それも、かなりの使い手」
細身の副隊長が見るまなざしが変わった。そうだ、イーリクさんは精霊戦士だった。
「ラティオよ、ブラオとイブラオの兄弟が見えん」
イブラオの顔を探した。ひたいに傷のある人だ。
「気ままな兄弟だからな。まあ、あのふたりなら勝手に帰るだろ」
兵士の乗ってきた馬をもらい、ぼくらは出発することになった。
ぼく、グラヌス、ラティオ、ヒュー。この四人に今日初めて会話をした人が加わる。
ボンフェラート、イーリク、ドーリクの三人だ。
数は七人だが、ぼくとヒューが馬に乗れない。馬は五頭でよかった。
馬の背に乗り、村をふり返る。
村のみんな、ごめん。心のなかで謝った。ことが済んだら、帰ってくる。
馬が動いていないことに気づいた。なにも言わず、ぼくを待っていたのか。
「行こう、みんな」
ぼくの声にグラヌスは馬の腹を蹴った。馬が走りだす。
もう一度、ふり向いて遠のく村を見つめた。いろんな想いがあふれそうになるのを押しとどめる。
「いつか、おまえも、この村を旅立つときがくる」
父さんがよく言った言葉。望んでいなくとも、そのときが来た。
「おまえが旅立つとき、おれと母さんは、いつまでも手をふっているだろう。でもなアト、おまえは、ふり返らなくていい。まえだけしっかり見てろ」
父さんはそう言った。目をとじて、ふたりが段々畑で手をふっているのを思い浮かべた。金色になびく麦穂を背に、ふたりは笑っているはずだ。
ありがとう、父さん。ありがとう、母さん。
いま、きっと、ふたりはうしろで手をふっている。
目尻から流れる涙が、風でうしろに飛ばされた。
目をあけ、まえを見る。馬の駆ける速さはあがり、風が顔に打ちつけてきた。
その風に負けないよう、ぼくはしっかりと、まえだけを見る。
静かな山間の街道に、五騎の駆ける馬蹄の音だけが、どこまでもどこまでも響いていくように感じた。
第一章 終




