第26話 里の夜ふけ
家のなかは寝静まっていた。
グラヌスを起こさないように、ラティオの部屋を抜けでる。
ヒューは一応、女だということで別の部屋を用意された。
居間にいくと奥の調理場には灯りがついていた。食器を洗っている音が聞こえる。音をさせないように、ゆっくりと居間を歩いた。
「ラティオのとこに行くかい?」
奥から声をかけられ、びくっとした。お母さんのタジニさんだ。
「そこに、葡萄酒をあっためてある。持っていってあげな」
囲炉裏のはし、陶器のびんが埋まっていた。囲炉裏に火は見えないが、炭はまだ燃えているようで暖かい。
「あんた、寒そうだね」
タジニさんが居間にきてぼくの格好を見た。部屋のすみに置いてあるいくつかの毛布から、小さめのものをだした。それをぼくの肩に巻きつける。
最後にぼくをぎゅっと抱きしめ、背中をたたいた。
「ここの夜は寒いからね、風邪ひかないように」
ぼくはびっくりして背筋をこわばらせた。
「おっと、痛かったい?」
「いえ、おどろいただけです。すいません」
「おどろく?」
「あまり、母さん以外に抱きしめられることはなかったので」
タジニさんが、急にくるっと背をむけた。なにか悪いことを言っただろうか。
「泣かすんじゃないよ、この子は」
タジニさんが今度は、がばっとぼくを抱きしめた。持ち上がりそうなほど、力が強い。
「犬人族と見た目がちがいすぎるからね。でも、嫌われてるわけじゃないよ」
「はい、それは、わかってます。ラボス村の人は、こんなぼくを受け入れてくれましたから」
それは本当だ。ほかの子とおなじように気にかけてくれた。
タジニさんは、また背中をたたいた。今度は強くて痛い。でもすこし母さんを思いだした。
納屋に入ると、蝋燭の灯りがついている。
ラティオは、わらの上に敷物をしいて毛布を何枚もかけていた。
「おう、アトか」
「タジニさんが、これを持っていけって」
手にした陶器のびんを持ちあげる。
「そいつぁいいな、体があったまる」
ラティオは起きあがり、ぼくの座るところを空けた。いっしょに持ってきた木の杯をふたつわたし、ぼくも座る。
「ラティオは、まだ起きてたのか」
「ああ、ここから見る星がけっこう好きでな。昔からよく寝そべって考えごとをしたもんさ」
納屋なのに星、不思議に思って上を見あげると、屋根の一枚が外れていた。
「見るときによって、あの穴から見える星は異なる。こうして、ひとつだけじっくり見るとな、そのちがいもわかりやすいのさ」
星のちがい。ラティオは頭がいいとは思っていたが、考えることも人とはちがうようだ。
「しかも今が当たりだ。かなり光の強い星が見える」
ラティオは毛布をまるめ、背もたれを作ってくれた。そこにもたれると、本当にちょうどひとつの星が見えた。
「ほらよ」
ラティオが木の杯を差しだす。
「いや、ぼくは・・・・・・」
「これは甘いんだ。きっとアトでも飲めるぞ」
そう言われると飲んでみたい。受け取ってひとくち飲む。
「ほんとだ、おいしい」
葡萄酒は干し葡萄のような甘さがあった。それに、あたたまって酒がぬけたのか、酒精が弱く感じる。
毛布にもたれ、星をながめた。そして、あたたかい葡萄酒を飲む。なんだか贅沢をしている気分になってきた。
となりのラティオも、星をながめながら葡萄酒を飲んでいる。
「アト」
「うん?」
「パン、食っちまって悪かったな」
星をながめたまま、ラティオが言った。なんて返せばいいだろう。ぼくは、なんとも思ってない。
「いや、ちがうのか」
思わず声がでた。あそこでラティオがパンを食べたからこそ、今日ぼくは、生まれて初めてサテを食べた。卵粥もだ。そして今、生まれて初めて葡萄酒を飲んでいる。
「もう、じゅうぶん返してもらった」
「あん? 掟のことか」
「そう」
「馬鹿言え。なんとしてでも、アトの村を救うぞ」
力強くラティオが言った。ぼくは星をながめた。村のだれかも、今、星をながめている人がいるだろうか。みんな、無事でいてくれたらと願う。
「・・・・・・しまったな」
ラティオの意外な声に体を起こした。
「なにが?」
「あのパン。最後なら、もっと味わっておくんだった」
ぼくは笑いが込みあげた。
「なんだ、おかしいか?」
「だって、ラティオ、指までなめてた」
「おお、そうか? 気づかなかった」
「だから、味わってるよ」
ラティオが体を起こした。
「なあ、アト」
「なに?」
「おまえの母親のこと、聞かしてくれ」
母さんのことか。何を話そう。
「母さんの料理で一番好きなのはピラフィで・・・・・・」
「ピラフィ?」
「米を炒めたものなんだ」
「炒めるか! こっちではしねえな」
「そうだね。逆に、ぼくの村では米を煮たりしないし」
「ちがうもんだな」
ぼくはうなずいた。ラティオが自分の杯に葡萄酒を入れる。ぼくも杯の残りを飲み干した。ラティオが新しく注いでくれる。
「ほかに、どんな料理がある?」
「話せばきりがないよ」
「まだ酒もある、いくらでも聞くぜ」
「そうだなあ・・・・・・」
何を話すか考えながら、あらためて、ラティオは変わり者だと思った。母さんの話をいま、ぼくは楽しく話そうとしている。
やっぱりぼくは、もうじゅうぶんに返してもらっているのだ。この村の掟はわからないけど、ラボス村のことが落ち着いたら、それを父親のガラハラオさんに伝えに来よう。
またここに来る理由。それができたことも、心からうれしく思えた。




