第16話 カルラ運河の岸辺
カルラ運河に着くと、日はかたむき始めていた。
「あとは、この運河ぞいの道を登っていけばよい。今日は、このあたりで野宿するか」
馬から降り、グラヌスは馬のひもを岩にくくりつける。
ぼくも馬から降ろしてもらい河原に行く。腰の高さほどの芦がしげっていた。
草むらに入っていくと、ちょうどよい広さの空き地があった。岸辺に落ちている木から乾燥しているものを選び、たき火を作る。
グラヌスは馬につけていた荷物をとってきて、なかからパンと干し肉をだした。言うまでもなく、ぼくにもくれる。
「アトは訓練兵だったな。もう戦士なのか?」
「戦士のつもりだ」
「そうか。なら大丈夫だな」
なにが大丈夫なのかと思ったら、荷物から木の杯をふたつだす。肉屋でもらった麦酒をなみなみとついで寄越した。
麦酒を飲んだことはある。でも苦い。飲めもしないのに、戦士かという言葉を聞いて、受けとってしまった。とりあえず地面に置く。
グラヌスは干し肉を歯で引きちぎると、噛みしめたのちに麦酒を流しこんだ。
「固ければ、少し火で炙るとやわらくなるぞ」
そう言われたが、グラヌスをまねて豪快に歯で引きちぎってみた。思ったより、やわらかい。
「美味しい」
お世辞ではなく思った。脂の残り具合と、塩の案配がちょうどいい。
「ああ見えて、肉にはきびしい親父でな。生肉はもっと旨い。帰ったら牛の腹まわりを焼いて食おう」
ぼくの村では牛の肉は手に入りにくい。鳥か羊が多かった。干し肉でこの美味しさなのだ。それは食べてみたい。
「アトの住む、ラボス村のことを聞かせてくれぬか?」
そうか、わかった。グラヌスが年上なのに、妙になれなれしく接してくると思った。おそらく、ぼくに気を遣っているのか。母を亡くしたぼくに。
そして村のこと。どう答えればいいか難しい。
「特に珍しくもない村で、どう言ったらいいかなあ」
「珍しくないことはなかろう」
珍しくない? 意味がわからずグラヌスを見た。
「なにせ、人間のアトがいる」
グラヌスが笑った。それはそうだ。ぼくも笑う。
思えば、ぼくを見て珍しいとはよく言われるが、そのとき、ほとんどの人は眉をひそめる。笑ったのは、グラヌスが始めてかもしれない。
「そうだグラヌス、ひとつ、だれも知らないことがある」
「ほう」
「人間に尻尾はない」
「なんと!」
グラヌスがおどろいた。
人間について書かれた書物を、父さんが熱心にさがしていた時期がある。人間が人類の始祖であるという書物も見つけた。ただ、その書物に書かれた人間の特徴は、毛がうすいとは書かれていたが、尻尾がないとは書かれていなかった。
グラヌスが知っている人間の知識は、きっとその書物だろう。
「これは良いことを聞いた。幼年期に通った学舎の恩師に自慢しよう」
笑いながら杯を口元に近づけたとき、少し顔をしかめた。
「グラヌス?」
「いや、なにやら下腹が・・・・・・」
答える途中でグラヌスは杯を落とした。
「グラヌス!」
ばたんと倒れた。仰むけにすると、顔は蒼白で口から泡がでている。この症状、見たことがあるぞ。村の子供が間違って毒草を食べたときと同じだ!
自分の杯へ駆け寄り、持ちあげて鼻の下へかざした。麦酒の香りしかしない。
少し口に入れる。飲まずに舌の上でころがしてみた。すこし舌の表面が痺れる感覚がある。間違いない、毒草だ。
ころがった杯をひろい水辺に走った。川の水で杯をよく洗い、水を汲む。
駆けもどってグラヌスを起こした。口に水を入れてやると、少しずつだけど入っていく。
杯の半分ほど水を飲ませ、もう一度地面に横たえた。
あのとき、あの子供に母さんはどうやっていたか。芦の草むらを出て、河原をさがす。シュブラの木。小さな木で細い葉を生やす木だ。嘔吐の作用があって、母さんはそれをすり潰して飲ませた。
シュブラの木は、ラボス村では小川のへりに生えていた。この河原にもあっていいはずだ。
岩と岩のあいだ、挟まるように生えている木、これだ。腰にさげた革の小刀入れから薬刀をだす。
葉を切ろうとして、思いとどまった。薬刀が黒ずんでいる。あの上級獣の雌牛を突き刺したあと、しっかりと洗ったのに鋼にはまだらな黒ずみがあった。
鋼に染みこんだのかもしれない。薬刀を腰にもどし、手でちぎった。
グラヌスの元に駆けもどる。上半身を抱えて起こした。シュブラの葉をすり潰している間がない。口に入れて噛みくだいた。それを手のひらに吐きだし、グラヌスの口にねじこむ。
水と一緒に飲ませ、地面に寝かせる。しばらく見つめた。効いてくれ!
グラヌスの身体が動いた。吐いたものを詰まらせないよう身体を横にむける。グラヌスが吐いた。
次は毒消し草だ。地面に生えるギザギザの葉。河原にはない。ぼくは河原から運河沿いにつづく街道へともどった。
道のへりを探すとあった。毒消しのファルマゴ草。ひとつかみ摘んで帰る。
木の杯に入れ、近場にあった細長い石ですり潰す。草から汁が出てきた。川の水を少し入れる。さらに押し潰し、水が緑色になったところでグラヌスに飲ませた。
それから河原に落ちてある石を積んで、かまどを作った。たき火から火をうつす。そこに川の水を入れた鉄鍋をかけた。薬草の効果を強くするには、煮出したほうがいい。
ファルマゴ草をさがして摘みとり、それを煮出していると、あたりはすっかり暗くなった。
たき火の揺れる明かりでグラヌスを見る。苦しそうな表情だが、顔色はもどってきた。
なぜ、麦酒に毒草が入っていたのだろうか。そう思っていると、たき火の明かりの外、暗闇のなかに草むらが動く音がした。




