93. 出直し採取行 - 5
長らく間隔が空いてしまって申し訳ありません。
ここ暫くの間延びしがちな投下頻度についても、近日中に何とか改善したいと思っております。
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「シグレ!」
河原の砂利に混じって生えている『川ヒジキ』という食材を採取していると。それほど遠くない場所から、エミルがこちらを呼ぶ声が聞こえた。
シグレが立ち上がり、声のする側を振り返ると。靴を脱いだ素足を浅瀬に浸したエミルが、右手をぶんぶんと振りながら、川面をこちら側へ歩み寄ってくる。
「これ、よければ使って下さい!」
傍にまで近づいたエミルが、一本の大きな瓶を差し出してきた。
それは透明な瓶だった。一升瓶よりは少しばかり小さいように見えるから、容量は1.5リットルぐらいだろうか。瓶に充填されている中身もまた無色透明の液体で、ぱっと見では何が入っているのか判別がつかない。
エミルは軽々と手渡してきたものの、受け取ったシグレの手にその瓶はずしりと重たくて。思わずバランスを崩しそうになりながらも、辛うじて踏み止まる。
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□ミヒル河川水/品質[70]
【品質劣化】:-2.50/日
| ミヒル川を流れる水。上流から採るほど品質値は高くなる。
| 河川が増水または渇水している時には、品質が著しく落ちる。
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エミルとの[筋力]差を痛感しながら、中身の詳細を確かめると。どうやら瓶に詰まっているのは、この川から汲んだ水であるらしい。
水なら王都アーカナムでは容易に手に入るし、そもそも〈調理師〉の天恵を有しているシグレは生産スペルの【水成】を使うことで、いつでもどこでも水を自由に作り出すことができる。あまり河川水を持ち帰る必要性は感じられないが―――。
シグレがそう思っていると。エミルも察したのか「錬金や製薬に使うんです」とすぐに答えを教えてくれた。
「ヒールベリーは〈錬金術師〉の生産する初歩的な霊薬の材料として有名ですが、厳密は材料にはヒールベリー以外にも『水』が必要なのだと、以前にパーティーを組んだことのある〈錬金術師〉の掃討者の方が言っていました。
飲用に使う分には都市で手に入る水でも構わないでしょうが―――。生産材料として使うのでしたら、水の品質にも拘るほうが良いと思うのですが」
「なるほど……」
エミルの説明に拠れば、王都アーカナムで手に入る水は井戸と水道のどちらから得られるものでも、品質値は大体『45』前後なのだそうだ。
また、スペルの【水成】で生成される水の場合には品質値が常に『40』ちょうどで固定されるらしく、このため都市の中では『質の良い水』というのは意外に手に入れにくいものであるらしい。
「これは〈錬金術師〉に限らず、他の生産職でもそうですね。掃討者ギルドに設置されている、三種類の掲示板のことは覚えてらっしゃいますか?」
「もちろん覚えています。最近はあまりチェックしていませんが……」
掃討者ギルドを初めて訪れた際に。まだ右も左も判らないシグレに、掲示板の利用方法などを懇切丁寧に説明してくれたのは、他でもないエミルだ。
エミルから教わった三種類の掲示板の知識は、もちろん今でも頭の中にちゃんと入っている。ただ、シグレは魔物の討伐報酬額やドロップアイテムの買取額を気にしないこともあり、掲示板に目を通す頻度があまり多くないのも実情だった。
「掲示板のひとつに『買取希望』を扱うものがありますが、その中で『水』の買取というのは、殆ど常設に近いぐらいいつでも貼り紙がされてるんですよ。
〈錬金術師〉だけでなく〈薬師〉や〈調理師〉、意外な所では〈縫製職人〉にも上質な『水』の需要というものはありますから」
「……縫製に、水を使うのですか?」
「えっと……聞いた話では確か、染め物をする時などに大量に使うとか」
なるほど、染め物か―――とシグレは得心して頷く。
この世界の生産職は10種類しか存在しないため、各々が受け持つ役割もそれだけ広めに設定されている。
例えば〈縫製職人〉には『皮革加工』の技術も含まれるため『毛皮を鞣して靴を作る』行為なども職分の内に含まれる。それと同じように、どうやら染め物もまた〈縫製職人〉の生業に含まれるものであるらしい。
錬金や製薬にどの程度の水量を必要とするのかは判らないが、となると瓶1本分だけでは些か心許ない。もう少し量を確保しておきたい所だ。
水などの液体はそのままでは〈インベントリ〉や〈ストレージ〉に収納できず、必ず瓶などの容器に収めた状態でなければならない。なのでシグレは何か手持ちの材料で、適当な容器が作れないものかと考える。
鉄と銅の地金なら、それなりの量が〈ストレージ〉に余っているが―――。
(……銅はやめた方がいいかな)
川水を容れるだけなら大丈夫とは思うが……表面に傷が付いたり、保存の期間が長期に渡ってしまったり、もしくは容れる液体の成分によって金属成分が溶出してしまう可能性はゼロではないだろう。
そうした場合、とりわけ銅は中毒症状を引き起こしやすい。薬品のように、経口摂取する材料を保存するための容器に使うには、やや不適格だろう。
溶出自体は鉄でも起こり得るが、こちらは中毒症状を引き起こすことはまず無いと考えて良いと思う。そういう意味では、銅よりは向いていると言えるだろうか。
但し鉄の容器の場合は、水と接した状態を維持してしまうことで連鎖的に錆びが発生し、結果として品質値が下がってしまう可能性がある。
それに王都アーカナムでは鉄の価格が高騰していることもあり、入れ物を作るためだけに鉄の地金を消費してしまうのは、少々勿体ないように思えて憚られた。
となると、金属は諦めて何か他のもので容器を作るべきだろう。
そういえば昔読んだ小説の中で、クヌギはワイン樽の材料に使われることがあると記載があった気がする。ならば液体の保存には向くのだろうか。
〈ストレージ〉から今日【伐採】したばかりのクヌギの木材を取り出し、それから〈造形技師〉の生産スペルで変形させて『水桶』を作る。
素材を問わず形状を自由変化させられるため、技術も何もあったものではない。
箍のひとつさえ使用せずに、まるで一本の木から切り出して作ったかのように、一切の継ぎ目のない綺麗な桶が簡単に出来上がった。
水桶の表面に、つつっと撫でるように指を滑らせてみる。
木目には綾も全く見られず見事な仕上がりなのだが―――けれど〈造形技師〉のスペルで作成した水桶の品質は、やはり『22』と世辞にも良いとは言えない。
とはいえ単純に容器として使うだけなら、低品質でも問題は無いだろう。
【造形】スペルによる生産の特徴として『いちど作ったものと同じ形状のものは簡単に繰り返し造成できる』というものがある。
特に形状などを深く意識しなくとも、2個目以降は全く同じサイズの水桶を作ることができるのだ。これが地味に便利で、あっという間にシグレは追加で3個分の『水桶』を連続生産した。
「―――うん?」
出来たての水桶を使い、川端で水を汲んでいる、まさにその時だった。
唐突にシグレは、森の一角に対して、何かの『違和感』のようなものを覚えた。
いや、違和感と言うよりは―――『存在感』と言い表すべきだろうか。
それが何かは判らない。けれど、確かに何かがそこに生じたのだ。
「シグレ? どうかされたんですか?」
「ああ、いえ……その。いま何か、妙な気配が現れませんでしたか?」
「―――! 魔物ですか!? 僕の《魔物感知》に反応は無いようですが」
瞬時に〈インベントリ〉から取り出した二本の脇差『夕船』を構えて、エミルが周囲に対して警戒を露わにする。
その剣呑とした気迫を察したのだろう。エミルやシグレが何も言わずとも、カグヤやライブラ、黒鉄までもが即座に武器を構え、瞬く間に戦闘態勢を整えた。
(いや、これは『魔物』の気配ではなくて。もっと身近な―――)
そこまで考えが及ぶと同時に、はたとシグレは思い当たった。
これは―――『魔法』の気配だ。スペルを行使したあと、超常的な力が発生する際に感じられる気配のそれに他ならなかった。
戦闘に、日常にと。スペルを普段から多用しているシグレが、普段から慣れ親しんでいる魔法の気配。一度そう意識すれば、すとんと胸の中で合点もいく。
その魔法の気配が、いまシグレが眼を向けている森の中。現在地点より、およそ50メートルほど先の辺りで『広範囲』に感知された。
広範囲とはいっても、森全体から見れば僅かな範囲で、せいぜい半径10メートル程度のものだが。それでも『スペルの効果範囲』として見るならば、それは充分に広域へ影響するものだと言えるだろう。
「たぶん、スペルの気配なのだと思います。この先で何かの、スペルが行使されているような気配を、エミルは感じませんか?」
「……え? スペルの気配……ですか?」
シグレの言葉を受けて、エミルがきょとんと当惑した表情を浮かべた。
「ううん……。すみません、判らないですね。最近では『魔物』以外の気配も少しずつ察知できるようになってきましたが、さすがに『スペル』はちょっと。僕には扱うことのできないものですし……」
「……幾つかの天恵を持ってるボクでも、スペルの気配なんて判りませんよ?」
エミルの言葉を受けて、いつしかすぐ傍にまで近寄ってきていたライブラが苦笑しながらそう応じる。
そういうものだろうか。だとするなら―――どうしてシグレにだけ『スペル』の気配を感じ取ることができるのだろう。
その気配は瞬間的なものではなく、いま現在もなお継続して感じられている。
瞬間的に作用する攻撃スペルなどではなく、強化系などに代表される持続時間を持ったスペルなのだろうか。
『主人。それがどういう類のスペルなのかは、判らないか?』
黒鉄にそう促されて。シグレは精神を集中し、感じられるスペルの気配に意識を集中させる。
―――この世界のスペルは、行使する際に魔力の『波調』を生じさせる。
例えば〈精霊術師〉のスペルであれば、行使する際に術者が感じることができる波調は、『温かな微風』を思わせる穏やかで心地の良いものだ。
〈星術師〉のスペルを行使した際に感じられる、陽が落ちきった夜に、柔らかな星光と月光だけを受けて静かに煌めく『夜桜』を思わせる波調もこれに近く、シグレはこの二つが特に気に入っていた。
逆に〈伝承術師〉や〈秘術師〉のスペルを行使する際には、どこか機械的で無機質な波調のようなものが感じられる。前者は『ステンレス』で後者は『ガラス』のような感覚なのだが―――それを悉に言葉で表すのは、難しい。
術師職の系統ごとに、波調には明確な差異があるのだ。
だから気配自体を感じ取ることができるのなら、その波調の中に意識を深く委ねさえすれば、見極めることは難しくない。
感じられる波調のイメージは―――『煮沸する血』。
但しそれは、通常の血液とは異なる。血が赤色を示すのは、血液中の赤血球に、つまるところヘモグロビンに鉄が含まれるからだが。
けれど、いまイメージされるこの血液には『鉄』は僅かにさえ含まれない。
―――血の中に熔けているのは『銀』だ。
膨大な魔力を含有した『涙銀』が燃えている。
「もしかして……〈銀術師〉のスペル?」
半信半疑で、シグレはそう口にする。
そしていちど言葉に出してしまうと。もう、そうであるとしか思えなくなった。今までに〈銀術師〉のスペルは散々使ってきたシグレにとっては、この波調もまた幾度となく体感を繰り返してきたものだからだ。
「……さすがに、それは有り得ないのでは?」
「いえ、間違いありません。あちらの先で【偏向結界】という〈銀術師〉のスペルが行使されているようです」
森の中を指さしながら、シグレはそう告げる。
何故なのか自分でも判らないが、見えない場所で行使されているスペルの名前までもが、シグレにははっきりと認識できた。
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【偏向結界】 ⊿Lv.1銀術師スペル
消費MP:[時間]×60mp / 冷却時間:300秒 / 詠唱:8秒
通行者の進行方向を逸らし、侵入を阻害する結界を張る。
但し、何らかの理由があって結界内を通行しようとする相手に対しては
充分に効果を発揮できない場合がある。
効果は1時間継続。MPを多く支払えば持続時間を伸ばすこともできる。
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【偏向結界】のスペルはシグレも修得しているので、その効果の詳細も判る。
『壁』系統のスペルと異なり、侵入自体を阻む力は持たないものの、他者を寄りつかせなくする効果を持つ結界スペルで、もちろん魔物に対しても有効に働く。
森林の中で休憩をする際などに、魔物が侵入してこない『安全地帯』を一時的に作成したい場合などには、なかなか便利なスペルだろう。
もっとも、シグレの場合には常時発動の《魔物感知》スキルが優秀なので、魔物から不意打ちを受ける危険性は殆ど無い。
そのため【偏向結界】のスペルを修得こそしていても、シグレはまだ実際にこれを行使した経験は、一度も無かったりするのだが。
(あの場所に、僕以外の『銀血種』が居る……?)
職業である〈銀術師〉は、種族である『銀血種』に紐づけられたものだ。
シグレと同じ〈銀術師〉のスペルの使い手が居るということは、即ちその場所にシグレの『同族』が居るという証左に他ならなかった。
同族が居るのならば―――是非とも、会ってみたい。
会って、色々と話を聞いてみたいと。そう、シグレは胸の内で思った。




