73. 新しい魔術師
右手指の骨折は予想以上に長引いてしまいましたが、無事に完治致しました。
大変ご迷惑をお掛けしました。
「も、申し訳、ありませんでした……」
―――王城三階にある一室。
部屋の隅に机が追い遣られ、幾つかの椅子だけが無造作に置かれたこの部屋は、王城内で唯一『魔術技官』専用に設けられた場所でもある。
その魔術技官の主席であるルーチェからの叱責を受け、項垂れながらライブラは謝罪の言葉を口にしていた。
王城に勤める者は『兵士』と『使用人』を除き全てが貴族であり、他ならぬライブラ自身もまた、末席ながら爵位を賜っている身でもある。
自分が多少なりにも地位を持つ人間であるという実感は皆無だったが、とはいえルーチェからの「仮にも貴族の身にありながら一般市民を尾行するとは何事だ」という叱責には些かも反論の余地はなく、ただ深く反省させられるばかりだった。
『魔術技官』とは、名の示す通り魔術の研究をする技官のこと―――ではない。
王城に務める『技官』の中で、単に『術師職』の天恵を有する者だけが集められた部署に過ぎず、職務内容的には他の『技官』と何ら変わらないのだ。
戦闘が本分である『騎士』や『術士官』達とは異なり、『政務官』や『技官』は執務や研究、開発などが本分であるため、本来ならば戦闘の訓練を受ける必要など存在しない。
しかし『魔術技官』だけは例外で、原則として『騎士』や『術士官』に混じって一定量の戦闘訓練を受けることが義務づけられていた。
『戦闘職』の天恵は、この世界に生きる者なら誰でも必ず1つ以上は持っている普遍的なものだが、その中でも『術師職』の天恵を有する者は多くない。
王城内でも『騎士』に較べて『術士官』の人数は圧倒的に少なく、『術師職』の天恵を持つ者はそれだけで貴重なのだ。故に『魔術技官』は『技官』ではあっても何か国に有事があれば戦闘に駆り出される、『術士官』の予備役としての面を持ち合わせていた。
ライブラが魔術戦闘の訓練を受けており、初めての〈迷宮地〉探索にも怯まずにいられたのは、自身が『魔術技官』であったからだ。魔物を相手にしての戦闘訓練を幾度か経験していたし、スペルも予め先輩方から戦闘で有用だと教わったものを選んで修得してあった。
お陰で昨日の探索行でも、多少は役立てたのではないかという自負をライブラは抱いてもいた。
―――とはいえ。
自分と同じ魔術師であるシグレの、あの八面六臂の活躍に較べれば、ライブラが貢献できた仕事量など、実に些細なものでしかないのだが。
「……うん、本心から反省しているようだね。ならばこれ以上咎めるのはよそう」
元々男にしては随分と背丈の低く、同僚の女性技官達に較べてもやや背丈の劣るライブラよりも、更にひとまわり低いルーチェがそう零したのを聞き、ほっと安堵の息を吐く。
見た目の年齢が自分と殆ど変わらない少女に、懇懇と叱られ諭されるというのも恥ずべきことではあったが。それ以上に……自分が密かに想いを寄せている相手に叱られるというのは、やはり精神的に堪えることでもあったからだ。
ライブラは彼女―――ルーチェのことが好きだった。それは敬意と憧憬とが半分以上入り交じった感情ではあったが、ひとつの恋情の形として相違ないものだ。
彼にとって生まれて初めて女性に対し心から敬愛を抱き、特別な相手だと意識したのがルーチェだった。幼い見た目に反して男性風のしたたかな言い回しを好み、声量は小さくとも良く通る声を話す彼女。そうした些細な部分でさえ、ライブラはひとつひとつを好ましいものとして意識せずにはいられない。
身分違いの想いであることは自覚していた。目が無い想いであるということも、正しく理解していた。全て承知の上で―――それでも好きなのだから仕方ない。
「それで、無論のこと尾行自体よろしくない行為ではあるが。昨日一日、シグレの後を尾けたり、共に〈迷宮地〉を探索したのだろう? すぐ傍で観察して君が彼のことをどう思ったか、良ければ色々と聞かせて欲しい所なのだが」
非常に興味深そうな瞳で、ルーチェはそう訊ねてくる。
ルーチェはライブラを叱責する前に、シグレのことを「彼は恋人でもなければ、そもそも彼に対し特別な感情など何ひとつ抱いてはいない」と、取り付く島も無いかのように、明確に否定してみせたけれど。
興味深そうにシグレのことを訊ねてくるルーチェの様子を見る限り、ライブラには到底そうは思えなかった。彼女は冷淡―――という程ではないにしても、他人に対する興味や執着といったものを、普段は欠片ほども見せたりしない人だからだ。
少なくとも「特別な感情など何ひとつ無い」という言葉は、真実ではないように思えた。ルーチェは明らかにシグレのことを、特別な対象として認識している。
その『特別』が、いわゆる『恋心』に該当するものなのかどうか―――。それはライブラにも判らない。ただ、尾行から始まった一連の経緯によってシグレという人物のことを良く知ることができた今となっては、それは良いことだと思えた。
「そうですね、個人的な感想ではありますが―――師匠は大変素晴らしい人物だと思いました。優れた視野と観察眼、指揮の能力を併せ持っておられますし、本人の戦闘能力自体も極めて卓越した領域にあります。
また、人柄も申し分ありません。尾行していた当事者であるボクのような相手にさえ充分な敬意を払い、〈迷宮地〉を探索する上で身を護るためのアイテムなども惜しみなく分け与えたり貸し出して下さいました」
探索が終わった後に返還してしまったが、シグレは〈迷宮地〉に侵入する直前に最大HPを底上げする腕輪をライブラの為に貸し出してくれた。安っぽい作りの腕輪ではあったけれど、付与されている効果自体は悪くないものだったので、あれも相応に金銭価値を持った品であるのは間違いない。
けれどあの腕輪はシグレ自身が持つべきものであり、他人に貸し出して良いもので無いことは明らかだった。複数の『術師職』の天恵だけを有しているライブラのHP量は確かに多くは無く、補強の必要性が無いわけではないが―――とはいえ、シグレのHP量はその比ではない程に乏しいのだから。
いくら『天擁』と『星白』という立場の違いがあるとはいえ、他者の僅かな安全を得る為に、平気で自身の安全の多くを切捨ててしまうようなその行為は、さすがにやり過ぎだとしか思えない。
―――それに、料理のこともある。最大HPを増加させる料理をシグレは躊躇うことなくライブラへと手渡し、その対価を一切求めなかったけれど。相応の効果を持ったあのアイテムにも、それなりの金銭価値があることは容易に想像がついた。
「少々人が善すぎる部分はありますが……主席の交際相手として、正に申し分ない相手であると。ボクはそのように判断致します」
人は物品や金銭、地位や名誉というものに固執するものだ。程度こそ人によって様々であっても、執着心自体はどんな人物でも持っていて当然。なればこそ、己の所有する財産を他者に分け与える行為というのは存外に難しい。
それが当然のようにできてしまうシグレは、本質的に上に立つ者としての資質を持ち合わせている―――そのようにライブラには思える。
魔術技官の主席を務めるルーチェは、同時に侯爵家として名高い、スコーネ家の一人娘でもある。彼女の相手に、その家柄を継ぐだけの器量が求められるのは当然のことだ。
無論、本来であれば侯爵家の嫡女、その相手が庶民に務まるはずもないのだが。ルーチェの父、つまり侯爵ご本人は、この王城の有力家門の中で特に数奇者として知られている人物でもある。
多すぎる『術師職』の天恵を抱え込み、しかしその多才さに潰されることなく、寧ろ積極的に活用して戦う掃討者―――シグレのように際だつ特色を持つ人物は、侯爵から好まれる対象でありこそすれ、無下にされることはないだろう。
「……驚いた」
「えっ?」
「君はシグレを良しとせず、私の相手としていかに『相応しくない』かを、調べに行ったのだと。勝手ながらそう思っていたのだがね?」
「う、それは……」
それは事実、ルーチェの言う通りであるため、思わずライブラは言葉に詰まる。
ライブラはルーチェのことを敬愛しているが故に、彼女の興味がぽっと出の誰かに向けられることが許せなかった。故に『尾行』という手段に出てでも相手の素性を明らかにしようと考えたのだ。
ルーチェのような大物に対して急速に接近する輩は、大抵の場合それなりに追い詰められた上で、彼女の『侯爵令嬢』という肩書きを利用しようと近寄ってくる。だからライブラが王城の中庭で仲睦まじそうにしているシグレを目にした際にも、(どうせまた、何か後ろ暗いところがあって近寄ってきた人間なのだろう)という先入観を当初から抱いたものだ。
だからライブラは当初からシグレのことを、悪人だと思って近寄った。
だというのに、今は―――シグレという人物を評価する字句を並べ、ルーチェの心証が少しでも良くなるように持ち上げているというのだから。なんとも奇妙な話ではあった。
「交際云々はともかくとして……。始めから良い感情を持っていなかったであろう君に、そこまで言わせるというのは。なるほど、彼はなかなかの人物のようだ。
―――うん? そういえば君は先程、シグレのことを『師匠』と言ったかね?」
「ああ、それは……。師匠の戦い方のあまりの巧さに感動して、ボクのほうで勝手にシグレさんのことを師と仰がせて貰っているだけですが」
「ふうむ? 魔術師の戦い方など、誰でも似たり寄ったりだと思うが……」
ライブラの言葉に、ルーチェは僅かに首を傾げながらそう漏らす。
ルーチェがその発言の裏に抱いたであろう気持ちは、ライブラにもよく判るように思えた。他ならぬライブラ自身だって昨日、シグレが戦うその光景を目の当たりにしていなければ、きっと同じことを思ったに違いない。
「師匠の戦い方は、魔術師として全く新しいものです。
―――つきましては主席にひとつお願いが。今月末までに完成予定でしたボクの論文ですが、申し訳ありませんが研究テーマを変えた上で、執筆に今少しの期間を頂けませんでしょうか?」
「君が執筆していた論文のテーマは確か『スペルを行使する魔物に対抗するための服飾装備、及びその生産素材について』だったね。……個人的になかなか悪くない研究テーマだと思うし、上層部の受けも悪くないと思うのだが。それでもテーマを今から変えるというのかね?」
「はい。師匠の鮮やかな戦い方を見て、まずこれを論文に纏めたいと―――いえ、纏めなければならないと、そう思いましたので」
「……判った。そういった積極的な理由によるテーマの変更なら大歓迎だ。期間は特に設けずとも良いので、納得できるまで存分にやりなさい」
「ありがとうございます!」
姿勢を正し、深々とライブラは少女に一礼する。
技官には王城内にて就労すべき固定の業務というものがない。そもそも登城する義務自体も課せられてはおらず、技官本人の裁量による自由な行動が日々許されている。
しかしながら、代わりに原則として二ヶ月に一度は論文や報告書といった形で、研究や開発の成果を国に提示しなければならない義務を負った身でもあった。
これを怠れば当然、相応の報いを負うことになるのだが―――直属の上司、つまりルーチェの許可が得られるならば、その限りでは無い。
「君がそれほど深く入れ込み、憧憬を抱くシグレの戦い方とやら。一体どういったものなのか、私も非常に楽しみに思う。論文が完成した暁には、是非とも真っ先に私に読ませて欲しいものだね。
―――やはり、他者に護られながら大魔法を撃つようなことはしないのか?」
普通は『魔術師』と言えば、戦闘で果たすべき役割はまさにそれだけだ。
仲間の手厚い守護を受けながら詠唱時間の長大なスペルを行使し、戦況の天秤を一気に傾けるほどの『決定力』を持った大魔法を放つ。
その『決定力』の種類は何でも構わない。最も判りやすい例は、やはりスペルによる攻撃で魔物を一網打尽にしてしまうことだが、あるいは味方集団の損耗状態を即座に立て直してしまう強力な範囲治療スペルなども、『決定力』という観点では全く劣らないものだ。
無論、味方集団に能力強化を与える範囲補助スペルでも構わないし、逆に魔物に弱体化を与えたり封じ込めたりする範囲妨害スペルでも構わない。
戦闘の決定打となり得るだけの強大な力を有したスペルであれば、どのようなものであれ他者から『魔術師』として充分に敬意を払われるだけの武器となる。
―――そうした、魔術師が己の武器として用いるスペルの『詠唱時間』は、単純に長ければ長いほど優れていると考えて良いものだ。
例えば王城に所属する熟練の『術士官』や『宮廷魔術師』といった人達は、概ね詠唱に60秒から120秒程度を要するスペルを愛用している。
スペルを詠唱している間はどうしても、術者は無防備に近い状態になる。だから『詠唱時間』というものは短い方が良く、詠唱なしで行使できるスペルが最も便利だと―――そう考えるのは『魔術師』ならば誰でもまず最初に通る道でもある。
けれど、それは間違いだ。魔力語を詠唱する行為は、直後に放つスペルの威力を大幅に引き上げる副次的な効果を併せ持っている。
その効果は詠唱に費やす時間が長いほど強力になり、攻撃スペルであれば30秒の詠唱でその威力は約3倍に、60秒で6倍に、90秒ともなれば実に10倍もの威力にまで達することになる。
―――そもそも、魔術師が行使するスペルの基本威力は、実はそれほど高いものでは無い。魔術師が放つ詠唱時間がゼロの攻撃スペルは、同レベルの前衛職が繰り出す普通の剣や槍による通常攻撃と、ほぼ同程度の威力しか持たないのだ。
なのに魔術師が、一般的に『決定力』を持った職業として認知されているのは、偏に『詠唱時間』によりスペル威力の増幅が手軽に可能であるからだ。
例えば〈伝承術師〉の多くが愛用する【火球】のスペルなどは、詠唱に90秒の時間を要するため、その威力には10倍の補正が掛かる。一般に『範囲』を対象とするスペルは、単体を対象とするスペルに較べると威力が半分に落ちてしまうけれど、それを踏まえても最終的な威力は『5倍』にも達する。
5倍もの威力を持った範囲スペルならば、相手を選べば充分に『決定力』を発揮することもできるだろう。
もちろん、より長い詠唱時間を必要とするスペルを選択すれば、より顕著に威力を高めることもできる。―――スペルの選択により、魔物集団に対して一撃で致命的なダメージを負わせることもできる。それこそが魔術師の強みに他ならない。
「師匠は過剰過ぎるほどの多天恵を持っているせいで成長が致命的に遅く、レベルだけで判断するなら魔術師としての位階は極めて低いです。そのため、詠唱時間を多く必要とするような『大魔法』系のスペルは、そもそもギルドの書庫から写本を入手するための『推奨レベル』を満たすことができません。
ですので師匠が扱う魔法の大半は詠唱時間がゼロ、ないし数秒程度の、増幅効果が殆ど期待できない初歩的なスペルばかりになります」
―――そう。シグレは『大魔法』系のスペルを、そもそも扱うことができない。
詠唱時間の長いスペルは、その写本を術師職のギルドから購入するために必要な『推奨レベル』も、大抵の場合高めに設定されているものだからだ。
比較的『推奨レベル』が低めの【火球】でさえ、『伝承術師ギルド』で写本を購入するにはレベルが『4』必要になってしまう。まだレベルが『2』のシグレには、手に入れることができないのだ。
なればこそシグレは、昨日ライブラが目の当たりにしたような独自の『魔術師』としての戦闘スタイルを確立しているのだろう。
「なるほど、さもあろう……。成長に難があるのは、天恵を持ちすぎる者ならではの辛い所だな。だが詠唱が短いスペルしか使えないとなると、治療役としてぐらいしか『魔術師』の強みを活かせる部分が無いのではないかね……?」
詠唱時間がゼロ、あるいはそれに準ずるスペルばかりを揃えていては、通常であればスペルの威力不足は必至の問題となる。
攻撃スペルでなくとも、例えば妨害系のスペルであれば成功率が伴わないことになるし、味方を強化するスペルの場合も詠唱時間がゼロであれば強化量は頼りないものに留まる。
唯一の例外として治療スペルだけは、詠唱があろうとなかろうと、使える術者が同行してくれるのを歓迎しないパーティは存在しないだろうが―――。
一般的に『魔術師』に半端な仕事が求められることはない。
彼らに求められるのは常に戦況の『決定力』であり、小回りが利き便利に扱えるスペルというものは、殆どの場合、無価値なものだからだ。
「師匠の場合には、その懸念は杞憂というものです。師匠が行使するなら、詠唱を必要としないスペルでも相応の威力が出ますから」
「ああ―――。なるほど、彼の優れた[知恵]や[魅力]があれば、ということか」
ルーチェの言葉に、ライブラは力強く首肯して応える。
詠唱時間の影響が大きすぎるせいで忘れられがちだが、スペルの基本的な効力というものは、術者の[知恵]もしくは[魅力]の能力値に依存して決定される。
能力値はレベルに伴って成長するものだが、その増加量はHPやMPの最大値の伸びに較べると、遙かに小規模なものに留まる。例えば人間の〈伝承術師〉なら、レベル1の段階では[知恵]が大体『50』程度なのに対し、レベルが10まで成長したとしても、能力値はせいぜい『65』前後にしか成長することはない。
素人の魔術師と熟練の魔術師とを較べても、せいぜい数割程度の差しか生じないのだ。だから能力値がスペルの威力に顕れるという事実は、能力差を実感しやすい前衛職などに較べると、多くの魔術師にとって失念しがちな事柄でもあった。
しかし能力値は後天的な成長が難しい一方で、先天的な差は生じやすいものだ。
例えば〈秘術師〉〈伝承術師〉〈精霊術師〉の、3つの『術師職』を持っているライブラの場合、まだ戦闘職のレベルが4であるにも拘わらず、[知恵]の能力値は既に『82』にも達している。これは単一職業に換算すれば、レベル20の魔術師にも匹敵する程の数値だ。
さらに言えばシグレの場合はもっと顕著であり、こんなものではない。あらゆる『術師職』の天恵を持ち、さらにスペル適性が最も高い希少種属『銀血種』であるシグレの[知恵]の能力値は、レベル2にして『290』という尋常ならざる数値にまで至っている。彼の[知恵]は同レベルの魔術師に較べると6倍近いものだ。
[知恵]の数値が6倍になったからといって単純にスペルの威力も6倍になるというわけではないが―――とはいえシグレの放つスペルの威力は、常人の比ではない。詠唱時間ゼロの攻撃スペルでもなかなかの威力を発揮するし、睡眠や拘束といった状態異常を与えるスペルの成功率も低くないのだ。
そうした中程度の威力のスペルを、シグレは『乱射』できる。
詠唱時間が無いスペルは発動までの遅延がなく、しかもシグレは無数のスペルを修得しているため、個々のスペルに生じる冷却時間など歯牙にもかけない。
魔物との戦闘が開始した瞬間から決着の瞬間まで、シグレは絶えず休まず何かのスペルを行使し続けるのだ。それは攻撃であり、回復であり、味方への補助であり魔物への妨害でもある。
―――シグレひとり居てくれるだけで、そのパーティはあらゆる指向性のスペルによる支援を享受し続けることができるのだ。彼が仲間に居てくれる頼もしさは、今までの護られることを前提とした『魔術師』に期待されていたものとは、完全に別種のものだといえた。
「この国の『騎士』と師匠が戦ったら、主席はどちらが勝つと思われますか?」
「それは1対1でということか? ならば考えるまでもない。我が国の騎士が圧勝することだろう」
通常の魔術師が相手であれば、ルーチェの判断は極めて正しい。護られることを前提としなければならない『魔術師』は、1対1に限れば最弱の兵科だからだ。
けれど―――シグレの場合には違う。彼は多くの魔術師と異なり、スペルを行使する際に明確な隙というものを晒すことがない。
シグレが仲間も連れず単身で都市の北門から外に出て、『バルクァード』という最近になって都市の衛士達から厄介だと嫌われまくっている魔物を、大量にソロで狩猟してきた事実をライブラは尾行の成果として知っている。
おそらくは他者の支援を全く受けられない状況下でさえ―――彼は『魔術師』として戦うことができてしまうのだ。
「これは断言しても構いませんが―――間違いなく師匠が勝ちますね。少なくとも普通の騎士程度では、師匠の相手にもならないでしょう。下手をすれば近衛騎士にさえ、師匠は勝利してしまうかもしれません」
「……馬鹿な、有り得ない」
驚きに見開かれるルーチェの双眸。
彼女がそれほど顕著に驚きを示す姿は、ライブラも初めて目にするものだった。




