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リバーステイル・ロマネスク  作者: 旅籠文楽
3章 - 《掃討者の日々》

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53. 〈重戦士〉ユウジ - 1

 


     [1]



 翌日、いつも通りの朝6時。シグレは静かな雨音の中で目を覚ます。

 予想できていたとはいえ、今日もやはり雨なのだな―――と、シグレはベッドの上で小さく溜息をつく。雨脚はそれほど勢いの強いものではないが、昨日と全く同じ調子で刻まれ続ける雨音のリズムは、そう簡単に止みそうには思えなかった。


 昨日は『封術書』を用いて〈銀術師〉スペルの魔術書を作成したり、二度目の採血をルーチェから受けたりしたあとは、王城から近い場所にある『調理師ギルド』の工房で夜まで過ごした。

 名前は『工房』であっても、その(じつ)はただの『共用調理場』だったりもする施設は、しかしこの街で最も天恵所有者が多いと言われる〈調理師〉のギルドということもあり、利用者が多く賑わっている。

 この世界の食べ物や飲み物は、アイテムの品質が『0』以下になっていない限りは、美味しく……かどうかはともかく、安全に食べることができる。

 『調理』の生産で〈ストレージ〉の中に予め作り置きしておけば、そのままでも半月程度は持つし、小まめに【防腐】のスペルを掛けるようにすればもっと長期でも保存が利く。

 冷めても美味しい料理を中心に、結構な量を放り込んでおいたので、当分の間は狩りの最中などであっても飲食物の調達に困ることは無いだろう。何しろシグレは飲み水であれば【水成】のスペルで、いつでも作ることができるのだから。


 ……ちなみに、例の三角帽子を被ったライブラは、シグレが『工房』で調理を行っている間ずっと、ギルドの建物の外にじっと張り付いていた。

 雨の中で少女を―――もとい、少年をひたすら待ちぼうけさせることにシグレの心は少なからず痛んだが、かといってこちらから声を掛けるわけにもいかない。

 工房を出た後はシグレの泊まる宿までも尾行を続けてきたが、さすがに宿に入ったのを確認した後は、どこかへ去っていったようだった。


 ライブラの上司に当たるらしいルーチェは昨日「それほど迷惑でないようなら、彼の好きにさせてやって欲しい」とシグレに告げた。

 どの道ライブラにも『魔術技官』としての役目があるので、シグレの尾行などをしていられる暇は、せいぜい三~四日程度しか作れないだろうという話だ。放っておいても数日のうちに尾行は終わるのだから、別にいま、無理に止めさせることもないとルーチェは判断したようだ。

 何しろ、ライブラの尾行動機を考えれば、ルーチェ本人から止めるように言えば余計にこじれることも考えられる。それならば―――敢えて放置することで、自然に尾行が終わるのを狙う方が面倒が無いというものだ。


(……今日も居るなあ)


 少し開いた窓の隙間を潜らせるように《千里眼》の視界を飛ばせば、宿の外には傘を差して街角に佇む三角帽子の彼女が―――もとい、彼の姿が確認できた。

 今日の三角帽子は昨日のものよりも一回り小さく、黒いマントの中に着込まれた白地のセーラー服が対比で眩しい。タータンチェック柄のミニスカートから伸びる細い両脚は黒タイツで被覆されていて―――。


 ―――なんでこの子、同性なんだろうな。

 一人きりの宿の部屋で、小さく声に出してしまいながら。シグレはその事実をしみじみと訝しく思う。この世界にある不思議の一端を垣間見たような気がした。


 雨が降っていると、正直あまり積極的に狩りに出る気にはならない。幸いお金に困っていないこともあり、わざわざ雨の中で街の外に出る必要性はない。

 こんな雨の日には、できればどこかの生産職ギルドで『工房』に籠っていたい所なのだけれど……しかし、そうすると昨日と同じように、ライブラは今日も建物の外でじっと待ちぼうけをする羽目になるだろう。

 ―――それよりはまだ、街の外に狩りに出る方が良いだろうか。

 先日バルクァードを狩ったときにも、彼はさすがに魔物の存在する街の外までは着いて来なかった。

 都市の門前には、馬車などを利用する旅客の腹を満たすための飲食屋台や、この都市の土産物を販売する屋台などがそれなりに並んでいる。建物の前で待たせるよりは、屋台などで時間を潰せるどこかの都市門前で待たせるほうが、拘束の度合いとしては軽く済みそうに思う。


『主人、今日はどうするのだ? ギルドで生産をするのであれば、我はこの部屋で一日まったりと過ごそうかと思うが』


 シグレのベッドの脇に座る、黒鉄がそう訊いてくる。

 普段なら黒鉄のことはエミルに預けることが多い。というのも、エミルと黒鉄の戦い方は基本的に全く同じものなので、彼女にとって黒鉄は一緒に居ても全く邪魔にならない仲間であり、純粋な戦力増として機能する存在なのだ。

 しかも、黒鉄を貸すだけなら分配が必要ない。孤児院を近いうちに出なければならないエミルは現在、宿暮らしに備えてお金を貯めている最中なので、これは彼女にとって非常に有難いことであるらしかった。

 とはいえ、さすがに収入全てを自分の懐に入れるのは申し訳ないらしく、狩りで得た収入の1割から2割ほどを黒鉄の主であるシグレに渡してきたりもするのだが。それでもエミルにとっては《背後攻撃(バックスタブ)》で最初に始末できる魔物の数が2体に増えるだけでも、黒鉄が居ることで十分な収入増に繋がっている筈だった。

 黒鉄からしても、シグレの『生産』に付き合わせて隣で退屈な思いをするより、エミルと共に狩りに出る方が戦闘を楽しめる。経験値も稼ぐことが出来るし、それに何より自分と同じ戦い方の『先輩』であるエミルからは、共に戦っていて学べることが多い―――と黒鉄本人からも幾度となく聞かされている。


 しかし今日に限ってはそれも無理だった。というのも、エミルが現在暮らしている孤児院に出資している貴族の人が月に一度、定期的に訪問して来る日が今日であるらしいのだ。

 出資者に面会できる最後の機会なので、この年齢まで育ててくれたことのお礼をきちんと言いたいのだとエミルは言っていた。その為、今日だけは狩りなどに誘われても応じられないことも事前に彼女から伝えられている。


 今日もシグレが生産に行くのであれば、黒鉄は宿で待つつもりで居るようだ。

 『魔犬』である黒鉄は見た目は完全に『魔物』なので、どうしても保護者なしで街中を歩かせるわけにはいかない。

 ただ、黒鉄のことは女将さんを始めとした宿の人達ならシグレの使い魔だと理解してくれているので、ここに居る分には衛兵を呼ばれることはないし、食事も受けることができる。


「狩りに行こうか、黒鉄。どこに行くかはまだ決めてないけれど」

『うむ。主がそれで良いのであれば、そのほうが我としては楽しめる』


 どこに狩りに行くかは『掃討者ギルド』で情報を仕入れて決めることにしよう。



     *



「おや、おはようシグレ。いつも早起きだねえ」

「おはようございます、女将さん」


 階下の食堂に降り、女将さんと挨拶を交わす。

 いつも決まって朝6時過ぎに宿の一階を利用するシグレだが、この時間に降りてきて女将さんが起きていなかったことなど、一度としてなかった。


「昨日はバルクァードのお肉を沢山くれてありがとうねえ。お客さんにも受けが良いお肉なわけだし、別に代金を払っても構わないんだよ?」

「いえ、いつもお世話になっているわけですし、この程度のことは……」

「そうかい。シグレは若いのに、今どき珍しいほど遠慮をするねえ。なら、せめて美味しい料理を作るから、沢山食べてっておくれよ。もちろん黒鉄もね」

『うむ。有難く頂戴しよう』


 毎日こちらの『ゲーム内』の世界と、『現実』の世界とを行き交いしているシグレではあるが。ここ〈イヴェリナ〉から現実へと戻ったときに一番困るのは、実は身体が不自由であるということではない。

 最も辛く思うのは、こちらの世界の料理に比べると病院で供される食事があまり美味しくないということだ。

 以前は現実世界で提供される料理も、それなりに美味しく食べていた筈なのだけれど……今となってはもう、その頃の気持ちを思い出すことができない。

 とりわけ辛いのは、数日おきにやってくる朝食にパンが出される日だ。目玉焼きに少量のベーコン、白菜がたっぷり入った豆乳ベースのスープに野菜サラダ。この辺りはまだ良いのだが―――一緒に出てくるロールパン、あれは本当に頂けない。

 この宿で朝食に出される、竈で焼き上がったばかりのパンの、あの極上の味わいを一度経験してしまうと。現実世界の冷え切ったロールパンなんて……。


 気がつけば随分と贅沢になってしまったなあ―――と、シグレはしみじみ思う。


 そういえば、エミルは孤児院を出たらどこの宿に住むのか、もう予定は決まっているのだろうか。

 もし決まっていないようであれば、この宿を勧めてみるのも良いかも知れない。女将さんが毎朝焼いてくれるこのパンを一度味わえば、きっと彼女もこの味の虜になってしまうことだろうから。

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