22. 狩猟 - 3
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「お見事でした」
「―――ん、ありがとっ」
魔物二体を相手にしながらも、傷ひとつ負わなかった彼女は治療スペルを必要としない。戦闘後に歩み寄ったシグレがただ労いの言葉だけ掛けると、キッカははにかみながら右手で小さくピースサインを作ってみせた。
敵の攻撃を受けなかったため、防御役としてのキッカの腕前を見ることは叶わなかったが。まだ〈イヴェリナ〉に来て一ヶ月しか経っていない筈の彼女が、既に『掃討者』として立派な技倆を持っていることは、傍から見ていたシグレにも十二分に理解できた。
自分が支援役として、何か彼女の力になれる部分があるのだろうか―――と、いささかシグレは不安になりながらも。一方では彼女の勇姿を見て奮起させられたことで、自分も『掃討者』として恥じないだけの実力を持てるようにならなければならないとも思わされる。
「キッカ、その……髪と鎧に、魔物の返り血が」
彼女の綺麗なオレンジの髪を、生々しい魔物の血糊が汚してしまっていた。倒した魔物の骸は光の粒子となって消滅するが、どうやら戦闘の最中で浴びた返り血までが消えてくれるわけではないらしい。
革製の防具にも付いてしまっているが、そちらは水捌けの良さそうな生地なので後からでも何とかなるだろう。とはいえ髪に付着してしまった分は、早めに対処しなければ乾いて落ちにくくなるのではないかと、近くから目の当たりにするシグレは気が気ではない。
「あ、別に気にしないで大丈夫。まあ……あんまり良い気はしないし、落とせるものなら落としたくはあるけれどさ。魔物と戦う上で返り血を浴びるのはある程度仕方無いし、一戦ごとに洗ってちゃキリがないし。後で街に帰った後に纏めて【浄化】して貰うから」
「【浄化】?」
「うん。街の大聖堂でやって貰える、汚れを落とすスペルみたいな奴? 少額でもいいから大聖堂で寄付をすれば、神官さんが掛けてくれるんだよね。掃討者の人は汚れやすいから、利用する人が多いみたい」
「なるほど……」
そのスペルなら、シグレも知っている。
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【浄化】 ⊿Lv.1聖職者スペル
消費MP:[対象数]×60mp / 冷却時間:なし / 詠唱:なし
任意数の人や物に付着している、好ましくない毒性や汚染を取り除く。
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―――というか、持っている。
朝に宿で説明文を読んだ際には『解毒』を主目的とするスペルだとばかり思っていたのだが。なるほど……よくよく読んでみれば確かに『汚染を取り除く』という一文も書かれている。
冷却時間はなく、消費MPもシグレにとっては微々たるものである。これならば気軽に行使しまくっても全く問題は無いだろう。
スペルを使おうと意識すれば、そのスペルを行使するための魔力語は自然とシグレの脳内に浮かんでくる。〈聖職者〉のスペルは装備制限が無いので〈インベントリ〉から杖を引っ張り出す必要もない。
「―――【浄化】」
「わっ」
キッカの身体がキラキラと舞う燐光に一瞬だけ包まれて。数秒も経たずそれが消えた後には、彼女の髪や革鎧、槍の穂先などにべっとりと付着していた血糊の汚濁はすっかり取り除かれていた。
最初にスペルの説明文を読んだときには、正直(あまり必要の無いスペルだ)と価値を低く見積もってしまっていたけれど。これは―――地味に便利なスペルではないだろうか。
なるほど、何事も実際に試してみなければ判らないものだ。
「ああー……これは、かなり嬉しいかも。後で纏めて落とせるって判ってても、やっぱり汚れたままでいるのは気分の良いものじゃなかったし……。
ありがとね、シグレ! 正直、戦闘ごとにコレ掛けてくれるだけでも、シグレとこの先ずっとパーティ組んでもいいなあ」
「はは……。喜んで頂けるのは有難いですが、さすがにもう少しは色々と役立てるように頑張りたい所ですね」
「ん、頼りにしてる。―――それじゃ、次は一緒に戦ってみよっか」
そう告げてから、キッカは北東のほうへ視線を走らせる。
彼女の視線の先にウリッゴ4体の集団が居ることは、当然《魔物感知》スキルの持ち主であるシグレも把握していた。
「―――あ、先にひとつ質問があるんですが、良いですか?」
「ん、なになに? 私に判ることなら何でも答えるよ?」
「僕はキッカが戦っている後ろから援護させて頂く形になると思いますが。その……もしも攻撃スペルなどを味方に当てた場合って、どうなります?
「ああ、なるほど。確かにそこは後衛としては気になる所だよね。
えっと―――基本的には同士討ちは起こらないようになってるから、そこは安心して大丈夫かな。『魔物』以外の相手を攻撃してもダメージは発生しないね。意図的にそうしようとしない限りは、だけど」
「……なるほど」
取りも直さず、それは『意図的に攻撃しようと思えば可能』という意味でもあるのだろう。
「えっと……それは『パーティを組んでいる相手』になら『意図的でない攻撃は当たらない』という意味で理解しても?」
「ううん、それは違う。パーティを組んでいてもいなくても『魔物以外』の相手に対しては、意図的で無い限り『ダメージが発生しない』と言った方が正確かな。
そうだなあ……。ええと、一度私の槍でシグレを思い切り攻撃してもいい? ダメージが1点も入らないことは保証するから」
「もちろん構いませんが……僕を攻撃しようとした時点で、それは『意図的』な攻撃と判定されないのですか?」
「攻撃を『当てよう』とするだけなら、ならないね。もっと明確に『相手を傷つけよう』とか、いっそ『殺そう』とか思いながら攻撃しなきゃダメージは与えられないから」
「なるほど……」
システムにプレイヤーの『意志』による操作が組み込まれているゲームであればこそ、どうやらその辺の判定ラインはきっちり明確なものとなっているらしい。
先程は魔物に向けられていたキッカの槍斧が自分の側に向けられると。反射的にシグレの背中を冷たい恐怖が伝う感覚があった。
「じ、実際に槍を向けられると、結構怖いですね……」
「あははっ、それはそうだろうねえ」
キッカの持つ槍斧は、斬るだけでなく刺突による攻撃も十全に行えるよう、穂先には斧頭とは別に鋭利に尖った槍頭が備わっている。
別にシグレは先端恐怖症というわけではない、が。つい先程キッカの槍に見事に貫かれるウリッゴの様を観察してしまっているだけに、それが自分に向けられる恐怖というものは一入だった。
―――結論から言えば、突き出された槍がシグレの身体を貫くことは無かった。
ダメージを負わないのはもちろんシグレの身体には怪我ひとつなく、身に付けている衣服にも一切の損傷は見られない。
但し、キッカの全力の突きを喰らって―――シグレの身体は判りやすいぐらいに派手に吹っ飛ばされた。
痛みは全く無いにも関わらず、攻撃を喰らった『衝撃』は確実にシグレの身体に与えられているのである。たっぷり数メートルは後方に弾き飛ばされながら、しかしダメージが全く無いというのだから不思議なものだ。
「……え、ええっと……。つまりダメージを負わないだけで、攻撃自体は味方にも当たる……ということで合っていますか……?」
「ん、その通り。それが一発で判ったなら、吹っ飛んで貰った甲斐があったねえ」
「はは……二度目は遠慮したい所ですが」
自分の身体が吹っ飛ばされる感覚というのは、正直結構怖い。
「意図的でない限り、攻撃は味方にダメージを与えない。これはHPもそうだし、相手の身に付けている装備品に対してもそう。槍で突こうが剣で斬ろうが、シグレの着ている衣服も『ダメージ』は受けない。
但し、攻撃自体は当たっちゃう。痛みはないけれどね。だから前衛が複数居る場合は、互いに十分な距離を開けて戦わないと迷惑を掛けちゃうことがある。特に私が持ってる槍みたいな長物を振り回すと……」
「ああ……。なるほど、判る気がします」
直接ダメージを与えるわけではないにしても、味方にも攻撃は当たるので、相手の身体を不意に突き飛ばしてしまうことは有り得る。
タイミングが悪ければそのせいで味方の回避行動などを阻害し、結果的に魔物から間接的にダメージを負わせてしまうようなことも起こり得るだろう。
「で、スペルでも同じことが言えるんだけど……。えっと、シグレが覚えてる『攻撃スペル』を全部見せて貰っても?」
「ええ、もちろんどうぞ」
フレンドリストに登録していたり、パーティを組んでいる相手が修得しているスキルやスペルはいつでも閲覧することができる。
このゲームでは『意志』操作による抽出表示なども可能なので、特定のスペルだけを一覧表示などといったことも簡単に行える。キッカに許可を出す一方で、シグレもまた朝に一度表示させた『攻撃スペルの一覧』を再び視界内に表示させた。
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【衝撃波】 ⊿聖職者Lv.1スペル
消費MP:60mp / 冷却時間:100秒 / 詠唱:なし
敵1体に衝撃によるダメージを与えて大きく弾き飛ばす。
【破魔矢】 ⊿巫覡術師Lv.1スペル
消費MP:60mp / 冷却時間:90秒 / 詠唱:なし
[弓] 生成した破魔矢を射ち出し敵に物理ダメージを与える。
不浄な魔物には威力が高い。
【斥力】 ⊿秘術師Lv.1スペル
消費MP:110mp / 冷却時間:180秒 / 詠唱:なし
自分周囲の敵全てに衝撃によるダメージを与えて大きく弾き飛ばす。
【魔力弾】 ⊿伝承術師Lv.1スペル
消費MP:80mp / 冷却時間:90秒 / 詠唱:なし
[杖] 強い追尾力を持つ魔矢の礫を放ち、敵1体に魔力ダメージを与える。
術者の[知恵]に応じて発射数が増す。
【火炎弾】 ⊿精霊術師Lv.1スペル
消費MP:60mp / 冷却時間:90秒 / 詠唱:なし
炎を圧縮した礫を放ち、敵1体を命中箇所から炎上させてダメージを与える。
【氷結弾】 ⊿精霊術師Lv.1スペル
消費MP:60mp / 冷却時間:90秒 / 詠唱:なし
圧縮冷気の礫を放ち、敵1体を命中箇所から氷結させてダメージを与える。
【銀の槍】 ⊿銀術師Lv.1スペル
消費MP:160mp / 冷却時間:120秒 / 詠唱:なし
銀の槍を生成して射ち放ち、敵1体にダメージを与える。
何かに命中するまで槍の飛行軌道は術者が任意に操作できる。
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「説明に『物理ダメージ』って書いてあるものは、味方に当たると『衝撃』を与えちゃうって考えて良いと思う。物理攻撃なんかは全部そうだし、シグレのスペルだと……【破魔矢】や【銀の槍】なんかがそうだね」
「ふむふむ……。味方に誤射すると、迷惑を掛けてしまう危険性があるということですね。説明に『衝撃ダメージ』と書かれている【衝撃波】や【斥力】なんかもそうでしょうか?」
「うん、衝撃も物理ダメージの一種だと思う。ただ【衝撃波】のスペルは使ってる人を実際に見た事があるけれど、確か敵に問答無用で必中するスペルだった筈だから、これは誤射の危険性はたぶん無いかな。
残りの『魔力ダメージ』や『属性ダメージ』系のスペルは物理ダメージを持たないから、もし味方に当たっちゃっても何の影響も与えないと思う。誤射しちゃいそうな時は、こっち系を使うのがオススメかな」
「なるほど……」
緊急回避用の【斥力】を除く6種類のスペルを、適当にローテーションさせながら用いれば良いかとシグレは安直に考えていたのだが。誤射を全く気にしないで良いソロ狩りの時でもない限りは、なかなかどうして、状況を見て色々と考えながら行使するスペルを選んでいく必要がありそうである。
「あ、逆に言えば戦闘でそれを利用することもできるからね。味方が魔物の攻撃を回避できそうに無いときには、私も敢えて槍で吹っ飛ばすことで助ける場合もあるし。……まあ、後衛の人にはなかなか難しいと思うけど」
「そうですね、なかなか機会は無さそう……。ですが、色々と勉強になりました。説明して下さってありがとうございます」
「気にしないで。これから一緒に狩りをするわけだし、シグレも知っておいたほうが良いことだからね。それに……この程度のことは『星白』の人達なら、誰でもみんな最初から知っているんだ。同じ『プレイヤー』としての苦労は、しないで済むならそのほうがいいって思うし」
この世界に住む人達にとっては『常識』的ななことも、プレイヤーであるシグレ達からすればそうではない。
誰でも知っているような知識を持ち合わせていないことで、苦労した部分もさぞ多かったのだろう―――と。シグレよりも一ヶ月早くこの世界に飛び込み、他の『プレイヤー』と巡り会う機会も無かったキッカの苦労をシグレは内心で慮った。
さて、ペア狩りの今回はキッカが魔物の攻撃を一手に引き受けることになるわけだから、間違っても彼女の行動を阻害することは許されない。自分のせいで彼女が隙を晒せば、それは確実に魔物を利するものとなる。
しかし魔物もキッカも当然戦闘中はある程度動くわけだから、誤射をしてしまう可能性というものは常に存在する。誤射により迷惑を掛けてしまうスペルは状況次第で控え、安全に支援できるスペルを主軸に使っていく必要があるだろう。
「……ちなみに『状態異常』系のスペルは、味方にも命中しますか?」
幅広いスペルを扱えるシグレは、攻撃スペルが制限されても、まだ他に魔物に有効なスペルを幾つも有している。敵に『状態異常』を与えるスペルなどは、その筆頭だ。
とはいえ、もし敵に『状態異常』を与えるようなスペルが味方にも効果を及ぼすようであれば。その時に味方に与えてしまう実害は、単に『衝撃』を与えてしまうそれとは比べものにならないぐらい大きなものとなってしまうだろう。
「大丈夫。『状態異常』とか『能力低下』を引き起こす類の弱体化スペルは、魔物にしか一切影響を与えないから安心していいよ。もちろんこれも味方に、意図的に当てようとすれば別だけどね」
「ああ―――それは有難い」
魔物を状態異常などで封じ込めることができれば、それは攻撃スペルで直接的な火力として貢献することより余程有用に働く局面も多いだろう。味方へ損害を与えるリスクなしで使えるのなら、これほど便利なものはない。
シグレ達が一度に相手にする魔物の数は、そのまま前衛を務めてくれるキッカがひとりで背負わなければならない敵の数に等しい。
1対1ならば苦もなくウリッゴを屠ることができるのは、たったいま彼女自身がその武勇で証明してくれたばかりだ。おそらく仮に2体が同時に接近したとしても、キッカは十分に前衛としての役目を果たしてくれることだろう。
ならば後衛として、シグレが彼女の為にできる最も有効な支援は―――キッカが一度に相手にしなければならない魔物の数を、2体以下にまで落とし込むことだ。
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【眠りの霧】 ⊿Lv.1伝承術師スペル
消費MP:120mp / 冷却時間:300秒 / 詠唱:8秒
[杖] 誘眠効果のある霧を作り出し、範囲内の敵全てを[睡眠]状態にする。
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―――つまり、求められるのは『戦況操作役』としての役目。
所持金の大半を費やしてまで杖を購入した甲斐が、報われようというものだ。




