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ぼくは彼女で彼女が彼女  作者: 芝井流歌


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家庭教師の秘密 2

 居残りで遅くなったのに加え、突然知らない男の子に話しかけられて、辺りはすっかり暗くなってしまっていた。

 帰ったら電話してと言われていたのに、こんな時間になって余計に嫌味を言われそうだなぁ。

 むしろ絶対怒られる……、どっちにしても気が重い。



 地元の駅に着くと同時にバッグから携帯を取り出し、彼女から連絡が来ていないか確認した。

 まだ催促の連絡は来ていない。

 帰ってからと言われたけれど、催促が来そうで怖いからちょっとお手付きして「今、着いた」とメール。

 夕飯のことなど気にしてられないからいつものコンビニも素通りして真っ直ぐ帰路をたどると、携帯がブーブーとブーイング……。

 ……じゃなくて、彼女からの着信だった。

 今着いたってメール、家なのか駅なのか微妙なニュアンスで書いたのに、やっぱり彼女にはそんな甘い引っかけは通用しなかったか。



「……はい。」


 『ずいぶんしょぼくれた声ね。何をおびえているの?』



 しょ、しょぼくれてるなんて初めて言われたんだけど……どんだけびくついてるんだぼくは。



「連絡遅くなってごめん。もうすぐ家着くからかけ直すよ。」


 『かけ直さなくてもいいわ。じゃあね。』


「え?茜……?」



 ぷつっ。

 切られた……。どうしよう、すごい怒ってる!

 そして、怒ってる声じゃなかったのが余計に怖い!

 遅くなっただけでそんなに怒ることなのかとも思ったけれど、彼女の地雷はどこに埋まっているか分からないから、きっと他にも何かあるんだろう。

 赤点取ったこと?居残りさせられたこと?お手付きして微妙なメール送ったこと?

 地雷どころか、自分で思いつくだけでもこんなにある。

 かけ直すなと言われても、かけ直さなければそれはそれで悪化するし……。

 歩きながらもう一度携帯を見て、着信履歴から発信ボタンを押した。



「かけ直さなくていいと言ったじゃない。」


「え?」



 声がしたのは電話口からではなく、ぼくの後ろからだった。



「さっきから何をそんなにびくびくしているの?妖怪を見ているような顔をしないでよ。」


「あ、茜……?帰ってたんじゃないのか?ぼくはてっきり自分の家に帰ったんだと……。」


「一度帰ったわ。これを取りにね。」



 彼女は自分のバッグからクリアファイルらしき物をちらりと見せて、それから片手に持っていたビニール袋を持ち上げ「はい」とぼくに差し出した。



「何?」


「重いから持ってくれる?ずっと持っていたから指が痛くなってしまったわ。」


「あぁ、うん。」



 見ると彼女の指には、ビニール袋をぶら下げていた跡がくっきりと赤く残っていた。

 あわてて受け取ると、ビニール袋にはずっしりと荷物がつまっていた。



「茜、これ……。」


「ずっと待ってて疲れたわ。あなたの部屋に着いたら、紅茶くらい出してくれるわよね?」


「う、うちには水しかないよ。後で紅茶買ってくるから……。」


「あなたの家には水しかないことくらい知ってるわ。自分で買ってきてるからおかまいなく。」



 どっちだよー!ぼくの家には水しかないって分かってるくせに紅茶出せとか、ないから買うって言ったら買ってきてるとか……。

 計画的な嫌味だー。

 分かったよ、今度からはいつ来てもいいように常備しておくよ……。



 このビニール袋の重さは、どうやら飲み物がほとんどらしい。

 彼女が自分で買った紅茶と、ぼく用に水。

 他には何が入っているんだろうと聞きたかったけれど、彼女からの質問に応える準備が先か。

 それと、取りに帰ったというクリアファイルらしき物も気になったけれど、それはおそらくぼくの部屋に向かっている理由の原点だろう……。



 ぼくが部屋のドアを開けると、彼女は物欲しそうにこちらを見た。



「ど、どうぞ……?」


「ありがとう。おじゃまします。」



 彼女は満足げに言うと、きちんと靴を揃えて、彼女専用の赤いスリッパを要求してきた。



「はい、お嬢様……。」


「お嬢様じゃないでしょ?」


「……お姫様?」


「違うわ。先生でしょ?」


「……はい、先生。」



 やっぱり、クリアファイルらしき物の中身はこの前返ってきたテストだ……。

 居残りで補修を受けてきたのに、応え合わせの家庭教師付きかー!

 がくりとうなだれるぼくを見て、彼女は呆れたようにため息をついた。



「あなたはいつでもそうやってめんどくさがるのね。何事もやらなければ進まないのよ?」


「分かってるよ。単位も留年しない程度に、ちゃんと計算してさぼってるし……。」


「計算していないほうがまだかわいげがあるわ。逃げていることを口に出して恥ずかしいと思っていないの?」



 うぅっ……キツいお言葉がぐさりと刺さる。



「勉強しても身にならないから、やる気も起きなくなるんだってば。もともと学習能力という才能がないんだよ。」



 ちょっと上手い言葉で返したつもりだったが、彼女はじぃっとぼくを見つめてまたため息をついた。



「学習能力がないことだけは認めてあげるわ。」


「……ありがとうございます。」



 ぺしっ!

 開き直るぼくに、容赦なく彼女のしっぺが炸裂する。



「何の才能もないわけではないのだから、逃げずにちゃんとやりなさいよ。」


「……逃げる才能はあるかもな。」



 ぺしっ!

 今日二度目のしっぺはさっきより痛い。



「屁理屈を言う才能も認めてあげるわ。さ、早く座って。」


「……はいはい。分かりましたよ、先生。」



 ぼくがしぶしぶ座ると、予想通りの答案用紙たちをずらりと並べだした。

 彼女の答案用紙はどの教科もほぼ満点に等しい……。

 彼女が苦手だと言っていた暗記系、世界史も日本史も悪い点じゃない。

 悪い点じゃないから苦手じゃないだろうと突っ込むと、逆に「苦手だからがんばったのよ」と言われそうだが。

 能ある鷹は爪を隠すと言うけれど、苦手な教科は言っても、特異な教科は自慢されたことがない。

 言わなくても英語が得意なことだけは、廊下に貼りだされる順位表に常に学年五位以内に入っているから知っているけど……。

 ぼくの一番苦手な教科だから、余計に尊敬するよ。

 英語の授業を受けていて、どうして眠くならないのか教えてもらいたい。



「あなたのは?」


「え?」


「え、じゃないでしょ?どんな間違え方をしたのか見せて。」


「……。」



 赤点だらけなことに怒りを通り越して、家庭教師スイッチが入ってしまったようだ……。

 おずおずとバッグから取り出すと、彼女は眉を顰めて一枚ずつ目を通した。

 ぴりぴりと張り詰める空気にいたたまれなくて、ぼくはキッチンへマグカップを取りに逃げるしかなかった。



 彼女が買ってきたビニール袋の中を覗くと、レモンティーのペットボトルが入っていた。

 これを飲んで、ちょっと落ち着いてもらおう。



「茜、飲むだろ?紅茶……。」


「……。」



 やばい、すごい真剣すぎて聞こえてない!

 聞いて答えてくれなくても、差し出してしまえば飲んでくれるだろうと、ぼくは彼女のマグカップにレモンティーを注ぎ、自分のマグカップに水を注いだ。

 他にもまだ何か入っているなとビニール袋を覗くと、コンロで温めるだけの鍋焼きうどんが一つと、サンドイッチが二つ。

 もしかして、ぼくの夕飯?

 遅くなったからコンビニを素通りするだろうと予測しての品、見事に思考を読まれてた……。

 心のこもった予測だけに、当てられても嬉しいような情けないような微妙な気持ちだ……。

 でも、ぼくの好きな物をちゃんと分かっててくれてることは素直に嬉しい。



「茜、先に食べようよ。これ、食べていいんだろ?」


「……えぇ、いいのよ。じゃあ先に食べましょうか。」



 よ、良かった……今度は反応してくれた。

 広げていた答案用紙たちを束ねてトントンと揃え、彼女はテーブルの上を片付けだした。



「茜はぼくのこと、何でも分かってるんだな。」


「遅くなったからって私に早く電話をするために、自分の夕食のお買い物をしないで帰るということくらいは分かるわよ。」


「はは……。何でもお見通しだな。食べたい物まで当てられて怖いくらいだよ。」


「食べたい物って……あなた最近おうどんばっかり食べてるじゃない。たまには違う物を、と思ったけれど、あなたが食べたい物がいいと思ったから買ったのよ。」


「ありがとう。普通に嬉しいよ。」


「普通、は余計よ。」



 素直に嬉しいのにー!

 いちいち怖いっ!



「茜は?うどん、半分食べる?」


「私はサンドイッチでいいわ。」


「二つ買えばよかったのに……。」


「ガスコンロは一つでしょ?二つは同時に作れないじゃない。」



 そこまで計算してたのか。

 キッチンに立ってるのに気付かなかった自分の鈍感さを思い知るよ……。



 ぼくがコンロにうどんを乗せると、彼女はマグカップを取ってテーブルへ運んだ。

 彼女は本当に気が利く人だ。

 ぼくが鈍感すぎるのもあるけれど、彼女の気の回し方にはいつも恐れ入る。

 生まれつきなのか、育ちがいいのか、努力家なのか。

 いずれにしてもこなせる才能があるんだよな。



「茜はさ、苦手なことってないのか?」


「どうしたの?突然そんな質問して。」


「いや、だって勉強もできるし、身の周りのことだってちゃんとしてるし、何でも器用にこなすじゃないか。」


「努力でどうにかなることはこなせているように見えるかもしれないけれど、努力でどうにもならないことだってあるわよ。苦手というか、限界のあることに向き不向きはあるじゃない。」



 努力か、やっぱりそれだよな。

 ぼくの負けず嫌いとは意味が違う。



「限界のあることって、じゃあ例えば何に向いてないんだよ。」


「例えば歌うことには向いていないわよ。私は大きな声が出ないもの。」



 まぁそう言われてみれば、彼女はどんなに怒っても怒鳴ったりしないし、大声を出したのも聞いたことがない。

 怒鳴らないから余計に怖いんだけどさ……。



「歌はぼくだって苦手だよ。高い声が出ないし、すぐ喉がかすかすになるし。」


「あなたはハスキーボイスだから無理に喉を使わないほうがいいわよ。喉を上手に使えば高音だって出るでしょうけれど、下手にがんばるとそれこそかすかすになるわよ?」



 それって、やんわりと下手くそって言われてる?

 すでにかすかすになるって言ってるんだから、喉の使い方が、ていうか歌が下手だからかすかすになってるって言ってるよな?



「はいはい、どうせ音痴ですよ。茜の苦手なことを聞いてるのに、結局ぼくの苦手分野の発掘になってるじゃないか。」


「音痴とは言っていないわよ?それを言うなら私は運動音痴だもの。」


「運動音痴?何の球技だって普通にこなしてるじゃないか。それは別に運動音痴とは言わないよ。」


「足が遅いのよ。それだけは小さい頃からずっとコンプレックスだったの。速く走れるコツを教わったこともあるけれど、どうにも解決できなかった最大の不向きだわ。」


「そうだっけ?別にとろくさいわけじゃないんだからいいじゃないか。それに、足が遅くたって生きていく上で何にも支障はないよ。」



 彼女の目つきが急に変わった。

 何ていうか、睨まれているような……。



「足が速い人には分からないコンプレックスなのよ?最も、何の努力もしないで最速記録をやすやすと出せるあなたには、到底想像もつかない悩みでしょうけれどね。遅い側から言えば、どうしてそんなに早く足を動かせるのかと不思議だけれど、速い側から言えばどうして早く走れないのか不思議なんでしょうね!」


「わ、分かった!分かったから落ち着けよ!ぼくは別に自慢とかしてるつもりはないし、ばかにしてるつもりもないよ!」


「……分かってるわよ。だから、努力ではどうにもならないこともあるし、逆にあなたみたいに努力しなくても才能でどうにかなることもあるという話よ。」



 さらりと「努力してない」って嫌味がこもってるぞ?

 いや、もうこれ以上この話は突っ込まないほうがいいな。

 無意識だろうけど、口を尖らせてるし……。



「そういえばさ、茜は野球ってやったことある?」


「野球はないわ。中学の時に体育でソフトボールはやったけれど……。それがどうしたの?」


「いや、別に大したことじゃないんだけどさ、野球ってルールがいまいち分かんないから茜は知ってるかなと思っただけだよ。」


「細かいところまで詳しいわけではないけれど、基本くらいは知ってるわ。」



 ちょっと上手く話逸らせたかも。

 そうこうしているうちにぷつぷつと煮えてきたうどんの火を止めて、慎重にテーブルへと運んだ。

 彼女から差し出された割り箸を手に取ると、すでに割ってくれていて、すなわちご機嫌が戻っていることにほっとする。

 ぼくも、と、サンドイッチの袋を開けてあげようとしたけれど、彼女はすっと自分で開けてみせた。

 甘やかしてあげようと思ったのに。



「いただきます。」


「いただきます。」



 ふぅふぅとうどんに息を吹きかけていると、彼女がそれを奪う。



「あーんして?」

「言うと思ったよ……。」


「嫌なの?」


「さすがに麺類は自分で食べるよ。効率悪いだろ。」


「……。」



 彼女は少し黙っていたが、いじけるのかと思いきや笑顔でうどんを返してきた。



「……何だよ。」


「効率よく食べてくれたら、その分お勉強の時間が増えるものね。やる気を起こしてくれて嬉しいわ。」


「はぁ……。嫌なこと思い出しちゃったじゃないか……。食べてる時くらい勉強の話はやめようよ。」


「いいわよ。じゃあ何でこんなに遅くなったのか、から聞きましょうか。」



 あー、説明するの忘れてた……。

 変な男の子に捕まってたとか話しても、言い訳にしか聞こえないだろうけどさ。



「補修をみっちりやらされたのもあるんだけどさ、学校出た所で他校の男の子に話しかけられて、なかなか逃げられなかったんだよ。ちょっと変わった子だったんだ。」


「珍しいわね。あなたが男の子に捕まるなんて。」


「うちの学校に来た目的はぼくじゃないんだけど……、野球部の偵察って言ってたっけな?それで足の速いやつは誰だみたいなことになって、ぼくのことを探してたみたいなんだ。校内記録を出したのが一年生の女の子で、おまけに男装してるって聞いて物珍しくて話したかったんじゃないかな。」


「……また足の速い自慢?」



 マグカップを握る手がぴたりと止まる。

 そんなに気にしてたなんて知らなかったぞ?



「そうじゃなくて、そいつは一年なんだけど香西学院の記録を持ってるから、プライドが高かったんじゃないかな?最初はタメ語だったんだけど、ぼくが二年生で、その記録は去年のだって言ったら、途端に敬語になったりしてさ。とにかく変わった子だったよ。」


「ふぅん。香西学院の野球部ね……。」


「信じてないな?ぼくがでっち上げた作り話をできると思ってるのか?」



 自分で頭の悪さと不器用さを盾にするとは、結構情けない。

 彼女は聞いていないのか、怪しんでいるのか、ぼくの手元だけを見つめていた。



「それで、話していて遅くなったというわけね。」


「まぁそうだけど……。今週末の試合を観に来てくれって誘われて、なんとか断ろうとしたんだけどしつこかったから考えておくよってことで落ち着いたんだ。運命を感じるから俺のことも知ってくれとか、応援しに来てくれとか……、男の子って簡単に運命だなんて言うものかと疑ったよ。」


「運命ねぇ……。」


「おかしいだろ?そう簡単に運命の人が現れると思ってるのかな?あぁそうそう、茜と一文字違いの名前だったんだよ。風原朱也って言われてさ、びっくりしたよ。そんな偶然があるもんなんだな。ある意味運命かもって思ったくらいだよ。」


「……。」



 視線がおかしいなとは思っていたけれど、明らかに彼女の様子がおかしい。

 ぼくの手元を見つめていた目を伏せて、俯いてしまった。



「茜?」


「……風原朱也と言ったの?」


「……うん。」


「私の……弟よ。」



 彼女は震える声でそう言うと、両手で顔を覆った。

 俯いていた理由がようやく分かった。

 四年前に引き裂かれた彼女の弟、それがさっきの男の子だったんだ……。


弟?と思われた方は「彼女の部屋 4」をご参照くださいませ。

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