08
「うん。分かったよ。後の事は僕に任せておいて」
そう言って、報告に来た人を下がらせた。
その姿が見えなくなった後、僕は一つため息を吐く。
純和風の僕達のギルドの城。
そこで僕は次々に入って来る情報を整理しながら、指示を出していた。的確なんていえないし、数日間も悩んで出した物もある。あの二人に比べて僕はそんな程度だ。そんな僕の指示を、皆良く聞いてくれていると思う。
今来た情報は、イクスさんとキョウコさんがNPCの補充を行ってから再度---四度目の正直だそうだ。イクスさんは海外暮らしが長いから間違えているのかもしれないが普通は三度だと思う―――DEMON LORDの城に攻勢を掛けるというものだった。ギルドの皆が、自分の命を守るためにも資金を集めに協力してくれているので、補充は何とか行えそうだった。ぎりぎりいっぱい。可能な限りNPCを用意したいと思う。とはいえ、四度目なので、用意する前にうるさ方の人達への調整は必要だな、と思いながらもそちらは特に気にしていなかった。
問題は……今の彼の前に来た女の子の情報だった。
NPCがターミナルを超えて現れるというものだった。
しかも、プレイヤーを見つけると攻撃をし始めるという。
ぞっとした。
そんな事を指示するプレイヤーなんて、NEROしかいない。数はぽつぽつと云った所なので対処は出来ているけれど、それでも……僕達のギルドのプレイヤーはレベルが低い。少なくない被害が出ていた。
イクスさんとキョウコさんがいない以上、こちらで対処する必要があるのだけれど……こちらにばかりNPCを配置しては彼女らの所へ送る分が不足してしまう。彼女らの要求はレベル40以上のNPCを200体というものなのだから……。
頭を抱え、再びため息を一つ。
考えろ。
考えるんだ。
自分にそう言い聞かせる。
雪奈を殺した僕に出来る事なんて、それぐらいしかないのだから。
ふいに彼女の最後の姿……僕から逃げて行く彼女の姿を思い出して、吐きそうになる。幸いなことにこの世界では吐く事ができない。良かった。床を汚して、それに気付かれたら心配される。イクスさんは優しいから。
頭を振り、優しさに甘え逃げそうになる思考を切り返る。
僕に出来る事。少なくとも、今は彼女らにNEROの事を伝えないようにしたい。ただでさえ戦力不足の今、戦力を分散してしまったら倒せるものも倒せない。……本当は、戦いなんてしたくない。けれど、それでも……戦わないと生きていけないのだ。彼女達はそれを二人で抱えている。
弱音を吐くなんてしてはいけない。
『過去の想い出を紙に綴って忘れない』……そんな弱音を吐き尽すような行為をする暇があるなら、僕はやらなければならない。だから、結局、あの時誓った『城に帰ったら文章に書く』という事はしていなかった。過去を思い出し、懐かしい友人達との日々を思い出し、懐かしい日々という甘露を食べながら生きるなんて僕には許されない。してはならない。それもまた、自分のした事を直視せず、忙しさに逃避しているというのかもしれないけれど……。
堂々巡りだった。
「……はぁ」
どうやら、思考が凝り固まっているようだった。
ここ数日、指示を出しっぱなしで疲れが溜まっているのだろう。肩の凝りなんてものは実装していないだろうけれど、自然と首を右、左、肩をぐるぐると回す。それで少し楽になった気がするのだから不思議なものだった。
とはいえ、それで気分が転換できたかというとそんな事はなかった。
ハァ、と再三のため息を吐いた後、僕はその部屋を後にする。
少し外の空気が吸いたかった。
蒼い空に斑点のようにスカベンジャーが飛んでいた。いつもより多いなと思う。ついさっき報告にあったNPCに殺されたプレイヤーやこちらが殺したNPCを喰うためだろうか?そんな事を考えながら、キョウコさんが雪奈を埋葬した場所を目指した。
歩きながら、その場所の事を思い浮かべる。
雪奈が埋められている場所は、この世界では珍しい緑溢れる場所だ。木々の袂。陽光が葉に遮られ、影を産み出している場所だ。キョウコさんがそこを選んだのはきっと、そこがとても静かで、とても荘厳な感じがしたからじゃないだろうか。死者が眠るにはとても良い環境だとでも思ったのかもしれない。ちょっときつい感じはするけれど、キョウコさんも根は優しい人だから。
四度目の苦笑は、思い出し笑いのような、そんな感じだった。
雪奈の事を過去の事だと割り切って思い出すにはまだ時間が足りなかった。いいや、彼女を殺したのは僕の行動だ。それを過去の事だなんて割り切る事は一生できない。割り切ってはいけない事だ。でも、それでも今は……あわただしい時間を過ごして、雪奈の事を忘れるように逃避している自分がいる。許して欲しいと願う。時という名の魔法が僕の心を少しでも落ち着かせてくれるまで。自分のした事を正面から見つめられるまで……
償いは必ずするから。
きっと僕の事を恨んでいるだろう雪奈に向けて告げる。
こういう時、どうして人は空を見上げるのだろうか。
重力の束縛から逃れ、魂となった人間は空に浮かぶとでもいのだろうか。……こんなデジタルな世界で、空を見上げた所でそこに魂が浮かんでいるわけもないだろう。天国があるわけでもないだろう。
そんな僕を見下ろすように、カァ、カァと鳴く声が聞こえた。
ここには彼らの餌はないというのに、元気なものだ。僕の気もしらないで呑気な奴らだ。『I wish, I were bird』というのはきっと呑気でいたい人が思った事なのだろう。でも、全部、僕が悪いんだ。だから……それはただの八つ当たり的な考えなんだ。
だから、甘んじて、そんな小煩いBGMを聞きながら彼女の墓へと向かう。
華の一つでも持ってくれば良かったかな……そろそろイクスさんやキョウコさんが捧げた華も枯れている頃だろうし。
更なる気分転換も兼ねて、一旦背をむけて、城……家屋へと戻る。
何か良い華はあっただろうか?
そんな事を考えながら、じゃりじゃり音を立てて歩いていた時、
『こんな時になんでマスターもサブマスターもいねぇんだよ。くっそ!』
ふいに声が聞こえた。
目を向ければ、4人の男女がいた。よく4人で一緒に居る人達だった。僕達と同じぐらいの年齢で、彼ら彼女らは同級生と聞いた。主に、城周辺の警備---といっても戦闘行為をするわけではなく、警邏と言った方が良いかもしれない―――を担っている人達である。
その4人が一か所に集まって話をしていた。
特に気にする事もなく、そのままその場を去ろうかと思ったけれど、聞くでもなく、耳に彼らの言葉が入って来た。
『まじで相手はNEROなのかよ。ランキング一位に狙われたとか終わりなんじゃねぇの俺ら。畜生。こんな事ならレベルあげときゃ良かった』
『卑怯だよな、マスターとサブマスターだけPKしてレベルあげて良いなんて……もしかして』
聞き逃せない言葉だった。
自然と足がそちらに向いた。
『……二人だけでゲームクリアする気とか?』
女の子の甲高い声が耳朶に響く。
が、歯の鳴る音がそれを打ち消した。
『ありえるんじゃね?……つか、NPC補充の話、今回で4度目だって噂だぞ?あんだけレベルあるのに倒せないとか嘘っしょ。実は全部あいつらが高レベルNPC殺してレベル上げしているとかかもじゃね?……その内、俺ら全員あいつらの餌になるんじゃねぇの?』
ちゃらそうな男が、女の子を脅かすようにそう言った。
『いや!そんな事言わないでよっ……でも、もしかしたら……いや、もういや。もう誰を信じればいいのよっ!?』
言われた方の女の子は怖がって、隣に居た女の子の腕を掴む。それを鬱陶しそうな表情をしながら見つめるその子。
『だ、大丈夫。じゅ、純子ちゃんのことは俺が守ってやるから!』
『おい、お前。抜け駆けだろ!?』
男がもう一人の男の腕を掴み、睨みながらそう言った。
『なんだよ、いてぇなぁ。……あ。そうだ。良い事思いついた。抜け駆けとかじゃなくてさ。ほら、どうせ俺らNEROに殺されんだろ?だったら……楽しんだもん勝ちじゃね?』
『あー!ナイスアイディア。それ、あるわ!』
二人の男がニヤニヤと薄ら笑いを浮かべて女の子達を見ていた。
『あ、あんたたち……な、何をするつもりよっ!?や、やるならこの子にしてよ!?わ、私は……』
『え……』
生贄のようにその子が怖がる少女の背を押して男達の方へと。突然の友人の行動にたたらを踏んだ少女が男達の目の前に投げ出された。
どさっ、と女の子の倒れる音がした。
例え、僕じゃなくてもこの先に起こり得る事を想像するのは簡単だった。
「君達!何をしているんだっ!」
だから、急いで彼らの下まで行き、どなりつけた。
「あ……あん?あぁ、マスターのオキニ野郎かよ。なんでもねぇよ、空気読めよなぁ。遊んでただけだっての。ほら、俺達いつだって和気藹々だろ?」
そういって、その場にしゃがみ、崩れ落ちたままの少女の肩を抱く。
少女の肩が震え、表情が恐怖に怯えて引き攣っている。友人だと思っていた男に襲いかかられそうになり、友人だと思っていた女の子には生贄として投げ出された。その恐怖に言葉もでないようだった。
「離すんだ。その子、嫌がっている」
「あぁん!?」
恫喝。
眉を歪め、目を細め、唇を歪め、歯をむき出しに。さながら野生の獣が敵を前にしたかのようだった。
きっと現実の世界だったら。その時の僕だったら、罵声と共に向けられる視線に恐怖を抱いて怯えていた事だろう。そこで怯える少女と同じになっていただろう。そして、身動き一つできず、されるがままにされていただろう。
でも、そんなもの……
「二度は言わないよ、その手を離すんだ」
「格好つけやがって!何様だよお前。マスター達のお気に入りだからって調子にのってんじゃねぇよ」
再びの罵声。
そんな言葉で出来た刃なんて、何の痛痒もない。
こんな言葉で逃げ出してしまって、怯える少女が慰み者になったら、それこそ僕は僕を許せなくなる。
「そりゃ調子にのるってもんよ。俺知ってるぜ?あんたあの二人の肉奴隷なんだろ?毎日、ご主人様に虐められて楽しんでいたんだろ?気違いは性欲過多っていうもんなぁ。毎日大変だろ?だから……こいつらぐらい俺達に譲れよ」
もう一人の男がそんな事を言った。
「あ、あんたら……そんな」
その言葉にもう一人の女の子も怯えた。友人を生贄を差し出した所で自分は救われないと気付いたのだ。そして、生贄にした子と同じく、友人だったものが知らない何かに変化したかのような、知らない人間を見るような、怖い者を見るような怯えた瞳を―――あるいはそれを絶望というのだろうか---、そんな視線を男達に向けていた。
見ていられない。
彼らは誰一人欠ける事なく、今まで生きて来た。それなのに、どうして自分達でそれを壊そうとしたのだろう。僕達とは違って、取り返す必要もないのに。自分達で壊すなんて……。
そんな事を考えてしまった所為で気遣いというのが出来なかったのかもしれない。
「君達……ストレスが溜まっているのは分かる。けれど、少し落ちついた方が良い」
口にしたその言葉に、しくじったと思った時には遅かった。
激昂する相手に冷静な言葉は火に油のようなものだ。
「うるせぇ!人殺しが調子に乗ってんじゃねぇよ!」
「そうだ!そうだ!雪奈ちゃんを殺したのもどうせお前なんだろ!?マスター達のお気に入りだもんなぁ、お前。雪奈ちゃんを殺してこっそりレベルあげてこいとか言われたんだろ!」
あぁ、言葉にならない。
雪奈を殺したのは確かに僕だ。
けれど、それをイクスさんやキョウコさんが望んだかの様な言葉……それだけは許せなかった。あの二人が、どういう想いで皆の代わりに矢面に立っていると思っているのだ。それも知らないで好き勝手言って……この二人こそ、何様だというのだ。
馬鹿馬鹿しい。
そう感じた。
こんな奴らの為に彼女達が戦っているだなんて、本当に……馬鹿馬鹿しい。
何も分かっていない。彼女達が痛みに耐えながら戦っているのに何も分かっていない。誰の為に彼女達は戦っていると思っているのだ。人殺しを忌避し、殺す事から逃げた者達を助け、いつか助けてくれる誰かを待つために延々と二人だけで矢面に立って戦っているのに……どうしてこんな風に背中から言葉を刺すんだ。
人を殺すのは悪い事だ。確かにそうだ。でも、彼女達だって望んで殺しているわけじゃない。出来れば彼女達だって殺したくないのに。それなのに、こんな奴らを守るために彼女達が人を殺さねばならないなんて……怒りと悔しさが綯い交ぜになった感情が沸き上がって来る。涙が流せるなら、きっと僕は涙を流していただろう。
こんな奴ら---死んでもいいんじゃないか?
瞬間、ハッとする。
僕は今、何を考えた。
今、確かに僕は人が死ぬ事を望んだ。
雪奈を殺しただけでは飽き足らず、僕は他者の命を望んだ。
イクスさんやキョウコさんは僕にそんな事をするなと言う。それは僕の心を慮っての事だ。にもかかわらず僕は……他者の命を望んでしまった。それこそ彼女たちへの冒涜だ。彼女達が巧く動けるために、彼女達の負担を少しでも減らそうとがんばっていたつもりだったけれど、心の奥底では、彼女達を蔑にしていた。
あぁ―――
「どうした?何もいわねぇのかよ。だったら、さっさとどっかいけよ。邪魔すんなよ。俺達はこれから4人で楽しむんだからよぉ!」
「煩いっ!」
どさっ、という音がした。
男がその場に崩れ落ちた音だった。
「て、てめぇ!?か、幹部がこんな事していいのかよっ!皆に言うぞ!?お、おまえが俺らに暴力を振るったって!」
「黙れよっ!」
再び、どさっという音がした。
そして、
「あ……いやっ!?……ご、ごめんなさいっ。ごめんなさいっ。許してっ。許して……な、なんでもするからこ、殺さないで……」
蹲った少女が僕に怯えた。
「こ、こいつらは最低だけど!でも……ぼ、暴力で解決するだなんて。こ、こいつらと同じじゃないっ」
もう一人の女の子が毅然とそう言った。
それに答える事なく、
「……今すぐ、人を呼んで来て。この二人はマスター達への冒涜、婦女暴行未遂として牢へ入れる」
淡々とそう口にした。
こいつらと同じ……その通りだと思った。あの二人を冒涜した僕はこいつらと同類だ。最低で最悪でこれ以上なく不愉快な存在だ。挙句、言葉で敵わないからといって殴り倒した。最低だ。本当に……僕はどうしようもない程、最悪だった。
怯えた二人が僕の言葉に従い……お互い少しだけ距離を離して走って行った。
友人達が他人になった瞬間。
その瞬間に居合わせた事は幸運だろうか。彼女達二人が慰み者にならなかったのだけは良かったかもしれないけれど……幸運なわけがない。
「ギルドメンバーのガス抜きは考えないと……このままじゃ、まずいよね」
取り繕う様に言葉を紡ぐ。
今日、良く出ていたため息も、今は出なかった。
暫くして彼女らに呼ばれたギルドメンバーが現れ、その人達に後を任せた。
そして僕は、慰めを求めるように自然と雪奈の墓へと向かっていた。結局、手向けの華の一つも持たずに。我が身の可愛さに自分が殺した相手に縋ってしまった。
カァ、カァとスカベンジャーの鳴く声が酷く煩かった。
とても、煩かった。
耳障りだと思った。
君らの餌はここにはない。だからさっさとどっかにいかないと……今の僕は殺してしまうかもしれない。
そんな事を思い浮かべる程に最低で、最悪な僕が―――瞬間、その目を疑った。
スカベンジャーがある場所を目がけて降りて行っているのが見えた。
「―――まさかっ」
慌てて駆けた。
駆ける。
駆け抜ける。
彼女の墓となっている場所へと向かい……辿りついた。
木々の足元、そこが黒く埋まっていた。
十数匹を超えるスカベンジャーがそこにいた。
墓標代わりに置いた苔が生えた石が乱雑にどかされ、穴が掘られていた。掘られた穴を……その中をくちばしで突いていた。突き、顔をあげ、喉を鳴らし、カァ、と嬉しそうに鳴いて再び穴を突いた。
「あ、あぁぁぁぁぁぁっ!」
叫びと共に仮想ストレージから槍を取り出し、スカベンジャー達を殺す。まとめて数匹一度に薙ぎ払う。どけ、そこをどけ、そこは彼女の眠る場所なのだ。お前達が荒らして良い場所じゃない。さっさと―――
「―――そこをどけぇぇ!」
慌てる事なく、次々と死んでいく仲間を無視して穴を突くくちばしの先、肉がまとわりついていた。
彼女だったものが付いていた。
何度も、何度も、槍を振るう。
振るっても、振るってもいなくならない。いなくなれば次から次へと空から舞ってくる。
こんな雑魚にどれだけ手間を掛けている。暴力を振るう事を良しとしてしまったくせに、その暴力も巧く使えない。僕は……本当にどうしようもないっ!
カァ、カァと鳴きながら、嬉しそうに肉を啄ばむ。その姿に吐き気と怒りが止まらない。
それから数分後、漸く、耳障りなスカベンジャーの鳴き声が収まった。
「ごめん……ごめんね……」
漏れ出る言葉。
その穴を埋めようとそこを覗けば、腐る事のなく眠り続ける彼女がいた。弾丸で開いた穴はそのままに。その穴を啄ばまれ、傷口が更に広がったその姿。こんな姿を晒させてしまってごめん。こんな姿にさせてしまってごめん。そんな姿を見てしまってごめん。
涙が流せない事が辛かった。
でも、辛くてもやらなければ……
死体が腐る事のないゲームの世界。
その死体を見れば、つい先程彼女が死んだかのようにさえ思えて来る。
彼女の―――四肢の切り離された死体を見れば。
「えっ……?」
彼女の両肩が鋭利な刃物で切られていた。彼女の両足が付け根から切断されていた。
彼女を埋めて弔うために切断して埋めたのかもしれない。けれど、いや、なぜだろう。なぜ、それを確かめようと思ったのだろう。
意味の分からない焦燥に駆られ、スカベンジャーのように彼女の墓を荒らす。あの時のように彼女の身体を抱き締めるように持ち上げた。何もない。周囲を見渡しても喰われた様子はない。喰われたのならばその残骸が残っているだろう。
「なんで……そんな……だれが……そんなことを」
そこに彼女の腕と足はなかった。




