05
城。
彼女と出会った城。
私が『僕』だった時に彼女と出会った想い出の城。
そして、今、『彼女』がいない城。
あの日共に過ごした部屋も、城を攻略するために何度も歩いたレッドカーペットもあの頃のままだ。変わらず綺麗だった。屋敷の中に、部屋の中に陽光や月光が差し込むととても静謐で荘厳な印象さえ受けるほどだった。何もこの部屋の事だけを言っているわけじゃない。そもそも薄暗い部屋なんて一つもない。
けれど、例え全ての部屋が陽光に、月明かりに照らされたとしても、彼女が居た明るさは戻ってこない。
「イリス……」
呟きは泡沫の如く。
誰も居ない部屋に響き渡って消えた。
シャボン玉のように二階に届く事もなく、誰に届く事もなく消えて散った。
「イリス、君は今、何処で何をしている」
再び膨らませてもやっぱり誰にも届かない。
同じサーバー内にいるのは間違いない。物理的な距離はとても近いはずなのに、どうして私は君に会えないのだろう。どうして君はここにいないのだろう。
そんな女々しい言葉を呟くのは事実、女のような声だった。
女の様な身体をした私の口から産まれる不愉快な声。秦野亜莉栖と名乗った女の姿をした今の私。どうあがいても私にあの女を忘れさせようとさせない『彼』の不愉快な気遣い。いつだって気分は最悪だった。鏡を見る度に、水面を見る度に、他者の瞳に映るこの姿を見る度に。最低の気分になる。
こんな私の姿を見たらイリスは怒るだろうか?イリスはあの女に殺されたのだ。今の私の姿を見て、イリスは私をあいつだと勘違いして襲ってきたりするんじゃないだろうか?それはとてもとても悲しい事だ。『彼』曰く、αテストの時の記憶は消えているのだろうけれど、それでも心配だった。もう一度最初から始めるのは良い。もう一度会えるならそんな事は瑣末な事だ。けれど、恨まれてでもいたら……そう思うと心が凍りついたように冷たくなる。
「ここは寒いよ、イリス」
北海道よりもきっと寒い。彼女の明るさのないこの城はとても寒い。凍えてしまいそうになる。一人我が身を抱きしめた所で何の慰めにもならない。何の温かみもない。ただただ虚しくなるだけだった。
あぁ、どうして彼女は今、私の下にいないのだろう。
がり、と音が鳴った。
いつのまにか奥歯を力の限り噛み締めていたようだった。当然だ。彼女がいないのだから。抱いた我が身すらもそのまま引き裂きたいぐらいだった。
いつまで経っても見つからないイリス。
Czという無機物のような、NPCにも似た存在に依頼したのは良いものの、未だ連絡の一つも無い。それを……案の定と言って良いのだろう。所詮、人間らしくなくてもアレも人間だったという事。何を期待していたのだろう。私と同じ様な存在などいるはずがないのに。
不愉快だった。
この私が期待してあげて、態々殺さずに頼み事をしたというのにそれを叶えてないなど許される事じゃない。
「―――もういいや」
次に会ったら殺そう。
あの無機物の様な顔、表情といえる表情のない顔。死んだ生物のような目をした者。スカベンジャーのように死体の上を練り歩く者。表情一つ変えずに悪魔を殺し続ける者。表情筋を胎内に忘れ、更には感情を前世に忘れて来たとでも言わんばかりの醜い人間。
人形として飾ってあれば、見られた物だろう。けれど、人形が意志を持って生きていると思うと気持ち悪い事この上ない。アレは、不気味の谷そのものと言えば良いだろうか。だからこそ、最初は期待してしまったのだ。人間らしくなく、NPC寄りの面白い奴だと思ったのだ。
初めて会話した時、私と似ていると思った。殺す事に何の憂いも痛痒も感じていない所が私と似ているように思えた。人間に絶望し、興味を失った人間だと思っていた。人間が望む名誉欲といった物に何の意味も何の価値も感じていなさそうだった。私の強さにも興味を見せない、DEX特化などという狂ったステータスを誰に言われるでもなくやっている。そんな人間だからこそ、同じだと思ったけれど……私と同じ人間なんていないのだと分かった。いいや、最初から分かっていたのだろう。だから、さっき私は案の定だと思ったのだ。
アレに同情してやる理由もない。殺さないであげていたのも、私が勘違いして面白いと思ったからこそだ。私の言葉を素直に聞いたからこそ生かしておいただけだ。
役に立たない奴なんて居ても居なくても同じ。いや、寧ろ、居ない方が良い。
だから、殺そう。
私ならアレを殺す事が出来る。
所詮、DEX特化なんて攻撃力が高いだけだ。弾丸生成能力は良いスキルだ。私も欲しいと思う。けれど、私には殺されない自信がある。そもそも、アレはそれ程周囲を警戒しているわけでもないし、気配を読める人間でもない。依頼をした時だって彼は直前まで私に気付いていなかったのだから。だったら、私には簡単に殺せる。
アレが一人ならば。
「あれも……気色悪さでいったら同じぐらいかな……」
アレの隣で寝ていた女―――灰被りのWIZARD。薄汚い灰色の髪をした女の姿を思い出し、反吐が出そうになった。Czという存在もそうだが、WIZARDもまた私にとって不愉快な存在だ。
未だ僕より殺人数が多い生粋の殺人鬼。
良くもまぁ『彼』もあんな馬鹿げた人間をゲームに参加させたものだ。いや、良くそんな人間をピンポイントで選べたというか。そういう意味では『彼』の事を尊敬しても良い。
βテストの参加基準は、大体だが『彼』に聞いている。
友人、親兄弟、恋人同士、そういうのを判断して優先的に参加させている。βテスト応募時の住所が同じだとか、近所だとか、接続IPが同じだとか……IPだけで判断できるものでもないだろうに、とは思うが、その点に関してはそれ以上聞いていない。どうせ聞いても技術的な話をされるだけで理解できそうになかったし、そもそも私個人としては誰が参加しようと興味はない。誰でも良い。イリスにさえ会えれば何でも良かった。『彼』が良く参加しているという掲示板からも何人かチョイスしたらしいが、それもまた私の興味をそそる物ではない。そもそも、あんな死体の画像を張り付けている不愉快な掲示板の事など興味があるわけもない。人間の死体を見て何が楽しいというのだろうか。
ともあれ、そんな選択の結果選ばれた人間の中でもWIZARDは異質だ。
ゲーム開始直後に何百という人間を殺した殺人鬼。しかも初期配布の手榴弾で、という後先を考えない方法で、だ。初期に配布された装備---見るからに使い切りの武器―――の重要性など考えれば分かるだろうに。そんな事も考えられない奴だからこその殺人狂なのかもしれないが。
加えて殺す対象は手当たり次第だ。人間だろうと悪魔だろうとNPCであろうとおかまいなしだ。平等といえば言葉が綺麗過ぎるだろうか。或いは、全ての登場人物はゲームの登場人物だと認識しているといえば良いだろうか。あの女が碌な人間ではないのは間違いない。さぞ現実世界では生きにくかった事だろう。同情なんて欠片もないが。……あるいはWIZARDもまた、『彼』が参加する掲示板出身の人間かもしれない。そんな事を思った。『彼』がしきりに褒めていた人形殺し、だったか。人形のように人間を殺した画像ばかり貼り付けていた狂人。WIZARDのNPCへの人形扱いっぷりには辟易したものだ。だから、案外WIZARDはそいつなのかもしれない。そんなどうでも良い事を思い浮かべた。
ともあれ、あれの暴走を止められず、あれを殺し尽せずに約定を結ぶ事になったのは不本意極まりない事だった。御蔭でしたくも無い契約としてNPCにWIZARDを攻撃しないように設定させられた。あの時の私が、WIZARDを殺せればそんな事をしなくて済んだのだけれど……今更、後悔しても遅い。
まずは一位の座を奪い、引きずり下ろして、そのままランキングから姿を消して貰うとしよう。丁度、九州、四国方面の城主であるROUND TABLEとの戦争中だし、殺害数は大幅に増える事だろう。
「といっても……面倒くさいよねぇ」
ROUND TABLEの事を思い出して面倒くささに反吐がでそうになる。ROUND TALBEは人殺しを是とする集団であるが故に、プレイヤーそれぞれのレベルはそこそこある。御蔭で低レベルNPCでは殺されてしまう。だからといって一々、私が相手をするのも馬鹿らしい。そもそも、この城を長い間空にしておくわけにはいかない。ここは私と彼女の出会いの場であり、想い出の場でもあるのだから。他人の手に触れさせたくはない。
それもあってCzに依頼をしたのだが……
「くそっ」
可愛らしい罵声が部屋に響く。不愉快な声。喋れば喋るほど不愉快になってくる声。セルフマゾプレイをしているような気分になってくる程、嫌な声である。
ともあれ、考えていても仕方がない。さっさとROUND TABLEの面々を殺してしまうのが私の精神安定にも良いだろう。
NPCからすれば多少強い者達の集まりではあるけれど、私から見たROUND TABLEは、良く言っても烏合の衆だ。東北を支配しているLAST JUDGEMENTよりは平均レベルは高いだろうが、それでも烏合でしかない。彼らの言葉で『円卓の騎士』と呼ばれている者達だけは確かに突出している。とはいえ、それでも私に勝てるような奴は今のところいない。
「一番まともなのはあの女かな?」
先日から参戦し始めた緑髪の女。
NPCを刀で真っ二つに切り捨てる女。
剣道か或いは剣術でも学んでいたのだろう。その太刀筋は、敵ながら見事だと思えるようなものだった。加えて、怯え恐慌のままに逃げて行こうとする味方を切り捨てて、恐怖でその場を支配したのもまた見事だった。
「あれがQueen Of Deathかな?」
直接対峙はしていないが、あれの相手だけは面白そうだった。どうせ私には敵わないけれど、暇潰しぐらいにはなるだろう。ただ、
「まぁ、でも―――円卓は自壊するのが常だよね」
あんな恐怖政治がいつまでも続くわけがない。そんな物は古今東西の歴史が証明している。いずれ終わる。近いうちに終わる。それを待つ気は毛頭ないが、しかし、無様に壊れて行く姿を見るのも面白いかもしれない、と思わなくもない。思わなくもないが、あんな奴らに時間を掛けてイリスを探す時間が遅くなるのはもっての他だった。
次に見掛けたら殺そう。
そう誓う。
薄暗い部屋、灯り一つ無いその部屋で椅子に座りながら、そんな事を考えていた時だった。
NPCの一人が部屋を訪ねて来た。来客……というよりも来悪魔があるとか言う馬鹿馬鹿しい内容だった。ターミナル経由で悪魔が送られてくるという話だった。ターミナル経由で悪魔を送りつけて来るというのは面白いが、何度殺してもターミナル経由で送られてくるし、更には敵意も見られないとのことで私の所へ話を持ってきたらしい。AIが必死に考えて気を利かせたつもりかもしれないが、どうでも良い。そんなどうでも良い事を態々報告してくるNPCが鬱陶しくて、ついついその首を刎ねてしまった。
申し訳ない事をした。
けれど、私を不愉快にさせたのだから当然の罰だろう。今の奴もNPCだとはいえ、イリスではない。掃いて捨てる程いるNPCの一人でしかない。
「ちょっと行ってみるかな」
だから、そういう意味で私はNPCに気を遣ったわけではない。単に気分転換も兼ねてターミナルへ行こうと思っただけだった。
ターミナルへ辿りつけばNPCに囲まれた人型の―――女の悪魔がいた。
「で、悪魔が私に何か用なのかな?ひょっとしなくてもDEMON LORDの遣いとかかい?」
声を掛ければ、そいつが恭しく首肯した。
いつ殺されるか分からない状況に怯えているようだった。悪魔如きが怯えるとか何様だろう。ともあれ、聞けば、DEMON LRODから情報という事だった。ギルドLAST JUDEGEMENTが戦争にNPCを大量投入しているとか。肉の壁扱いしながら遣い捨てているとか。私自身、そういう情報を耳にしていなかったわけではないので、ある意味確信が持てた瞬間だった。
やはり、LAST JUDGEMENTはNPCを遣い捨てているのか。許されざる事だった。
「……ふぅん?で、DEMON LORDは私に何を期待しているのかな?」
更に言葉を語る薄着の女悪魔。
そういう種族なのだろうか?布地は薄く、色々な所が見えそうな感じの格好だった。男性の性欲を昂ぶらせるような姿だった。或いは色仕掛けという事をDEMON LORDは考えたのかもしれない。
だとするとDEMON LORDは馬鹿だとしか言いようがない。
私は悪魔を憐れむ者ではない。
自分の尺度で物事を考えないで欲しいと思う。
しかし、こうしてコミュニケーションらしきものが取れるとNPCと見目が違うだけのように思えた。特に人型の悪魔だとそう思える。共に『彼』に作られた人造生命であり、見た目が違うだけ。AIが成長すれば、イリスのような素晴らしい存在に成長する者もあらわれるかもしれない。
……いいや、そんなわけがない。
イリスは特別なのだから。
彼女だけは特別なのだ。
所詮、これはただの悪魔だ。NPCとも違う。そもそも悪魔を守った所でイリスが喜ぶわけでもない。だったら例え出自が同じで、こんな風に人間のような姿をした悪魔だとしても、守る価値はない。彼女と同じような形をしたNPCとは違うのだ。
『ドウカ一度、我々ノ主ノモトヘ』
悪魔が人を騙り、人の言葉を語る。拙い言葉だった。人の言葉を覚えたてのように。この任務の為にがんばって覚えて来たのかもしれない。命令されて嫌々かもしれない。そこの所は分からないが、例えるならば、こいつは幼子のような者なのだ。そんな相手を私の下へ一人送り付けるなんてDEMON LORDは酷い奴だと思った。
自らが愛し、自らが慈しむ者達を暴君の下へ送り込むなんて正気の沙汰じゃない。
逆説的に考えれば、それだけLAST JUDGEMENTとの戦闘が難航しているという事だろう。正義の集団に負けそうになって暴君に頼る悪魔の王。ついつい笑ってしまいそうだった。
今みたいにターミナルで悪魔を大量に送り続ければ良いと思うが、何か制限があるのだろうか?そういえば、NPCをターミナルで送った事はないな、とふと思う。試しにそこらに居たNPCを隣の駅まで送りつけようとすれば、プレイヤーが一緒ではない場合、1体ずつという制限があった。相当高レベルの悪魔やNPCを送りつければそれなりに効果はありそうなものだが……まぁ、陣形も何もないな、とは思う。プレイヤーと一緒ならまぁそれなりか。
ともあれ、考えた所で私にDEMON LORDの考えなんて分からない。悪魔を仲魔にして悦に入っている者の考えなど私に分かるはずもない。暴君に頼らざるを得ない状況に陥って我が子に等しい悪魔を送り付けるなどもっての他だ。
懇願するように座ったままの薄着の女悪魔。可哀そうに。生贄にされた事も知らずにこうしてこの場に居るなんて……本当、何のためにこの子は産まれて来たのだろうか。
そんな風に私が考えているとも知らず、女悪魔は頭を垂れていた。こんな仕草まで覚えさせて本当、DEMON LORDというのは何様のつもりなのだろう。
不愉快だった。
それに……
「私を顎で呼び付けるなんて、本当、DEMON LORDというのは何様なんだろうね。私は他の城主と違ってターミナルへの制限はかけていないのに。……本当、不愉快だよ。礼節というものを学んでから来る事だ」
言って、その首を刎ねた。
銘が何だったかは忘れたけれど、国宝の何とかという刀―――ストレージを確認すれば分かるがそれも面倒だった―――が悪魔の血に汚れた。
「まぁ。でも、そうだね。君の命に免じて行ってあげるよ。会えたら会いたい子もいるしね」




