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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第十話 ゲヘナにて愛を謳う者達 上
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01:プロローグ





 予定は未定といいますか、思う様に事は運ばないというべきでしょうか。


 キョウコと共に北海道の地を踏んで二週間と少し。途中、数多の悪魔達の所為でNPCが全滅し、補充のために東北へ戻ったので実質、北海道を探索したのは3,4日といった所だと思います。そして補充したNPCもまたいなくなり、再びキョウコと二人だけになりました。


 NPCの犠牲もあって、純粋なポップ、DEMON LORDの部下、そのどちらかは分かり兼ねますが数多の悪魔を殺しました。とはいえ、残念ながら成果は0というべきでした。これだけ殺せば反応があるかと思いましたけれど、DEMON LORDが出て来る事もなければ、例の死神が出て来る事もありませんでした。


 ここまで無反応というのも妙でした。私達の知らない内にDEMON LORD達に何かがあったのかもしれません、とキョウコと二人で話をしました。


 そうであるならば、私達にとってはチャンスでしょう。懸念事項でもありましたNEROは、現在ROUND TABLEとやりあっているようですので、一安心と言った所です。表向きも裏向きもROUND TABLEを応援するつもりはありませんが、あちらがNEROを押さえてくれるならありがたい話です。


 ギルドの方はネージュ君がしっかりやってくれています。ああいう事が得意だったのでしょうか?直接は聞いていませんが、東北に帰った折、何人かからネージュ君が良くやっているという話を聞きました。彼の御蔭で救われた人がいると聞き、私はこっそりと、ひっそりと嬉しく思いました。


 私達はこの世界のルールに則れば弱い集団です。そんな私達がこんな状況でもこうやって生きていけるのはネージュ君の御蔭なのかも知れないと、そう思います。


 そういえば、こんなエピソードがありました。私達が旅立った日の事です。DEMON LORDから攻め込まれているのにギルドマスターとサブギルドマスターが共に不在、という現実はギルドメンバーにとって不安だったのでしょう。何人かが集団でネージュ君の所に来たそうです。不満気に現状を訴えていたといいます。それをネージュ君が『彼女達は君達の、いや、僕達のために命を掛けてDEMON LORDと戦っている。正義のために戦っているんだ。それなのに君達は自分達の事だけを考えるの?自分達が嫌な事ばかりを彼女達に押し付けて、それで文句だけは言う。本当にそんなのでいいの?……僕は嫌だ。だから、こうして彼女達の代わりをしているんだ』と言ったといいます。文句を言いに来ていた人達は罰の悪そうな表情を浮かべて立ち去って行った―――という話をキョウコから聞きました。


 そんな風に私達を大事にしてくれているネージュ君は、昔のような……いいえ、昔よりももっと凄いように思います。


 そんなネージュ君ならもしもの事があっても任せられる、そう思いました。


「イクス。そろそろ……どうするか決めましょうか」


 ふいにキョウコから声が掛り、現実に引き戻されました。


「……はい。そうですね。キョウコ。あと、お願いします」


 キョウコに後を任せ、先日覚えたアイテム自動回収スキル―――銃を投げ捨ててから拾うという行為を何度も繰り返していたら覚えた何とも無意味で私にとっては有意義なスキル―――を使い、地面に散らばったハンドガン、マシンガン、ライフルを回収しました。


 束の間の様な、その間にキョウコが残っていた悪魔を倒してくれました。


 雪原に、所狭しと倒れるおびただしい数の悪魔達。相変わらず忍者スタイルのキョウコによって四肢を切断された悪魔達が雪上でびく、びくと震えていました。止めは刺していないようでした。悪魔相手に尋問しても仕方ないので倒してしまった方が良いと思うのですが……と考えていれば、キョウコがその悪魔の頭を踏み抜きました。


「キョウコ!」


「何よ、イクス。あぁ、やり方?ごめんね、つい」


 叱り付けるように声を荒げて見た所でどこ吹く風。全然悪いと思っていない様子で、さらにぐしゃりと踏み抜いた後、苦笑に似た笑みを浮かべました。


「何がつい、ですか。何体目だと思っているんですか」


 DEMON LORDの仕業だとは思いますが、他の土地に比べてこの地は悪魔が相当に多いです。一方、私達は二人だけ。毎回毎回全力で戦闘していては気力も体力も保ちません。ですから、確かに手を抜いて―――攻撃を喰らわないように―――倒すのは良い事なのですが、だからといって遊ぶのはいけません。悪魔ではありますけれど、だからといって遊んで殺すのはどうかと思います。人として。私達は人間です。命には尊厳があると考えている人間達です。ですから、例え人造の命だとしても尊ぶべきでしょう。……何て事を今の私が言った所で説得力はないのですけれども。


「天井のシミの数ぐらいよ」


「なんですか、それ」


「生憎と数えた事がないから分からない」


 ことわざか何かでしょうか。分かりませんでした。煙に巻かれている気もしましたけれど、キョウコらしいといえばキョウコらしい反応に自然と苦い笑いが浮かびました。


 ともあれ、いつまでもキョウコを責めているわけにもいきません。こんな所で悪魔を殺し続けていたとしても意味なんてありません。今後の対応を考える必要があります。


「やっぱり忍び込むぐらいしかないんじゃないの?」


「危険ですよ、流石に……籠城しているかもしれない城に二人だけで侵入するというのは悪手でしょう」


「あー?んー?……えっと、イクス?そんなに私と二人っきりで行きたいの?それならそれで良いけれど……私も別に死にたいわけじゃないしね。高レベルNPCを大量に雇ってそいつらが攻め込んでいる間に私達は裏手からっていう古典的でありふれた作戦とかどうかなと思ってね。つまりはNPCによる肉壁作戦よ、肉壁作戦。あ、この言い方嫌いだっけ?ごめんね」


「お金、足りますかね。既に相当被害でていますし……それに、こちらだけではなく、前線もそうですし、城の方の防衛にも割かないといけませんし」


 言った所であまり意味がない事は分かってきましたので、その事には何も言いませんでした。それが不満だったのかキョウコが口を尖らせていました。面倒な性格をしていると思いました。


「ふぅ。ま、こんな時でもお金の話というのは、どうにも世知辛い気はするけれど、命は金には替えられないとも言うしね。ケチくさい事考えているから2度も全滅しちゃうのよ。そんなのネージュに言って集めさせれば良いのよ。少しぐらいイクスから頼ってあげないと泣くわよ、あいつ」


「私が頼らなかったからってネージュ君は泣かないと思いますけど……でも、そうですね。泣いているネージュ君を見たくはありませんね」


 ふいに、雪奈の死体を抱えて現れた時のネージュ君を思い出しました。


 咄嗟に首を振り、その映像を頭から消しました。


 そんな私の姿が奇妙に映ったのでしょう。いつのまにかキョウコが笑っていました。私が何を思い浮かべてしまったのかばれていたのかもしれません。月のように綺麗な笑みです。相変わらず無駄遣いにも程がある笑みでした。


「調子悪いみたいだし、作戦立て直しアンドNPCと弾丸の補充も兼ねて一回戻る?ネージュの顔でも見れば元気でるんじゃない?」


 完全にばれているようでした。


「いえ、もう少しでレベルがあがりそうなので、戻るならそれからにしましょう。たかが1レベルですけど、今は少しでも……」


 悪魔の経験値はかなり低く設定されてはいますが、ないわけではありません。北海道のように比較的強い悪魔を倒していればそこそこ溜まります。キョウコと二人PTを組んで一日中戦っているのもそれに拍車をかけたのでしょう。あと数十匹でレベルがあがりそうでした。


「じゃ、さっさとレベルあげてお風呂入りに行くわよ」


「はい」


 私の返答を待って、キョウコが先を行きます。


 戻るのはターミナルを使えば一瞬。戻って来るのはターミナルを使えないので数日。ここまで進んで来て振りだしに戻るというのは釈然としませんが、致し方ない事です。帰らなければままならないのです。決してネージュ君の顔が見たいとかではありません。作戦上のものです。


 もやもやとする自分の気持ちを誤魔化すように、先を行くキョウコの姿に目を向けます。アロンダイトを腰に差し、背筋が伸びたその歩き方は相変わらず、何と言うか格好良い感じでした。バランスの取れた歩き方といえば良いのでしょうか。ぶれがなく真の通った立ち姿に惚れ惚れしてしまいます。この瞬間、足元を支える地面が半分なくなってもそのまま立っていられそうなぐらいに真っ直ぐで、綺麗でした。キョウコには言いませんけれど。


 忍者スタイルだからかは知りませんが、索敵はキョウコの方が得意です。彼女が先導していれば、私はキョウコの背中を見ながら軽く警戒しているだけで十分でした。


 もはや見慣れてしまった雪に覆われた建物。あまりにも白過ぎて何も壊れていないのかとさえ思う程です。大寒波が都市を襲った後を歩いているだけなんだと、そんな風な錯覚を覚えてしまいます。悪魔が出なければ、元の世界を思い浮かべられる過ごしやすい場所なんだろう、そう思います。例えば……我が子と一緒に雪遊びに興じる両親とか。そんなの姿が思い浮かびました。脳裏に浮かんだその父親の顔がネージュ君で、母親が私の顔でした。瞬間、この寒さも何のそのといったぐらいに顔が熱くなり、ついつい足が止まりました。私の足音が聞こえなくなった所為でキョウコが振り返れば、肩を竦めながら『何考えたのよ、いってみ?』と酔っ払いおやじみたいなノリで私の肩をぽんぽん叩きながら厭らしい笑みを浮かべました。そんなキョウコから逃げるように先を行こうとすればキョウコがおっかけてきます。さらに逃げようとすれば、キョウコは更に早く。追い付け追い越せ、そんな事をしていれば、気付いたら私達は笑っていました。現状とか未来とかそんな事なんてさっぱり忘れて私達は童女のように笑って、雪原を走っていました。


 そんな事をしていれば、十数分が経過していました。


 おっかけっこを終えて、何していたんだろうね、と私達は互いに笑いながら、こういう時に限って悪魔は現れないのだなと肩を竦めました。気分転換にはなりましたけれど、望まぬ時には掃いて捨てる程現れるのに、望んだ時には現れない。まったく皮肉でした。


 警戒するのも馬鹿らしいと感じたのか、キョウコが隣に立って歩く事になりました。


 それから更に数分。相変わらず現れない悪魔に暇を持て余したのか、キョウコが口を開きました。


「そういえば、状態異常とかってないのかしらね、この世界には」


 暇にも程がある、と思いました。


「突然なんですか?」


「暇だから雑談よ。雑談。大して意味の無い事を話して無意味に時間を過ごすための行為」


「その言葉が無駄過ぎます。一応言っておきますけど、今は索敵中なんですよ?」


「酷い事言うわね……ま、気の張り過ぎも駄目って事よ。で、今の所ないわけだけど……なんでないのかしら?」


「状態異常というと生物化学(BC)兵器とかですか?流石にBC兵器はないんじゃないんですかね?」


「状態異常と言っていきなりBC兵器が思い浮かぶイクスが面白過ぎて笑える」


 おもいっきり指を刺して笑われました。毒といえば、BC兵器だというのは何か間違っているのでしょうか?


 首を傾げればまたしても笑われました。その笑いに悪魔が誘われてくれれば良かったのですが、そんな事もなくこの雑談は暫く続きました。


 実際の戦争だとしてもBC兵器は条約で禁止されています。戦争にルールがあるというのが聊か思う所はありますけれど、それはさておいて、大量破壊兵器と分類されるそれがこの世界にあるでしょうか?私は無いと思います。なぜならば、仮に存在したとすると、BC兵器を手に入れた者が勝者になってしまうからです。


「そこまでの代物じゃないわよ。例えば、毒へびとかそんな類よ」


「あぁ……そういう」


「そうそう。姿形はグロかったり気持ち悪かったりするけれど、例えばあいつらに傷を付けられたりしても、そこから感染する事があるわけじゃないでしょう?」


「悪魔というか……ゾンビ映画とかだと傷から感染するのが常みたいな所はありますね」


「そうそう。確認されないだけでどこかにあるのかなぁと思ったわけよ。BC兵器ではないにしろ、あったら楽になるなぁって。毒塗れの弾丸を撃ち込めば籠城してようが簡単にやれるでしょう?」


「そうかもしれませんけれど、無い物ねだりでしょう」


 確かに遠距離からDEMON LORDの城に毒塗れの弾丸を撃ち込めば楽に勝てるとは思いますが、無い物ねだりでしかありません。そもそも、やっぱり、私にはそんな物があるようには思えません。


「そうそう話は変わるけど、遠距離射撃と言えば、超長距離からDEMON LORDの城攻撃するのはどう?」


「ダメージが低すぎじゃないかな、と。弱い悪魔程度ならそれでもやれそうですが……」


 街中に蔓延っている悪魔レベルとなると超長距離からは無理があります。レベル20台の中盤ぐらいまでなら何とかなるかもしれませんが……


 そんな事を考えている私の耳に、


『ママ……ママ』


 そんな声が聞こえて来ました。


 はっとしてキョウコの方を見れば、キョウコもまた驚いているようでした。


 それも当然です。


 DEMON LORDによって強化された悪魔は、複数で行動する事も強制されているのか現れる時は4,5体同時に現れたりします。レベルの低い---たとえばネージュ君とか―――人だとすぐに殺されてしまうでしょう。だから、そこに住まう人なんて軒並み逃げたか殺されたと思っていました。


 だから、そんな声が聞こえて来るとは思ってもいませんでした。しかし、聞こえたのならば、助けにいかなければいけません。


「キョウコ」


「了解」


 阿吽の呼吸というのでしょう。名前を呼べば即座にキョウコがその声のした方へと走って行きました。


 私も後を追って走りましたが、キョウコの全速に追い付く事はできませんでした。さっきのかけっこの時は手加減されていたようでした。ステータスの差だけではないように思います。何か移動速度があがるスキルでも手に入れたとかかな?とそんな疑問が浮かんだものの、そんな事を考えている暇があるなら、と未だ聞こえる泣き声の下へと、雪道の上を駆けました。


 時折、雪に足を取られ、もつれながらも何とか辿りついたそこには白く染まった瓦礫がありました。雪も相まって瓦礫の山で出来たかまくらのようでした。


 元は人家だったのでしょう。こじんまりとしていたものの、庭は広く、大きな木だったものや数多くの植木鉢だったものが転がっていました。元の世界、現実の世界ではとても素敵な家なのだろうと思いました。サラリーマンのお父さんが奥さんと何度も何度も相談して、建築屋さんとも何度も打ち合わせをして、30年のローンを組んで漸く立てたようなそんな家でした。断熱効果の高いこの壁の様式をなんと言ったでしょうか。ヨーロッパの様式だったと記憶しています。


 もっとも、それも今は瓦礫で出来た雪山を形作るパーツでしかありません。


 そんな瓦礫の中、がさがさと音がするのはキョウコが瓦礫を掻きわけて進んでいるからでしょう。その音に驚いているのか、『ママ、ママ』と拙く泣く声がもっと大きくなりました。


 慌てるようにキョウコの作ってくれた道を、瓦礫で出来た道を行きながら、


「大丈夫だから!今、助けてあげるね!」


 大きな声でそう言いました。


 キョウコはきっとそういう声掛けというのは苦手でしょうから、代わりに私が声を掛けます。私も得意というわけではありませんけれども。


 玄関だった所を土足で踏みにじり、壁に柱が倒れ掛っているその隙間を潜り抜け、吹き抜けた場所に出れば、天井までもが抜けており、ちらちらと白い雪が降っていました。


 きっと、泣いている子供は---何歳かは分かりませんが―――ここの家の子だったのでしょう。


 両親と一緒にこのゲームに参加したのでしょう。あるいはその子がネットなどを見て、両親に縋ったのかもしれません。幼心にこのゲームをやってみたい、と。


 そして、ゲーム開始と同時に逃げるように両親共々ここに来たのでしょう。


 廃墟となった自分達の家。崩れた玄関を通って、柱が倒れ掛る隙間を通って、この吹き抜けを抜けて、少しだけ名残のある台所で食事を作っていた事でしょう。台所には僅かながら生活感というのが見えました。隠れながら細々と暮らしていたのでしょう。いつか誰か外の世界の人達が救ってくれると信じて、そうやって暮らしていたのだと思います。


 けれど、両親は悪魔達に殺された。


 きっと、そういう事なのでしょう。


 神ならぬ身故にどうしようもない事ですが、それでももっと早く私達がこの場に来られれば……自然、そう思いました。間に合っていれば、両親諸共に私達のギルドへと来て貰える事も出来たでしょう。人を殺す事を良しとせず、誰かの助けを待つという方針を示す私達なら助けられたに違いない。そう思って止みません。けれど、今更な事でした。


 でも、だからこそ、せめて……せめてその彼らの子供である、この声の主の事だけは助けてあげよう。そう思いました。私達の下で外の世界に帰られるその日まで守ってあげよう。


 そう。


 この声の主……


「あれ……?」


 つい、言葉に出してしまった。


 今し方まで聞こえていた泣き声が止んでいました。


 キョウコが見つけてあやしてくれたのでしょうか?正直、そういうのは彼女のキャラじゃないとは思うのだけれども……まぁ、でもあの月のように綺麗な笑顔を見れば子供だって泣きやむかもしれない。そう思いました。


 だから、こんな場にそぐわないファンファーレの音と共に、


「イクス……」


 キョウコが四肢を失った子供の遺体を胸に、己が腰ぐらいまでのサイズの悪魔を引き摺って来た時には絶句しました。


「キョウコ……ど、どういう……あの泣き声の子は?……私達、間に合わなかったという事?」


「泣き叫んでいたのは、この悪魔の方。人の真似をしていたみたいね」


 鋭利な刃物で切られたような子供---女の子だった―――の遺体。それを大事そうに抱えながら、キョウコは俯いていました。


「まだ、温かいのよ…………」


 ぼそ、ぼそと消え入りそうな声でキョウコが呟きました。


 それから、怒りなのでしょう。やりきれない思いを引き摺っていた悪魔に、その頭部に向けていました。力一杯握り絞めていました。


 キョウコの手の内から、みし、みしという音がしました。


「もしかするとだけど、最初の、あの泣き声だけはこの子の物だったかもしれないわね。……私がもう少し早く駆け付けていられれば……助かったかもしれないのに」


「ううん。キョウコは悪くないよ……」


 こんなキョウコを見たのは初めてでした。らしくない、なんてそんな事を言える状況ではありませんでした。キョウコは本当に悲しそうに俯いたまま、私にも顔を見せてくれませんでした。


 そんなキョウコに、私は……親友とも言える程仲が良くなったと思える相手だというのに、そんな彼女が悲しんでいるのに、それでも、掛ける言葉が見当たりませんでした。


 いつも私の為に声を掛けてくれるキョウコの為に掛けられる言葉を持たない私は、なんて酷い奴なんだろう……そんな事を思いました。


 私にできる事なんて精々、子供を抱くキョウコの背に周り、その背を抱きしめてあげる事だけでした。


 抱きしめた彼女キョウコは、いつも見ている強い女の子なんかじゃなくて、どこにでもいる普通の女の子でした。年相応の女の子でした。悲しみに俯いて、届かなかった手に嘆いている、そんな女の子でした。


「イクス……ありがとう」


 はらり、はらりと吹き抜けたこの場に雪が降ってきました。


 間に合わなかった私達を慰めてくれているかのようでした。或いは私たちの代わりに涙を流してくれているようでした。


 優しい。


 とても優しいものでした。


 けれど、その冷たさにキョウコは震えているようでした。


 その優しさが今の彼女には辛いのだと、そう思いました。


 だから、私はもっともっとキョウコを抱きしめました。『あっ……んっ』そんな吐息に似た声がキョウコの口から零れました。苦しいのかもしれません。けれど、でも、今だけは離してあげません。流す事のできない涙を流している今この時だけは……


 だから、私は視界に映った変なものを見ても気にしませんでした。


 いいえ、それが変なものだと私は気付きませんでした。




 0%に戻ったはずの経験値バーが一気に1%まで増えていた事に、私は気付いていませんでした。






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