05
男女の営みという言葉は綺麗だろう。男女達の営みというとその言葉は汚いだろうか。毎日のように目の前で繰り広げられる痴宴を呆れながら見ていた。
ROUND TABLEと名付けられたギルドがこんなギルドになったのは概ねリンカ様が悪い。彼女はある一面では真面目なのだが、基本的に怠惰な人間である。興味がある事には真摯に、やらなければならない事にはぐだぐだ文句を言いながらもしっかりやる。けれど興味の無い事には全くどうでも良いと扱っている。例えば代表的な所でいえばギルド内の金の扱い。アウトソーシングといえば格好良いかもしれないが、丸投げである。まぁ、もっとも、初対面でベルンハルトが言っていた様に彼がしっかりと管理しているので何の問題もないのだけれど。他にも戦闘訓練なども適当である。適当に棒切れを振って疲れたといって帰って行くのを見た事がある人は結構多い。とはいえ、あまり知られていないけれど彼女は強い。レベル云々もそうではあるのだけれど、それだけではない。自身の経験によるものだろう。少なくとも『段』は持っているんじゃなかろうか。
他には……人の生死に興味がない。公序良俗とかそういった面にも疎い。例えばこういった男女の痴態に対して何も思う所はないらしい。勝手にやってれば良いんじゃない、というのが彼女のスタンスだった。
言ってみれば、そう、言ってみれば、彼女は他人に興味がない。
唯一、身内であるという意味で弟君は別だが、それでも別の何かに対するテーゼとしての行動に思えてならない、と少なくとも私は思う。
そんな彼女を心の中だけとはいえ『様』を付けて呼ぶ事になったのは彼女と二人で九州南部に散策にいった時である。
「なんで私がこんな事しないと駄目なのよ……」
映えている木々は軒並み腐ってはいるものの、ジャングルのように濃い密林の中で私と彼女の二人。春さんも来る予定だったけれど、別件で調査があるといって春さんは来なかった。
「俺だって嫌だよ、こんな蟲の多い所」
辟易しながらそう言ったのを覚えている。密林には巨大な昆虫が大量にいた。人型の悪魔が多いこの世界では比較的珍しい場所だった。珍しいからこそ素材が集まるというものではあるのだけれど……城主権限で作成できるアイテムの方が大概良い物なのであまり意味を成していないのも事実。とはいえ、中にはそうではないものもある。その数日前にグリードがSランクという非常に珍しい設計図を手に入れたという話を聞いて、それの素材集めに狩り出されたのである。勿論最初はてめぇで行けよ、と思った。私だけではなくリンカ様も。けれど、結局、春さんの『折角なので皆で競争でもしよう』という一言で皆が捜索に出かけることになった。とはいえ、その必要素材とやらがどこにあるか分からないので闇雲に素材を探していたのだけれども。そもそも九州地方にあるかも怪しいわけで……。ともあれ、何でグリードのために、とかそんな不満や愚痴を言い合いながらも私達は九州南部の密林を捜索していたのである。これもギルド活動と思えばそんなものなのかもしれない。こんな世界でそんな事に意味があるかは甚だ疑問だけれど……。
そんな折、突然背後から襲って来た角の無いカブトムシというか台所に出て来る奴の大きい版に、らしくもなく『きゃあああああ』と叫んだ。無理である。あれはどうしても無理であった。無様に叫んで思考が停止し、泣きそうな表情になり、武器を構える事もできず、私はソレに喰われそうになった。これが私の最後かなんて事も思った。こんなモノに喰われるための人生だったのかと絶望した。そしてだからこそ、私は本当に何もできていなかった。手から槍が落ち、後は喰われるだけ。時間の問題。
そんな私を助けてくれたのがリンカ様だった。私からそんな叫びが出るとは思っていなかったのだろう、リンカ様は一瞬、アレよりも私の方に驚いていたものの、次の瞬間には私とソレの間に立っていた。『だらしないわね』なんて苦笑を浮かべ、次いで、真剣な表情を浮かべたかと思えば、リンカ様はアレを一刀の下に切断していた。ギルド内、いや、この世界でもこれ以上はないといえるぐらいに見事な腕だった。
普段面倒くさい、面倒くさいとばかり言っている彼女が、ソレを殺す瞬間だけはきりっとした表情を浮かべ、硬い蟲の皮を一刀両断。ばすん、という音と共に巨大なアレらしき生物を切り倒した姿はまさに圧巻であり、綺麗だと感じた。
ROUND TABLEの城に来た馬鹿を捕えた時に殺している時とは全く違った。家ではだらけきっているのに、外に出ると格好良いという類なのだろうか。
リンカ様がいなければ失っていた命。この世界にいる以上、どうせいつかは失ってしまう命だ。けれど、それでも……救ってくれた事が嬉しかった。とても、とても嬉しかった。
そんな経験を通して私は彼女が強い事を知り、彼女の事を知って行く度に私は彼女に惹かれていった。そしていつしか心の中でリンカ様と『様』を付けるようになった。例えば物語に出てくる白馬の王子様を呼ぶお姫様のように……。
「ルチレ君、そんなもの見ている暇があるならこっち手伝ってよ」
聞き慣れたその声に現実に引き戻される。ぐちゃぐちゃ、ぬちゃぬちゃと音を立てて喘ぐ馬鹿共の中に響く麗しさすら覚える彼女の声。振り向けば予想通り、リンカ様がいた。気だるげで面倒くさそうな表情を浮かべながら私を見ていた。
「何の用か知らないけど、春に手伝って貰えよ」
けれど、私が返した言葉はそれだった。
私はこれ以上彼女に惹かれてはいけない。これ以上彼女と話をしていれば私は、いつか私は彼女がどんな死に様を晒すかを求めてしまいそうだった。愛おしいからこそ、それが私だけの物になった姿を見たい。でも、生きているからこそ彼女は素敵なのだ。その素敵な姿を遠くから眺めているだけで私は十分なのだ。高嶺の花に近づくことは許されない。まして高嶺の花を摘む事なんてもっての他だ。
だからこそ、私は彼女に反抗する。もっと早く、私が人の死体に興味を持つ前に出会いたかったと後悔しながら。
「春はどっかいっているのよ。代わりになるっていったら……ぷりんちゃんとベルンハルト君ぐらいだけれど……どっちもいないし」
「あの二人は二人で宜しくやってんだろ、きっと」
「ないない。ぷりんちゃん攻略はそんな簡単じゃないわよ。ほら、ぷりんってスプーンで押さえてもふるふる震えて形変わるだけだし」
更に気だるげな表情を浮かべながら真顔で手をふりふり、ぷりんが皿の上で震えている姿を表していた。そういう少女のような仕草も嫌いじゃなかった。
「何の例えだよ。分かり辛い。せめてヴィクトリア王朝謹製のぷりんはお高いとかにしておけよ」
それもどうなのよ、とリンカ様は苦笑していた。
ともあれ、である。ヴィクトリアがお高いというのは確かにそうである。そして彼女自身、そういう相手から避けるのに慣れているというのもある。あるが、それだけではなく、エリナとヴィクトリアの二大派閥、そんな物が出来るぐらいに彼女はこのギルドでは偶像だ。偶像に手を出せばいくらベルンハルトといえども暴動が起こる。アイドルに恋人がいました!とか言うどうでも良い下らない理由でネットでは炎上するぐらいだし、ネット中毒者の多いVRMMOなら尚更だろう。くだらない暴動だとは思うけれど、確実に起こる。それを理解していないベルンハルトでもないだろう。あるいはそんな彼女だからこそ手に入れたいと思っているのだろうか……死体にして野晒にしたくなってきた。
「春秋とゆかりは?あいつらならできるだろ」
「まぁそうなんだけど……そっちこそ絶賛、ラブラブちゅ~よ」
噴出した。まさかリンカ様の口からラブなんて単語が出て来るとは思わなかった。はっきりいってそういう色事に全く興味がないというか、どちらかといえば嫌悪しているようにも思える人である。加えて、これまた彼女は真顔だ。顔立ちの良い美人の口からそんな頭のねじが外れたような台詞が飛んでくるとは本当に思ってもみなかった。
「はっ!リンカの口からそんな台詞が聞けるとはね、今日は雨か?」
「残念ながら快晴よ」
苦笑を浮かべながら、致し方ない。そこまで言われるなら私が手伝ってあげよう、そう思った。
「で。あの二人は部屋で夫婦水入らず……ねぇ?……幸せな事で」
「バケツの水をぶっかけたいわね。昼間っから何してるのよって」
リンカの言い方に再度笑う。
あの夫婦。性別が入れ換わっているのにそういう事をしているあの二人は……正直、もう近寄りたくない。結局、口でなんといっていても、そこらでイタシテいる馬鹿達と変わらない。美春さんへの憧れは……もう私の中になかった。いつ死ぬかも分からぬという恐怖を忘れるために快楽に溺れているのかもしれないけれど……そんな理由があったにしても、それでも唾棄すべき事だとそう思った。本当に生き残りたかったら他者を殺せば良い。それがこの世界のルール。最初は私も自分で誘ったのだから、とは思っていたけれどあまりの溺れっぷりに流石に呆れて物も言えなくなった。それに、彼らも処刑という名目で既に何人も殺しているのだ。にも関らず現実から逃避して快楽に溺れている。倒錯的な快楽に溺れている。恐怖に怯え、人殺しへの後悔に苛まれ……。まぁでも、それが普通なのかもしれない。ここで痴宴を行う奴らと同じ普通の人間なのだ。数多くいる人間なのだ。あの人達は快楽に溺れるどうしようもない普通の人間でしかなかったのだ。あの時出会った男達と何が違う。私を性的な目で見ていたあの男達と。
「ま、あの二人の事は良いのよ。別に……どうでも。視界に入らなきゃ好きにすれば良いわ」
リンカ様の言葉に少し気が落ち着いた。
見れば、ほんと、どうでも良いと気だるげに言っていた。その瞳にぞくり、と背筋が震える。眼前で繰り広げられる痴宴を見下しているその表情がとても素敵だった。
この素敵な人とあの人達は違うのだ。
私もまた普通の思考の持ち主ではない。だからこそ彼女に惹かれてしまうのだろうか。
「で、何をやれって?……手伝ってやるよ。暇じゃないけどな」
「それはどうもありがと。御礼は……この間捕まえた美女で良い?好き勝手して遊んで良いわよ?どうせHPが回復すれば治るんだし、多少の無茶も大丈夫。私が許すわ」
「いらないよ、そんなもの」
『人形殺し』でもあるまいし、私に美少女をどうこうする気は全くない。
「じゃあ、その彼氏とかいう美男子?彼女の前で虐めてあげるのも面白いと思わない?」
「そんなサディスティックな趣味はないよ」
「吸血鬼っぽい格好している癖にサディストじゃないとか、春にダウトとか言われるわよ」
「リンカこそ、どうでも良い嘘ばっかついているなよ。面白いなんて全く思ってない癖に」
「そりゃそうよ。人間虐めて何が楽しいのよ。人殺しなんて何が楽しいのよ。面倒くさいだけよ。だから、私の邪魔にならなければどうでも良いわ。ほんと……面倒くさい世界。さっさと帰って猫と遊びたいわ」
「へぇ、猫を飼っているのか?」
豪奢なベッドで気だるげな目覚めと共に猫を撫でるリンカ様の姿はとても素敵に思えた。が、
「いいえ?飼ってないわよ」
適当にも程がある人だと改めて思った。ため息が出る。それと同時にこんな適当な人と話していると胸が熱くなってくる自分が本当、駄目だと思った。
「その子、私が良く会いに行く猫なのよ。名前はアインっていって可愛らしいのよ。ちゃんとしたお名前はアインソフオウルね」
「いや、セフィロトだか猫の話だかはもう良い。……それで俺は何をすれば良いんだ?」
「素材データの整理」
それはリンカ様も面倒くさがるわけだ。
私だって別に得意なわけではないけれど、仕方ない。リンカ様がそう仰るなら仕方ない。
例えば、学校で、生徒会長にちょっと手伝ってとお願いされて放課後一緒に生徒会室で作業するような、そんな……青春のような事。現実の私だったら絶対にやらないだろう、そんな事。それをこの世界ではリンカ様の為、そんな単純な理由で手伝う事のできる自分がおかしくて、おかしすぎて、だからついつい笑ってしまった。
そんな私にリンカ様が訝しげな表情を浮かべながら変なルチレ君、とくすくす笑みを零した。
そんな愛らしくも綺麗なリンカ様が変わったように……いいや、もっと私好みになったのはそれから暫く経っての事だった。
リンカ様が友人であるエリナを殺した後だった。




