10:エピローグ
10.
目の前に『彼』がいた。
相変わらずげっそりとした人間だった。ただ、その人間らしくなさ、生気のなさを思えば特に殺したいとも思わないから不思議だ。僕が殺さなくてもそのうち勝手に死ぬだろう。あぁ、でも。そうだ。『彼』は神様で、僕の願いを叶えてくれるとすれば『彼』しかいない。だったら、少しぐらい敬うとしよう。
「お帰り、ネロ君」
「ただいま」
「どうだった?」
「最低のゲームだったよ」
「そうかい。それは何よりだ。それで望みは何かあるかい?このゲームの勝者には出来る限りの事はしてあげようと思っていたんだよ」
「彼女を生き返らせて欲しい」
「彼女?亜莉栖嬢かい?それは無理な話だよ、ネロ君」
「そんな奴の事なんかどうでも良い。イリスと名付けられたNPCだよ」
「ふむ。なるほど。もう一度、あの世界に行きたいという事で良いかい?」
「そうだよ。それで良い。どうせ、またやるんだろう?」
その言葉に『彼』が苦笑する。
『彼』の背後に並んでいる何十というディスプレイに映る光景を思えばやらないはずがない。
僕が殺したテスターの姿。僕が殺したNPCの姿。僕が殺した悪魔達の姿。最後に殺した悪魔が倒れている姿もあった。何がそんなに楽しいのか何枚ものディスプレイを使って同時にそれを見ていたようだった。
僕がそのディスプレイを見ているのに気付いたのだろう。『彼』は苦笑でも浮かべるかのように『よくやってくれた、御蔭でコレクションが増えた』と僕を労った後、生気のない表情のまま、口を開いた。
「是成り、だ。ただ、一度死んだNPCを生き返らせるのは中々難しい。元より生き返らせるという事は想定していないからね。そもそも、だ。死んだという記憶、それを持ったまま生き返るという事は死を思い出す事に等しい。結果、自らが死んだという記憶に再び殺される。だから、その周辺の記憶は消す必要がある。特に殺した相手の事なんかは念入りに消す必要がある。故に、記憶の再生は巧くいかないだろう。あるいは同じ名前というのも難しいだろうね。それでも構わないかい?姿形ぐらいは大丈夫だと思うけれども……それもどうなるか正直なところ、分からない」
「構わない。それでもその魂は彼女のものなのだろう?」
「―――AIに魂があると、そう言うのかい?ネロ君」
「……あるさ。あんな高潔な魂を持った子だよ。あるさ」
「理解はできないが、そう思うのは自由だ。好きにすると良い。それと、αテストのサバイバーとして、特典を与えよう。レベルは1にさせてもらうが、装備は……ふむ。面白い事を思いついた」
「どうせ碌でもない事だろう?」
「どうだろうね。では、質問だ」
「何?」
「秦野亜莉栖と名乗った少女……というには実物は年齢が倍程いっていたか。まぁ、良い。君は彼女に未練があるかい?」
「ない」
当然だった。
「……なるほど。では希望通りにするとしよう。君は存外分かり易い」
苦笑を浮かべながら、『彼』がそう言った時だった。
コンコンと扉を叩く音がした。
『―――兄さん。御加減は……』
「大丈夫だよ、京子。安心して良い。それに今日は久しぶりに友人との歓談だ。悪くなるわけがない」
『―――そうですか。……分かりました。無理はされませんよう』
扉の向こう、京子と呼ばれた『彼』の妹が立ち去った音が聞こえた。
「いやはや、すまないね、ネロ君。話の途中だったね。それで、だ。何の話だったかな?」
「…………何をする気だ?事と次第によっては殺すよ?」
「あぁ、そうそうそれだ。その話だ。なに。大したことじゃない。愛した人と一つになりたいと願うのは人間の本性だ。君は何も間違っていないよ」
「もう一度聞くよ?」
「生憎とここで『僕』を殺したら君の願いは叶わない。ここは大人しく従っておくに越したことはないさ」
「…………ちっ」
「これ見よがしな舌打ちだねぇ。ま、βテスト時には声を掛けるよ。それまで、お元気で」
手を振る『彼』を無視して、その部屋を出た。
―――
Nameless、名前なし、なめなし君。
名前などなんでも良いとそんな名前を付けた。
そしてログイン。
久しぶりに見た廃墟群を前に嗤ってしまった。反吐が吐けるのならば間違いなく吐いたに違いない程、嗤った。
「なるほどね……性悪にも程がある」
柔らかい声だった。どこかで聞いた事のある声だった。
廃墟の上……ビルの上からのスタートというのは別に構わない。他のプレイヤーと違って初期装備が違うのを態々露呈させ、騒ぎを起こす必要もない。ステータスは初期、レベルが1からスタートなのも良い。所持金と装備がαテスト時のものだというのも『彼』の言った通りであり別に良い。
ただ……そう。ただ、自分の姿を鏡で確認するまでも無く、自分が『誰』の姿をしているのか分かるのが問題だった。
起伏のない胸元、ニーソックスにホットパンツにガーダーベルト。これだけでかなりあざといが、セミロングの黒い髪に合わせたように黒一色で構成されたフード付きのロングパーカーが尚更あざとさを増していた。加えて、被っていた帽子が尚更に。
確定だった。
帽子を手に、それを階下に向かって投げる。はらり、と黒いセミロングの髪が揺れた。
「……チッ」
舌打ちすらも柔らかい音だった。
間違いなく今の僕は、幼ささえ感じる愛らしい顔をしていて、薄紅色の唇、淡く青みがかった瞳。左目の下には泣き黒子があるのだろう。
我が身を引き裂きたくなった。
『彼』がどういうつもりでああいう風に問い掛けて、僕の言葉に何を感じてこうしたのかは分からないが、不愉快だった。
気付けば肩にショルダーバッグのように担いだ刀を引き抜いて、自分の腹に付きたてようとしていた。けれど、自殺禁止、『彼』がαテストで言っていたように自殺禁止にしたらしい。HPは一切減っていなかった。
「僕…………いいや。そうだね。私にしておこうか。……折角のこの恰好だ。女を演じて……プレイヤーを騙して殺すのも良い」
僕……私だけが騙されるわけじゃないのだ。こんな格好の女だからこそ騙されたのだ。私が悪かったわけじゃないのだ。その証明をするために、少しがんばってみるとしようか。
そんな事を考えながら仮想ストレージ内を確認する。……あぁ、やっぱりと私は頷いた。『私』のストレージじゃない。『あの女』のストレージだった。中身を確認して、大したものがない事に気付く。弾丸は―――あの日、撃ち尽くした所為で―――なく、武器も二流が良い所だった。そして、私があげた数々の品はそこになかった。
「まぁどうでも良いけれど」
仮想ストレージから目を逸らし、空を眺める。
カァカァと鳴きながら空を飛ぶスカベンジャー達。イリスに見守られて子を産んだ者達だろうか。笑みが零れた。
瞬間。
眼下から爆発音がした。
慌てるように眼下を見れば、炎が舞いあがっていた。何発もの爆弾が連鎖的に爆発したようだった。これじゃレベル1のプレイヤーは一溜りも無いだろう。
「ははっ!凄い事をする子がいるねぇ」
汚らしいくすんだ銀髪の少女が爆心地で哄笑をあげていた。
人間なんてそんなものだ。
こんな場所に閉じ込められれば、他愛もなく人を殺すのだ。自分が助かるために、自分自身のためだけに。
「ほら、私だけじゃない。まったく……亜莉栖は酷い奴だよ」
ひさしぶりに口にした亜莉栖の名。特に、何も思わなかった。時間が経てばそんなものなのだろう。それもまた人間だった。
でも、変わらない物もある。
今度こそ、イリスを守って見せる。
殺させやしない。
絶対に。
その想いは今も変わらない。
そのためには、早くイリスを見つけないと。『彼』は一切のヒントをくれなかった。酷い奴だ。とりあえず急いでイリスと出会った城を落とすとしよう。レベルが低下したとはいえ、αテストでの戦闘経験が消えたわけじゃない。早々に手に入れるとしよう。もしかするとまた彼女はあそこにいるかもしれないから。あの部屋で一人、呆としながらスカベンジャー達の世話をしているかもしれないから。
急ごう。
そのためにもまず手頃な馬鹿を騙して、殺して私の糧にしよう。
そう思い、眼下から目を逸らし振り返ろうとした。瞬間、さらに私は振り返った。今、視界に何かが映った。酷く興味深い何かが視界に映った。
「―――ははっ!なにあれ。なにあれ!」
爆心地の中心。銀髪の爆弾魔に向かって歩く青年が一人。遠目からでは良く分からない所もあったけれど……歩いてはしゃがみ死体から何かを剥ぎ取っていた。スカベンジャーのようだった。
「きっと彼は私と同じだねぇ!」
人というものに絶望し、人と言うものに何の興味も持っていない者の目を持っていた。遠目でもそれだけは分かった。死んだ魚のような瞳だった。人を人とも思わない人でなし。彼よりもNPCであるイリスの方がよっぽど人間らしい。
でも、彼ならば……
「信用はできるかもね」
人でなしだから。
人でないからこそ、信用しても良いかなと、そう思った。NPCのようなものだ。魂あるNPCのようだった。あぁ、良い事を思いついた。そうだ。イリス以外のNPCもしっかり守ってあげるとしよう。きっとイリスは喜ぶだろう。きっと私を褒めてくれるに違いない。NPCだけの国を作ろう。王が私で王妃がイリス、そんな王国。それはとてもとても素晴らしい王国だ。あぁ、楽しみだ。とても楽しみだ。
ともあれ、である。
さっさと人を殺してレベルをあげるとしよう。
レベルをあげるのはとっても大事な事だし。
「あぁ……もしかしてキリエもいるのかな?」
会えるものなら、会ってみたいと思った。
亜莉栖に騙され、人殺しにさせられた彼女にも。きっと、彼女も私を待っているに違いない。大事なパパの事を忘れるはずないだろう。
うん。
そうだ。
そうに違いない。
「私みたいな強いパパを忘れるわけがないよね?」
まぁ、私の事を忘れて、この身が亜莉栖だと思って攻撃してきたら……悪魔だし、殺しても良いよね。きっと。
どうせ悪魔だし。
NPCとは違うのだ。
私にとって大事なNPCとは違うのだから。
「待っていてね、イリス」
了




