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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第八話 愚者の園
75/116

09

9.






 さらさらと風に揺られ、葉が鳴いていた。カナカナと蟲が囁いていた。どこかでバサバサと羽ばたく音が鳴った。ぽちゃん、と何かが跳ねた音がした。現実世界の喧騒なんて一つもない、自然の作り出す環境音だけが世界に響く。


 とても静かな夜だった。


 月の綺麗な夜だった。


 神様によって作られた偽物の月だったけれど、それでも綺麗だとそう感じた。星々が形作る星座もまたそれを助長させる。雲一つないのもまた、そうだった。


 こんな月の綺麗な日は人が死ぬ。


 僕か、それとも亜莉栖か。


 そんな事、思いたくなかった。何かの間違いだと思いたかった。あれだけ愛し合った僕達がどうしてこんな事にならなければならないのだ。


 何度彼女は僕に愛を囁いてくれただろう。


 何度僕は彼女に愛を囁いただろう。


 数えるのも馬鹿らしいぐらいに、傍からみても馬鹿馬鹿しいぐらいに僕達は求めあったはずだった。


 その全てが嘘だと言う事なんてあってはならない。


 嘘なんかじゃない。


 何かの間違いなのだ。


 彼女がイリスにあんな事を僕に告げるように言ったなんて嘘だ。つい最近なんて嘘だ。イリスの勘違いだ。きっと最初の、僕達の仲が悪かった頃に告げた言葉なのだ。それをイリスが今更ながらに思い出したのだ。イリスは酷い奴だ。あれだけ僕が大事にしてきたのにあんなに酷い事を言うなんてどうかしている。それに、イリスが亜莉栖に最初に出会ったのは僕が城を離れていた時だったなんて、そんなことあるわけがない。おっちょこちょいなイリスが勘違いしているだけだ。そんな馬鹿な事あるわけないだろう。


 でも。


 でも、イリスはAIだった。


 所詮心の分からないAIでしかない。嘘を付けないのだ。嘘を吐くロジックなんて組み込まれていない。だから、彼女の言った事は正しくて……いいや、そんなわけがない。亜莉栖が、あの華奢で、抱きしめると可愛らしく喘ぐ彼女が僕にそんな事を言うわけがない。イリスに言わせるわけがない。僕を騙すはずがない。僕を騙すためにイリスに近づいたなんてそんな事あるわけがない。


 亜莉栖がキリエを使って人を殺したなんて持っての他だ。『彼』が嘘をついているに違いない。あんなに大事にしていた、あんなに必死になってキリエを救おうとした彼女がキリエにそんな事をさせるわけがない。産まれからして不幸であったキリエを、僕達に祝福されて育った彼女キリエを、亜莉栖が不幸になんてするわけがない。人殺しの手伝いをさせるなんて持っての他だ。当たり前だ。そんなの当たり前なのだ。三人で、家族三人でキリエの誕生日を祝うと誓ったのだ。あんなに綺麗な笑みを浮かべて亜莉栖は笑ったのだ。だから、嘘なんかじゃない。


 イリスが掃除した庭、そこに一人座ったまま、僕は天上を見上げる。


 満天の星空だった。


 檸檬色をした星々が僕達を祝福するように輝いていた。イリスの言葉は何かの間違いで、『彼』の言葉も何かの勘違いで、僕達の間に疑いなんて一切ないのだ。きっと僕の勘違いだ。だって、この世界は僕達夫婦と娘の三人のための世界なのだから。その世界で裏切りなんてあるはずはない。


 ゆらゆらと月が揺れる。涙なんて流れるはずもないのに、なぜか視界は歪んでいた。


 そんな僕の耳に、ざり、と庭に踏み込む足音が一つ響いた。


「あははは!ざまぁないわね、ネロ。絶望した?絶望した?」


 自然の音色の中に、甲高い哄笑が響く。


 聞いた事のない彼女の笑い声が、静謐とした世界を壊した。


「亜莉栖。キリエはどうしたんだよ……」


「あぁ、あの子?どうやって知ったか知らないけど、私達がいる所を見つけたテスターをね。襲って来たのよね、そいつ。身の程知らずにもね。で、あの子は私を守るためにテスターを殺してくれたの。あんな弱い子でも殺せるなんてほんと……弱いテスターよね。ずっと震えて隠れていたんじゃない?だったらこの先もずっと隠れてれば良かったのにね?」


 くすくすと笑う彼女はいつもの彼女だった。


「あ、あぁ……やっぱりそういう事なんだな。亜莉栖もキリエも何も悪くないよ……ごめんね。僕がもっと早くみつけて殺しておけば良かったのに……。亜莉栖、早くキリエの所にいかないと。一緒に帰ろう。一人で寂しがっているだろう?」


 立ち上がり、手を伸ばす。


 けれど、亜莉栖はその手を取ってはくれなかった。手持無沙汰になった手を下ろせば、苦笑を浮かべながら亜莉栖が更に言葉を紡ぐ。


「何を言っているのよ。人殺しをするような子なんていらないわ。捨てられて当然でしょう?だから、行きたがっていた山まで連れて行って捨てたわよ。一丁前に泣き叫んでいたわよ?パパ~、ママ~って」


 滑稽ね、そう言って亜莉栖は吐き捨てた。


「亜莉栖……疲れているのか?……それともテスターに何かされた?それとも、僕の知らない内に何かあったの?」


「知っている内にあったわよ。あったあった。いっぱいあったわよ。最悪で最低でどうしようもないぐらいにあったわよ。あなたに口付けされて、あなたに気色悪い滑稽な台詞を吐かれて、あなたとのおままごとを強制されて、あなたにいっぱい犯されて……いーっぱいあったわよ。全部覚えているわよ。全部。何から何まで」


 伽藍のような瞳を浮かべながら、嗤った。


 僕達の出会い、二人で過ごした時間、二人愛し合った時間、その全てを嗤っていた。


 誰だこいつ。


 ふいに思った。これは亜莉栖じゃない、と。誰なんだこいつは。僕と亜莉栖の事を知っているこいつは誰なんだ。僕達の愛の営みを嗤う、この亜莉栖の姿をした奴は誰なのだ。


「亜莉栖がそんな事言うわけがないだろ……お前は……誰だよっ!亜莉栖の姿をしやがって。許さないぞ……」


 立ち上がり、仮想ストレージから拳銃を取り出す。


 殺すわけにはいかない。本物の亜莉栖をどこにやったかを聞かないと駄目だ。『彼』も最悪なラスボスを登場させたものだ。ほんと最低で、最悪な性格をしている。本物の亜莉栖を助けて、二人で『彼』を倒しに行こう。どうやってやるかなんて後廻しだ。今は目の前の不愉快な存在を痛め付けてやらないと……。僕の亜莉栖を騙った罪は重いよ。


「そうそう。ネロはそういう奴よね。自分に都合の良い事実しか認めない。自分にとって都合の良い事しか理解できない。都合が悪いとすぐに転嫁して、点火する。そんな人間がさぁ、他人の痛みなんか何も理解できない、自分勝手な奴がさぁ」


 亜莉栖の姿をした何かが、ショルダーバッグのように担いだ日本刀をしゃらん、と抜く。


「……よくも、私の大事な妹を殺してくれたよねぇっ!」


 そいつが激昂しながら僕を襲う。けれど、どんな奴か知らないけれど、僕に攻撃が届くわけもない。テスターなんかが僕に攻撃を喰らわせられるわけがない。


 そう、思っていた。


 無防備に、攻撃を受け止めた瞬間、引き金を引こうとしていた僕の腹に、そいつの刀が突き刺さった。


「ぐっ……」


 久しぶりに感じた痛み。即座にHPバーを確認しながら、逃げようとして、瞬間、FN P90を手に―――亜莉栖のものを勝手に使いやがって!―――そいつが引き金を引く。


 パラパラという軽妙な音が世界を埋め尽くす。


「ぁがっ……っぁぁぁ!ふざけるなよっ!」


 腹を、腕を、足を、腰を焼かれるような痛みに耐えながら、逃げるように女から距離を取る。


「『防御無視攻撃』便利なスキルよね……レベル差があっても関係ない。これだけは感謝するわよ、神様」


 ケタケタと笑いながら、女が天上を、その奥にいるであろう『彼』へと告げる。


「途中参加というのはお前で、お前が本物の亜莉栖を殺したのか!?」


「おめでたい頭もここまでいくといっそ憐れね。ネロ。私の事、愛してくれたでしょう?何度も、何度も『お前とキリエだけがいればそれで良いんだ』なんて、そんな似合いもしない台詞を言ってくれたでしょう?反吐が出たら何度出していたことか……あ、こういうのもあったわね『僕……その、初めて……なんだよ』『大丈夫、私も初めてだから気にしないわよ』『亜莉栖の初めて貰えて嬉しい』とか言ったんだっけ?嗤ったわよ。あははははっ!ごめんねぇ、VR『では』初めてだって事を言うの忘れていたわ」


 それは、僕達の初めての時の記憶だった。


「ほんとうに……本当に、君が……亜莉栖なのか」


「ようやく現実が見えてきた?騙してごめんねぇ。もう、最高。最高に楽しい!ほら、絶望しなさいよ!もっともっと絶望しなさいよ。あんなに可愛い妹を無慈悲に無意味に無価値に殺した罰よ。お前なんかに殺されるなんてあの子が可哀そう。最低よ、最低。でも、この瞬間だけは最高よ。この機会をくれた神様には感謝しないといけないわね」


 アハハハと顔をあげ、両腕を大きく開いて神への感謝を表していた。


 醜い。


「亜莉栖……」


「ちなみに当たり前だけど、偽名ね、それ。あんたになんかに私の名前教えるわけないじゃない。亜莉栖、亜莉栖言いながら腰を振っている姿はとっても滑稽だったわよ?人殺しが好かれるとでも思った?馬鹿じゃないの?夢見すぎじゃないの?面白いわよね。あんなに無残に人を殺していたくせに、何様なのよ。あぁ、城主様だっけ?強いんだよね、城主様?」


「っぁぁぁっ!」


 脳が焼ける。


 脳が焼けて溶け落ちるほどに僕の中に熱が駆け廻る。


 こんな人間生きていて良いはずがない。人を騙すような人間なんて生きていて良いはずがない。この僕を騙すような人間なんていて良いはずがない。


「私、これでも正義の味方だったんだけどな……あなたさえいなければ神様だって逮捕できたのに。あなたがあの子を殺すから悪いのよ……全部、貴方が悪いのよ。私の願いも私の想いも私の妹も、何もかもを奪ったあなたは絶対に許さない。ここで死になさい。罪を償う必要なんて、ない。大人しく私に殺されなさい」


 見たことのない表情で亜莉栖が嗤っている。狂気に囚われたかのように。歯を食いしばり、目を爛々と輝かせ、宛ら獣のように。走って来る。


 けれど、遅い。


 僕にとってはそんな速度、どうという事もない。


「……今ならまだ許してあげるよ」


 横薙ぎに振るわれた刀を一歩後退して避け、手を伸ばしながら亜莉栖を誘う。今なら、月に酔ったという理由で許してあげても良い。そう。彼女は僕を騙そうとしたわけじゃなくて、単に血迷っただけなのだ。たまたま嫌な事があって、僕に甘えているだけなんだ。だったら、許してあげるのが男の甲斐性というものだろう。


「それで貴方のいう事をだけ聞いて頷く自動人形になれって?寝言は死んでから言いなさい。それに、そんな事がやりたければイリスにしてれば良かったじゃない。とっても素直で、とっても可愛らしい人形相手に腰でも振ってりゃよかったじゃない!アハハ。それが、ちょっと頼ってあげた振りしたからって私に振りむいちゃってさぁ。ほんと、単純馬鹿よね。嗤えるわ」


 振り抜かれた刀が、瞬間、その刃を反転させ逆方向に振り抜かれる。


 だが、僕には届かない。


 何度亜莉栖が刀を振ろうと当たるはずもない。僕と彼女にはそれだけの差があるのだから。


 例え、防御力が無視されようと当たらなければ……


 瞬間、亜莉栖の身体が僕の視界から消えた。しゃがんだのだ、と気付いたのは彼女の細い足が僕の膝を横薙ぎに蹴り、僕の身体が地面に倒れそうになった時だった。咄嗟に、地面に手をつこうとして、刹那、無理やり身体を反転させて、その場から転がりながら逃げた。そして、案の定、次の瞬間、彼女の刀が僕の倒れようとしていた場を通過する。


「ちっ!」


 これ見よがしな舌打ちが響く。


「亜莉栖……もう、許さないよ」


「私は最初から許してないわよ、この屑」


 仮想ストレージから亜莉栖と同種の刀を取り出す。刀をあげた後、二人で向かった美術館。そこで手に入れた亜莉栖の刀と対になる刀。同じ刀が欲しかった。同じ刀を持ちたかった。同じ刀を持って、二人で旅をする。それになぜだか憧れた。


 けれど、もう叶わない。


 こんな人間、生きている必要を感じない。


 いいや、そうじゃない。


 僕以外の人間なんて生きている価値がない。


 僕を殺そうとするものも、僕を騙そうとするものも、等しく価値がない。だったら、今、この場で殺しても良いだろう。否、殺すべきだろう。


 今度こそ、僕は亜莉栖を見限った。


 彼女がどう言おうと、僕はもう許さない。


 さっさと彼女を殺してこの世界を終わりにさせよう。


 こんな無意味な世界を終わらせよう。


 無駄な時間を過ごした。


 無意味な時間を過ごした。


 『彼』には無駄な時間を過ごした償いをして貰うとしよう。やっぱりお金かな。元々テスターとして雇われて、NPCと他のテスターを殺す事を求められていたのだ。道程は違ったけれど、結果として雇い主の言う事は聞いたのだ。報酬は弾んで貰うとしよう。


 何をしようか。


 元の世界に帰ったらまず何をしようか。


 『彼』の世界作りを手伝うのも良いかもしれない。次があればそこに参加した馬鹿なプレイヤー達を僕が全員殺してあげるのも良い。『彼』はきっと不満だろうけれど、暇潰しにはちょうど良い。あぁ、或いは久しぶりに学校に行くのも良い。旅行に行くのは……まぁ、暫くは良いや。海外ならば考えなくもないけれど……。


 何をするにも、この女が邪魔だった。


「―――殺すよ」


「きゃぁぁぁ、格好いぃ!」


 反吐を吐くような表情で女が囃したてる。不愉快だった。何と言うか、この女の姿をみているのも、その声を聞くのも、その吐息を感じるのも、黒髪から香る匂いも、何もかもが不愉快極まりない。この女と一時でも一緒に居たと言う事がもはや黒い歴史の彼方といえよう。あぁ、忘れよう。忘れてしまおう。この世界は所詮、偽りだ。現実に戻れば夢のようなものだ。夢の世界で何をしようと目がさめれば全て忘れてしまう。たまに覚えている事もあるけれど、それも日々の忙しさにいつしか消えて行く。そんなものだ。人の夢なんてそんな儚いものだ。見た所ですぐに忘れる、そんなつまらない意味の無いものだ。


「こんなものはただの悪い夢だ」


 刀を構え、全速で女の前に。そして跳躍。女にとっては目の前で消えたように見えた事だろう。そのまま背後へと周り、後ろから袈裟に切ろうとして、瞬間女が、一歩横にずれた。刀が空を切る。と同時に女が僕へと接近し、刀を持つ手に女の華奢な手が添えられ……そのまま、僕の視界は宙を一回転した。


「かはっ」


 どすん、という鈍い音と共に背中から衝撃が走る。人工の肺から空気が全て抜けて行くような感覚に苛まれ、痛みが全身を駆ける。だが、そんな事を悠長に考えている間などない。倒れる僕に女がFN P90の引き金を引いた。


 パラパラと鳴る音と共に、肉がえぐれていく。


 咄嗟に顔を庇い、頭を庇いながら逃れようとすれば、癖の悪い足が僕の逃げる先を閉ざす。そして、その悪い足が、そのまま僕の首へと。


 ボキン、と鈍い音を立てて首の骨が折れたように感じた。


「ずっと思っていたけど、所詮、素人よね。―――こんなのに殺された人達が憐れだわ。あぁ、そういえば自慢気に言っていたわよね。自衛官と警察官殺したって。なんかの間違いでしょう?ロールプレイしているだけの素人だったとかじゃない?」


 言い様、女が引き金を引く。


「--――――っ」


 容赦などなかった。あるわけもないだろう。僕だって容赦するつもりなどなかったのだから。


 腹に穴が空いて行くのが分かる。


 痛みに声を出そうとして、潰された喉がそれを拒否する。


 叫びたいのに叫ぶ事さえできない。


 その苦しみに、喘ぐ。


 じたばたと動く足がFN P90によって撃ち抜かれ、その動きも止まる。


 膝から下の感覚がなくなった。


 更にそのまま下半身へと、腹部へと。


 視界に映るHPバーがじわ、じわと減って行く。無駄にレベルがあり、HPがある所為で僕は死に難いらしい。それは幸いだというべきなのだろうか。あるいはこの痛みに耐えて機会を待つのならば死んだ方がましなのだろうか。


 次第、痛みに心が萎えてくる。


「懺悔の言葉はいらない。何も要らない。ただ、死んで」


 その声は小さかった。


 僕だけに聞こえるようなそんな声だった。


 愛おしいと思っていたそんな声が、不愉快だった。


 もはや、憎しみしか感じない。


 人間なんて所詮、そんなものなのだ。


 人間なんて……所詮、裏切る物なのだ。


 僕が何をしたというのだ。与えられたルールに則ってこの世界から逃げようとしただけだ。何が悪い。殺す事を是とした世界で殺す事の何が悪いのだ。悪いのは『彼』だけだ。


 イリスに会わなければ、この女にこんな風にされる事もなかった。彼女と出会わなければ、こんな事にはならなかった。そんな取りとめも無い事を考えてしまう。けれど、彼女に出会わなければ僕は死んでいた。それは間違いない。でも、こんな風に裏切られて殺されるのならば、あの時死んでいれば良かったかもしれない。


 そう思った。


「In a garden of a fool」


 初めて聞いた女の英語は偉く流暢だった。英語に親しみの無い僕には因果応報なんて、そんな風に聞こえてしまったのも致し方ないだろう。そんな馬鹿な考えしかもう思い浮かばない。脳が思考を拒否し始めていた。


 腕を打ち抜かれた。


 もう胸元から上しか感覚はなかった。


 弾丸を撃ち尽くしたのだろう。FN P90を投げ捨て、女が日本刀を両手で持ち、ゆっくりと持ち上げる。そのまま落とせば僕の頭蓋だ。


 それで終わり。


 それで最後。


 死ぬのか。


 死んでしまうのか。


 下らない。


 つまらない。


 まったくもって、最低で最悪の人生だった。


「―――!」


 そんな僕の人生最後に、声が聞こえた気がした。


 昔見た、アニメを思い出した。僕のキャラ名と同じ名前をした主人公が出て来る物語。絵の得意な少年だった。その物語の最後は天使に連れられて天上へと昇る、そんな風だったように記憶している。


 僕なんかを迎えに来てくれる心優しい天使などいるはずもない。


 けれど、それは確かにそこにいた。


 どん、という鈍い音と共に首を押さえていた圧迫が消えた。


 おぼろげな視界。そこに、


「イリスぅぅぅ、何をするのよっ!邪魔するんじゃないわよっ!言っておいたでしょう!」


「駄目ですよ……私、ネロ様にまだネコを見せてもらってないんですから。人は死ぬものです。ですが、死んだらそれで終わりなんです。だから---まだ見せてもらってないから……助けるのです」


 メイド服を着た、金色の髪を持った天使がそこにいた。


 月明かりに照らされたその姿はまさに天使の如く。翼を与えてあげたいとそう願う程に美しい存在だった。あぁ、そうだった。そうだ。そうなのだ。僕は、彼女を綺麗だと思ったのだ。とても綺麗な彼女を大事にしたいと思ったのだった。


 それが何故今、こんな事になっているのだ。


「―――AIなんかが私の邪魔をしないでっ」


 けれど、そんな天使の如き彼女は弱いのだ。


 儚いまでに。


「あ―――」


 銀の一閃。


 首が飛んだ。


 天使の首が飛んだ。


 天高く、彼女だったものが舞っていた。


 赤い血がその首から沸いた。


 いつだか彼女と二人で見た滝のように、昇る滝のように、彼女の血が世界に広がった。


 キラキラと月明かりに照らされていた。


「あ……あぁぁぁ」


 解放された喉から音が出る。


 こんな僕を助けようとしてくれた彼女を、この女は殺した。


 人間如きが、天使の如き彼女を殺したのだ。


 悪魔だと思った。


「が……ぐっ」


 打ち抜かれた四肢。


 思う様に動かぬ身体。


 けれど。


 けれど。


 そんなものがなくとも、口さえあれば、歯の一本残っていれば十分だ。


 天使を殺した悪魔を喰い殺すには十分だ。


「っ!」


 感覚の無い足を支えに立ち上がる。


 感覚の無い腕をふらふらとさせながら、立ち上がる。


「何よっ。ふざけんなっ。何なのよっ!なんで死なないのよ!なんで、まだ立ち上がれるのよっ」


 ずり、ずりと身体を這う。


 女に近づいて行く。


 いらない。


 人間などいらない。


 こんな僕を守ってくれたNPCを殺そうとする人間なんて---いらない。


 この世界に、人間なんて一人もいらない。


「ひっ」


 口を開く。


 僕も人間だ。


 下らない人間だ。つまらない人間だ。不要な人間だ。どうでも良い、どうしようもない人間だ。こんな自分を許したくはない。目の前で天使を殺した人間あくまと同じ性も無い生き物だ。


 でも。だからこそ、殺す事ができる。


 獣だから。


 がしゃん、と歯を鳴らす。


 いつか口付けたその白い首筋に、吸血鬼のように僕は喰らいついた。


 悲鳴が聞こえた。


 何の感慨も浮かばない。


 人間を殺した所で思う所なんてあるわけがない。


 例えそれが一時でも情を交わした相手だろうと。


 僕の天使を殺した人間あくまなんかに同情の余地はない。






『Congratulation ! とはいえ、なんとも当たり前な結果になってしまったねぇ。途中で送った彼女も大した活躍してくれないとは全く、見る目がなかったよ。残念だ。この反省は次回に活かすとしよう。さて。エピローグだ。現実に帰っておいで、ネロ君。待っているよ』






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