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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第八話 愚者の園
74/116

08

8.






 季節は巡る。


 相変わらず、テスターは残り3名だった。


 『彼』が実装したという東京以外、それが出来た所為だろうか。残り1名は今のところ見つかっていない。あるいはそれが『彼』の目的だったのだろうか。テストを続行させるために。少し不思議な気もするが、行き先が増えた事は僕達にとって悪い事ばかりじゃなかった。


「ネロ様、ずるいです。ハタノ様とばかりお出かけになるなんて酷いです。悪です。ネロ様はとっても悪い人間です。ハタノ様風にいうと浮気です。浮気ですよ」


 メイド服を身に纏ったイリスが腰に手をあてながら怒っていた。頬を膨らませて如何にも私怒っています、という表情が出来ている点で以前から比べるとかなり成長したのだな、と思った。思うとともに視線を逸らした。


 イリスのいうように、最近はハタノと一緒に行動する事が多くなっていた。


「……そうじゃないよ。外界の調査をしないとイリスを連れていけないだけだよ」


 僕は、東京以外の世界を外界と呼んでいた。駅舎にある転送ターミナルという転送装置を使うと東京以外にもいける。どうやら陸路はまだ出来ていないようで歩いて他の県に向かう事は出来ない様子だった。まぁ、他の都市に行くのに歩いて行くというのは、よっぽどの暇人か馬鹿のやる事だろう。


 外界に出現する悪魔は東京に比べると弱い。東京は僕が制定した法令の御蔭でレベルが高いが故に、相対的に外界の出現悪魔は弱い。とはいえ、必ずしもそうであるわけではないのだ。東京から比較的近い都市の山で、所謂ボスのようなものを見掛けた。遠目からも見える山ほど大きな蛇だった。雷を纏うあれに近づく事も、あれを殺そうとするのも……流石に無理だろうと思った。視覚情報だけが全てではないけれど、近づきたいとは思わない。ハタノと二人で無理無理と手を振り合ったのを覚えている。


 だから、そういった危険を調べて、イリスを連れて行く時はそういった危険を避けて行く必要があるのだ。だから、僕はそれらを調べるためにハタノと一緒に行動していた。


 出会った当初は中々遠慮をしらない生意気で不愉快な奴だと思っていたが、最近の彼女は大人しいというか、とても女の子らしい。僕の決定に、時折皮肉交じりの言葉を告げるのは相変わらずだけれど、特に逆らうわけでもなく、僕が一人でどこか探索しにいこうとすると必ずと言って良いほど付いて来た。『一人にしておくと何するかわからないから心配』


と言って。


 君は僕の母親か、と言った事もあるが、その度に苦笑され、そうじゃないよ、と言われた。


 そんなハタノであるが、レベルの方は中々あがってきていた。僕のレベルには程遠いが、僕と二人でPTを組んで戦っていた御蔭で間違いなく残り1名のテスターよりはレベルが高い事だろう。戦闘経験に関しても言わずもがなである。そして、彼女自身、元々、拳銃の扱い方が妙に巧かったのも事実だが、拳銃に関して言えば今では僕より攻撃力が高い。結果、良く使っていたFN P90は彼女に渡していた。加えて……これは彼女の趣味らしいが日本刀が好きらしく、いつぞやの国宝の刀も彼女に渡していた。鞘の両端に紐を付けて何やらハンドバッグのような形でいつも肩に担いでいる。お出かけする時はいつももっていくの!お気に入りなの!とでも言わんばかりであった。


「ネロー?まだー?」


 噂をすれば何とやら。その彼女がノックもせずに僕の部屋へと入って来る。勝手知ったる他人の部屋という感じだった。


 彼女の格好は相変わらずだった。刀をハンドバッグのように担ぎ、薄手のハイネックノースリーブにフード付きのパーカーを羽織り、下はホットパンツにガーターベルドにオーバーニーソックス。加えて帽子というあざとい格好である。


「あぁぁ!また、また!ハタノ様と一緒に出かけるんですねっ!うぅぅ。ネロ様は私なんてもういらないんですねっ!?ですねっ!?」


 イリスが鳴いた。


 こういう喋り方をするのはハタノの影響が大きいと思う。が、当のハタノ本人は最近、どちらかというと静かめである。


「イリスちゃんごめんねー?ネロ、もらっていくねー?……ネロも私の方がいいってさ」


 口元に手の平をあて、微笑を浮かべながらハタノがイリスに言う。態とらしくそんな事を告げるハタノにイリスがまたぞろぷんぷんと腰に手を当てて怒り出した。


「こ、これが噂のネトラレ!なんだか背中の辺りにぞくぞくする感覚がありますよっ!?危険な扉が開きそうですっ。Open the doorですよっ」


 偉く流暢な発音だった。


「違う。ハタノ、イリスに余計な事を教えるんじゃない」


「はいはい。ごめんなさーい」


 再び口元に手を当て、くすくすと笑うハタノと我が身を抱きながら嫌々と悶えているイリス。なんだろうこの光景。


 とはいえ、最近では良くある光景の一つだった。


 雪女が『妊娠している』。そうハタノが伝えた時から既に数ヶ月。数ヶ月間も一緒に暮らしていればこんなノンビリとした適当な会話をするのもおかしい事ではない。


 だから、これはもういつもの事と言って良かった。


 ハタノがちょっかいをかけて、イリスがぷんぷんして、僕が窘める。


 いつしかそれが当たり前のような日常になっていた。


 僕が求めていたものとは少し違うけれど、でも……それでも良いんじゃないかと思っていた。残り一人の邪魔なテスターを殺し、あとはずっとこの3人でこの世界で過ごすのも良いんじゃないかと思い始めていた。


 『彼』がこの世界を停止させるまでだろうけれど、その間だけでもこの3人で過ごしたいとそう思っていた。以前の僕に聞かせれば何を馬鹿な事をと言われる事だろう。


「そうです。そうです。お二方様。大事な事を伝え忘れていましたよ」


 考えていた僕に水を差すようにイリスが、一転、神妙な表情を浮かべて僕達二人を見つめていた。もっとも、いつのまにか部屋の窓を開けてスカベンジャーに餌をやりながらという時点で神妙そうな表情も台無しだった。


「産まれそうな感じです」


「……分かるのか?」


「はい。スカちゃん達の出産には立ち会ったことがありますので。多分そろそろだと思うんです」


 何をしているんだ、と思った。というかスカベンジャーって勝手に沸くんじゃなくて親から産まれるんだと知った瞬間だった。しかも卵生ではない様子。阿呆な仕様だった。


 そんな僕の視線に気付いたのかイリスが不満そうに唇を尖らせた。


「お二人がいない間、暇なんですよ!雪女さんのお世話以外にはスカちゃんと戯れるぐらいしかやる事ないんですよっ」


 面倒見の良い子である。


 僕なんて自分で助けておいて、雪女の様子を見に行ったのは数回しかない。片手で数えて事足りるぐらいだろう。中指まで行くかどうかも怪しいが。


 さておき。


「で、ネロ。どうするの?いやまぁ、今更なんだけどね……」


「僕らは医者じゃないからね……」


 雪女が孕んだテスターの子を産ませる事が正しい事なのかは分からない。分かるはずもない。そも、そんな機能を搭載している『彼』の意図が全く分からない。何を思ってテスターと悪魔で子供が出来るようにしたというのか。閉じた世界で0と1の遺伝子を紡ぐ事に生命としては何の意味も無いだろうに。……いや、どちらにせよ何を考えた所で分からない。


 分かるのは産まれる子に罪はないだろうという事だけだ。


 母体が望むかどうかは別だし、その母体からして未だ呆としたままなので僕達には判断しようはないのだが、母体である雪女を助けてしまった以上、産まれるのならば、その子の面倒をみるぐらい……責任を取るぐらいは果たそうと、そう思う。逆に、母体が拒否反応を示すようならば、望まないようならばその責任を果たそう、そう思った。


「じゃあ、暫く外界に行くのは控えた方が良いかな」


「そうよねぇ。次は北海道だったのに残念だわ。一度行ってみたかったのに」


「雪女の子供が産まれたら行けば良いじゃないか」


「それって……何だか夫婦の会話みたいよね」


 くすりと笑いながらハタノが僕を見る。その視線から逃れるように顔を逸らす。


「ネロ様、顔が赤いですねぇ……」


 視線を逸らした先にいたイリスがじとーっと擬音を口にしながら僕を見つめていた。それから更に視線を逸らすように、逃げるように部屋を出ようとすれば、


「あらあら、パパさんどこにいかれるのかしらねぇ?」


「……雪女の所だよ」


「流石、パパね!」


 ケタケタと笑うハタノを置いて、僕は雪女が寝ている部屋へと向かった。


 部屋の中は静謐といえば良いのだろうか。とても静かなものである。焼け石に水程度ではあるが、室温を低下させるために窓には全てカーテンが敷かれており、部屋は薄暗い。そんな部屋の中央には質素なベッドが設置されており、その上に雪女が横になっていた。


「久しぶりだね」


 勿論、声をかけた所で何が返ってくるわけでもない。


 白装束を―――死装束だった襟の前後ろはハタノによって戻されていた―――身に纏う死人のように血の気の引いた顔が印象的だった。


 しかし、まぁ、目が開いたままというのが大変、頂けない。


 眠っている時は目を閉じているという話だから、今は一応起きているのだ。真っ当な意識があるかは定かではないけれども、一応、意識はあるみたいである。


 そんな彼女の腹はイリスがいうようにかなり大きくなっていた。初めて雪女を見た時には大層細身だったが……ともあれ、細身の雪女の腹がここまで大きくなるのか、と性も無い感想を浮かべながら暫し彼女を眺める。


「ちなみに、今すぐ殺して欲しいと願うなら、殺すけれど?」


 望まぬ子を産むぐらいならば死んだ方が良いというのならば、僕がこの場で片をつけるべきだ。それが助けた者の責任だろう。


 勿論、返答はなかった。指先一つ、瞬き一つしなかった。助けた時に僅かに手が動いたのも今では見間違いだったのではないだろうかと思う。だったら、助ける必要も……いや、そんな事もないか。イリスにしろ、ハタノにしろ雪女の事は大事にしている。だったら、助けたのはきっと正解だ。


「キリエ・エレイソン。主よ憐れみ給え。なんてね。悪魔にいう台詞でもないよね。まして、僕みたいな奴がいう言葉でも―――ない」


 そんな戯言を言い終わった、その瞬間だった。


 雪女の表情に笑みが浮かんだような---気がしたのと同時に室内の気温が急激に下がって行く。


 ぴし、ぴしと音を立てて雪女の眠るベッドに、床に、壁に、天井に霜が降り始める。部屋中が冬になったかのように白く染まって行く。


「何が……」


 咄嗟に仮想ストレージから拳銃を取り出し、雪女へと銃口を向ける。向ければ、つい数瞬前に見た物が間違いではない事に気付く。その口元にほんの僅かではあったが、柔らかい笑みが浮かんでいた。


「……望んでいるのかい?」


 その顔が―――元々青白かった顔が霜によって更に白く染まって行き、その笑みさえも覆い尽くす。


 髪、顔、耳、首、胸元、白装束……次第、次第に霜が降り、白くなっていく。


『ぐっ……かはっ』


 聞いた事のない苦悶が耳に響く。


 それは、雪女の口から発せられた音だった。


 何が起きたのか見当もつかず、さりとて回復魔法なんて便利なものなどないこの世界で僕は……何をする事もできず、目の前の現象を、目の前で苦悶の声をあげる雪女を見ているしかなかった。


 次第、僕の服まで凍りついていく。けれど、そんな程度の攻撃で僕がどうなるわけもない。


 寧ろ、苦しんでいるのはこの現象を引き起こした下手人であろう雪女の方だった。


 苦悶の声をあげながら、しかしその瞳は依然呆と天井を見詰めたままだった。けれど、……口元同様、どこか嬉しそうだった。


 ぱりん。


 そんな音が耳に響いた。


 それと同時に……彼女の腹が割れた。


 ぷしゃ、と鮮血が飛び散ったかと思えばそれらは空中で凍り、飛び散った状態のまま静止する。


 一瞬、時が止まったかのような錯覚を覚える。


 けれど、次々と沸いては凍る血が、時間が止まっていない事を証明していた。


「……まさか、これが雪女の出産だとでも?」


 悪魔の生態を理解しているわけではない。けれど、それでもこれは流石にどうなんだ。己が母親の胎を破りながら産まれるなど……産まれながらにして親殺しの罪を背負いながら産まれるなど……。


 脳裏を巡る思考を遮るように雪女の胎の中から……蒼い炎が産まれた。


 轟。


 猛る様な、それでいて静謐な、矛盾する概念を合わせた存在が胎の中から産み出され、熱が上昇するどころか更に室温が下がっていく。


 だが、それも暫く。


 蒼い炎は消え、それと同時に母体であった雪女の表情が……少し笑みを浮かべていたあの表情が消え、その命の炎をも消していた。さながら彼女の魂が最後に産み出したものが先の蒼い炎だったとでも言わんばかりに。


 そして、腹の中から小さな、本当に小さな手が出てきた。


 産まれて初めて巣から出て来る小動物のように周囲を警戒しながら、両の手を母の胎にかけて顔を出す。


 体液に濡れ、肌に張り付いた髪は紫色をしていた。


 瞬間、テスターの髪の色を思い出し、少しばかり居た堪れない想いにかられた。あぁ、引き継いだのか、と。


 僕がそんな事を考えている、と思える思考すらないだろうその赤子がいつの間にか僕を見ていた。そして小さく、


『あー、あー……』


 僕に向かって支えを請う様に手を伸ばす。


 そして、流されるままに赤子の右手を取った瞬間である。


 赤子の手の……その肉が溶けた。


 じゅっと、焼けるような音を立てて皮膚が、その内側の肉が溶け……骨が露わになった。瞬間、赤子が絶叫する。天に響くかのような大声だった。


 刹那、僕はその手を離し、その場を離れる。


「なに……が」


 と考える間もなく、バタンと大きな音を立てて扉が開いた。


「ネロ!どうしたの、今の叫び声って……何?産まれたの!?そんなに早く?!ってか、さむっ!?」


 慌てた様子のハタノが部屋へ入って来た。そして、気温差によって風が流れる。赤子にとっては熱風とでもいう程の……


『ぎゃぁぁぁぁぁぁっ!』


 決して、それは赤子が泣いた声ではない。痛みに耐えかねて叫んだ声だったに違いない。案の定、赤子の右手を見れば……手の平のみならず、腕までもが溶けていた。じわ、じわと肉が溶け、骨が露わになって行く。


「ハタノ!早く扉を閉めろっ」


「あ、うん。分かった!」


 扉を閉めた瞬間、扉の向こうでむぎゅっという何かがぶつかった音が聞こえたが、今は無視だ。


「熱だと思う。……体温レベルでも溶けるみたいだよ。雪女のことを考えれば、大人になれば大丈夫なのかもしれないけれど……」


「すぐにその子を連れて北海道まで行きましょう」


「行った所で……」


「大丈夫のはずよ!」


「なぜ……」


 知っているのか、という疑問はハタノの真剣な表情に掻き消えた。そも、今はそんな事よりもこの赤子をどうやって北海道まで連れて行くかが問題だ。


 母体である雪女の胎の中に入れて連れて行くか?死体となった雪女とはいえ、しばらくは冷たいままだろう。けれど、背負ってやっと運べる彼女をどうやって……


「ネロ、切って」


「何を……まさか、雪女をか?」


「今更何を躊躇しているのよ。悪魔の一人や二人切り刻むなんて貴方なら簡単に出来るでしょう!?」


 それは怒りだったのだろうか。


 気押されるように、言われるがままに雪女の四肢を落とし、腹だけとしてその空いた胎に赤子を入れ、それを白装束に囲み込み、手に持ち、僕は……僕とハタノは駆ける。扉を開けた瞬間、床にうずくまって頭を押さえているイリスが見えたけれど、それを無視して駅舎のターミナルまで駆ける。


 だが、その間にも……やはり陽光照らす地上では無理があったのだろう。赤子の絶叫が僕とハタノに耳に響く。


 聞きたくない声だった。


 聞いて居たくない声だった。


 聞けば聞くほどに僕もハタノも表情が歪む。


「間にあって……間にあって……」


 念仏のようにハタノが走りながらそう呟く。途中、遭遇した悪魔達をハタノが刀で強引に切り落とす。出現悪魔のレベルは高かったはずだが、それでもハタノはそれを気にせず刀で切り落として行く。僕でも一撃で殺せるものではないのだけれど……そんな疑問も今は気にならなかった。


 そして、転送ターミナルへと辿りつき、転送先を北海道に。


 そんな簡単な操作すら今は煩わしかった。焦りに、操作を間違えそうになる僕をハタノがどなりつける。分かっている!煩い!と反射的に叫びながら転送先を設定し、移動した。


 そして……


 極寒の世界が。


 真っ白な世界が。


 眼前に広がった。


 東京と同じく周囲一面が廃墟である。しかし、それら全てを覆い隠す程の雪が、白い雪が世界を詰め尽していた。


 綺麗な場所だと、そう思った。


 そう思った。


 そして……抱えていた雪女だったものを地面に置き、白装束を広げれば……赤子が叫び疲れたのか、安らかに眠っていた。


「あは……間にあったのかな……こんな状態でも……生きているのね、流石悪魔というか……あはは」


「確かにね……」


 赤子の右半身……首から下、右半身が全て溶けてしまっていた。


 けれど、左半身は確かに鼓動を打っている。


 骨の隙間からそれが良く見えた。


 生きていた。


 こんな状態であっても、赤子は生きていた。


「憐れんでくれたのかな……」


「何それ?」


 二人して白い雪の上にへたばったように、座り込み、笑う。


「キリエ・エレイソン。主よ憐れみ給え、なんて柄にもなく祈ったのさ」


「……本当に柄にもないわね。でも、良いわね。キリエ。うん。キリエ……そこはかとなく和風な感じもするし……この子の名前には良いんじゃない?」


 しきりに頷きながら、ハタノがそう言った。


「キリエ……ねぇ?」


「何よ、良くない?」


「悪くないかな」


「捻くれているわね。もうちょっと素直になりなさいよ、パパさん」


「僕がパパだったら、さしずめハタノはママなのかい?」


 馬鹿馬鹿しい軽口に返しただけだったが、しかし、


「……別に良いわよ?」


 彼女はそう言った。


 驚くようにハタノの方を見れば、彼女は……少し俯きながら、恥じらっているように顔を赤く染めていた。


 白い世界。


 真黒な罪すらも隠してくれるような、そんな白い世界。だから、だろうか。恥じらい、紅の差した彼女がとても可愛らしく、綺麗に見えた。素直にそう思えた。


「ほら、パパ。私をママにするなら、する事があるんじゃないの?」


 誘われるように。


 僕は座ったまま、彼女に近づき……その背を、思ったよりもずっと細い彼女の身体を抱きしめていた。


「こら。こういう時はそっと……」


 言って、ハタノは目を閉じた。


 ロマンチックなのかどうなのかは分からないし、一体全体なんで自分がこうしているのかも分からない。けれど、そんな理性的な発言なんてどうでも良いぐらいに僕の、『彼』に作られた偽りの心臓が高鳴っていた。


 ハタノに習う様に僕も目を閉じ、更にハタノへと近づいた。いいや、ハタノを抱き寄せ、近づけた。


 そして……触れた。


 僕とハタノは……触れ合った。


 一瞬、イリスの悲しそうな表情が脳裏を通り過ぎたけれど……もう、遅い。


 僕は、NPCではなく、人間テスターを選んでしまったのだから。


 偽りの生命よりも、偽りの身体を持つ人間を選んだのだ。


「……下手くそ」


「悪かったね、ハタノと違って慣れてなくて」


「何よ、私も初めてよ」


 互いに目を開け、鼻先が触れるような距離で僕達はいつもの調子で罵り合っていた。けれど、それがとても……心地よいと、そう、イリスと一緒にいるよりも心地よいと感じてしまった。




 そうやって、二人の時を過ごす僕達の耳に、アナウンスが入った。






『城主クエスト発生: 魔人 キリエ が 城主に見初められました。城主の生贄となります。城主を倒さない限り 魔人 キリエ は 北海道地区を出られません』




『 なお、αテストでは東京以外の城は未実装です。 ご了承ください 』






―――






 白い森の中を一人の少女が走る。


 キリエと名付けた僕達の娘。産みの親とお揃いの白装束に身を包んだキリエがぺたぺたと音を立てて雪原を走る。未実装の城主に見初められ、生贄となる事を運命づけられた可哀そうな娘。助けてやりたいと願ってもαテスト中ではそれも叶わない。この広い世界を、他の世界を見せてやりたいと願っても叶えることはできなかった。神に祈った所で、神がそういう世界としているのだから……どうしようもなかった。その事実にハタノと一緒に何度悔しさを覚えただろうか。


 そんな僕達の想いを知らず、キリエは三日月が照らす月下の白い森でくるくるとその場で回るように踊っていた。


「月が揺れる~」


 舌足らずなキリエの声が僕達の耳に届き、二人して笑みを浮かべる。


 雪の上に座り、お尻からひんやりとした雪の感触を感じながら娘の様子を僕は……僕達は二人で眺めていた。


 ふいに、ぽすっと肩に重さを感じ、目を向ければハタノが僕の肩に頭を置いていた。


「珍しい……」


「たまには良いじゃない」


 柔らかい声だった。


 その声を聞きながら、キリエを見ていれば、キリエが転んだ。雪に埋もれた木に足が引っ掛かったのだろう。ぺたんと雪原にキリエの形が刻まれる。


 ハタノの頭を手で押さえ、立ち上がり、倒れたままのキリエに向かう。そんな僕の行動に『もう』と不満そうに告げながらハタノも一緒に。


「キリエ、大丈夫かい?」


 手を伸ばしながらキリエに問い掛ける。


「大丈夫だもん」


 雪原に埋もれながらのその声は幾分くぐもっていた。


 強い子だった。


 一人で立ち上がれると僕の伸ばした手を無視して、両の手で……骨のままの右手と人の形をした手で地面を押さえて身体を起こす。


 身体を起こした彼女に再度手を伸ばせば、今度は素直に僕の手をとった。そしてそのままキリエを胸の内に抱える。抱えたキリエの顔についた雪を、ハタノが僕の横から取る。


「キリエ、綺麗になったよ」


「ありがとう、ママ!」


 キリエが笑みを浮かべた。


 その笑顔がとても綺麗だと思った。こんなにも綺麗なものがあるのかと思えるぐらいに綺麗だった。ここは現実ではない。けれど、これこそが現実であって欲しいと思えるほどに彼女は愛らしく、綺麗だった。


 右半身が骨で出来ているなんて、そんなのは些細な事だ。娘がこうやって笑顔でいる事の幸せ、それは親にならないときっと分からないだろう。彼女の産みの親は確かに僕達じゃない。でも、育ての親は間違いなく僕達で、だから彼女は……間違いなく僕の娘なのだ。


「……早いものよねぇ」


「ママ、おばさんくさい!」


 キリエがハタノに骨の指を差しながらモノ申した。こういう言葉遣いはきっとハタノの所為なのだと思う。


 ともあれ、ハタノが―――秦野亜莉栖はたのありす―――が言う様に、確かに時間が経った。キリエが産まれてから105日経った。ゲーム開始からはどれだけの月日が流れたかは覚えていないけれど―――1年と半年ぐらいは経ったのだろうか?―――、キリエが産まれてからの日数は正確に覚えている。勿論、キリエの誕生日を祝うためだった。


 家族3人で……まぁ、メイドとしてイリスを呼んでも良いけれど……誕生を祝いたい。


 だからこそしっかりと日付を数えていた。そんな事をしている僕を亜莉栖は馬鹿にしていた。らしくない、と。確かにらしくはないけれど、それでも娘の誕生を祝いたいのは親心だろう?と返答すれば、亜莉栖も笑って同意してくれた。


 ちなみに、である。


 雪女の名前をつけようとした時に例に出した名前、アリスとアイリス。後者はイリスのパクリであったが、前者もパクリだったというわけである。しかも自分の名前とはこれ如何にである。以前、それを問い詰めたら、良いじゃん良い名前じゃん!と言われ、結果、そうだね、と言わされた。


 さておき。


「それにしてもでかいわよね」


「確かに。手が掛らなくて良いといえばそうだけど」


 亜莉栖の言う様に、キリエは大きかった。


 元々悪魔である所為かその成長は早い。産まれてから三カ月余りで5歳か6歳ぐらいの身長になっている。骨は骨のまま、肉は肉のまま成長している。そして、こうして僕が抱えても熱で溶ける事がないくらいには抵抗力も付いていた。もっとも、キリエ曰く、レベルはずっと1らしいが……。


 まぁ、レベルは低かろうと娘に戦闘をさせる気もないのでその辺り僕は気にしていなかった。戦闘が必要になれば僕が出れば良いだけだし。


「明日はどこいくの?!」


 胸元に抱いたキリエが目を爛々と輝かせて僕をみあげていた。


「どこにいこうか……」


 色々な所に連れて行ったけれど、北海道は広いのである。良くもまぁ、こんな巨大な世界を作ったものだなと思う。とはいえ、転送ターミナルがあるので著名な都市は全部ターミナルを経由して行けるので広かろうが、観光する分には特に問題はない。


「……あのさ。たまにはイリスちゃんの所に行ってあげたら?あなたずっと行ってないわよね?」


 どこへ行こうかと感慨深く考えていた僕に水を差すように亜莉栖がそう言った。……馬鹿な事を言っているのに気付いていないようだった。馬鹿である。


「別に良いよ」


「あら。あんなに大事にしていたのに。もう使い捨て?」


「僕には亜莉栖とキリエがいるから」


「似合わないわよ?」


「パパ似合ってないわよ!」


 嫁並びに娘にそんな事を言われた僕だった。


「ま、そんな事言わずに一度ぐらいキリエを連れて行ってあげなさいよ」


 さらに馬鹿な事を口にした。何を考えているのか?いいや、何も考えていないというか完全に忘れ去っているのだろう。馬鹿である。この場合、親馬鹿というべきか。


「亜莉栖が連れて行けば良いだろ?」


「私よりもあなたが連れて行った方が喜ぶわよ」


「どうでも良いよ」


「……キリエ。貴方のパパは駄目な人ね」


「だめだめだね!私もあってみたいのにっ!」


「というか、亜莉栖。忘れているみたいだけど……そもそも連れていけない」


 いい加減言わないと駄目かと思い、口にする。


 キリエは北海道の地を出られない。そんなシステムに縛られた可哀そうな娘なのだ。それを母親である亜莉栖が忘れているなんて……


「酷いママだよな」


「うん!ママ、酷い!期待させるだけさせておいて!」


 多分、キリエは言っている意味を正確に把握していないだろう。ともあれ、キリエにそんな事を言われて亜莉栖がうぐっと鳴いていた。


「……ふふふ……駄目なママよね。ふふふふ~」


 キリエよりよっぽど雪女のような感じだった。いや、どちらかといえば幽霊の類か。


 とはいえ、格好は相変わらずアグレッシブというか……いつものスタイルである。相変わらず可愛いとは思うけれど寒くないのだろうか。


 と思った瞬間、くしゅんとくしゃみをしていた。


「寒いなら上着着た方が良いと思うけど」


「大丈夫よ。ちょっと調子が悪いだけよ」


「この世界に調子が悪いとかあるの?」


 素朴に疑問だった。


「あなたが外であんな事するからじゃない……」


 犯人は僕だった。


 じとーっと睨まれた。キリエにも何だかな?と言う風な表情で睨まれた。幼いのに感情豊かな子で良かったという半面、亜莉栖の影響が大きすぎる気がしてならない。亜莉栖曰くは僕の影響の方が大きいそうだが……そうだろうか?『我儘な所とかそっくり』と言われたがそんなに我儘な子ではないと思う。僕の事に関しては口を閉じざるを得ないが。


 さておき。


「じゃ、明日は……キリエ。一緒に、あのおっきな山にでも行こうか」


 指差す先は、とても大きな山だった。一面が白く染まった綺麗な山だった。そんな折角の提案は……


「駄目よ。イリスちゃんの所に行きなさい」


「行きなさい!」


 二人に潰された。






―――






 キリエが産まれてからずっと北海道にいた所為で東京に来るのは本当に久しぶりだった。久しぶりに見たまともな廃墟に辟易しつつ、気温の高さに更に辟易しつつ、流れるはずもない汗を拭う仕草を何度かしている内に城へと辿りついた。


 変わっていない。


 何も変わっていない。


 精々変わっているのは庭で楽しそうに鼻歌を鳴らしながら箒を振っているイリスぐらいだろうか。見ていれば、庭に零れた落ち葉を掻き集め、焚火を始めた。メイド服のポケットからいくつかの芋---キー、キー鳴いていたのでそれっぽい何かだが―――を焚火へと入れる。瞬間、甲高い絶叫が周囲に響き、その音に誘われたのか十数匹のスカベンジャーが焚火の周りに降りてきた。その様子を見るにスカベンジャー達も慣れている様子だった。


「もう少し待っていて下さいね。マンドラさんはしっかり焼かないと食当たりしますから」


 芋らしき何かはマンドラゴラだったらしい。どこで手に入れたのだろうかと考え、きっと亜莉栖だろうと思いつつ、HPバーを眺めれば1割ほど減っていた。マンドラゴラの悲鳴を聞くと死に至るという逸話通りというべきか。僕よりHPが相当に低いイリスが大丈夫なのは彼女が心を持たないNPCだからだろう。


 早く、早くとばかりにカァカァ鳴くスカベンジャー達に苦笑を浮かべつつ、時折しゃがみ、木の棒で中のマンドラゴラを突きながら焼き加減を確かめている彼女。相変わらず面倒見が良いなと思いながら、彼女を見つめていれば、ふいに彼女が僕の方に向いた。


「おや……おやおや。これはこれは子供が産まれたら私を全く相手にしてくれないぐらいにネコ可愛がりしているネロ様じゃありませんか。あぁ、そういえば私、いつになったらネコを見られるのでしょうねぇ?」


 妙に皮肉気だった。


 降参とばかりに両手をあげて彼女へと近づいて行く。


「城の管理は完璧ですよ?窓が何枚か割れたのは間違いなく事故です。えぇ」


 そんな言い訳が何とも人間らしくて苦笑する。僕と違って亜莉栖はちょくちょくこちらに帰って来ていたので、その所為だろう。まったく、なんてことをしてくれたのだろうか。純粋無垢だった彼女をこんな変な性格にしたのは間違いなく亜莉栖である。


「イリス。久しぶり」


「久しぶりにも程がありますねぇ……ほんと、この駄目男は」


「辛辣だね」


「ハタノ様曰く、昔の女は切って捨てられる者らしいですし、仕方ありませんが、皮肉の一つぐらいは許してほしいです」


 ぷんぷん、と腰に手をあてて怒るイリス。


「昔の女って……別に君は」


「はい。違いますね。まぁ、私はネロ様がいなくても大丈夫ですからお気になさらず。そもそもNPCなんてそんなものです。可愛がられていても、いつしか皆忘れてしまうものです。どれだけ可愛くても回線の向う側に人間がいるかどうかという些細な違いを人間はとっても重要視するのです。私の向う側には誰もいませんが、ハタノ様の向うにはハタノ様がおられます。そんな当たり前の事をネロ様も当然、理解していたという事です。ですから私は気にしていません。ネロ様がいなくてもやっていけますからご安心を。ただ……普通の人間っぽくて面白くないです」


「折角来たのに、酷い言われ様だね。というかNPCが人間を語るかい?普通。どこで手に入れたんだよそんな知識……あぁ、亜莉栖か」


 ハァ、とため息を吐く。


「折角というのがこれまたネロ様らしいですが……さておきましょう。NPCだからこそ人間を知りたいと願うのです。AIだからこそ人間を知りたいと願うのです。だから言葉を思えました。表情の浮かべ方を学びました。そして理解しました。ネロ様もハタノ様も普通の人間だと。データベースに登録されている情報を組み合わせることで構築できるただの人間だと」


「……君が何を言いたいのか僕には分からないけれど、怒らせたいのかな?」


「それも予想通りの返答です。ネロ様はつまらなくなりましたね」


 瞬間、彼女の首に手をあてていた。下らない事を延々と口にしているその口を、喉を絞めてしまおうと。


「っ……やっぱりネロ様ですねぇ。感情的で、独善的で、都合が悪いと殺そうとする典型的な弱い人間です。本当は弱いくせに、レベルが高いから居丈高になっている。僕が一番強いんだと、僕が強いからこの世界では自由にして良いとかそんな典型的な暴君が貴方です」


「イリス、君は自分が何を言っているのか分かっているのか?これ以上、僕を怒らせるなよ」


「さぁ?私には分かりません。自分で何を言っているのか半分ほど分かっていません。怒らせたのならば申し訳ございません。ついつい。あ。でも人間を知りたいとか、ネロ様が普通の人間だというのは私個人の感想ですよ?」


 ごめんなさい、と頭を下げるイリス。だったら、なぜこんな事を言ったのだろうか?


「イリス?」


「つい先日、こういう風に言うとネロ様が激昂するから言ってみて、と言われたので試してみただけです―――」


 次に彼女が口にした言葉に、僕は……絶句した。


「―――ハタノ様の言う通りでした。ハタノ様の言う事は最初に……ネロ様が城主を倒す前に、ひと月程お城を開けていた時に出会った時から、いつも為になっていたのですが、今回は為になりませんでしたね。残念です」






『おやおや。残り2名だね。殺したのは……ふむ。なるほど。悪魔に殺されたか。とてもつまらなく、呆気ない終わり方だ。いや、そうでもないかな。ネロ君が飼っていた幼い悪魔に殺された、と。これはこれで面白い。これで……参加者10名、途中参加者1名の計11名が残り2人となったわけだ。内6名がネロ君、内2名が悪魔に殺され悪魔の養分、そして1人が自殺。まったく……自殺するとは思ってなかったよ。精々賽の河原で石を積んでいて欲しいものだ。……あぁ、そうだね。次の機会には自殺禁止にするとしよう。自らを起因とした攻撃を判定させるのは難しい所だけれど、難しいからこそやりがいもあるというものだ。では、残り2名。がんばってくれたまえ。どちらが生き残るのか今から楽しみで仕方がない』






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