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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第八話 愚者の園
71/116

05

5.






 木々が揺れ、木葉このはが舞い落ちる。さらさらと音を立てて地面へと降り立ち、いつしかそれは腐り果てる。それがまたその木の栄養となり、再び葉となる。輪廻転生。外の世界のサーバーが無くならない限りこの輪廻は繰り返す。永遠に。


 逆説、そんな程度の弱々しい永遠でもあった。


 神様が飽きてしまえばなくなってしまう永遠。けれど、考えてみれば永遠なんてそんなものなのかもしれない。誰も彼もが永遠を願い、誰も彼もが刹那に消える。それが世界に産まれた者達の常。常若の世界などあるはずがないのだ。


 けれど、そんなあるはずのない物だからこそ、人々は求めるのだろう。


 そう思う。


「ネロ様!ひらひらしていますっ」


 陽気な声が聞こえた。


 城主となってからどれぐらい時間が経っただろう。もはや日数など数えていなかった。それと同時に元の世界へ戻ろうという気も全く無くなっていた。このままこの曖昧で弱々しい永遠の中を生きていたいと今は思っている。


 イリスが腐葉土の上を軽快に走れば、落ちた葉が宙に舞い、さらには彼女の金色の髪がふわふわと揺れる。何が楽しいのだろう。何がそんなに楽しいのだろう。僕は彼女の楽しさを理解できるほど女の子に詳しくはない。けれど、ただ少なくとも彼女が楽しそう―――相変わらずぎこちない表情だが―――なのを見ていると、僕も嬉しい。


 こんな彼女の姿を延々と見続けるのはとても幸せだ。


 木々に、深緑に覆われた空を見上げる。


 隙間から差し込む光がスポットライトのように彼女を浮かび上がらせていた。


 演劇など見た事もないのに、舞台女優のようだと思った。


「じ~。これは何なのでしょう?おもちのようです」


 しゃがみ、腐葉土の隙間から見えるキノコの傘を指で突きながら小首を傾げている。次いで周囲の葉っぱを払いのけて行き、その全貌を露わにさせて、きらん、と擬音を口にする。本当、どこで覚えたのだろう。そんな疑念と疑問を浮かべ、


「食べられると思うよ」


「……食べます!」


 言って、イリスはキノコを折らないように周囲を掘り、キノコを取り出した。


「緑色の奴がいますよ、ネロ様」


 抜いたキノコを片手に地面を指差している彼女に近づいてそこを見れば、キノコの下で冬眠していたのだろう。蛙がいた。


「これも食べられます?」


「食べたくはないね」


 残念そうに、『そうですか』と口にし、大事そうに胸の前でキノコを持つ。彼女の指先、手の平、腕、服に泥がついていた。折角僕が用意してあげたのに、そう思いながらも彼女がキノコを手にニコニコしている姿を見ていればそんな不満もいつしかなくなっていた。


「ほら、貸して」


 キノコを調理し、焚火で炙り、それを二人で食した。はふはふと口の中に入ったキノコの熱さに涙目になっている彼女が愛らしかった。


 食事ともいえない食事を終えた後は、二人で渓流を昇った。昇り切った場所。川の産まれる場所を見た。苔と植物の葉に覆い尽された岩、その陰から零れ落ちる滴。彼女はそれをしゃがんで―――これまたスカートを汚しながら―――じーっと見つめていた。まるで生命の誕生をじっと見つめている女神のようだった。


 堪能したイリスが立ち上がると同時に二人して川を下っていった。


 時折、ぬめった岩にこけそうになるイリスの手を慌てて掴み、僕まで巻き込まれて倒れた。意味も無く二人で笑った。


 滝があった。滝壺の水はとても綺麗で透き通るようだった。吸い込まれるように着衣のままにイリスがそこに入った。


 幻想的な光景だった。


 天井から注ぐ光、一面の緑、水に濡れ、さらに艶を増した金色の髪。白を基調とした薄手のワンピースから透き通るように見える肌。さながら、湖の妖精のようだった。


 そんな彼女の姿に、僕は暫し見惚れた。


 見惚れていたら、ばしゃっと顔面に水が掛った。


「イリス?」


「ささ。ネロ様も入りましょう。冷たくて気持ち良いですよ?」


 手の平で水を掬い、再び僕に水を浴びせかける。


「イリス。悪い子にはお仕置きをしないといけないんだけれど」


 笑いながらそう言った。


「私、悪い子ではありませんよ?お茶目なだけです」


 だからどこでそんな言葉を覚えたというのか。


 ハァとため息一つ吐いてから、彼女のいる滝壺へと入る。ため息なんてついていたけれど、でも、頬が緩んでいた。自分でもそれが良く分かった。


 楽しい時間だ。


 幸せな時間だ。


 二人だけの。


 とてもとても楽しい時間。


 永遠に続けば良いと思える時間。


 けれど、そんな二人だけの時間は儚く終わる。


『い……いやぁぁっ』


 悲鳴が聞こえた。






―――






 物語の主人公はなぜタイミング良く間に合う事ができるのだろう。悲劇を救いたいと常に思っているからだろうか。あるいはそういう星の下に産まれてきたからだろうか。きっと後者だろう。


 そしてそんな主人公に助けられたヒロインは主人公に惚れる。そんなありきたりでつまらない物語は世の中に数多くある。でも、つまらない物語こそが本当の幸せなのだ。何の悲劇もない物語が一番幸せなのだ。ただ、残念な事に人間は幸せな時には幸せを感じられない。不幸があるからこそ幸せを感じられる。人間は相対的にしか幸せを感じられないのだ。他者と比較して自分が幸せだと感じたり、不幸と比較して自分が幸せだと感じたり。きっと人間は悲しい生き物なのだろう。


 そんなどうでも良い事を考えていれば、その場へと辿りついた。


 息を荒くした男が女に覆いかぶさっていた。


 その女の衣装は白装束だった。右を前にした死装束だった。死を覚悟して、死のうとして、そして男に襲われたのだろうか?


 全くもって意味の無い疑問だった。


 考えるのもばからしい疑問だった。


 何を思ってその女が死装束にしているのかなんて僕に分かるはずもない。所詮、AIであるその女の思考なんて僕に理解できるはずもない。あれだけ喋るようになったイリスの思考だとて残念ながら僕は理解しきれないのだから。


 その女は悪魔だった。


 男の背中越しに見える姿形は美麗なものだった。白い髪、白い肌。まるで産まれたばかりの初雪のような艶やかさと柔らかさを持っていそうな肌だった。


 その初雪の如き肌に赤い線が入っていた。男に覆いかぶされ、そこから逃げようとした痕跡だろうか。首筋にはナイフで切られたような痕、腕には刃を通された痕。あるいは他の場所にもあるのかもしれない。そう思う。


 周囲を警戒する事もなく、男が顔をあげ、身体を起こす。


 その男は紫色をした髪の持ち主だった。背丈は僕より少し高いぐらいだろうか。やけに均整のとれた細身の体からはその男の身体が人工のものである事が分かる。間違いなくテスターだった。他の特徴といえば、下半身を露出している事ぐらいか。


 そんな男が、うひ、うひと気色悪い嗤い声を出しながら、全く動かぬ女を見下していた。


「おら、俺の子種しっかり蓄えたか?ちゃんと孕めよ。せっかく人間様が―――」


 耳に入れるのも不愉快な言葉がつらつらと男の口から産まれ出る。その言葉から察するにやっぱり僕は主人公ではないようだった。対して女の方といえば白装束の一部を赤く染めながら呆然としていた。自失していた。世界を作った神を呪うわけでもなく、ただただ人間のように虚ろな表情を浮かべていた。きっと先程の叫びが最後の自意識だったのだろう。そう思った。


 しかし、AIが自ら自失する事などあるのだろうか。そんな疑問を浮かべる。所詮悪魔なぞ『彼』が作り出したデジタルデータであり、AIなのだ。サーバー内に存在するアプリケーションがそういう風な対応をさせているだけの、ただそれだけの存在。だが、確かにその女は―――雪女のようなその悪魔は身動き一つせず、虚ろな瞳で空を見ている。まるで人間のようだった。所詮、ただのAIなのに。『彼』によって作り出された偽りの存在でしかないのに。


 偽りの存在で、意味の無い存在で……そんな風に思おうとした。


 そう思おうとした。


 けれど、もう無理だった。


「これからお前は俺が飼ってやる!子供が産まれたら俺がしっかり面倒みてやるからなぁ!喜べよ!」


 サーバーへの負荷で言えば此方の方が無駄だろう。聞くに値しない、無意味で無価値なリソース。そんなもの、ここに置いておく必要はない。この世界に置いておく理由など無い。


 音を立てずに男の背に立ち、その首筋へとナイフを下ろす。


 血が噴き出し、そのまま抵抗なく首から上がごろり、と地面に落ちた。


 飛び散った血が、白装束を赤く染める。


 白かった雪女が赤く、赤く染まって行く。


「もう少し急げば良かったね」


 彼女が人の形をしていたから、だと思う。


 彼女が人の形をしたAIの持ち主だから、だと思う。


 僕はあろうことか、同情していた。


 彼女自身に同情しているわけではない。これがもし、イリスだったら、と思うと気が気でならないだけだ。


 僕はAIに情を浮かべている。


 かれが作り出した、電子データでしかない魂のない存在(AI)に。


『やぁ、諸君……久しぶりかな。残り4名だよ。全く悲しい限りだ。ネロ君ばっかりだね。このまま残り3名もネロ君に殺されるのかな?どうなる事やら。最後まで楽しみにしているよ』


 僕の心情を図ったかのように『彼』が世界に告げる。久しぶりの『彼』の声だった。淡々とした口調だったのは僕ばかりが殺す所為で飽きてきたとかだろうか。


 『彼』がこの状態に飽きて、この世界を0にするという事はあるのだろうか。


 ボタン一つでどうにかなる世界。さながら、海辺に作られた砂上の世界。『彼』の気分次第でどうにかなってしまう世界。


 『彼』には飽きないでいてほしい、そう願う。


 それは、僕にしては珍しく真摯な、神への祈りだった。


「君も来るかい?」


 呆然と天上を見続ける雪女に声を掛ける。


 暫く待っても答えはなかった。


 けれど、僅かに雪女の指先が動いた様な気がした。


 だから、僕はその雪女を背に担いで、イリスの待つ滝へと向かった。


 背から伝わる彼女の冷たさ。人でなしの証拠だった。それを背に感じながら木々の隙間を抜け、流れる水の音を頼りに元の場所へと戻っていく。


 AGIをあげていようと女を一人背に背負っている状況ではそれも十全に機能せず、思うように早く進めなかった。早くイリスに会いたい。心だけが逸る状態に少しばかり苛立ちながら、滝へと向かった。


 木々の隙間、青い水が天から地へと伝うその場所に、しかし―――イリスはいなかった。






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