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2.
「ありがと」
「他に用はないかな?」
「あるよ」
言葉と共に肉の感触が腕に伝わってくる。例えばそれは弾力性のある肉に包丁を入れた時のような、あるいは魚の頭部に刃を入れて切り落とす時のような、そんな少しの反発に逆らって刃をめり込ませた時の感触だった。
ぷしゃっと刃と肉の隙間から0と1で出来たデジタルな血が産み出される。暑さ対策とも思えない薄手の白いブラウスが切り裂かれ、赤く染まって行く。そう。神様に作られた魂のない人形から流れるその血は、人間と同じく赤かった。あるいは静脈に刃を突き立てていれば赤黒い血になったのだろうか。流石の『彼』もそんな所までは実装していないのではないだろうか。どちらにせよ、どうでも良い事だった。
「お……おきゃく……」
「ふぅん。なるほど、さっきより刺しやすいね」
スキルを教えてくれるNPC。そのNPCに教えてもらったパッシブスキル。ナイフ攻撃力×1.2倍というもの。本来ならば、そのスキルを覚えるためには何度も何度もナイフで悪魔にとどめを刺す必要があるらしい―――このNPC談―――が、αテストと言う事でNPCに話しかければ特に何のデメリットもなく覚えられる。
そのお礼に、このNPCにはこうして僕の経験値になって貰っているわけである。
「だれか……助け……て……」
NPCを助ける奴なんているはずもないのに煩いな、と思いながら刃をねじる。
瞬間、NPCが悲鳴をあげる。
本当に良く出来た人形だった。
紛い物の痛みに紛い物の感情。ゆりかごから墓場までその全てが神様に作られた紛い物。何の価値もない、サーバーの電源を落とせば消えてしまう泡沫の存在。あるいは絶縁体に隔離された0と1だけの電子データ。
0と1の配列を並べ変えればそれだけで違う存在になってしまう泡沫の存在に経験値以上の価値なんてあるだろうか。あるはずがない。
「さっさと経験値になってよ。もうちょっとでレベルがあがるんだよ」
腹に突き刺していたナイフに力を入れて捩じる。腹の肉を切り裂きながら心臓を経由して乳房へと向かう。あぁ、そういえば女NPCだったというのをそこで初めて思い出した。赤く染まった薄手のブラウスに、エレベーターガールのようなタイトなスカートを履いた女だった。非現実的な容貌と非現実的な体型の女だった。逃れるように、僕を押し返そうと手を伸ばす。けれど、その行為が尚更にNPCの服を赤く染めていく。次第、その手から伝わる力も弱くなっていく。結果、その柔らかそうな偽物の乳房にナイフが到達する前にNPCは経験値となった。
そして、予想通り、間抜けなファンファーレの音と共にレベルがあがった。
勢いをつけてナイフを引き抜けば、その反動で女NPCの死体は地に落ちた。いずれスカベンジャーが掃除してくれる事だろう。呆とその女を見下ろしながら、ステータスの内、VITとAGIに振り分ける。
VITはHPが増える。HPが増えれば痛みも少なく怪我も小さくなる事を知った。そしてAGIは速度に関するもの。攻撃を避けるには高いに越したことはない。1つ前のレベルがあがったときはSTRとVITに振っている。結果、VIT>STR=AGIというステータス配分。生存を考えればこれが一番妥当だろう。そう思ってそういうステータスにしていた。
ナイフをひと振り、付いた血を落とせば、ぴっと地面に赤い線が産まれた。そんな事をしなくてもストレージ内に格納すれば血が消える以上、あまり意味のある行為ではないけれど気分的なものだった。
「これで3体目」
ナイフをベルトにさして一息吐く。
テストのために用意されたスキルを覚えるためのNPCは東京の環状線各駅に配置されているようだった。これで3駅目であり、3体目。このNPCからはナイフの攻撃力が上がるスキルをもらった。それより前に出会った2体からは銃の攻撃力があがるもの、移動速度があがるものを教えてもらった。
環状線の駅は残り26駅。すなわち、他に26スキルがあるという事だ。あるいは重複する物もあるのかもしれないが、ともあれ、それら全てを覚えられれば他のαテスターに対するアドヴァンテージになる事だろう。もっとも、流石にそう簡単に行くとは思っていなかった。僕の様にスキルを覚えては他のテスターにスキルを覚えさせたくないがためにNPCを殺している奴もいるはずだ。
それにしても一体どれだけのαテスターがいるのだろうか。10だろうか。20だろうか。流石に100はいないと思う。『彼』にとっての本番は間違いなくテスト後の製品版であり、これはあくまでテスト。αテストの段階ではそこまで大仰な事はしないはずだ。現段階で既に大仰といえば大仰といえるかもしれないが、日本の全人口からたかだか10人程度が行方不明になった所で大した問題にはならない。精々地方新聞にどこどこの誰々が行方不明になったと出るぐらいだろう。勿論、あくまでその程度ならば、だが。いくら『彼』が優秀であろうとも参加者が多くなれば多くなるほど世間にばれる可能性は高まる。そして、だからこそαテストは少ない人数で行っていると思う。僕はその限界数を20名程度だと考えている。
そして、その20名程度のαテスターはその全てが『彼』の知り合いだろう。
友人、知人をこんな場で過ごさせる『彼』の考えなんて僕は理解できない。けれど、僕はこのゲームではないゲームに乗った。参加しているテスターその全てを殺して現実へと帰り、『彼』には僕をこんな最低なゲームに参加させた報いを受けて貰う。僕を本気にさせた事を後悔させてやるのだ。
そのためにも―――『彼』のシステムに従うのは業腹だが―――、今はレベルをあげる必要がある。目に入る悪魔、NPC、その全てを殺しながら僕は他のテスターを探していた。
『彼』があの宣言を行ってから数日。
未だ他のテスターとは遭遇していない。
東京1都市といえど広い。それが故に未だ誰にも会えていないのが実情だった。
目に入るのはNPCと悪魔だけ。それが幸いなのか、そうではないのかは今のところ僕には分からない。ただ、僕ほど悪魔やNPCを殺しているテスターは他にいないんじゃないかと思っている。
とはいえ、
「……とりあえず、沿線全部周るか」
スキルが存在するだけで攻撃力や行動速度がステータス以上になるのだ。絶大なるアドヴァンテージだ。それを見逃すテスターなどいないだろう。レベルを上げる前に急いでスキルを覚えてしまおうと考えている奴もいるに違いない。
故に。
沿線を巡っていればテスターに会う可能性は高い。
折れ曲がった線路を歩く。
昔、汽車に轢かれて女性が死ぬ映画を見た。少年達が線路の上を歩いている映画を見た。線路で踊る女性がいる映画を見た。どれも古い映画で、数世代前の映画だった。その内一つは白黒映画。凄く昔に作られた名作小説を映画化したもの。男女の浮気が題材だったかな。少年達が線路を歩いている映画は死体探しの旅、女性が踊る映画は人を殺して逃げている話。確かやるせない話だったと思う。
そんな取りとめも無い過去の記憶を思い出しながら線路の上を歩く。
照らす陽光が相変わらず眩しい。季節設定は夏だろうか。汗を掻かないという非現実感があり難くも不愉快だった。体温を調整するための発汗機能がない以上、この陽の強さにのぼせてしまうかもしれない。自然、HPバーへと視線を向けてしまう。特に変動が無い事にほっとする。日光の下で歩いていたら死ぬなんて事は流石にないようだった。その事に安心する。
もっとも、日光とは関係なしにただ歩いているだけでは死んでしまうのがこの世界のルールだった。
お腹が空いて来た。
0と1という霞のようなデジタルデータを食すことに現実的な意味なんてない。寧ろ専用筐体に入れられたままの僕達のその辺に関してはどうなんだろうと少し疑問を浮かべる。考えた所で分かるはずもないが……ともあれ、この出来そこないのゲームの法律に縛られている以上、食べないわけにもいかない。
仮想ストレージからおにぎりを一つ取り出す。
コンビニ強盗をして手に入れたものだった。
少年のような、僕とそう大差のない年齢の男が店員をしているコンビニだった。いらっしゃいませと笑顔を浮かべるその店員に向かってナイフを突き刺し、経験値にしてからコンビニ内にある食糧を手に入れた。他にも弾丸、薬、服を手に入れた。
弾丸は売っている癖に銃がないというのは片手落ちだと思いながらそこにあったもの全てを手に入れた。スキルNPCと同じくコンビニを見掛けては同じ事を繰り返した御蔭で仮想ストレージはほぼほぼ満タンになっていた。満タンだからといって別に困っているわけではない。食糧は消耗品だし、武器や服は他に良い物が手に入って邪魔になれば捨てれば良いだけの話だ。
「武器……武器……ねぇ」
警察署とか自衛隊基地にでも行けば近代兵器でも手に入るのだろうか。現状の攻撃手段はナイフだけ。これでは遠距離攻撃をされたら簡単に殺される。拳銃なんて扱った事もないし、まともに使える自信もないけれど、早めに遠距離攻撃用武器は手に入れるべきだ。
どうせ次の駅から近い所に警視庁もあることだし、スキルを手に入れた後に行ってみるのも良いだろう。実際にその場にあるかどうかは分からないが、それこそ行ってみなければわからない。あぁ、そういえば、『?』マークをした電波塔に登るなんて滑稽な事を考えていたな……今となってはそんな所に行く気も失せていた。今そんな事をしている暇なんて僕には無い。生き残るためのレベルあげと武器探しとスキル集めが最優先事項。
砕石で作られたバラストをじゃりじゃりと鳴らしながら線路際を歩く。
そういえば次の駅の近くに議事堂や皇居もある。日本列島を舞台にしているのだ。著名な建物には何某かのイベントがあってもおかしくはない。『彼』の性格を考えればそういう用意ぐらいはしているだろう。イベントをこなせば良い物が手に入るに違いない。
そうと決まれば、と少し足早に僕は次の駅へと向かう。
途中幾度か悪魔に襲われたり、街中を散歩しているNPCを殺したりしながら陽が沈みかけた頃だった。
駅に到着した。
そして、同時に頭上に名前の無いNPC……いや、テスターを発見した。
駅舎の壁を背に、腰を下ろし、膝を立てそれを両手で囲いながら……蹲っていた。
僕と同い年ぐらいの若い女の子だった。
俯いている御蔭で顔は見えなかったが、蹲るその体、その作り出す曲線はこれでもかという程に女らしさを表現していた。スキルNPCと同じく非現実的な、といえば良いだろうか?或いは二次元的といえば良いだろうか。そんな女の子だった。青み掛った長髪が尚更それを助長させる。折角のVRMMOである。自分ではない何かになるために、変身願望を叶えるためにそんな形にしたのだろう。僕だって身長を少しばかり伸ばしているわけだし。
ナイフを後ろ手にその女へと近づく。
かつかつとアスファルトの鳴る音に女がはっとして顔をあげ、僕を見る。
「あ……よか……よかった。……怖かった」
言葉に詰まりながら、そう告げる少女の表情には一面の喜び。
悪魔蔓延る廃墟の中、同じ境遇に落とされた者がいる。そんな同族意識だろうか。僕がテスターを殺そうと思っているとは微塵も思っていないかのように、いいや、僕を含めたαテスターが『彼』の言葉に従い人を殺すとは微塵も思っていないかのように、無警戒に少女は笑みを浮かべている。さらにはゆっくりとふらふらとしながらも立ち上がり、僕へと近づいてくる。
立ち上がった少女の背は僕よりも少し高いぐらいだった。ブーツの底は1、2cmぐらいのものだ。背が高い設定にしたのだろう。藍色のミニスカートから伸びる足は長くモデルようにさえ思えた。健康的な太ももをこれでもかと露出したそれは青少年なら食い入るように見てしまうだろう。いいや、それよりも上半身か或いは顔の方か。これ見よがしに乳房を強調する服。それの作り出す曲線はベジェ曲線、スプライン、クロソイドなんでも良いが、とにかくそういった数学的に作られた滑らかで柔らかそうな曲線を描いていた。顔の方は端正な、美少女と言って良い程。ピジョンブラッドの瞳もまたそれを助長する。ともかく、そんな作り上げられた美少女だった。
「あの、わ、わたし……」
「聞く必要はないね」
柔らかそうな曲線を切断するようにその腹にナイフを突き立てる。
「え……」
「作った笑顔が気色悪いよ」
数時間前に殺したスキルNPCと同じ様に腹に刺したナイフをぐるりと回し、乳房の方へとナイフを移動させる。今度は早々に乳房の下までナイフが届いた。
「あぐ……な、なんで……」
「そういうゲームだろう?一人寂しく蹲っていた可哀そうな私を守ってとでも言いたかった?可愛い私を守って?それとも可愛い私に見惚れている間に殺してあげる、かな?……寧ろそっちかな。だって、君―――硝煙臭いんだよ」
喫煙者が自分の匂いを理解できないように。彼女は自分の体臭を理解していなかった。彼女の体からは硝煙の臭いが漂っていた。この世界に匂いというものが実装されていなければ、もしかすると僕は彼女に言いように使われていたかもしれない。そんな風に思えるぐらいに彼女は美麗で非現実的だった。気付かなければ男としての本能に負けていたかもしれない。互いに殺し合わないといけない殺戮ゲームの中でそれでも美少女を守る騎士。いつか奇跡が起きて2人で現実世界へ帰られると信じてそんな馬鹿な行動をしたかもしれない。男と言うのはそういう単純な生物だから。
「それとさ。君、スキルNPCを殺しただろ?」
駅舎前にいるはずのNPCがいない、という事はそういう事だ。誰かが殺さない限り『彼』から役割を与えられたNPCがいなくなるはずがない。しかも……その死体がないという事は相当時間が経過している事の証左でもあった。
「っ!ぁが……ぐっ」
ナイフを抉り込みながら女が逃げ出さないように女の左腕を引っ張る。僕の胸元に彼女が包まれる。一瞬、柔らかい感触に騙されそうになり、刹那、髪に付いた硝煙の匂いに現実を知る。その体勢のまま、さらに彼女の心臓辺りをぐり、ぐりと抉る。
傍から見れば抱き合って嫌がる彼女の乳房を揉んでいるようにも見えるだろう。
生憎と嬌声ではなく悲鳴しか出て来ていないし、分泌液ではなく真っ赤な血しか出て来ていないわけで艶っぽさは皆無だった。そんなどうでも良い戯言を浮かべながら彼女のHPを削って行く。
「人を騙そうとした……いいや、僕を騙そうとした罰はしっかり受けようね」
思ってもいない事を口に出しながら彼女のHPを更に削って行く。痛みに耐えかねて暴れてはいるものの抵抗らしき抵抗はない。もはや死に体で僕の体に体重を預けている。流石にこうしていれば傍から見ても仲睦ましい恋人同士に見えるだろうか。まぁ、硝煙臭い女なんてこちらから願い下げだけれども。
もはやHPの殆どを失ったのだろう。意識を失いかけている彼女の腕を掴んでいた手を離し、代わりにその手で彼女の服をまさぐる。別段性的欲求が高まって来たわけではなく、彼女が使っていたであろう拳銃を探しているだけだ。背中、尻、スカートの中と手で探っていれば案の定というか予想通り、ミニスカートの内側にそれを見つけた。小さな拳銃だった。護身用の小さな、名前も分からない銃。それが太ももに付いたベルトに隠されていた。
それを抜き取り、力なく僕の肩に置いた頭へと接触させる。
「これで一人」
ぱぁんという軽い音が辺りに響いた。
『アナウンスだよ、諸君。残念な発表だ。テスターが一人殺された。これで残り9名。最初の殺人にはもう少し時間が掛るかと思ったが、残念。とてもとても残念だ。さて、今回はテストなのでしっかりと公表するとしようか。犯人の名はネロ。暴君の名に相応しい行動だ。テスター諸君。これで殺人を是とする者が現れたわけだ。……これから先、大変だと思うががんばってくれたまえ』




