01:プロローグ
「死んでいい人間なんていません」
「この惨状を見てもまだそれを言えるのかい?この惨たらしく切断された少女の姿を見ても」
「えぇ、決して」
「なるほど。仮に今死んだこの画面に映っている―――そうこの子だ。この少女が君の妹で、それを殺した相手は通りすがりの君とは何の関係もない、ただただ人殺しをしたかった人間だとしても、死んで良いとは思わないかい?」
「っ……それでも罪を償って欲しいと願います。死を望まれる人間がいたとしても、死んで良い人間なんていません。……だからこそ、私は今この場にいるのです。勿論、貴方のことも、ですよ」
「なるほど。例え何の理由なく何の感慨もなく人を殺すような人でなしであったとしても、他者には理解できない頭の悪い理由で人を殺すような人間であっても、君にとっては死んで欲しくはない、と。素晴らしい考えだ。人間は格も素晴らしき存在である、と。しかし、罪とは所詮、人間社会が作り上げた自己嫌悪の類だよ。それを嫌悪しない人間にとって罪など存在しない。法というルールがあるからこそそれを破る事によって自己嫌悪が産まれる。それが罪だ。ルールに縛られない人間など動物と何も変わらない。この彼にとっては殺人などそれこそそこらの羽蟲を殺した程度の認識でしかないさ。あぁ、羽蟲よりは経験値があるか。ともあれ、だ。それでもなお、罪を償って欲しいと君は思うのかね?」
「例えどんな人間であっても、人はやり直せます。罪を認め、罪を悔い、罪を償って生きてほしいと思います。殺された少女のためにも。いいえ、その少女の事だけではありません。今まで彼に殺された人達のためにも」
「とても綺麗な台詞だ。耳触りの良い素敵な言葉だ。とはいえ、こんな蟲の様な生物相手になぜそんな風に言えるか、私にはさっぱり分からない」
「貴方には分かりませんよ。こんな狂ったゲームを作り上げる人になんか」
「なるほど。で、だね。……今の話は事実なんだよ、君」
「えっ……」
「私にも妹がいるんだが、あんなふうに四肢切断された挙句頭を撃ち抜かれるなんて惨たらしく殺されたら、君みたいな綺麗な台詞は吐けないだろうね。私は下手人を殺したいほど憎んで、そして殺すだろう」
「うそ……よね……?」
「漸く素顔が見えてきたね、君。人の生き死に価値などないよ。何も思わない殺人鬼にとっては人の命など芥以下だ。あるいは傭兵にとっては命など金でしかない。紛争中の国にでも行って紛争相手の罪を許しましょう、と言ってみると良い。そもそも罪だと思っていないからお話しにならないと言う話だよ。汝隣人を愛せと主が言った所で愛せないのが人間だ。まぁ、この国の人間にとって命は地球より重いかもしれないがね。ところで君は命が地球より重いという言葉、どう思う?私は宗教だと思っているのだけれどね。地球を語る時だけ生物のように語るだなんて塵芥に悪いと思わないのかね?……あぁ、どうしたんだい?名前も知らない君?」
「なんで……なんであの娘が……」
「所詮、デジタルデータだ。君の言う所の人間ではない。ただ、君の妹は確かに今この瞬間に死んだ。折角ここまで来られたのに残念だ。直接の死因は機械の方だが、起因は彼だ。さぁ、この彼に、存在しない罪を認めさせ、償わせられるものなら、がんばってくれたまえ。私は君の行動を決して否定しない。ここまで来られた報酬だよ。―――君の途中参加を認めよう。さて、どうする?」
1.
見渡す限りの廃墟を見て感動した。
陽光に熱され香り立つアスファルトの匂い。鼻腔を擽るその匂いを感じていれば、ここは本当に現実ではないのか?と疑問に思うほどだった。流れる雲の早さ、照り付ける陽光の熱さもまた現実感を助長する。精々現実との違いといえば、これだけ熱くても汗を掻かないと言う事ぐらいだろう。
「―――本当、凄いものを作ったよね」
ここにはいない『彼』に向かって口にする。
その言葉が『彼』に届くことはない。『彼』へ言葉を伝えたい場合には専用のNPCに声を掛ける必要がある。この世界に入る前に『彼』がそう言っていた。この世界に入り込んで欲しい、のめり込んで欲しいと『彼』は言っていた。だからこそ、そういうメタな行為は控えて欲しいと言っていた。不具合がある場合には仕方ないけれど、それ以外には極力接触は避けて欲しいとも言っていた。もっとも、僕もその意見には賛成だった。この世界を堪能するためにも『彼』という神の存在を感じたくはなかった。
『彼』が作ったというVRMMO。
そのαテストの場に僕はいた。
数週間前の事である。数年ぶりに『彼』から連絡があり、VRMMOを作った事を聞いた。一人で作り上げたという彼の言葉に驚くと共に『彼』の天才性に懐かしさを感じていれば、そのテストに付き合って欲しいと誘われた。結果、僕は二つ返事でこの場にいる。
つい先程、『彼』とテスト項目に関して話をして、その後に専用筐体を使ってこの世界に入って、入った瞬間、感動した。
崩れ落ちたビル群にランドマーク、荒廃した公園。戦火で焼けた都市とはまた違う。人間のいなくなった後の世界、風化していった世界と言った方が正しいだろう。きっと、人間がいなくなったらこんな世界になるのだろうと、そう思った。普段はとても煩い東京が酷く静かだった。
照らす青さ、流れる風、そこに懐かしい匂いを感じた。小学校の夏休みに友達とプールへ行こうと約束した日の、冷房に冷やされた家を出た瞬間に感じるむっとした空気と、そこに香る夏の匂い。それを思い出した。
自然と頬が緩む。
やはり『彼』は天才だ。たった一人でこんな世界を作り上げるのだから。
少しなりと『彼』の事を知る僕からすれば、『彼』はきっと自分の為の世界を作りたかったのだろう。『彼』自身が現実世界で体験できなかったことも、この世界なら行う事ができる。そのためだけに作ったんじゃないのかと僕は思った。例えば、『彼』がその妹と一緒に遊ぶという事。それも現実の『彼』には叶えられない事だった。そんな他愛のない願いを叶えるためにこの世界を作ったのではないだろうか。そんな事を考えていれば、ふいに『彼』の妹を思い出す。顔はあまり覚えていないが、年不相応に大人びた顔立ちをしていたように思う。今頃は大層な美人になって周囲から声を掛けられている事だろう。もっとも、掛けられた声にすげなく応えるのも容易に想像が出来たが……。数年前に会ったきりだけれど、今でもそういう所は変わらないだろう。まぁ、どうせ帰り際には顔を見る事になるだろうからその時にでも確認すれば良い話だ。ほんの少し楽しみだった。
その兄である『彼』。
『彼』は客観的に見れば不幸な人間だと思う。
確かに類まれな才能を有している。しかし……いや、彼の事は良いか。
視界に映るHPバー、手を捻るように動かせば表示されるステータス画面や仮想ストレージ内のアイテム、それらを確認しながら僕は再び周囲を見渡す。
現実にこの場所にいるような感覚。VRMMO自体は別に真新しい技術ではない。最近では体感型ムービーという物も出始めている。自分が映画の主人公と同じ視点に立ってオートパイロットで動くというもの。映画の中に入れたら良いのに、あるいは二次元の世界に入れたら良いのにという幻想を現実にした技術。わりと最近になって産まれた技術だが、その技術の発展は日進月歩である。皆、空想の世界に行きたいのだ。あるいは死に際の方々にとっては痛みなく過ごすために……クオリティオブライフ用に使いたいのかもしれない。確かに医療系の技術者がVR技術に手を出しめた頃からの技術の発展速度は異常な程だ。彼らには金がある。故に投資も相当なものだ。そしてだからこそ、VRMMOといっても特に目新しいものではない。ありふれていると言っても良い。
けれど、この世界はそんな技術の粋に加えて……現在までに開発されていない『匂い』というものを取り入れられている点が凄まじい。仮想世界がより現実へと近づいたといっても良いだろう。そんなものを開発できる『彼』の有能さに嫉妬心を覚えずにはいられないが、羨ましいと思う事はなかった。僕は、少なくとも僕は『彼』になりたいと思った事など一度たりともない。あぁ、いやまぁ、『彼』自身の事はさておこう。
そんな素晴らしい技術をゲームのために使うというのは聊かどうかとは思うが、開発者が『彼』なので仕方がない。
「きっとこれも『彼』が作ったんだよね」
周囲に立つ……というと語弊がある。倒壊した建物。その立体データを作成したのは『彼』だ。『彼』はそういうのが得意なのだ。昔、3Dモデルを作っている所を見せてもらった事があるが、その時は本気で『彼』の頭の中を覗きたいと思った。3次元世界に生きる3次元人であるところの人間は3次元を3次元として認識する事はできない。人間はそれ以下の次元……2次元を自由にする能力を有している。けれど、例えば建物の表面を見てその裏側がどうなっているかを知るためには、裏に周るしかない。裏に周って2次元的に把握するしかない。それが普通の人間だ。当たり前の人間だ。けれど、『彼』にはそれが見えているように僕は感じた。
極めて有能であり、極めて異常。
「あぁいや、もう……『彼』の事は良い」
再三だった。口に出して『彼』の事を今度こそ脳内から排除する。
折角のゲームである。『彼』の陰気な顔を思い浮かべながらプレイするなどもってのほかだ。とはいえ、テスターであるのは確かなので……と『彼』からの指示を思い出す。
「PvP機能を試したいからNPCとテスター全員を殺せ、か……」
僕と同じ様に『彼』に誘われてテストに参加している人がいる。それぞれテスト項目は違うらしい。らしい、と曖昧になるのは、『彼』が他の人達に何のテストをお願いしているのかを教えてくれなかったからに過ぎない。それ以前に他のテスターがどんな人なのかも僕は知らないのである。まぁ、知ったからといってどうという事はないのだけれども……。とにかく、僕に与えられたテスト項目はそれだった。
どういった手順で、どういった方法で殺すのも構わない。それが終わるまでは好きにしてくれて構わないという話だった。しいて条件として上げられた事といえば30日間。一ヶ月でお願いするというものだった。それ以降は普通に不具合探しをしてくれとの事だった。勿論、報酬……バイト代も出る。一日8時間労働として240時間。その間ずっとゲームの世界に没頭していれば良いだけ、という僕からするととても楽な仕事だった。こんな事で報酬を得ても良いのか?と感じるほどに。
「さしあたって……」
とりあえず、テスターとNPCを探しに行く事にしよう。
『彼』に聞いた話では、駅舎にはスキルを覚えることのできるNPCがいる。αテスト用に用意しておいたと言っていた。まずはそのNPCからスキルを教えて貰って……試しにそのNPCを殺してみるとしよう。
「どうせなら最初から覚えさせておけば良いのに……」
無駄な手間を掛けさせる。
『彼』に向かって悪態を吐きながら、ゲーム開始地点から駅舎へと向かう。確か『彼』への連絡用NPCも駅舎にいるはずだと言っていたので文句の一つでも言っておくとしようか。
けれど、まぁ、それまではこの世界にのめり込むとしよう。
観光がてらにゆっくりと街を歩く。
廃墟、廃墟、廃墟、廃墟。
食傷気味になるほどの廃墟。『彼』が手ずから作った3Dモデルの出来栄えに感嘆しながら歩く。
「最終的には日本列島全部を作るのかな」
日本全国には大小合わせて何億、何千億あるいはそれ以上の建物がある。具体的な数字は知らないけれど、それを全部手で作るのは無理がある。いくら『彼』に能力があろうと数の暴力には敵わない。今はまだ範囲が狭い―――といっても東京全てをモデル化しているみたいだから1日2日で全部周れるような範囲ではないが―――ので彼一人でも何とかなっているのだろうけれど、今後を考えると建物や公園といった施設を自動でモデリングするツールでも用意するのだろう。
そんなどうでも良い心配を浮かべつつ更に歩く。
暫く歩けば遠目に電波塔が見えた。塔の半ばから折れ曲がって『?』マークを描いている姿に苦笑する。『彼』の趣味だろう。青空をキャンバスに『?』マークを描きたかったに違いない。そんな『?』マークな塔でも途中までなら、昇れるのだろうか?駅舎でNPCを殺したら、その後に昇ってみるのも良い。
今後の予定をそうやって立てていれば、ざり、と道路を削るような音が響いた。同時に獣の匂いのようなものが鼻腔を擽る。
「悪魔か……」
倒せば経験値が得られ、ドロップアイテムを回収する事ができる所謂モンスターという奴だった。これの造詣も『彼』が行ったのだろうか。まったくもって多芸である。そして、その行動原理もまた『彼』によって作られたのだろう---そも、『彼』は一人で作ったと言っていたので当然だけれども―――。AIに従って動く悪魔。AIに従って動くという意味では攻撃してくるNPCという扱いかな。さて、どんなAI行動を見せるのやら。少しの楽しさと共に悪魔に正面から向き合う。
これが最初の戦闘だ。気を引き締めていくとしよう。最初の悪魔で殺されるなんてバランスの悪いゲームというわけでもないだろうけれど……
「全く……『彼』も性格が悪い」
楽しみを隠せぬ笑顔のままに、しかし、悪態を吐きながらその悪魔に目を向ける。
グールと呼べば良いだろうか。ゾンビと言えば良いだろうか。その手の知識がない人間にとってはどちらも同じ様なものだろう。事実、僕にとってはどちらでも良かった。人間のようでそうではないモンスターである、という事さえ分かればそれで十分だった。
顔の半分には爛れた肉の張り付いた骨があり、もう半分は腐敗していた。上半身は所々に穴が空き、向う側が見えている。下半身は骨だったり肉だったり。特徴的というか目を引く場所と言えば、生殖器が半ば落ちかけている事だろうか。
そんな所までモデル化している『彼』の馬鹿さ加減に苦笑する。
「これじゃレーティングはR18にしないと駄目だよね。……あとで報告しよっと」
地面に肉を垂れ流し、黒い染みを作りながら僕に迫ってくるその人型のモンスター。さて、どうしようかと考えるのも数瞬。
初期装備のナイフを手に取る。
コンバットナイフ。
刃渡りは13cm程だろうか。確かその辺りの長さが銃刀法違反で捕まるかどうかの境目だったかな、とどうでも良い事を思いながら近づいてくるゾンビに向かう。
この世界で初めて走った。
それ故に、現実世界との体躯の差異にこけそうになった。身長を微妙に伸ばしていた事が仇となった。丁度ゾンビの手前で足が地面にとられ、身体の中心線がぶれ、膝が折れ曲がった。
「あ……」
と思った瞬間、ゾンビのぬめっとした感じの腕が僕の頭を薙いだ。
「っぁ……かはっ」
黒い髪が飛び散っているのが視界に映った。けれど、そんな事を気にしている余裕なんてなかった。意識が刈り取られる程の痛みに、全身が痛みに対し拒絶反応を示しているかのように身体の奥が震え、身動きが取れなくなった。
何があった。
何が起こった。
訳が分からない。
普通、VRMMOで痛みなど……感じるわけがない。でも、気の所為なんかじゃなかった。現に今もゾンビは僕の……傾いた身体を足蹴にしている。腐った足に腹を押しつぶされ、呼吸ができなかった。いや、この世界で呼吸などに意味なんてない。ないのならば大丈夫だ、なんて事を思う間もなく……いやだ、いやだ。痛い。痛い。訳が分からない。なぜこんな苦しいだ。所詮ゲームなのに、なぜこんな痛みが襲ってくるというのだ。何が、何が。
「ひっ」
先程までただの3Dポリゴンだと思っていたそれの顔が痛みに揺らぐ視界に映る。嗤っていた。怖気が走る。逃げよう。恥も外聞もない。逃げたい。こんな化け物を相手に人間がどうこうできるはずもないんだ。だから、逃げよう。
背を向け、手を伸ばし、地面に爪を掛けて前へ、前へと逃げようとする。けれど、逸るのは心ばかりで、身体は全く動かない。変わらず僕は腐った足に踏まれたまま、背を向ける事すらできていない。
ゾンビの顔が僕に迫って来る。足で僕の腹を踏みつけながら、身体からごきごきと鈍い音を立てて、数多ある己が骨を折りながら……腰を一回転捻り、背骨を折りながら背面から顔が降りて来る。
人間では決してあり得ないその動きと格好……恐怖に頬が引き攣った。
喰われる。
殺される。
ここは仮想現実。死んだといっても所詮ゲームだ。だから大丈夫……だなんて思えない。この恐怖を覚えたまま復活したとしても心が死んでしまう。一度死んだキャラが生き返るなんて物語はいくらでもある。けれど、いつだって死んだキャラは死んだ瞬間を覚えていない。けれど、そんな事あるわけないじゃないか。死んだんだ。死ぬほど痛かったり死ぬほど怖かったりした事を覚えて生き返るなんて、そんな事したら生き返った瞬間その記憶に殺される。
嫌だ。
ここで死んだら僕は一生死んだままだ。例えこのまま現実に帰ったとしても僕は死んだままになる。それこそ目の前のゾンビのように死んだまま生きる事になる。
嫌だった。
微かに視界に映る残り僅かなHPバーがさらに減って行く。痛みと共にバーが減って行く。後少し、後少しでこの痛みを心に植え付けられながら死んでいくのだ。
嫌だ。
それだけは絶対にっ。
「うわぁぁぁぁぁっ!」
絶叫。
自分の物とは思えない程、醜い叫びだった。だらしなく、ただただ恐怖に怯えながら発した断末魔にも似た叫び。涙が流せるのならば、鼻水が流せるのなら、涎が垂らせるのならばその全てを流していただろう。そんな醜い叫びだった。
ゾンビの足の下で、近づく顔の下で僕は暴れる。死にたくないと、死にたくないと願いながら僕は暴れ出す。けれど、それでもゾンビは僕を逃がさない。逃がすことはない。寧ろ、その腐った表情からは愉悦が見てとれた。
泣きたくなった。
僕がどれだけ足掻こうと逃げる事はできない。
「いや……だ」
ゾンビに首筋を噛まれ、声すらもう出ない。
ぐじゅ、ぐじゅと首を噛まれる音が脳裏に響く。
それと同時に―――
「あ……」
からん。
そんな軽い音が耳に響いた。
次の瞬間、眩い閃光と爆発音が廃墟に響く。元より静かだったそこにとっては轟音といっても良いぐらいだった。
小さな炎と小さな光だった。
それがあっという間に消えたと同時に先程まで感じていた圧迫感が無くなっていた。
下敷きになったまま暴れた結果、たまたまズボンのベルトに装備していた初期装備の手榴弾。それが爆発してゾンビを吹き飛ばしてくれたのだ。かなり攻撃力は低かったみたいで、幸いにして僕のダメージは殆どなかった。熱風が身体を焼くぐらいだ。けれど、直撃だったゾンビの方はそうではなかったようだ。小さくとも爆弾だった。
「……よくも。よくも。よくも」
立ち上がり、爆発によって飛ばされたゾンビの下へと向かう。
そして見下ろす。
背中側に半分に折られた体躯。頭のひざ裏がくっついているような奇怪なその体躯。その全身が焼け焦げていた。欠けている部分もあった。そんな状態のゾンビの腹にコンバットブーツを履いた足を下ろす。
ぼきり、と鳴りゾンビが慌てるように身体をくねらせる。気色悪かった。
「良くも僕を足蹴にしてくれたよねぇっ!」
叫びながら腹を、足を、頭を踏んで行く。壊れてしまえと願いながら、恐怖を晴らすように、恨みを晴らすように。何度も、何度も。
「ふざけるなよ……」
ゾンビの顔面を踏みつぶし、ゾンビが死んだ事を確認していれば、ふつふつとこんな不愉快なものを作った『彼』への憎しみが沸いてくる。
痛みがあるだなんて話は聞いていなかった。いいや、聞くまでも無い事だと思っていた。VRMMOで痛覚を与えるなんて聞いた事も無い。
VRMMO依存症なる病気があるのは知っている。軽い所ではVRMMOが誕生する以前からも存在した症状。タブレット式PCの使い過ぎで現実世界でも空中を無意識にタップしてしまうとかである。酷い人の場合には、あまりに精緻なVRMMOを長時間プレイしていると現実と虚構の世界の区別が付かなくなる。社会問題にもなった程有名なそれがVRMMO依存症だ。それらへの対処として、万全ではないが、VRMMO内では痛みがないようにしたり、食べ物にしても味がなかったりするという処理をしている。ここが現実ではないのだと知らしめるために。
にもかかわらず。
にもかかわらず。
この世界には痛みも匂いもある。
限りなく現実に近い。現実との差異は汗を掻かないぐらいだ。涙を流せないぐらいだ。
「何を考えているんだよ……こんなのゲームなんかじゃない」
自然回復によって徐々にHPバーが回復していく。それと同時に首筋の噛まれた後や腹を蹴られた痛みは消えて行く。だが、痛めつけられた記憶だけは残ったまま。
こんな事は許されない。
そうやって『彼』の行いに憤っていた時だった。
世界に神の言葉が響き渡った。
『さて、テスター諸君。ゲーム世界を堪能して頂いている所を失礼するよ。言い忘れていた事があってね。本テストはαであり、それ故に未実装な項目が大量にある。その内の一つが私への連絡用NPCだ。申し訳ないね。それと、これが一番君達にとって大事かもしれないが……ログアウト機能だ。残念ながらこの世界にはログアウト機能は存在しない。あぁ、出られないというわけではないから安心してくれたまえ。ゲームが終われば私が責任を持ってログアウトさせよう。そう。私は君達にゲームをして欲しいんだ。この世界で死ねば現実で死ぬというありきたりなデスゲームを。勝者のみが現実世界へ帰る切符を手に入れられるという内容のゲームをしてもらいたい。ありきたり過ぎて恐縮だが、がんばってくれたまえ。君達の検討を祈る』




