13:エピローグ
13
人とNPC。
その差は何だろうか。
スコープ越しに見えるNPCと人間の違いといえば、頭上に名前があるかないかぐらいだ。互いに武器を持ち、互いに罵り合い、互いに殺し合う。どちらも同じ。どちらも全く同じ。
けれど、NPCには魂はなく、人間には魂がある。それが違いだろう。
そんな事を考えながら殺戮シーンを眺めていれば、ふいに頭の中に命題が浮かぶ。
命題。
アリス程に成長したAIは魂を持たないのか?
結論。
持っていない。
証明。
僕が殺したいと思わない。
以上、証明終了。
「鬼畜様。何か見えます?」
首都から少し離れた場所にあるビルの屋上。奇跡的といって良いのだろうか。奇跡的に原形を留めているその場から僕は人とNPCの戦闘を見ていた。
僕が見ているものが気になるのか、先程からアリスはスコープを奪おうとしていた。それを面倒だと思いながら避けつつ、様子を伺う。
「全員殺しても良いな」
「物騒な事を仰いますね」
「心にもない事を」
「心ないですからねぇ」
確かにと納得しながら更に様子を伺う。人間は約30名。NPCは100体を下らない。ただ、どうやら優性なのは人間の方だった。統制がとれているというか……何かに怯えているように思えた。背後を取られている以上前に進むしかない、そういう事だろうか。
まぁ、どちらにせよ、殺し方が不愉快だった。
NPCの死体に興味はないが、あのプレイヤー達がプレイヤーを殺す時も大差はないだろう。今の内に遠距離からやっておこうか、と思った所でアリスの攻撃---という名のスコープ奪い――から逃れるのに失敗してスコープを奪われた。
「NPC消費量が激しいですねぇ」
「同じNPC相手に特に思う所はない、と」
「プレイヤーは死ぬものですけれど、NPCは無尽蔵に沸くものですしね。特に感慨は沸きません。同じ名前で同じステータスのNPCを選べばそれは同じNPCですよ。あ、でも私みたいな元々いるNPCは死んだら復帰しませんからね!駄目ですよ鬼畜様、私の死体に興味を持ったら」
やたら同胞に辛辣だった。
「NPCの死体に興味はない」
「だからそこは私の死体に、と言ってくれないと……私の評価は低いですよ?」
一旦スコープから顔を離して一言。そして再びスコープを覗く。大して興味が無い割には興味深そうにその光景を覗いているようだった。時折びくっと跳ねたり、わぁと小さく呟いたり、ある意味とても楽しそうにしていた。
しかし。
これだけNPCが死んでいるのにNEROは出てこないのだろうか。それとも他の場所でも同じ様に戦争行為が行われており、そちらに出向いているのだろうか。
人よりもNPCを大事にするあの女装少年は……さて、いつあの軽そうな腰をあげるのだろう。
アリスからスコープを取り返し、再度状況を確認する。
「まだ見ていたいのに……酷いです。興味が無いなら見なくても良いじゃないですか」
「人間の死体には興味があるんでね」
NPCに殺された人間。
装備が充実しているのだろう。そこまで多くはない。腕を切り落とされて出血多量で死に至る者、首を刈られて死に至る者。四方から槍で貫かれて死ぬ者。恐怖に怯えながら焦るようにNPCに向かって行き死んでしまった者。
必死に戦って、死んでいく。
作り出された死体の見栄えは良いとはいえないが、けれど、生きようとした証が見えるのは良い。それは魂の輝きだ。死にたいから死ぬのではなく、必死に生きて、これから先を生き延びようとしてそれでも尚、死んでいく。
アリス曰くの無尽蔵に沸いてくるNPCとは違う。その魂の輝き。それがとても綺麗だと思った。
「殺され方は気に喰わないが……」
眠るように死んだ姿が一番好きだ。
光を反射するような綺麗に切られた死体が好きだ。
残念ながら、こんな戦いの中でそんな死体は見られないだろう。けれど、それでもそんな輝きを見られるのならば大人しく暫く見ているのも良い。
そう思った。
そう。見られないと思ってい『た』。
スコープ越しに小さく少女の姿をした暴君が映る。
あぁ。ようやくのお出ましか。
軽やかに少女のような笑みを浮かべ、ハンドバッグのように肩に下げた日本刀の鞘。そして、その中身を手にNEROがNPCの前に立った。
何を言っているのかは分からないが、彼の口が小さく動いた。『死ね』とでも言ったのだろうか?流れるように戦場を走り、プレイヤーの首を切り落とす。噴水のように血が飛び、それを受けながら別のプレイヤーの下へと駆ける。
相変わらずのデニムのショートパンツにオーバーニーソックス。上着は以前のパーカーではなく、肩の出た短いシャツ……へそ出しルックというある意味似合うが、あれが男だと知っている人間としては何とも違和感しかない格好だった。
似合っていないかと言えば似合っていると言うべきだが……そんなどうでも良い葛藤を浮かべながら、更にNEROの動きを追う。
彼が刀を使う場面を見た事はなかったが、なるほど……素晴らしいものだった。人間の肉や骨という障害物に止まる事なく、降り抜かれる刀は見事なものだった。そこから産み出される死体もまた近くで見たいと思う程だった。
αテスト中に学んだ事だろうか。だったらやはり以前『彼』が掲示板にアップロードしていた写真はNEROのものではなく『彼』が作ったものだろうか。とすると、NEROには謝罪しなければならない。疑って悪かった、と。
「きちくさまー?そろそろ私の番ですよ?」
「あぁ……アリス。刀を持った女みたいな恰好をしている少年がNEROなんだが確認してくれないか?」
NEROの刀捌きを見逃すのは勿体ない。が、確かにアリスがNEROを知っているかどうかを知るのは重要な事だった。
「えぇぇ……女装少年とか見たくないんですけど……」
またしても辛辣だった。
が、それでも気にはなったのかスコープを受け取り、NEROを見る。
「鬼畜様はやっぱり鬼畜様ですねぇ。男の子だって知らなかったら可愛い子ですねぇと言えたのに。酷いです。知らなくて良い事は知らなくて良いんですよ?鬼畜様。知らない方が幸せな事ってあると思うんですよ、私」
「それで、見たことはあるか?」
「私、いい加減鬼畜様のスルースキルにも慣れて来ましたよ……で、あの子を見た事はありません。全くありません。初めて見ましたねぇ。記憶に引っ掛かりませんし……」
「ふむ……」
となるとNEROはαテストの時とは違う容姿なのだろうか。何を思って姿形を変えたかは分からないけれど……ともあれ、アリスが知らないというのならばもう見せている必要もないな、とスコープを奪い返せばアリスがぽかぽかと僕の背を叩いた。
「何か?」
「なんとなくです」
「……鬱陶しい」
「がーんっ!?……ふ、ふーんだ。言われると思っていましたから別にいいですけどっ!」
それが更に鬱陶しいというのを理解しているのだろうかこのNPCは。
それから暫くアリスの事を無視してNEROの姿に目を向けていた。見ていれば見ている程に見事だと思う。
……けれど違和感を覚えた。
その違和感の正体はすぐに気付いた。
……単調だった。
首を刈る仕事をしているかのような、仕事に草臥れた年老いたサラリーマンのように、単調な仕事……いや、作業だった。
「……あぁ」
そう言う事かと理解した。
『彼』がアップしていた写真は間違いなくαテスト時にNEROが殺したNPC達だろう。単調な作業、やりたくない作業を繰り返していれば飽きもするし、面倒くさくもなるだろう。プレイヤーの数が10を超えた頃、彼の動きは雑になった。
適当に刀を突き刺したり、蹴飛ばして刀の腹で殴り倒したりとさっさと終わらせたいというのが遠目からでも分かる程に適当になっていった。
「やはり、君と僕は違うよ。NERO……」
能力のある者がその能力を使わないのは不愉快な事だ。
能力のある者が能力の行使を嫌がる事はそれだけで周囲を不愉快にさせる。なぜ出来るのにやらない、と。能力を持った者からすれば酷い話だろう。他人が勝手に期待して勝手に裏切られたと思うのだから。けれど、それでも持たない者は持っている者を羨み、妬む。持つ者の心を理解しようとせず、ただただ妬む。そして持つ者もまた、持たない者の心を理解できない。それは交わる事のない平行線。無限遠点のその先でだけ交わる事を許された平行線。
そして僕は持たない者だ。
持つ者を羨み、妬むのは当然の事だ。
その実力があってなぜ、もっと綺麗に殺さない。僕がそれだけの事が出来ればどれだけ良かっただろうか。だから違う。僕はNEROとは違う。
そしてだからこそ……
「NERO、君を殺そう」
これから先、どれだけ無為な死体が産み出されるかを想像すればするほどに憎悪に似た何かが沸いてくる。
スコープをXM109に付け、腹這いになり、NEROに照準を合わせる。
この距離では恐らく大したダメージにもならないだろう。けれど、彼がこちらに気付き、近づく前に殺し尽そう。
アリスのハッと息を飲む声と風の音、スカベンジャーがカァと鳴く音だけに支配されたビルの屋上で僕はXM109を構え、その引き金に手を掛けた。
「馬鹿と何とかは高い所が好きって話だけれど、シズぅ?貴方はどっち?」
しかし、引き金は引けなかった。
突然掛けられた声は、相変わらず不遜ではあったが、どこか気落ちしているような、気だるげなものだった。
腹這いの状態から立ち上がり、その声の主に目を向ければお手製ローブを羽織っていない……どころか所々服に傷が付いたままの銀髪の女がいた。
「WIZARD……」
「はろぅ。お久しぶりねぇ、シズぅ。そこは可愛らしくウィズがいいわよ?……で。シズぅ?勝手にどっかに行った事許さないんだからねぇ?でも、PT解除してなかった事だけは褒めてあげるわよっ!」
「な、なんですかこのおもちな方!大変素敵なおもちですよ!?き、鬼畜様……このおもちなおもちは誰ですか?ぜ、是非紹介してくれるとおもちにダイブできたりしないでもなかったりとかないですか?ないんですかっ!?」
「鬱陶しい……」
この二人、姉妹じゃなかろうかと言うぐらいに鬱陶しかった。
御蔭様というか何と言うか……NEROを射殺する気がなくなった。
「なんか面白い人形連れているわねぇ……何?私の持ちモノがそんなに気になるの?その人形。ちなみに私、人形って大嫌いだから紹介しないでね?」
少し喋った所為で元気が出てきたのか何なのかは知らないが、いつの間にか気だるげな雰囲気がなくなっていた。
「がーんっ!?いきなりの大嫌い宣告っ!な、なんですか鬼畜様。この方も鬼畜様なんですか!?あ、でもなんかこうこんな美人さんにそう言われると新たな世界の扉が自動ドアに変わってしまいそうですよっ」
全くもって煩い。
「煩いわねぇ、この人形。シズぅ?まさかこんな人形と浮気なんてしてないでしょうねぇ……?」
「NPCの死体に興味はない」
「まぁ、そうよねぇ。知ってた。……残念だったわね、お人形さん?」
「うわっ!勝ち誇った顔されましたっ。でも、でもそんな笑顔も素敵ですよ御姫様!」
『おひめさま』そのイントネーションは相変わらず「おきゃくさま」と同じだが、彼女の中に新たなバリエーションが誕生したようだった。
「鬱陶しいわねぇ、この人形……壊そうかしら」
「こわっ!?」
「WIZARD、こんなでも『彼』に辿りつく可能性だ。殺すのは勘弁願いたい」
『こんな!?』とか『自動ドアが!』とか小声でどうこう言っているNPCがいた。アリスだった。
「あっそ。じゃあ、その願いを叶えるついでにこっちの願いも叶えて貰うけれど良いわよねぇ?」
「殺してくれというなら今すぐ殺してあげよう」
「うわぁ……ちょっとそこの人形。こんな奴よ?一緒に居たら腐るわよ?」
「御姫様。御姫様。腐りかけも結構おつなものです」
『うーん、まぁそこは否定し辛いわねぇ』などと今度はWIZARDが小声で呟いていた。NPCが大嫌いと言った割には仲が良さそうだった。
姦しく何事か語り合っている2人を余所にスコープを覗けば戦闘が終わっていた。NEROやNPCの姿は既になく、代わりにいたのはスカベンジャーだけだった。スカベンジャーが魂の抜け殻を啄ばむのを呆と眺めていればふいに声が掛る。
「あぁ、そうそう。シズぅ。お土産よ」
その言葉に振り返り、WIZARDの方に目を向けたその瞬間、がしゃんという金属音が屋上に響いた。
それの発生源が何かを理解した刹那、仮想ストレージからCz75を取り出し、WIZARDの額に向けて引き金を引いた。
ぱぁんという銃声が響き渡る。
だが、それだけ。
精々あとは『あいたぁ』とおでこを押さえるWIZARDの声ぐらいのものだった。
「……痛いわよ」
「それは何より」
口にし、金属音を放ったそれを手に取る。
重かった。
これを自由気ままに振るっていた者はSTRが高かった事が伺える。事実、高かったはずだ。
「ごめんねぇ、シズぅ。殺しちゃった!」
ケタケタと笑うWIZARDの額にもう一発弾丸を放とうとして……止めた。無意味な事だからというわけではない。笑い声の中に、最初に感じたようなどこか気落ちした気だるげな雰囲気を感じた所為だった。そして、そんな僕の態度が寧ろWIZARDは意外だったのか首を傾げた。あれ?撃たないの?と。あるいは彼女はそれを望んでいたのだろうか?そんな風にも感じた。
そんな彼女の表情を見ながら、仮想ストレージの中にCz75をしまう。
「……でも、浮気相手を殺すのは正妻として当然よね?」
僕の行動を見て、彼女は苦笑気味にそう言った。
その姿がやはりとても残念そうだと感じた。
撃たれなくて残念という阿呆な意味ではなく、『殺した』事が残念だったという意味だ。
なぜSCYTHEを殺した事に対してWIZARDが勿体ないと、残念だと感じたのかは分からない。寧ろ、そう感じるのは僕の方だ。最後まで生き残り、最後に僕が殺すと言った約束は果たされない。加えてWIZARDの腕を綺麗に切ってくれる者がいなくなった。先程見たNEROは手抜きが過ぎる以上頼む気も起らない。だから、僕がそう感じるのは当然だろう。けれどWIZARDがそう感じる理由は皆目見当が付かない。けれど、僕は間違いなくそうなのだと確信を持っていた。
「あぁそうそうあと……これいる?あげないけど」
考える僕に変わらずそんな違和感を残したまま、WIZARDの手が動き、仮想ストレージから何かを取り出す。
WIZARDが取りだしたものは眼球だった。
誰のと聞くまでも無い。SCYTHEの物に違いなかった。
ひぃ!?とアリスが怯えて僕の下へと駆け、背に隠れるのを無視して、WIZARDへと顔を向ける。
「その腐った目とチェンジしたら?」
「SCYTHEの見ていた世界が見られるならそれもありだな」
「肉しか見えない世界なんて何が楽しいのやら。こんな美人な私を肉塊呼ばわりしたのよあの子。酷いと思わない?」
「肉の塊なのは確かだろう?」
「何よ、贅肉だって言いたいの?」
言って、胸を張るWIZARD。時同じくしてアリスが僕の背中を突いた。意味が分からない。
「僕は彼女の見ていた世界には興味があったからね。現実世界では見る事が叶わなかった彼女がこの世界に来て何を見て、何を思ったのか……自分を見失い、狂い、人を殺す事を是とした彼女の世界を僕は知りたかった」
赤い肉だけが見える狂った世界。その世界をどう感じたのか。それを見て確かめられるならば、交換しても良いと思った。
「ほんと、シズってば最低よねぇ。……でも、そういう所、大好き」
ぱしゃ、と小さな音を立ててSCYTHEの眼球が潰れた。
「勿体ない」
これでSCYTHEが……GOTHICと自分を名付けた少女はこの世界から完全に消えた。再会の願いは叶わず、彼女の殺す死体を見る事も無く、殺し殺される事もなく……。
そのことが酷く残念だった。
「じゃあ、シズぅ。願い伝えるからしっかり叶えるのよ?」
感傷に浸る暇も無く、WIZARDは捲くし立てるようにそう言った。彼女こそが早く忘れたいとそう言わんばかりに。それがやはり、僕に違和を感じさせた。
「シズは最後まで私と一緒にいる事」
面倒な願い事だった。
だが確かにSCYTHEがいなくなった以上、今の僕にとって興味があるのはWIZARDの腕ぐらいのものだ。それを見ながら過ごすのも悪くはないと思った。
苦笑を浮かべる僕に、WIZARDがOKってことよね!と言いながら唇を緩めていた。
そんな彼女の姿からは既に違和感は去っていた。そしてそんな僕達をアリスが後ろで『ぷ、プロポーズですねっ!?』などと囃し立てていた。
全くもって鬱陶しい。
「ハァ……さようなら、SCYTHE……いや、GOTHIC。いずれ彼岸で会おう」
「ちょっと、死んだ相手とまで浮気!?」
「鬼畜様さいてーですっ!」
これからどうするか、これからどうかなるかは分からないが、とりあえず、鬱陶しさが2倍以上になった事だけは理解できた。
了




