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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第七話 春の終わり
65/116

12

12.






 走ると景色が後ろに流れて行く事をこの世界に来て初めて知った。


 不愉快な世界だけれど、それは少し面白かった。私は時間の流れより早く動いているのだ、なんてそんな事を考えてしまうほど。


 産まれた時から目が見えていれば現実世界でこうやって私は走っていたのだろうか。小さな体躯ではそこまで走れないのかもしれない。一時期、背が低いのは目が見えないからなのだろうかと疑った事があった。ストレッチと呼ばれる筋を伸ばす事ぐらいは出来るけれど、運動と言える運動はした事がなかった。良く食べて良く動いて、そうしていれば背が伸びたのかもしれない。そう思ったけれど、多分そういうのと背の高さは関係ないんじゃないかとも思う。父も母も兄もそれ程背が高くなかったらしいから、ただの遺伝だと思う。先天的というのだったか。産まれ持った資質からは逃れられない。きっとそういう事なのだ。


 息を吐きながら、そんな取りとめの無い事を考える。


 走っていた所為でここがどこかさっぱり分からなくなった。


 こういう時、目が見えるのは助かるのだけれど、周囲は相変わらず肉がこびり付いているので不愉快極まりない。あの白い大地以外はどこもかしこも同じだ。


 白い大地からは離れてしまった。


 けれど、思い出すことはできる。


 目で見る事で脳裏に刻まれた白い大地。そんな色の付いた記憶を思い浮かべながら、また行こうと思った。


 あの骨付き肉には勝てそうになかった事を考えると、多分レベルというのが足りないのだろう。もっとSTRとAGIをあげないと私には太刀打ちできないのだと思う。


 そのためにはもっと肉を刈り取る必要がある。


 億劫な事だった。面倒な事だった。


 もう何も見たくないと願っていた自分がそれでも、がんばろうと思ったのは見てしまったからだろう。見えてしまった所為で見えない事の良さを理解した。けれど、今度は見てしまったからこそ、もう一度見たいと思えるようになった。


 何もかもを覆い隠した白い大地。


 見られるものなら、もう一度見たい。


 ずっと見ていても良いと思った。


 眠れば白い世界の夢が見られるだろうか。この世界に来る前はずっとずっと黒い夢だった。それが黒だと理解できたのはこの世界に来てからだけれど、ずっと真っ黒で、騒音だけが鳴り響く夢ばかり見ていた。耳から伝わる音だけが私の世界だったから、記憶の整理はやはり音だけだったのだろう。夢は記憶の整理だなんてそんな小難しい話を誰に聞いたんだったっけ。


 誰だったかな。


 他にもなんだか難しい話を幾つか聞いたはずだった。でも、その人の名前を思い出せなかった。夢を見れば記憶が整理されてその人の名前を思いだせるだろうか?どうだろう?


 ただ、声は覚えている。


 鈴の音が鳴ったかのような、どこか儚げで、か弱い感じの声音だった。


 あれはいつの話だっただろう。


 どこかも分からない街の中心。そこで足を止めて、思い出そうと闇色の記憶を辿る。


 通っていた盲学校だろうか。近所の公園だろうか。街中だろうか。家族と一緒に行った旅先だろうか。少なくともこんな壊れた建物ばかりが並ぶ廃都ではないはずだった。


―――チチッ


 ふいに、鳥の声が聞こえたような気がした。


 きっと羽の生えた肉が鳥の鳴き声を真似しているのだろう。不愉快である。


 けれど、その御蔭で思い出した。


 鳥籠。


 そう。


『私、鳥籠の中にいるの。鳥籠の中で鳥籠の外を夢見ているの』


 確かその人はそう言っていた。場所は相変わらず思い出せないけれど、確か外だった。だから、尚更、私にはその人の言っている意味が分からなかった。私達、外にいるよ?と首を傾げたような気もする。


 次第、次第にその人と出会った時の事を思い出してくる。


 盲学校からの帰りだったと思う。夕方から夜に変わるような時間だったと思う。陽が沈みかけている所為で少し肌寒くなっていたのを思い出す。慣れた通学路。時折、遅くなった時には両親や兄に迎えに来て貰っていたけれど、その日はどうしてか一人で帰っていた。そんな日に限って通学路で道路工事が行われていて、慣れた道が未知になった。何とかスティックを使って自分でがんばって帰ろうと思ってみても、何も見えない。誰も通らない。そんな場所だった。御蔭で私は道に迷ったのだ。


 途方に暮れた。


 だからか、緊急連絡用に渡されていた携帯電話を鞄から取り出して、そのまま落としてしまった。手探りで探しても、指先はざりざりとした道路の形しか私に伝えてこない。後で聞いたら道路脇の側溝に落ちていたらしい。


 さらに途方に暮れた。


 泣いていたかもしれない。


 そんな私に。


 年齢不相応に小さく、目の見えない私が泣きそうな表情でスティックをつきながらウロウロと道に迷っていた時、その人は声を掛けてくれたのだ。


 『お嬢ちゃん、道に迷ったの?案内しましょうか?』と。


 思い出してみればとても大事な想い出だった。


 そんな事を忘れるほど、この世界に染まっていたのかと思うと少しばかり辟易してしまう。


 苦笑を浮かべながら、再びその人の声を思い出す。


『---ちゃんね。覚えたよ。私は―――っていうの。―――と―――で―――っていうの。宜しくね』


 でも、どうしてもその人の名前は思い出せなかった。


 色んな話をした。他愛も無い話をした。途中、少しお話しようと……そうだ。思い出した。家の近くの公園。そこからなら私は案内がなくても帰られる。安堵して、だから、その人と別れるのが少し寂しくなってもう少し話をしたいと願ったのだった。その願いは『お話でもしながら、あなたの家まで行きませんか?』そんな言葉と共に叶えられ、暫く色んな話---他愛もない世間話、彼女は蟲が嫌いなんて事から真面目で小難しい、夢は何なのかという話―――をした後、その人が言ったのが『鳥籠』だった。


 言った後、しまったとばかりに慌てて、気にしないでとその人は言っていた。


 どんな表情だったのだろう。見えなかった事が悔しかった。でも、今その人を見ても私には肉にしか見えないのだろう。だから、今、その人と会いたくはない。その人の事は綺麗な想い出のままであって欲しい。


 再び苦笑する。


 苦笑しながらサイスを振って地面に浮かぶ肉を削る。


『---ちゃんって私より一つ下だったの?……そうは見えないね』


 再三の苦笑。


 確か、憤ったと思う。言外にお子様かと思ったと言われて私は気分を害したのだ。でも、すぐにその人は謝ってくれた。謝ってくれたついでに、


『せっかくこうして会えたんですから、御友達になりましょう?』


 そう言ってくれた。


 あぁ……本当にどうして忘れていたのだろう。


 そんなとっても大切な想い出をどうして忘れていたんだろう。


 私に出来た御友達の事を。


「馬鹿だな……私」


 見えなくたって、それでも良かった。


 そう言ってくれる優しい人がいるなら、それだけで世界は綺麗で素晴らしいんだ。例え肉に塗れている世界だって、そんなの見た目だけの話だ。


 見た目で人を判断してはいけません、そんな標語に目の見えなかった私が囚われるなんて。私は知っている。私は父の愛を母の愛を兄の愛を知っている。見た目が気持ち悪いかもしれないからって、そんな事関係ないはずだ。私は最初から見えていなかったのだから。


 そんなもの気にする必要なんてなかったんだ。


『夢見る事は誰にも止められないから、だから私はずっと夢を見ているの。籠の外にはとてもとても素晴らしい世界が広がっていると、そう思うの。例え飛び出してすぐに小枝にひっかかったとしても、そこからまた飛ぶ事だって出来る。だから、外の世界はとっても綺麗だとそう思えるの。こうして---ちゃんに会えたみたいに』


 この鳥籠の様な世界の外には現実と言うとても素敵なものが待っている。


 あぁ。だったら……帰らないと。


 私は、最後まで生き残って帰らないと。


「帰ってまた、あの人と会うんだ……」


 あの日以来、一度も会っていないけれど、でも、外の世界にいればきっとまた会えるから。


 だから。


 だから、がんばろう。疲れたり、嫌だったり、苦しかったりするかもしれないけれど、綺麗な世界を見に行こう。偽物の世界かもしれないけれど、しっかり覚えて、初めて見た雪の降る世界は綺麗だったってあの人に伝えよう。


 そうしたらきっと笑ってくれる。


 『よかったね---ちゃん』って言ってくれる。


「私は……」


 肉に塗れた世界だけれど、でも、目に見えるものだけが真実なんかじゃない。


 それを私は昔から知っている。目に見えないものはとっても大事なものなのだということを私は良く知っている。


 知っている。


 知っているはずだった。


 けれど―――


「あら?あなた……もしかして……」


 その声音に魂を引き摺りだされたかのような嫌悪を感じた。


 咄嗟にその声のした方を見て……吐き気が耐えられそうになかった。意識が飛びそうになった。いやだ。嫌だ。世界は綺麗だと理解したはずだ。けれど、けれど、けれど……こんな、こんな―――


 白いローブを羽織った爛れた肉の塊。傾げられた首はあり得ない方向に曲がり、顔らしき部分に浮かんだ気泡はじゅく、じゅくと音を立てて爛れ落ち続けている。次から次へと止まる事なく流れ続けている。白いローブを汚色に染めあげていこうとしている。同じ色をした、記憶に浮かぶ白い大地が汚されているようにさえ感じた。


 今まで見た中で一番醜悪な肉塊がそこにいた。


 ―――こんな醜悪な物が存在する世界なんて綺麗な世界じゃ、ない。


「あぁぁぁぁぁっ!」


 殺さないと。


 私の記憶が、私の内側にあるその全てが汚されてしまう。


 綺麗なあの人の想い出まで汚されてしまう。


 サイスを両手に走る。


 全速。


 世界が過去に向かって流れて行く。


「何よ、突然雄叫びなんかあげて。私が何かした?」


「肉が、人間の言葉を喋るなっ」


 これを憎悪というのだろうか。


 この肉の塊が、この世界その全てを汚しているかのように感じた。こいつが悪いのだ。こいつだけが悪いのだ。これが居なくなれば他の物達はきっと綺麗に私の目に映るだろう。


 これは世界の敵だ。


「肉ぅ?……それ、もしかして私の事?」


「煩いっ。黙って大人しく私に切り刻まれろ」


「へぇ……ふぅん。そゆこと。……ハァ。そんなに私を殺したいの?全く酷い子よねぇ。でも残念。殺されてあげない。代わりに肉片一つ残らずこの世界から消してあげるわ」


 人の想像した地獄というものを私は知らない。


 けれど、きっとその世界ではこんな生物が蔓延っているのだろう。


 肉塊から紡がれる言葉が酷く耳に障る。


 一秒だって聞いていたくない。


 だから、風を切るが如く、サイスを振り抜く。


 その肉を切断しようと。


「っ……」


 肉塊の動きは鈍く確かにサイスが肉へと突き刺さった。が、切れたのはそれを覆っていたローブと服だけだった。中の肉―――切り裂かれたローブとその内側に着こんだ服の隙間から見えるその中身が更に吐き気を催させた―――は無傷。


 だったら、といつものようにその場で回転しようとして、咄嗟に距離を取った。


 肉の腕が爆弾を掴んでいたからだった。


「あら、折角なんだから逃げないでよ」


 戯言を紡ぐ肉塊の手から爆弾が落下し、地面に当たったと同時に、轟音と共に道路を破壊し、アスファルトと砂塵を撒き散らす。


「肉が喋るなぁぁぁ」


「肉……ねぇ。こんな美人相手に酷いわねぇ。今の貴女に私がどう見えているのか気になるわ。でも、肉しか見えないならそんな目いらないでしょう?その目、頂戴?鳩より優しく刳り貫いてあげるわよ」


 その言葉に応えるように再度、サイスを構えて接近し、今度は縦に、その不愉快な頭にサイスを振りおろす。避ける素振りすら見せず、首を少し傾げて肩の部分でそれを受け止める。ローブの留め金が外れ、ひらひらと風に吹かれてローブが飛んで行った。だが、やはりそれだけだった。


「折角のお手製が台無しじゃない」


 肉はきっと私の行動を予想していたのだろう。肩で受け止めたサイスの取っ手---を握る私の手を掴み、空いたもう片方の手に爆弾を産み出し、破裂させる。


 逃げられない。


 そう理解するよりも早く衝撃が私を襲う。


「何発、耐えられるかしら?」


 一発。


 醜い腕が更に醜くなった。


 二発。


 サイスを掴む力が失われた。


 肉の腹に蹴りを入れ、その反動で逃げようとする。が、逃げられない。私の手を握り締めて、ケタケタと口らしき部分を開閉しながら、爛れた肉を零しながら爆弾を産み続ける。


 三発。


 鼓膜が破れたのだろう。音が聞こえなくなった。いや、轟々と風が吹く様な音が延々と鳴り響いていた。御蔭で何も聞こえない。肉塊が何を喋っていようと分からないというのだけはあり難かった。


 四発。


 右足が消し飛んだ。左足が曲がりえぬ方向にねじ曲がった。


 視界の内、急激に減って行くHPバー。


 五発。


 掴まれている方とは別の腕をしきりに肉の腕に叩きつけ、暴れ、逃げようとするも逃げられない。何の痛痒も感じていないようだった。


「――――――」


 叫ぶ。


 あらん限りの音量で叫ぶ。


 音の無い世界で私は叫ぶ。


 六発。


 黙れと、そう言われたように思えた。爆弾の作り出した炎が口腔を犯してくる。息ができなかった。


 七発。八発。九発。十発。


 残り僅か。


 腹が裂かれ、その内側から紅色の肉が見える。ぐにょぐにょとした感じのものだった。そんな事を考えるぐらいに頭は冷静だったのだろうか。あるいは私は、諦めたのだろうか。自分の考えが自分でも分からなくなった。


「--――――」


 肉が何かを言っている。


 だから、言ってやる。


 にくがひとのことばをしゃべるな、と。


 十一発。


 十二発。


 世界が空に昇って行く。


 そんな風に感じた。


 こんな状態でもこの世界は私に世界を見せたいみたいだった。


 背中から倒れ行く私を、追い越すように世界が動いていた。


 私の時間が遅れて行く。


『いつでもお天道さまは見ている、と。悪い事をするとお天道さまが罰を与えると。こんな悪い事をする人は罰が当たる』


 ふいに、母の声が聞こえた気がした。


 あぁ。


 これは罰なのだ。


 本当は肉が人間プレイヤーだと知りながら、それでもなお人を殺し続けた私は悪い事をした人間なのだ。降る雪に罪が消えたなんて、そんな淡い夢を見たのだろう。そんな夢、叶うわけも無いのに。


 過去に縋って、想い出に縋って、自分は悪い人間じゃないだなんて言い訳をして、世界が綺麗だからと言って人殺しをしようとしたのだ。


 それは悪い事だ。


 仕方無い事だなんて言い訳でしかない。


 きっと一番悪いのはこの世界を作った『神様』だけれど、でも、その神様の作り出した世界で罪を侵したのは私だ。


 十三発。


 骨付き肉の時は敵わないと思って逃げたのに、どうして今私はこうしてこの肉塊に立ち向かったのだろう。


 何でだろう。


 分からなかった。


 とても大事で大切な物を汚されたように感じたから?


 言い訳で作り上げたそれに何を執着していたのだろう。


 でも……。


 でも……。


 それはきっと自分の罪から目を背けるために描いた夢かもしれないけれど、夢を見る事を止める権利は誰にも無いんだ。


 ---さん。


 あぁ。


 思い出せた。


「―――さん――――もう一度――」


 会いたかった。


 でも、それも罰。


 こうやって、夢を描いた瞬間に死んでしまうのは罰だ。


 人を殺した罰なのだ。


 お母さん。


 お父さん。


 兄さん。


 そして……―――さん。


「―――ごめんなさい」


「謝る必要なんてないわよ」


 声が聞こえた。それはきっと気のせいなんだと思う。だって私の耳にはまだ風が鳴り響いているのだから。


「その不愉快な目、貰うわ」


 再び聞こえた声と共に視界が消えた。


 あぁ。


 良かった。


 もう何も見なくて良い。肉にソレを奪われるのは業腹だけれど、それも罰なんだから仕方ない。


「じゃあね―――」




 どこかからか鈴の音が聞こえたような気がした。


 それは死ぬ前に聞く幻聴なんだと思う。


 でも、御蔭で---さんと話していた事を思い出した。


 Reincarnation。


 輪廻。


 生まれ変わったら。


 そんな話をしたのを思い出した。


 あの人の名前に似たその言葉。


 生まれ変わりなんて、そんな事が本当にあるなら……


 私は、生まれ変わってもう一度会いたいと思った。


 ―――ねぇ、---ちゃん。私、生まれ変わったら……


 そう言ったあの人に。






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