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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第七話 春の終わり
56/116

03

3.






『私、鳥籠の中にいるの』


 いつか誰かに聞いた言葉が脳裏に浮かんだ。いつだったのか、誰だったのか考えても分からなかった。ただ、その言葉に照らし合わせるなら、私は肉の中にいるのだろう。そう思った。


 肉。


 肉。


 肉。


 肉。


 肉。


 見渡す限りの肉。壁に張り付いた肉の塊。木々から零れ落ちる肉の塊。道路に張り付いた肉の塊。空に浮かんだ肉の塊。


 特に不愉快なのは空に浮かんだ肉の塊。


 ぶよぶよとした泡のような―――きっとあれが泡なのだろう―――肉の塊が空を自由に飛んでいる姿はとてもとても不愉快で気色悪いものだった。


 世界とりかごはこんなにも肉に塗れている。


 とても最悪で不愉快でいたたまれない。きっと私の目がおかしいだけだろうと思っても無理な話だった。私には『そう』見えるのだからどうしようもない。世界はぶよぶよとした肉の塊で出来あがっていて、そこに住まう人や悪魔或いは微生物というのだろうか?は総じて気色悪い、吐き気を催すものだった。


 シズという人の形をした人でなしに貰った包帯ももはや意味をなしていなかった。


 ずっと目を覆っていた所為で---よくわからないが---スキルというものを得たらしい。


 いつのころからか一日中眩しくなった。


 いつのころからか眼帯を通して世界が見えるようになった。


 この世界は、どうあっても私の脳裏にこの世界を焼きつけたいらしい。まったくもって世知辛い世の中だと思う。お母さんからは世界の綺麗さというものを一杯教えてもらっていた。お父さんからは世界の広さを教えてもらっていた。兄からは母なる海の凄さを教えてもらっていた。でも、そんなもの一切合財消えてしまった。


 『見て』しまったのだから。


 初めて見た光景がこれだというのだからそれが私にとっての真実で、これを皆は綺麗だと称しているのだと思うと嫌になった。とても、とても嫌になった。こんな世界無くなってしまえば良いのにとさえ思えるほどに。ううん、事実無くなってしまえと思っている。


 記憶の中の母の姿を思い浮かべようとして、父の姿を思い浮かべようとして、兄の姿を思い浮かべようとして、私の記憶の中には母や父や兄の姿はないという事を思い出す。きっとあの人達も肉の様なのだろう。


 サイスというらしいそれを振るいながら、壁に張り付いた肉を削ぎ落し、地面を埋める肉を切り裂く。何の意味もない。広い世界―――そこだけは認めよう―――のほんの一点を切り取ったって何の意味も無い。


 人間の言葉を喋る気色悪いぶよぶよとした肉の塊だけを選んで切るとしよう。そう思っていてもついつい壁や地面に張り付いた肉を削ぎ落してしまうのだから始末に負えない。でも、気色の悪い肉を視界に入れないようにするためにはそうするしかない。


 見えない事が不幸だと散々言われていた。私自身産まれた時から見えていなかった所為で見えないのが当たり前だったし、不幸だと言われていても気にならなかった。そして見えたのがこれなのだ。見えていない方が幸せだったと思う。見えないままでいられれば良かったと思う。大事な物は目に見えない、母が何かの本を読み聞かせてくれていた時に聞いた言葉。ここに来るまでの私の世界は大事なものだらけだったのだ。けれど、この世界に来て、見えてしまった所為で何もかも大事じゃないものになった。見えない物はとても汚くて、穢れていて、醜悪で吐き気を催すものだった。


 がり、がりとサイスの刃で壁に張り付いた肉を削ぎ落す。


 こうやって全部削ぎ落してしまえば、人の言葉を喋る肉の塊を全部切り裂いてしまえば、シズとかいう人間が私を殺してくれる。家族が語る人間像そのままだった彼に殺して貰おう。


 しかし、シズは酷い人間だと思う。さっさと私を殺してくれれば良かったのに。殺してくれると嬉しかったのに。私はもう何も見たくないのに。見ていたくないのに。それでも見ていろだなんて、全く持って酷い話だ。見た目はまともだけれど、とっても悪い奴だと思う。


 でも、目を閉ざして建物の隅に隠れて怯えて肉の塊から逃げ惑う気もないし、肉の塊に喰われる気もない。せめて『人』に殺されたい。私も人なのだから。肉に喰われるために今まで生きていたわけじゃない。……こんなものを見るために生きてきたわけでもないのだけれども。


 考えていればいつのまにか視界の中に動く肉が現れた。


 一匹、二匹。三匹。


「おい、あんた。そんなボロボロでどうしたんだ?誰かにやられたのか?」


 肉の一つがそんな言葉を口にした。肉が人の言葉を喋るというのは本当に気持ち悪い。


 球体の中心が上下や左右にうごうごと蠢き、そこから音が産まれて来る。それを口というのだろう。大きく開いたそこからは更にその中が見える。表面は凸凹した形なのに内側はつるつるとした太い肉が蠢いていた。そして球体からは首のようなもの、身体の様なものが生えていた。身体は服に覆われているものの、服を着た肉塊など気持ち悪い事この上ない。身体から伸びる四本の細長い爛れた肉がナイフと拳銃を掴んでいた。人の形に近い様なもの。とでも言えば良いのだろうか。私には分からなかった。きっと元々目が見えている人だったら違う表現をするのだと思う。


 その肉を断ち切るためにサイスを手に駆ける。


 ぶん、という風を切る音と共に肉が分断された。


 ぷしゃっと飛び散る体液。


「て、てめぇ!なんてことしやがるっ。おい、おい!大丈夫かっ……ちくしょうっ」


 それを我が身に浴び、あぁまた水で洗い流さないと、とこの後の予定を決める。元々何をする予定もなく、ただ肉を切り殺すために色々と歩いているだけだし、予定は未定でしかないので別に良いのだけれど。


 ぶにょん、ぶにょん。


 そんな音が聞こえて来そうな感じの動きをしながら肉が迫って来る。怖気が走る。それを切って捨てる。一度では切れなかったので、二度、三度とサイスを振るう。


 ぷしゃ、ぷしゃ、とその度に肉から体液が流れる。


 きっとこれが血なのだろう。何とも粘り気のある、見ていて気分の悪い代物だ。こんなものが私の体の中にも流れているかと思うと我が身を引き裂きたくもなる。そっと視線を自分の腕に向けて吐き気と共に視線を逸らす。


 そして、


「肉が人の言葉を喋るな」


 定型句。


 最近この言葉しか口にしていないように思う。別段誰かと会話したいとも思わないし別に良いのだけれども。


 言葉と共に更にサイスを振る。振るたびに視界に入る自分の腕らしきものに辟易する。一番切り裂きたいのは自分だ。一番醜いのは、一番見ていたくないのは自分だ。何度か自分で自分を刺そうと試みたけれど失敗した。よくわからないが、自分で自分を攻撃するのは駄目らしい。


 ステータスの問題かと思ってSTRとAGIとやらをあげてみても同じだった。


 その辺りの単語……というか文字自体は読めないのだけれど、兄にネットゲームの嗜み方と言う事で単語だけは教わっていた。


 右手側から左手側にあがりながら動いて、今度は左手側から右手側に下がりながら動く、そして最後にまた左手側に動くような字がS。手の平にもう片方の手の平をあてるような感じなのがT。Rというのはお母さんの体のラインだ!と言われた。その後兄はお母さんに殴られたらしいけれど、実際にこの目でそのRというのを見て、確かに手で触った時のお母さんの体みたいな形をしていた。兄は正しかったと思う。同じ様にAとGを説明され、最後にIは私の体のラインだと兄は言った。実際に見てなるほど、と納得した。確かに私はIだと思う。やっぱり兄は正しかった。


 ともあれ、御蔭様で力と速度というステータスをあげられているみたいである。最初のころより肉の解体が早くなったのを実感できている。レベルというのもあるらしいけれど、数字に関してはその形を覚えてなかったので今の私が何レベルだとかそういうのは分からなかった。分かるのは視界に映る『HP』と書いてある横に長い色のついたものが減ると怪我をするという事ぐらいだ。


 痛いのは嫌なので肉が迫って来ると避けるようになった。シズに目を撃ち抜かれた時はとっても痛かった。御蔭で理性を取り戻せたといえばそうだけれど、あそこまでするなら殺してくれれば良かったのに。


 さておき。


 兄には力と速度こそ正義なんてわけのわからない事を言われたけれど、確かに性に合っているように思う。


 そんな事を考えながら解体を終え、肉塊が落とした爆発する丸いものを回収する。


 この丸い物。喋る肉塊を倒すとたまに手に入る。最初から持っていた2つを使ってみた所、意外と便利だったのでそれがあれば貰っていた。肉を掻きわけるのは気持ち悪いけれど、大量の肉が現れた時には楽なので嫌々ながらもそれを手に入れる。仮想ストレージ―――とかシズが言っていたように思う―――の中にそれを入れ終わったら、今度は水場を探すために移動する。


 瞼を閉じても見えるてくる水面に映った自分の姿に吐き気を感じながら被った血を洗い流す。そして今度はターミナルと呼ばれる場所へと向かう。何度か使っていたらどこか遠い所へ行ける装置だと言う事を理解した。最初は何をすれば良いのか分からなかったけれど、右往左往していたらアナウンス?というのが流れた御蔭で使い方が分かった。


 今度はどこへ行こう?


 そもそも肉の塊はあと何体いるのだろう?


 両手で数えられるだろうか。きっとそんなことはないと思う。もっといそうな気がする。


 ぼんやりと空を飛ぶぶよぶよ肉を眺めながらターミナルへと移動した。移動すればそこには何体もの肉が並んでいた。


 とりあえず、邪魔なのでその肉の塊達を解体していく。ちょっと強い感じの肉もいたし、怪我もしたけれど大丈夫。待っていれば……爆発する玉や食糧を回収でもしていれば、自然と回復するんだから。


「シズみたいなの他にいるのかな」


 脳裏に浮かぶ綺麗な人間。


 あんなのが人間だなんて、尚更死にたくなったけれど、でも、一番見栄えは良い。吐き気もしない―――別の意味で吐き気はするけれど―――あんな風に見える『人間』は他にいるのだろうか?


 どうだろう。


 いたらその人に殺して貰おう。シズとは最後まで生きるとか約束したけれど、正直もう疲れた。肉を狩るのも疲れたし、生きているのも疲れた。自分が肉の塊と同じ生物だというのを理解しながら生きていくのは何とも気力がいるものだった。


 再び腕を眺める。


 気色悪い腕だった。


 目の見えなかった私にはどう形容して良いか分かり兼ねるけれど、そこらの肉と大差はないように思えた。


 血を被った所為でターミナルの中に移動する前に再び水場へと戻り、自分の全身を眺める。醜悪だった。奇怪だった。狂ってしまいそうな程だった。何度か水面をサイスで叩きつけ水面を歪ませて我が身を写さないようにする。それで少し落ちつきを取り戻し、水面が歪んでいる間に血を流す。


 見たくない。


 私は私を見たくない。


 そんな精神的な疲れを蓄えながら血を洗い流して今度こそターミナルの中へと入り、ターミナルを操作して移動する。


 外に出るととても寒かった。文字が読めないので適当に選んだ結果がこれだった。


 失敗したと思った。この寒さは何とも辛い。


 でも、他の所と違う所があった。


「わ……凄い」


 驚きに自然と声が出た。


 世界が無色だった。


 きっとこれが白。


 汚くなかった。


 建物や道路、木々、それら全てが白く覆われていた。空も白くふわふわと降り注ぐ何かもまた白かった。


 その光景にしばし見惚れ、時を忘れた。


 世界は綺麗だとそう言った人達がいた。その人達がそう口にしたのを少しばかり理解できたように思った。


「……でも、肉はいる」


 白い大地の上に赤く染まった肉がいた。


 ぐるるると鳴く肉がいた。悪魔という奴だった。私には服を着た肉かそうでない肉か、大きい肉か小さい肉か、立っている肉か四つん這いの肉かぐらいの区別しかないけれども……ともかくそれは悪魔というものだった。


 白い世界を悪魔が蹂躙している。


 そのことが不愉快だった。


 折角見つけた綺麗な場所を汚らしく染める醜悪な肉達がとてもとても不愉快で、不愉快過ぎて……あぁ、だったら簡単だ。とっても簡単じゃないか。


 切れば良い。


 切って殺して解体バラしてしまえば良い。


 この世界から消し去ってしまえば良い。空から降って来るぶよぶよ肉に喰われて消してしまえば良い。


 この白い世界を、また白だけの世界に戻すために私はサイスを構えて肉達に向かう。


 大きな肉。小さな肉。あるいは中ぐらいの肉。一匹ずつ、一匹ずつ。十はいるだろうそれらを一つ一つ解体していく。


 切れば白が別の色に染まる。その事に不快感を覚えながら切り刻んで行く。もっと早く、もっと素早く。そうすればもしかすると白を染める醜い体液も流れないんじゃないだろうか。


 一匹。


 二匹。


 三匹。


 気付けば肉片が辺りに転がっていた。残念ながら、白い世界を白のままにしておくことはできなかった。けれど、空から降り続ける白いそれが…


「雪……」


 雪がそれを隠してくれる。何もかも無かった事にしてくれる。


 もし、罪というものがあるのならば、それすらも雪が全て覆い隠してくれるのだろう。


 とても優しいものだと思った。


 悪くない。


 この白く染まった世界はとっても悪くない。


 少し心が和らいだ気がした。この白い世界なら、少しは死にたくなくなるんじゃないかってそう思えるぐらいに。


 ううん。そんな事あるわけない。でも、ほんの少し、ほんの少しだけここで休憩するのも悪くないんじゃないかって、そんな風に思えるぐらいは……


「……醜い私も覆い隠して」


 呟き、地面に背中から倒れる。


 瞬間、雪が舞い上がり、そしてまた落ちて来る。


 ふわふわと雪が私に向かって落ちて来る。


 消えて行く。


 白に覆い尽くされて私の姿が世界から消えて行く。


 見えなくして。


 何も見えなくして。


 白で私を染め上げて欲しい。


 白に染まって、このまま消えてしまいたい。


 そう思った。


 





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