10:エピローグ
10.
スコープ越しにテンガロンハットを手に持ってパタパタとアリスが走っているのが見えた。それを確認してスコープから目を離し、その場に座る。コンビニのある建物の最上階と成り下がった元5階。そこが今僕のいる場所だった。
僕の動きに、小さな瓦礫がカランカランと落ちて行く音を聞きながら、コンビニの灯りに―――店長がいなくても付いているものらしい―――照らされる彼女に目を向ける。まるで彼女の帰りを待っていたかのように煌々と輝くその中心で彼女は息を整えていた。NPCに呼吸器官がある事が不思議でならなかったが、まぁそういうものなのだろう。僅か苦笑しつつ彼女が息を整えるのを待つ。
「き、きちくさまぁ~!」
暫く待っていれば、折角整えた息でもって、そんな叫びをあげた。
「そんなに大きな声を出さなくても聞こえる」
「助かりましたぁ。ところで鬼畜様~?なんでそんな所に?なんとかとなんとかは高い所が好きということでしょうか?」
胸を撫で下ろしながら、失礼な事を言うNPCだった。
「遠くを見るには上の方が良くてね」
地元民ならではの近道を通り、急ぎ足でコンビニに戻ってみても彼女の姿はなく、さりとて探し廻ってもすれ違いの可能性は高く、僕はここからXM109のスコープを通して彼女を探していた。
最初に見つけたのは男2人と女1人が襲われている所だった。どっちがどっちかは分からないが、片方は僕達を襲った奴らの仲間だろう。アリスを探す必要がなければ興味深くそれを観察していた事だろうけれど、すぐにスコープの先をずらし、結局、しばらく経ってから500m程離れた……ほぼ更地である場所にぽつんと立った街灯の下に彼女の姿を発見し、発見した時には2人の女が戦っていた。
刀を持った女と槍をもった女。
槍を持った女の攻撃がアリスを襲おうとした瞬間、XM109で撃ち抜いた。
NEROの言葉が真実ならば彼女に傷を付ければ列島がNPCで埋まるわけで、人助けと言う意味では大変素晴らしい事をしたのだと、そんな戯言を思い浮かべながら、ふと、スコープ越しに見たもう一人の刀を持った女、案外しぶとそうな緑髪の女の事を思い出す。
相当にレベルは高いのだろう。槍を持った女との戦いやその体力を思えばすぐに分かる。ただ、そういうステータス的な部分には興味はなかった。興味が沸いたのはそういった部分ではない。寧ろ沸かなければ撃ち殺していただろう。仮に射線から僕のいる場所を知って襲って来たとしても辿りつく前に殺せていただろう。
僕が興味を持ったのは、弾丸を避けるために振るっていた刀の動かし方が、それが妙に妹に似ていた事だ。
妹がこのゲームに参加していないのは分かっている。だからあの女が妹だという事はない。が、それにしても動きが似過ぎていると思った。剣道をやっている人は皆ああいう動きになるのだろうか。そして何より、あの刀の滑らかな動き。暴力そのものであるライフル弾をその刀で弾き飛ばす様。初手を防いだのは偶然だろう。けれど、その後、刀でライフル弾を何度か弾いてみせたのは偶然ではなく、その女の技量だ。その事に僕は感嘆した。
レベルが高いからといって身に付く動作ではない。一体どういう人生を歩んでくればああいう風に刀を使う事ができるのだろうか。妹のように延々と努力し続けたのだろうか。血反吐を吐くぐらいに努力したのだろうか。あるいは天性の才能があったのかもしれない。本当に素晴らしいと思った。先日の獣のような男とは比べ物にならない。比べるだけ失礼だった。
だから、手を止めた。
刀を落とした時は態とかと思った程だった。御蔭で数発、体に撃ち込んでしまった。そして、刀を取る気がないその女を見て、僕は手を止めた。諦めたというわけではないだろうが、どちらにせよそのまま殺す事は勿体ないと思った。
あの女が殺したプレイヤーはどれほど綺麗に切り刻まれた死体なのだろうか?と。
それが気になった。
結果、見逃した。
どこの誰かは知らないけれど、少しばかり興味が沸いた。WIZARD辺りに言わせればこれもまた浮気と言われるのだろう。失礼な話だ。
「まったく、お持ちでない御嬢様には困ったものです」
「知っているキャラなのか?」
「はい。先日、鬼畜様を探しておられた人ですよ。リンカさんという名前です。あぁ、思い出したら腹が立ってきましたよ、鬼畜様。まったく、鬼畜様の御蔭で御嬢様に嫌われましたよっ!?」
「リンカ……僕を探していたと言い不思議な子だな。いずれまた会う事もあるだろうけれど、その時聞いてみるとするか」
その機会がいつかは知らないが……まぁ、綺麗な殺し方をする子なら話も合う事だろう。まだ殺した姿を見てはいないが、そういう希望というのは抱いておいて損はない。殺してからでは遅いのだから。
それにしても僕を探していたのがあの女だとすると……公園に居た奴らの言動から察するに彼女に命令されていたのだろうか?彼女はギルドの偉い人間……いや、あのレベルの高さを思えば……
「なるほど。Queen Of Deathというのが彼女で、ROUND TABLEというのが昼間のギルドか。……死を冠する名前を運営に与えられる程の殺人鬼か。次に会うのが本当に楽しみだ」
あれだけのポテンシャルを持っているキャラがそこらの有象無象なわけがない。ランカーだと言われた方が納得する。そして瞬間、苦笑した。
あんなにも人殺しが得意そうなプレイヤーが徒党を組んでいる。生き残るために集ったとは到底思えない。殺すために集めたとしか思えない。勿論、それが是とされるのがこのゲームだ。いつかそのギルドメンバーは、その全てが彼女に殺されるのだろう。その時、その場に居合わせられればと思った。
「それにしてもよくこんな所から当てましたね。でもでも、あんなに可愛らしい御嬢様を射殺するなんて鬼畜様は本当、鬼畜様ですね!御蔭様でお客様が1人減りましたよ!」
よいしょ、よいしょと瓦礫を昇り、5階へと辿りついた彼女は僕の隣へと腰を下ろし、そう口にした。言葉とは裏腹に表情はいつもの通りだった。
「人殺しを犯そうとするのは悪い事だろう?」
僕が射殺した方の女。あの女の槍を一撃でも喰らっていればアリスは今頃大怪我をするか、あるいは死んでいただろう。レベル5というのはそういうレベルだ。そうなれば、NEROによる列島蹂躙が始まる。それを思えば良い事をしたな、と再度戯言を浮かべていればアリスが吐瀉物を見るような視線を浮かべていた。
「どの口がいうのでしょう。もしかしてあれですか?副音声とかですか?」
「腹話術は学んではいないな。まぁ、客を1人減らした事は素直に謝っておくとしよう」
「といっても今の私は店員じゃないので別にいいんですけどね」
くすっとアリスが笑みを零す。
その態度に僕は気付けばへぇ、と呟いていた。アリスは人懐っこいNPCである。客の1人という形で覚えている相手が死ぬ事を気にしてはいないのだろうか?という旨の事を聞けば、
「だって、プレイヤーって死ぬものでしょう?」
そう言った。
瞬間、ぞくりと体中を興奮に似た何かが流れて行く。
「プレイヤーさんは人の形はしていますけれど、私達とは違う生物です。私達にとってプレイヤーさんなんて悪魔さんとあんまり変わりませんよ?悪魔さんだって会話ができれば私達は商売しますし……むしろ悪魔さんは私達を襲いませんからプレイヤーさんよりよほど良い方々ですよ。あ、鬼畜様は別ですよ?私そんなに尻軽じゃないので!いえ、お尻が重いってわけじゃないんですけれどっ!」
「君の尻の重さに興味はない」
「ちょっと!そこは興味持って下さいよ!」
最後が鬱陶しい事を除けば、彼女のプレイヤー観は面白いと思った。なるほど、NPCにとってプレイヤーとはそんな程度の者か、と。僕がNPCの死体に興味がないように、NPCもまた人間の死体には興味がないのだろう。そんな彼ら彼女らに興味を持っているNEROはさて、このアリスの言葉を聞いてどう思うだろうか。NPCを守り、NPCを慈しんでいるあの女装少年は……少しばかり興味が沸いた。
あぁ、興味といえば……
「君の御蔭で性も無い死体をまた一つ作ってしまったな……全く度し難い。もう少し綺麗に殺せないものかね」
スコープ越しに見た少女の死体は全くもって汚い物だった。銃撃による死体といえど、もう少しやり方はあるだろう。やはり僕が人を殺すのはいけないのだと思ってしまった。もしあの少女がとても綺麗な死体を作り上げていたと思うと尚更に。いや、それはないか。Queen Of Deathに適当にあしらわれているぐらいに拙い槍捌きだった。……寧ろ、アリスの事がなければQueen Of Deathの殺し方が見られたかと思うと残念だった。
「せめて私を助けてくれたとか言わないんですかね、この鬼畜様は。感謝していますけれど」
どうでも良い事を言うアリスを余所にスコープを覗きこめばいつのまにかQueen Of Deathの姿がなくなっていた。レベルの高さによる自然回復だろう。そして、その代わりに死体となった少女を見つけた少年が嘆き悲しんでいた。もっとも泣く事は出来ないので悲しんでいる風だったという感じだが。まぁ、あんな死体だ。哀しくもなるだろう。
そんな事を考えていれば突然視界からスコープが消えた。ライフルのスコープだけをえいやーっと勢い任せに取り外したNPCがいた。アリスだった。壊れたらどうしてくれるのだろう。
「何見ているんですかって……あぁ、御嬢様の死体ですか。あとお客様が1人とNPCさんが1人……」
勝手気ままにスコープを操り、僕が見ていた方をスコープで覗き、はぁとため息交じりにそう言った。そのため息にはどういう意味があるのだろうか。そこに浮かんだ感情を僕は理解できなかった。だが、考える間も無く、次の瞬間、驚いた様子で僕の方を見る。
「お持ちでない御嬢様がいなくなってますよっ!?」
「あぁ。いなくなっていたな」
「そんな悠長に言っている場合ですか!死体なんか見ている暇があるなら逃げますよ、鬼畜様!私また襲われるかもですよっ!?鬼畜様の所為で私また襲われますよっ!」
「それは確かに面倒だが……さっき見た限りでは駅側にも人がいるみたいでね」
つまり、彼らはROUND TABLEの面々なのだろう。それらを避けてターミナルに行く元気は僕には無い。汚い死体を作ってすぐにこの場からそれらを射殺し続ける気力も沸かない。だとするといつものように山を抜けて行くしかない……
そうやってこの後の行動を考えている僕の言葉など全く持って耳に入っていなかったのだろう。
「あ、もしかして私の事より、死体を見ている方が重要なんですか!?暖かい肉の方が良いと思いますけど。ほら。ほらぁ!こんなに暖かいんですよ。守ってあげようって思いますよねっ!ねっ!だから、逃げましょう鬼畜様」
などと鬱陶しい事を言っていた。
「鬱陶しい」
「年頃の女の子があててんのよ!ってやっているのに何て反応ですかっ!?」
「年頃……1歳未満が何を」
生後間もなくを年頃と称する文化は僕には無い。
などとそんないつものような戯言染みた会話になると思っていた。
「2歳ぐらいですよ、私」
首を傾げ、不思議そうに僕を見つめる彼女。その彼女の口から思いもよらない言葉が産まれた。キャラクター設定としての年齢を称するならまだしも、あたかもそれが実年齢のようにそう口にした。
開始1年も経っていないこの世界で。この世界の誕生と同時に発生したNPCが2年経過していると口にしたのだ。
「……どういう事だ?」
「えっと……あれ?なんで2歳なんでしょう?私……1歳未満ですよね?この世界が始まったのがえっと3カ月か4カ月前ぐらいだし………あれ?でも、2歳ぐらいですよ、私」
再び、あれ?あれ?と首を左右に傾けながら疑問符を浮かべているアリス。
その姿が妙に人間染みている。たかだか数ヶ月しか生を経験していない人工知能の動作ではない。いや、寧ろ……アリスからスコープを奪い返し、街灯の所を見れば嘆き悲しむ少年の隣にぽつんと突っ立って一切感情を表に出していないNPCがいる。そう。NPCとはソレだ。アリスのような人間染みたNPCは他にはいない。例えば、彼女だけが他のNPCと違って経験が多いとでもいうように。多くの経験を通して彼女なりのロジックが構築されているとでも言うかのように。
「2年前……1年と数ヶ月前か?……その時、何があった」
自然、そう呟いた僕の声にアリスが哀しそうな表情を浮かべる。覚えてなくてごめんなさいと言わんばかりの表情だった。
そんな彼女を余所に僕は思考する。
思い浮かぶのは、αテスト。
やはりβテストの前にαがあったのだろう。
NEROの言動を思い返せば、そこでNEROはアリスと出会ったのだろうか。
今の彼女ではない彼女と。
だからこそNEROは彼女を探しているのか?
それは執着だろうか。それとも感傷だろうか。或いは……
「…………」
「鬼畜様?」
……彼女をNEROに渡すのは今暫く時を置くとしよう。
アリスを連れて色んな場所に訪れれば何かヒントが得られるかもしれないと、そう思った。
NEROだけではなく、『彼』に対するヒントが得られるかもしれない。
こんな世界を作り出した『彼』に辿りつくためのヒントになるかもしれない。
そう思った。
了




