01
ゲーム開始から一週間後ぐらいだったでしょうか。
私達はPTを組み、死なぬようにとレベルというものをあげながら過ごし、地元へと、高校のあった場所へと向かっていました。
やはり自分達の住んでいた場所は愛おしいという事なのでしょう。私には分かりませんでした。ですが、ネージュ君がそう言うのですから特に反対もありませんでした。
青い空、白い雲。眩い太陽。
それだけを見ていると彼とピクニックにでも来たかのように思えました。けれど、地上を見れば倒壊した建物や崩れ落ちた自然が埋め尽しています。終末感というのでしょうか。何とも、気分が滅入るものでした。とはいえ、子供の頃に見た光景よりもマシでした。死体は転がっていませんし、死体の匂いもしませんでしたし、壁にべっとりと血が付いているわけではなかったので遥かにマシだと思えました。
だから、4人の内、私だけは平静を保っていられました。
その分、私が悪魔と呼ばれる者達を殺す事になりました。
悪魔は悪意のある造詣をしていました。
爛れた体を引き摺りながら蠢く人型の悪魔や両手と両足が逆について逆さまになって迫って来る人型の悪魔。そんな悪魔達に拳銃を構え、照準を合わせ、引き金を絞るようにゆっくりと引きます。そんな動作を何度繰り返した事でしょう。ナイフを構え、相手の懐に入り首を掻き切る。そんな動作を何度繰り返した事でしょう。
殺すたびに彼が申し訳なさそうな表情を浮かべるのが悲しかったです。殺すたびに忌諱の表情を浮かべる雪奈の表情が嫌でした。無表情だったのはキョウコだけでした。でもきっと、その内側では私への嫌悪が沸いている事でしょう。その時の私はそう思っていました。
でも、私は、私が悪魔を殺さず、それで彼が死んでしまう事に比べれば、彼女たちの反応なんて何のことありませんでした。
自然の多い場所には、強い悪魔がいるという事を知りました。
私達と同じ様に仲間同士で集まって行動している人達がいました。森から出てきた愛くるしい小さな栗鼠に似た悪魔に喰われました。だから危ないのだと知りました。場もわきまえず可愛いと言っていた雪奈が引き攣った笑みを浮かべたのを覚えています。
だから、私達は都市部を歩く事にしました。同じ様な理由で、他にも多くの人達が街中にいました。疑心暗鬼を抱えながら、周囲を警戒しながら、それでも同じくプレイヤーがいるという事に安心している人が多かったです。
その中に人を殺そうという人はいませんでした。
時折、その人達と会話をしました。普通の人達でした。普通に産まれ、普通に育ち、普通に今を迎えて、今に絶望している人達でした。そんな人にネージュ君は持ち前の前向きさで元気づけていました。
偽善というのかもしれません。
ですが、他人を殺したくないと願うのは人として当然の事で、彼の言葉に多くの人が頷いていました。結局その人達は私達についてきました。
東北のある都市。私達の高校がある都市です。
そこに多くの人が集まりました。
人を殺したくない人の集まりでした。
良い事だと思います。とっても良い事だと思います。彼が喜んでいたので多分そうなのだと思います。
そんな人達と共にギルドを作ろうという話題が出たのは東北についてすぐの頃でした。そして、その頃でもありました。
「どうせ、悪魔でしょう?」
それは雪奈が人型の悪魔を殺した時に発した言葉でした。
違和感を覚えたのは私だけではなかったと思います。彼も少し不思議そうな表情を浮かべていました。
危ないな、と私は思いました。
雪奈の中から生物を殺す事への忌諱感が失われてきたようでした。人の形をした人間ではないものを殺す事に嫌悪感を抱かなくなってきていたのです。
「雪奈。命を奪う事を『どうせ』なんて言っては駄目。そんな割り切ったように言っては……駄目」
「あんたに言われたくないわよ。あんた自分がどれだけ殺したか分かって言っているの?ふん、シスター服着ている癖に殺しが得意とか何の皮肉よ」
彼女が言っているのは東北地方にあった教会で見つけたシスターの服の事です。一つしかなかったそれを私が譲り受けたのは彼の進言でした。私が一番戦えるし、危ない位置にいるから防御力が必要という理由です。似合っていると言われましたが、こんな私がシスターさんの服を身に纏うのは申し訳が無い事だと思いました。きっと、雪奈やキョウコあるいは他に集った人達の方が似合うと思いました。
「雪奈、駄目だよ。僕達は殺さない事を誓って集まったんだから……だから、そういう言い方するのはもうやめよう」
言い争う……といっても一方的なものですけれど、雪奈からの言葉を受けていた私を庇う様に彼がそう言いました。
嬉しい事でしたけれど、そんな風に庇われれうと逆に雪奈の感情を乱すように思います。ネージュ君の言葉は正論なのかもしれませんが、雪奈は感情豊かなのですから、正論と自分の感情のどちらを優先するかといえば、後者に決まっています。
「私の何が悪いのよ!ネージュまでそんな事言うの?何よ、そんな女の事ばっかり庇っちゃって。何よ、私よりそいつのことが好きなの?」
案の定でした。
ネージュ君はそんな話をしていたわけではないのに。
そんな事を言っているわけではないのに。
「そ、そういうわけじゃ……」
そして、ネージュ君が紡いだ言葉。
それは、聞きたくない言葉でした。
照れるように言うネージュ君。口角を上げて見下すように私を見る雪奈。
胸が苦しくなりました。気分が悪くなりました。
分かっていたけれど、分かっていたけれど……彼が私なんかを好きになるわけがないって分かっていたけれど。だから、それを知ってもどうとも思わないと思っていたけれど……それでもやっぱり、駄目だったみたいでした。
気付けば、薄っぺらい自分の胸元を自然と押さえていました。
そんな私に向かって、
「あ、いや、別に雪奈とはそういうのじゃないし、って、ちょっと聞いてよイクスさん」
なんて言いながらも、雪奈の様子が気になるのか、ちらちらと視線をそっちに向けています。それを見越したかのように態とらしく「やっぱりその女の方が大事なのね」なんて言って雪奈はこの場を離れていこうとしました。そして、ほんの一瞬、自然と彼女を追おうとして彼の足先が、彼女の方を向きました。それが私には見えてしまいました。
そんな彼を見ていれば、自然と胸の痛みが収まりました。
彼を心配させてはいけないのだと、心の奥底が言っているかのようでした。彼の為に、自分の心を殺せと言っているようでした。彼を好きだった気持ちを隠して、殺して、絶対に表に出さないようにと。
「聞いているよ、ネージュ君。ほら、それより雪奈を追ってあげて。あの子、今、危ないと思う」
「あ……うん。それは僕もそう感じた。ごめんね、イクスさん……あ、でもこれだけは信じて欲しんだけど。えっと、その」
「良いから……雪奈の所へ行って」
彼がどんな言葉を口にしようとしたのかは分かりません。聞かない方が良いと思いました。だから、両手で華奢な彼の肩を雪奈の方に向かって押しました。
ほら、こんなに力が強い女の子よりももっとか弱な女の子の所に行って頂戴。
「私は大丈夫だから。だから……行って」
時折、私の方を振り返る彼に、小さく手を振りました。大丈夫だから、仲間を守ってあげて欲しい。そういうネージュ君の姿を見ているのが、私は好きなのですから……
だから。
だからこそ……
こんな世界だけれど、でも、こんな世界だからこそ人を好きでいる事は大切で、大事な事で、だから、彼が誰を好きであろうとも、祝福しようと思いました。
「こういうのは神父さんの役目かもしれないけれど」
胸の内で手を組み、少し顔を俯かせ、祈ります。
祈りという名の歌を歌います。小さく、誰も聞かれないように小さく謳います。
私は地獄に落ちても良い。
けれど……
彼は人を好きであり続けられますように。
彼にはずっと、ずっと、幸福が訪れますように。




