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俯棺風景  作者: ししゃもふれでりっく
第十一話 ゲヘナにて愛を謳う者達 下
111/116

12



 太陽が沈み、無慈悲な月が天上へと。


 とても明るい夜でした。私の目にも分かるぐらいに明るい夜でした。深々と降り続く雪は変わらず、教会の、荘厳な……皆がよってたかって面白がって作り上げた豪華な教会を白く染めていました。


 からん、からんと鐘が鳴っています。


 遠くまで響く鐘の音。


 それに合わせるように、歌が聞こえました。


 私が良く歌っていた曲です。


 綺麗な声でした。私よりもずっとずっと巧くて、あんな風に下手くそな歌声を晒していた自分が恥ずかしくなってしまいました。


 謳い手はキョウコでした。


 教会の前。


 小さな階段に立ち、歌いながら、笑っていました。


 いつもの服装ではありませんでした。白黒の混じったボディスーツというべきでしょうか。横腹部分だけ生地がなく、乳房を覆う部分は白く、それ以外の場所は黒塗りのプロテクター。酷く下品な感じのあるそれも、キョウコが着るとスタイリッシュとでも言えば良いのでしょうか。そんな風に思えます。その上に、赤いトレンチコートを羽織っているのが違和感でしたけれど。更には膝まであるような黒い編上げのブーツ……あるいはこれもプロテクターといった方が良いかもしれません。


 そんな姿をしたキョウコが嘲笑わらっていました。


 歌声が止み、代わりに月の様に。天上に輝く月の様に唇を歪めます。その隙間から白い歯が見えました。ぞくり、と全身に寒気が走りました。


「……キョウコ」


「月の綺麗な夜ねぇ……とっても明るい月ね。この月を見ながら、愛を語り合う人達がいるのでしょうね。こんな月の下だもの。嫌っていてもついつい好きだと勘違いしてしまいそう」


「キョウコ……」


「そんな怖い顔しないでよ。久しぶり……という程でもないわね。つい先日会ったばかりだし。ま、でも、折角北海道に来てくれたんだから、笑顔を見せてくれても良いと思うのよね」


 作った様な顔で、作った様に笑っていました。


 そんなキョウコの表情を。


 私は綺麗だと、優しいのだと。


 勘違いしていました。


「キョウコ、ネージュ君はどこ?」


「ネージュ、ねぇ……全く。イクスはいつもそうよね。私よりもネージュの事ばかり。私がこんなにイクスのことを好きだっていうのに。全然振り向いてくれないし」


「キョウコ!」


「そうやって名前を呼んでくれるのもまた、嬉しいわ。そんなに顔を歪めて、そんなに憤りを感じさせながらだなんて、滾るわね……」


「キョウコ。何もないのなら、ネージュ君の事を知らないというのならばそれで構いません。私は、キョウコが何かをしたとは思いたくない」


「その割には物騒な格好よね……まぁ、良いけれど。あーあ。残念、親友だと思っていたのに男の事で疑われるとか私可哀そう。とっても可哀そう。女の友情は男で失われるっていうのは本当だったのね―――」


「……キョウコがネージュ君をどうにかしようとする必要性なんてどこにもありません。私はギルドマスターとして問いに来ただけです」


 キョウコの戯言が聞きたくなくて、私は早口に、そんな言葉を挟みました。


 そんな私の言葉に、『ギルドマスターとか他人行儀よねぇ』とか言ってくれれば嬉しかったと思います。『まったく、大変ねぇギルドマスター様も』などと皮肉を言ってくれても良かったです。


 けれど、にやり、とキョウコが笑い。


 告げた言葉は、


「―――まぁ、私はお兄様のために動くわけだし、お互い様よね」


 でした。


 そして、同時に天に向けて指を差しました。


 次の瞬間。


 どすん、という落下音と共にぐしゃり、と云う音が私とキョウコの間で鳴りました。


「ぷれぜんとふぉーゆぅ」


 茶化したようなその言葉と同時に、空からカァ、カァと鳴くスカベンジャー達が現れました。瞬く間に、そのぐしゃりと音を立てた何かが覆われて行きます。


「っ……ネ、……」


 その背格好にまさか、と思い一歩飛び出そうとした刹那、キョウコが動き出したのが視界の端に。身体を捻って無理やり、横に倒れました。


 すん、と軽い音と共に。


 私が元居た場所をキョウコの刀が通過していきました。


「うんうん。優先順位を間違える程馬鹿になってなくて私は嬉しい。ちなみに、ネージュじゃないわよ、それ。元RTのなんとかって奴の死体よ。私の城に不法侵入とか死罪で良いでしょ。ちなみにちゃんと殺してあげたのは今さっき。今頃ギルドは大混乱かもね?」


「……キョウコ……本当に、貴女が……ネージュ君を」


「だから、指差してあげたじゃない。イクスの大事なネージュはあそこにいるってさ」


 続けざま、遊ぶようにキョウコが私へと接近し、一閃。


 転がり、その勢いで立ち上がり、スーパーレッドホークを構えました。


 停滞。


 その停滞を嫌ったのかキョウコが仕方ないとばかりに肩を竦めながら刀を下ろし、再び天を指差しました。誘われるようにそちらに目を向ければ……


「ネージュ……君」


 教会の屋根。十字架の立つそこに俯く人影のようなものが見えました。


 いいえ、人影に違いありませんでした。一瞬、人間だと理解できなかったのは……


「せいかーい。まだ生きているわよ。良かったわね。まぁでも時間の問題よ。スカベンジャーに喰われるまで残り10分少々といった所じゃない?回復アイテム使えないように両手両足ぶった切ってあげたし」


 そういう理由でした。纏わりつくスカベンジャーだけの所為ではありません。十字架に人型ではないネージュくんが張り付けられていました。意識を失っているのでしょう、だらりと首が下がり、頭を垂れていました。


 その痛ましい姿に目を逸らしてしまいました。


「どうして……キョウコ。貴女が……そんな事をする……意味はないのに……」


 怒りに、歯でも噛み締めていないと意識を保っていられませんでした。御蔭でその言葉は途切れ途切れでした。それでもキョウコの耳には届いたようでした。けれど、私の思いは届かなかったのでしょう。


「お兄様が望んでいる。それだけで私には理由になるのよ。誰にも分からない理由でしょうけれども」


 そう言って、くすくすと笑いました。


「ま、勿論、それだけじゃないけれどね」


 肩を竦めながら、それと同時に、『私の趣味が欠損死体写真を集める事だからっていうのも半分ぐらいはあるわよ?』、そんな戯言も聞こえました。


 これは……誰でしょうか。


 この目の前で笑っている人は誰なのでしょうか。


 本当にキョウコなのでしょうか。


 キョウコの顔をした別の誰かと言われた方が理解できます。


「兄……」


「そう。お兄様。私の大事な人。世界で一番……大事な人。殺されても笑って死ねるぐらい大好きな人よ。そして……このゲームの主催者でもあるわね。ごめんねぇ、イクス。私、黒幕の一人だったわ」


 息が詰まりました。


「そん……な……だって。でも、キョウコはずっと私と……今までずっと一緒に私とがんばってくれたのは……」


 心の奥底が震えました。心臓がバクバクと音を立てるのが聞こえました。怒りの感情を覆い尽くす焦燥感が身体の奥底から沸いてきました。だって、そんな、そんな事、そんな言葉が頭を埋め尽くしました。


「イクスが好きだからよ?それは本当。とっても大事な人よ。大好きで、大好きで……だから、言ったじゃない。……大好きな物程壊したくなるって。こんなにも好きにさせた責任、ちゃんと果たしてよね」


 振り抜かれる刀。


 反射的に合わせるようにスーパーレッドホークを縦に。


 すぱん、という音がしたかと思うぐらいに綺麗に、クロムモリブデン鋼が切断されました。驚きに一瞬、停滞してしまいました。


「防御無視攻撃の応用ね。巧い物でしょう?」


「っ」


 慌てて、その場を離れました。離れ、切断されたスーパーレッドホークを投げ捨て、代わりにトーラスレイジングブルを構えました。


「さっすがイクス。どんな状態でも反応してくれるわね。嬉しいわよ。……というわけで回答編。犯人は私よ、私。全部、私。あぁ、でも一応言っておくけど、雪奈が死んだのはネージュの所為よ?そこだけは勘違いしないでね。私は単に勿体ないから雪奈の四肢を貰っただけだし。中々良いオブジェだったわよ。もう捨てたけど。私、思ったより雪奈の事好きじゃなかったみたい」


 くすくすと笑うキョウコに心が沈んで行きます。


 今のキョウコの姿を見れば見るほどに心が沈んで行きます。


 キョウコが黒幕の一人。この世界に私達を連れ込んだ内の一人。その事実が私には重すぎました。今まで、一緒にずっと、辛い時も、苦しい時も、隣で、傍で私を支えてくれていたのは全部ウソだったという事です。


 好きだから、なんてそれこそ戯言です。


 身体から力が抜けていきます。


 ネージュ君は正しかったのです。もっと私が真剣にその事を考えていられればこんな状況にはならかったのかもしれません。いいえ、きっとそうはならなかったのでしょう。キョウコがそういう風に私と接して来ていたのはそういう事なのでしょう。


「……キョウ……コ」


 目が痛かった。


 涙を流そうと心が、身体が求めているのにそれが出来ない。涙が身体の中に溜まり、それが外に出られずに私の体を苦しめているようでした。でも、きっと、そんなのは幻想です。


 自ら発する痛みに、痛みは感じられない。それが、それがキョウコとその兄と呼ばれる人が作った世界なのです。


 酷い世界。


 本当に酷い世界。


「まだ名前で呼んでくれるなんて嬉しいわ。嬉しくてついついバラバラにしたくなるから困るわね」


 刀を弄びながら、私に笑いかけてくるキョウコ。輝かしい程に、残酷なまでに綺麗でした。強い強い光を放っているようでした。月の光すら陰りそうな、そんな輝かしさ。狂気に満ちた、狂った綺麗さでした。


「もう少し絶望してくれると嬉しかったんだけど、残念よ、イクス」


 言われなくても絶望しています。心が萎えて身体が思う様に動きません。呼吸が辛いです。頭の奥から痛みが沸いてくるようです。泣き叫び、逃げ出したいです。こんなのは嘘だと逃避してしまいたいです。キョウコがまた馬鹿な事していると笑っていたいです。また戯言ばかりを言ってと説教したいです。


 でも。


 これが現実でした。


 夢なんかじゃありません。


 これはただの現実で。


 辛い辛い現実で、幸せな事なんて一つもない、そんな現実。楽しい事なんて何もない。もはや地獄に落ちるだけの私には……それこそ、ネージュ君が生きていてくれる、ただそれだけが救いなのです。


 あぁ。


 そうだ。


 そうです。


 ネージュ君はまだ生きているんです。あんな状態になってもまだ生きているのです。


 私がこんな所で折れてしまってはネージュ君まで死んでしまいます。


 それだけは嫌です。


 それだけは耐えられない。


 例え、私自身が切り裂かれようとも構いません。けれど、ネージュ君が十字架に張り付けにされたままスカベンジャーに喰われるのを黙って見ているわけにはいきません。


「……キョウコ、貴女を……私は、貴女を殺します」


「そう!そうよ!それでこそイクスよ!大事な男を殺されそうになっているこの状況でただただ殺されるなんてそんな甘ったるい相手を好きになったつもりはないわよ。そうよ。来なさい。殺しに来なさい。私を、殺しなさい。この世界が終わる前にしっかり自分の手で私を殺しなさい!」


 哄笑をあげながら、世界の終わりと口にしたキョウコ。その言葉に疑問が浮かびました。ですが、今はそんな事を考えている暇はありません。


 立ち上がり、地面を踏みしめます。


 そして。


「ネージュ君をっ!」


 叫びました。


 声に反応するように方々からネージュ君の仲間達が教会へと向かっていきます。


「あらぁ?何よ、二人だけの逢瀬だと思ったのに……無粋な奴らね」


 苛立ちと共にキョウコがその人達を追おうとします。が、させません。


 ガツン、と腕に響く衝撃。猛る雄牛レイジングブルの一撃がキョウコの背へと。突然、背中から強烈な衝撃を与えられて、キョウコはたたらを踏みました。踏んだだけ、で済むのがキョウコの凄まじい所です。


 けれど、今はそれで十分です。その合間を縫って彼らが教会の入り口へと。


「あーあ。可哀そうに……さっきの奴が落とされた時に見なかった?」


「……NPCですか。でも、彼らだって弱いわけじゃありませんよ。元ROUND TALBEの方もいます」


「ふぅん。ま、どうでも良いわ。イクスのそんな顔が見られたんだからネージュなんてもうどうでも良い。あいつの輝きも確かに増してきたけれど……あれを殺さないでおく事でイクスが絶望に打ちひしがれ、更にはこんなにも私の事を想ってくれるようになったのだから……もういいわ。餌としての役割は終わり。助けたかったら助ければ良いのよ」


 実に饒舌にキョウコが語ります。


 再び対峙。


 対峙した途端、キョウコが片手を背に廻し、背中を抉った弾丸を掴み取り、ぽいっと足元に捨てました。痛みに顔を歪める事もなく、淡々とそれをやってのけました。


「ここで質問よ、イクス」


「……答える義理はありません」


「あっそ。まぁいいわ。勝手に喋るから」


 言って、キョウコは刀を構え、迫ってきます。早い、と思った瞬間、見失いました。


 どこに、と思う前に身体が天上へ向けて引き金を引いていました。


 どすん、という音と共に空に弾丸が昇って行きます。


「さっすがぁ!私の事分かってくれてるぅ!」


 という声は天から聞こえました。


 見上げれば、そちらも予想していたのか空中で身体を捻って私から見て左側へと降り立ちました。確かにこの世界はゲームですが、相変わらず意味不明な身体能力です。


「お兄様は最低な人間です」


 言いながら、キョウコが雪原を走りました。


「けれど、とても優秀な、それこそ天才と言われる類の人間です。そこらの神童と言われるような馬鹿とは違います。根本から違います。書物に書かれている事を理解できるてんさいは数多います。何も見る事なく、車輪の再発明をするてんさいがいます。けれど、それとも違います。何をする事もなく、何をしなくてもお兄様はこの世界に存在しないモノを産み出すのです。おかしな話です」


 言いながら、刀を振りまわしているキョウコ。その一筋一筋が必殺の力を込めたものです。私が避け切れなければそのままぶった切るとばかりの剣閃でした。


「それは本当に人間なのでしょうか?人間の自我、思考、発想は環境と経験によって作り出されるものです。にも関らず、お兄様はあぁでした。本当におかしな話です。ゲームや漫画、映画や小説の世界の登場人物のようにおかしいです」


「煩いっ!」


「煩くしているんだもの当然でしょう」


 また、くすくすと笑われました。


「でも。そんなお兄様にも弱点がありました。死病です。こんな所だけ人間なのですから笑えます。もう壊れているものを壊すなんて私の趣味じゃありません。こんなにもお兄様が大好きなのに壊せなくて残念です。本当に残念です」


 言い様、本当に笑いました。


 実の兄が死病に侵されていると笑って言える妹。そんな風に笑える人間を人間と呼んで良いのでしょうか。これならNPCの方がまだ人間らしいと思います。


 加えて、そんな人間である事をまったく誰にも気付かせずにいられた事が……とても、とても非人間的でした。


「長くてもあと数ヶ月だと思います。それで世界は終わりです。LAST JUDGEMENTが描いていた夢。いつか誰かが救ってくれるだろう。そんな綺麗で輝かしい夢。その夢は叶いません。そんな事あり得ません。お兄様が亡くなる時が世界の終わりです。お兄様が世界を終わらせます。この世界の神なのですから、出来ない事はありません」


「っ!」


「あぁ。絶望しました?しましたね?ふふふふ……あ。ごめんね、イクス。お兄様向けの喋り方になっていたわ」


 それが真実だというのならば。


 ネージュ君が生きていたとしても、私達はいずれ殺される。神様デウスエクスマキナによって殺されてしまう。無意味に、無慈悲に、世界に何の寄与もせず、ただただ無駄に資源を使い潰し、他の生命の邪魔にしかならない存在の如く。


「まぁ、それまでに最後の一人になればお兄様も約束は守るわよ。一人になれば、ね。さぁ、イクス。私を殺してネージュを殺して最後の一人になりなさいな」


「っ!!」


 レイジングブルを投げ、代わりにMP5、H&K USPを両手に構え、引き金を引きます。パァン、パァンと銃身から音を立て、弾丸がキョウコへと向かいます。けれど、その弾丸はキョウコを避けてあらぬ方向に飛んで行きました。いえ、引き金を引いた瞬間にキョウコが立ち位置を変えただけです。不愉快な程の能力です。一体、どれだけ動体視力と身体能力を持っているのでしょうか。


「一応言っておくけれど、自前だからね。そこら辺、お兄様は妹に優しくないの。ゲームに参加したいなら他のプレイヤーと同じ立場で参加しろというのよね。酷いお兄様よね、本当。……あぁ、そういう意味ではあんまり黒幕っぽくないわね、私」


 驚く私にご丁寧に説明してくれるのも今は全然嬉しくありません。鬱陶しさしか感じません。ぺらぺらとぺらぺらとどうでも良い事をどれだけ語れば気が済むのでしょう。


 その苛立ちが隙を作ったのでしょう。カァンと金属音が鳴り、私の手からMP5が飛んで行きました。瞬間、舌打ちしました。けれど、勿論、私もただで済ませるわけはありません。至近からUSPから.40S&W弾を5発撃ち込んであげました。その内、当たったのは2発でした。至近距離でそれだけ避けられるのは本当に悪夢の様です。


「いったぁ……」


 ボディスーツの隙間、肌が晒されているそこから血が流れていきます。


「私は流石にこれを愛と呼びたくはないわねぇ……あぁ、こっちの話。で、ここからが質問」


 言って。


 キョウコが飛び跳ね、空中でくるりと反転、私の正面に立ちました。


「これ以上、何を言われようと動揺しません。例え、ゲームマスターが世界を終わらせようとしても、私達は最後まで諦めません」


「私は、の間違いでしょう。ま、良いけれど」


 言葉に詰まりました。


 世界の終わり日。


 その日になったら私はどうするのでしょう。


 ネージュ君以外を全部殺して、その罪を裁かれるようにネージュ君に殺されて終わるのも……良いのかもしれません。そんな最低な考えが脳裏に浮かびました。


「子供の頃から大事なもの程壊してきた。人形の話はしたわよね。他にはコップだとか花瓶だとか、動物ペットとか……流石にあれは怒られたわ。でも、お兄様は逆に私を褒めて下さった。壊したいから壊すのが人間だって。殺したいから殺すのが人間だって。あぁ、まぁ、お兄様の事は良いわ……ともあれ、そんな事を繰り返している最中にね、私、思ったのよ。大好きな人間を私はどうするのだろう?と」


「まさか両親を殺したんですか……?」


「いいえ?実は私、お兄様を気色悪く思っていた両親の事、そこまで好きではなかったのよ。だからといって、今、両親が生きているわけではないけれどもね。でも、そういう意味では両親に感謝したいかしら」


「…………」


「私とお兄様もそこに居た。交通事故だった。両親の四肢だけが残った。これはもう綺麗に残ったのよ……ソレを見て私はね、イクス。分かる?私は腕と足だけになった両親を見て―――」


 笑っていた。


 恍惚と。


 狂ったように。


 月に照らされた艶神の如く。


絶頂イッたのよ」


 頬が引き攣り、変な笑いが出ました。


「……心外な顔をされるわね。これでもこの事を話したのは貴女が初めてなのよ?初体験なのよ?お兄様にも言っていない私の秘密なのに……本当、心外よ」


 一瞬、肩を竦め、深い吐息を吐いた後、再び口を開きました。


「大して好きでもなかった両親の四肢で私は絶頂を感じた。ネットに散らばっている大して好みでもない死体写真を見ているだけでも快感だった。素敵な写真を見た時は意識が飛ぶぐらいに最高だったわ。ちなみに私の大好きなネタはロザリア・ロンバルド。あれは最高よ。何度もイけたわ」


 恍惚とした表情を浮かべて我が身を抱きしめるその姿は、同世代の女の子が見せるようなものではありませんでした。吸い込まれるような妖艶さに、私は銃の引き金を引く事を忘れていました。


「だから……大好きな人間だったらもっと幸せになれると考えるのは当然よね?そう。そうなのよ。私は大好きな人間程殺したくなるし、その部位を飾りたくなる。北海道に来てから色々ばらばらにしてみたけれど、やっぱり好きな人間じゃないと駄目ね。まったく感じない。不感症になったのかと思ったわよ。あるいはそれだけ私はイクスの事が好きなのかもしれないわね。だったら一途よね、私。……その私がイクスを殺した時、どれだけ幸せになれるか、とっても楽しみ」


 普通の、正常な感覚の人間であれば両親の悲惨な死に目を見て、負の感情を抱くと思います。失った事による嘆き、悲しみ。失わせた事に対する怒り、恨み。それらが沸くでしょう。絶対に愉悦などというものは浮かびません。


 キョウコにとってのその兄という存在が、キョウコをこんな風にしてしまったのだと思いました。決して先天的にキョウコの脳がおかしいという事ではないと思います。そこまでおかしければ日常生活にも影響を与えていたと思います。普段は普通のどこにでもいる……とはいえませんが、美少女然として生活していたのです。でも、心の奥底に潜めた想いをひた隠しに出来るほどに彼女は今の自分と普段の自分を切り分けています。いいえ、だからこそ私は騙されたのです。私達は騙されたのです。


 きっと……物を壊した時に、人形を壊した時に、動物ペットを殺した時に、その兄が褒めたのがいけなかったのです。動物を殺した時には怒られたと言いました。他の時もきっと両親は怒ったでしょう。怒られ、悲しくなり、してはいけない事だと覚えて行くその過程で、そんな兄が許しを与えたのです。強烈な記憶となってキョウコの脳に刻み込まれた事でしょう。


 何かを壊せば兄に褒めてもらえる、と。何かを壊す事は自分の幸せに通じる、と。そういう風に記憶に刻み込まれたのでしょう。


 人間は経験と環境によってその性格が形作られるのです。ですから……


「さて。こんな私に対して、よ。傭兵の間に産まれ、結構な年齢まで戦場にいたイクスは何で私の様にならなかったのかしら?あるいは……だからこそ、あんなに人が殺せたのかしら?私よりも殺しているものね。血は争えないという所かしら?人殺しは報酬、人を殺すことは悪い事ではない。そんな風に刷り込まれちゃったのかしらね?これが質問。答えてくれると嬉しいわね?」


 愕然としました。


 なぜ、キョウコが私の両親のことを知っているのでしょう。


 キョウコにそれを言った覚えはありません。


「私がこのゲームに推薦したと思った?ネージュと雪奈を参加させたのは私。あの頃はあの二人の方が好きだったからね。そういうつもりで誘ったの。でもね、イクス。貴女は違うわよ?」


 くす。


 くす。


 くす。


「おめでとう、イクス。貴女は選ばれてこの世界に来たの。神様に選ばれて、この世界に誕生したの」


 私の耳朶の中、音が乱れ、反射し、増幅していきました。くすくす、くすくすと周囲に何人ものキョウコがいるかのように、耳の中で笑われているかのように。くすくす、くすくすと笑いが脳の中へと、心の奥底へと沈んで行きます。


「SISTERなんて、お兄様も素敵な名前を付けるわ。あれだけ殺しているなんて、本当に敬虔な信徒よね。他の誰でもない。私は貴女こそがお兄様の願いを叶えてくれたと思うのよ」


 キョウコの一閃を反射的に避けながら、無意識に避けながら、拳銃で押さえ―――


 無意識でこんな事ができる私は、やっぱり人殺しに慣れ過ぎています。再三自分でも思った事なのに、今、この瞬間、キョウコに言われて、その事実に愕然としています。


「みんな、ずっと我慢していれば。協力して待っていればいつか誰かが助けて来る。罪は私が、私達が背負うから。だから、皆は綺麗なままでいて」


 キョウコの口から流れるのは私達の最初の想い。


 殺したくないと願いながら。


 それでも殺さずにはいられない。


 そうしなければ死んでしまう。


 皆が殺されてしまう。


「ねぇ、うそつきさん?さっきから黙ってばっかりで一言も喋らないっていうのは酷いと思うわよ?あぁ、ほら、見なさいよ。どうやら、助けるのに成功したみたいよ?」


「……ネージュ……君」


 吊るされたネージュ君が、彼の仲間に助けられているのが見えました。十字架に繋げられたネージュ君が……両腕を切り取られ、両足が切られて、スカベンジャーに啄ばまれていたネージュ君。


 良かった。良かった……


「まぁ、ネージュはそっちなんだけどね。死因はさっきの落下ね」


 言って、キョウコが雪原でスカベンジャーに喰われている死体を指差しました。


「え……」


「ごめんねぇ、イクス。嘘吐いちゃった。ほら良くあるじゃない。死体変更トリック?顔をぐしゃぐしゃにして誰だか分からなくするって奴。趣味じゃないんだけれど、ついやっちゃったわ」


「キョウ……コ……嘘、よね……嘘、だよね……ネージュ君が」


 ネージュ君がもう殺されていたなんて。


 ネージュ君が私の目の前で死んだなんて。


「ちなみに急いでもらって悪いけど、あれも死体ね?気付かなかった?だってほら、スカベンジャーって死肉を喰らうからスカベンジャーなのよ?それともてきの言葉信じたのかしら?」


 あぁ。


 私は……どうして。


 どうして、私はネージュ君を遠ざけてしまったのだろう。


「ほら、本気になりなさい。貴女を見せて頂戴。あの時、DEMON LORDに見せたような嫉妬に狂い、怒りに溺れた素の貴女を」


 どうして、私はネージュ君の言葉を信じられなかったのだろう。


 守りたいと思った。


 守りたいと願った。


 DEMON LORDやあの悪魔の事がとてもとても羨ましかった。でも、死んだら、殺されたら意味なんてない。私が死ぬのは良い。けれど、ネージュ君がもし私を守って死んだとしたら私はもう耐えられない。ネージュ君は優しいから、私が危険な事を知ったらきっと助けてくれる。庇ってくれる。命まで掛けてくれるかもしれない。だから、そんな彼だから遠ざけた。


 遠く、手の届かない所に。


 あぁ。


 届かない。


 もう届かない。


 あの笑顔にもう二度と会えない。


 夕暮れの教室、友人達と笑い合いながら校庭を走るネージュ君。ちら、ちらと降る雪をわぁと嬉しそうに空をみあげ、窓から手を出した私に気付いて、笑ってくれたあのネージュ君。


 もう見ることが出来ない。


 もう二度と。


 二度と。


 もう二度とあの愛しい人の笑顔を見る事ができない。


 彼岸に至れば見る事ができるでしょうか。


 此方と彼方を繋ぐその岸まで至れば、彼に会う事ができるでしょうか。自分勝手に突き放して逃げた私が、そんな事を望んでもきっと……ネージュ君は会ってくれないんじゃないかな?


 逃げた私を迎えてくれる。そんなのは優しさじゃなくて、甘やかしだから。あのネージュ君がそんな事を許すはずが無いと、そう思いました。


「キョウコ。貴女を……私は、貴女を絶対に許さない」


「そうよ。それでいいのよ、イクス」


 三日月のような笑み。


 私にはもう見る事のできない輝かしい月の如く。


 彼女の作る月明かりがなければ、もう私には何も見えなくなるでしょう。


 けれど。


 それでも。


 それを壊します。


 容赦なんてしません。


「God bless youさようなら


 手には銃。


 女の子らしくない、クロムモリブデン製の武骨な凶器。けれど、それこそが私です。これが私なのです。銃と銃と銃が作り出す舞台ステージの上で踊る道化おろかもの。それが私です。


 なればこそ、笑おうと思います。


 きっと。


 彼は笑ってくれる。


 こんな私を、馬鹿だねって笑ってくれる。そんなにがんばらなくて良いのに、なんて優しい言葉を言ってくれる。だから、今は―――


「さっきから散々好き勝手なこと言ってくれてさぁ!そんなに死体が好きなら自分が死体になれば良いのよ!」


 -――狂気かんじょうに身を任せよう。


「あははっ!あはっ!あはははっ!さぁ、イクス。私と一緒にワルツを踊りましょう」


 二丁の拳銃をキョウコへと向ければ、キョウコがストレージから二本目の刀を。


 互いの武器を手に。


 互いに距離を詰めていきます。


 一歩。


 一歩。


 柔らかい雪を踏みしめながら。


 にや、と笑うキョウコ。


 憮然と睨む私。


 瞬間。


 がきん、とクロムと鋼鉄の重なり合う音が響き、同時に火花が浮かびました。


 ぼぅ、と陽の光のように、左右交互に、刀を銃で受け止め、引き金を引けば、刀に銃身を外され、それを戻そうと身体の位置を変えれば、追ってくるようにキョウコもまたその立ち位置を変える。


「最初は、なんだっけ?あぁ、思い出した。WIZARDのあれを皆で見たんだっけ。あれは汚かったなぁ……でも―――」


「あんなに吐き気のする光景は二度と見たくありません。いいえ、それよりも---」


 吐き出し、想い出を銃で撃ち抜きました。


「死を塊にしたような人でなしがそこにいました」


「お兄様より酷い感じの素敵な男性ひとでなしがいたわね」


 はらり、華が散るように二人の想い出が一つ消えました。


「次はPT組んで皆で地元に向かったんだっけ……そういえば、雪奈と喧嘩していたんだっけ?」


「さぁ!忘れましたねっ」


 銃を離し、キョウコのコートに向かって手の伸ばし、引き寄せる要領で投げようとして、しかし、空中で回転され、逃れられました。


「あぶない。頭から落とす所だったでしょう」


「それはそうよ、殺すもの」


 そんな簡単に殺すという言葉を使えるようになってしまいました。あの時、殺すと言う事がどういう事か。そんな事を偉そうに雪奈に語ったように思います。あの時、雪奈に貴女に言われたくないと、そう言われたんだったかな……


 想い出がまた一つ消えました。


「御友達になりましょう。そう言ったのは私からだったわね」


「こんな世界で、初めての親友が出来たと、そう思っていましたっ」


 ぎり、と歯を鳴らしながら、仮想ストレージから代わりの銃を手に取ります。取り出したと同時に、キョウコへと―――親友だった女の子へと引き金を。


 パァンという軽い音。


 案の定、雪原に着弾し、雪が舞いました。


「一応言っておくけど、ギルドマスターとして貴女が最適だと思ったのは本当よ。お兄様に選ばれた事とは関係なしに」


「いまさらそんな事言われても信じられないわよっ!貴女は自分勝手が過ぎるのよっ」


 いい加減、その口を閉じてしまいたいと思いました。口腔目がけて引き金を何回も、何回も弾倉が空になるまで。


 何度も、何度も二人で、一緒に戦闘を繰り返してきました。だからこそ、だからこそ―――キョウコが避ける方向が分かりました。


 牽制としての射撃。


 本命はもう一つ。


 ぐしゃ、と肉を抉る音が響きます。ぐしゃ、ぐしゃと次々に。


「っぁ……流石に痛いわ……」


 肩から血を流し、キョウコが唸りました。続けざまに引き金を引き---キョウコも私が何をしようとしているか分かっているようでした。


 癪です。


 癪ですが、確かに私と彼女はずっと。ずっと殺し続けていました。最初に殺したのはギルドが出来て暫く経ってのこと。二人で地獄に落ちようと、そう心に決めたのです。私達二人だけが地獄に落ちれば他の皆は助かると信じて。


 一人きりは寂しいからと、キョウコが付いて来てくれたこと、本当に嬉しかったです。薄暗く、仄暗い闇の底でも、月のように明るいキョウコの笑顔があればそれで大丈夫だと思えました。涙を流せたのなら、きっと私は泣いていたでしょう。ありがとう、そう言いながら。


 全てが終わったら、皆で外の世界に帰る事が出来たのなら、二人だけでどこか旅立っても良いとそんな事を考えた事もありました。


 でも。


 そんな夢も、想い出も今、消えました。


「そういえば、あのツインタワーでボス討伐の時にあの人が攻撃してきたんだっけ?あぁ、一度でいいからお話してみたいわね。遠くから見ても分かるあの人でなしな感じ。お兄様より先に会っていたら、きっと恋していたに違いないわ!……全身を切り刻んで、ホルマリンに漬けて棚に飾って、一生飼ってあげるのよ。献身的よね、私」


「見る目も趣味も悪すぎよ、キョウコっ。あんな死神みたいなののどこが良いっていうのよっ」


「あぁら。ネージュに比べたら雲泥よ。あ?怒った?あははははっ!ごめんねぇ、ネージュのアクティブさっていうか、気付いたら常に友達の中心に居る様な属性光!って感じは嫌いじゃないんだけれど、それだけじゃ私の琴線には触れられないっ。私を絶頂イかせられない!」


 返答の代わりに銃弾を。


 激情に任せたそれは、射線を見極められたのか身体を逸らすだけで避けられてしいました。


「さて、そろそろ間抜けなお仲間達が来るころかしら?それまでにイクスを……というのは無理そうねぇ……」


 余裕の表情を浮かべながら、背後の建物に視線を、向けたと思った瞬間、そちらへと飛びました。


 彼らが開けたままだった教会の中へと飛び込み、そのまま掛けて行く後ろ姿。その姿に、舌打ち一つ。


 キョウコの後を追います。


 足の早さでいえば、キョウコの方が相当早いです。しかも建物内だとすれば、尚更に。教会に辿りついた時にはもうキョウコの姿は見えませんでした。


 現実のそれと一緒にしようと創作が好きなプレイヤーが作った長椅子が並ぶそこを……邪魔だと思いながら進みます。きっとキョウコはこれを足場に飛んだことでしょう。


『きゃぁぁぁぁ!』


 案の定といえば多分そうなのでしょう。悲鳴が聞こえました。あれだけの時間を使ってキョウコを殺せなかった私の所為です。


 歯を噛み締め、その声の下へと向かいます。


 奥の部屋へと向かい、そこから二階へと続く階段を昇ります。その途中、首を切られた女性の死体が転がっていました。悲鳴の主でしょう。開いたままの目が恐怖に染まっていました。しゃがみ、言葉にならぬ想いを抱えながら、瞼を閉じさせました。


 まだ暖かい。


 手に残る温もりに、ネージュ君の事が思い浮かびました。


 早くキョウコを殺して、ネージュ君を弔わないと。


 一瞬。


 弔った後、どうしようかと思いました。


 私は他の皆を守るために、戦い続けるのでしょうか。あの、キョウコが気に入ったなんて戯言を告げた相手とWIZARD。あの二人を相手にして私は……生き残れるのでしょうか。


 いいえ。


 生き残らなければならないのです。


 例えネージュくんを失おうとも、月のしんゆうを失おうとも、私には見えるのですから。


 暗い水の底さえ見通せるのですから。


 きっと、地獄の底だって見渡せるはずです。


 光なんてなくても、世界はこんなにも明るいのですから。


「……ネージュ君。痛いだろうけれど、寒いだろうけれど、もう少しだけ待っていてね」


 階段をかけあがり、更に何体もの死体を見つけながら、三階まで到達しました。そこから壊されていた窓を通り、鐘のある場所へと。


 鐘の見える位置。


 更にその上に十字架が見える位置。


 そこに辿りつけば、キョウコが鐘をこつ、こつと叩いていました。からん、からん、と小さな音がなっています。それを覆い隠すように、カァ、カァと鳴くスカベンジャーの声が煩かったです。


 十字架に張り付けられていた死体。屋根の上に下ろされた死体。スカベンジャーに喰い荒された元RTの人の死体。


「汚い死体よね」


 言って、キョウコが死体を蹴り落としました。


 ソレにつられるように……スカベンジャーがそれを追って行きます。


 追って……


「ネージュ君っ!」


 慌てて、視界をネージュ君の死体の方へと向ければ、これも案の定……スカベンジャー達がそちらにも……今までより大量のスカベンジャーがネージュ君の死体を目がけて―――


「かはっ」


 気付けば、キョウコの刀が私の腹を突き刺していました。


「余所見しすぎよ。嫉妬しちゃうわ。……というかね、イクス。命を失えばあんなものただのデジタルデータよ?何をそこまで拘っているのかしらね?」


「死体漁りのくせに何をっ」


「スカベンジャー扱いとは失礼ね。でも、それもそうね。所詮、デジタルデータだったわね。だったら、尚更雪奈の死体デジタルデータにした事は悪くないと思わない?別に現実の肉体を損壊したわけじゃないんだし?これでも私、現実では処女ひとごろしじゃないし」


 刺さったままの刀を腹の中でぐりぐりと動かしながら、そんな戯言を嬉しそうに口にするキョウコに、私は右手の拳銃をその側頭部へと向け、引き金を。


「まだ話し足りないのよ。殺すのも殺されるのももうちょっと待ちなさい」


 咄嗟に、刀を引き抜き、後退したキョウコは、あろうことかそこについた私のデジタルデータを舐めました。


 美味しそうに。


 とても美味しそうに。


 怖気が走りました。


 今更ながら、この女は―――その兄に作られたとはいえ―――キョウコは化物ひとでなしなのだと実感できました。


「次はなんだっけ?細かい事はあんまり覚えていないけれど、ネージュが雪奈を殺して帰って来たんだっけ?」


 血に染まった唇が艶めかしく動きました。


「ネージュ君は殺してないっ」


「そうそう。そうだったわね。雪奈に告白されてイクスがいるから無理っていったら雪奈が走り去って行ったんだっけ。それで射殺されたとかいう話よね。きっとあの人よ。ね、そう思わない?」


「私が……?」


「あぁ。そうか。そうなのよね。鈍感娘だったわね、イクスは。そういう所も好ましいんだけれどね」


 きっとそれは嬉しい事だというのに、聞きたくないと思ってしまいました。


 こんな状況でそんな事を聞いた所で何が変わると言うのでしょう。


 いいえ。変わる物はあります。


「ネージュは貴女が好きだったのよ?ネージュという名前もそう。ネージュの体で遊んでいる時に聞いたわよ。いつだったかの放課後、その時に降って来た雪を眺めていたイクスがとても愛らしくて、綺麗で、その光景が脳裏に焼き付いて、忘れられなかったんだって。だからネージュってつけたんだって。ふふふ。ロマンチストよね、ネージュも――――反吐が出るわ」


 互いに声を交わしたわけじゃない。


 私はあの時の光景を覚えている。


 ネージュ君もあの時の光景を覚えていてくれていたなんて、そんな嬉しい事はない。けれど、その言葉を―――彼を殺した人から聞きたくはなかった。


「キョウコォォ!!」


「その顔、鬼も閻魔もきっと避けて通るぐらい素敵よ、イクス。さて、その後はDEMON LORDか。そういえば、北海道で赤子が殺された事あったじゃない。分かっていると思うけれど、あれをやったのは私ね?イクスへの想いが盛り上がっちゃって、自制できなかったのよ。経験値でばれると思ったけど、そうでもなかったわね。鈍感なのか、それとも---私の事、信じてくれていたってこと?」


「…………っ!」


 時々、浮かびあがった疑問をそのままにしていたのが、今の状況を作り上げたのだとしたら、私は……馬鹿なのだと思います。


 優しいふりに騙されて、耳触りの良い言葉に騙されて、楽しげな雰囲気に騙されて、優しさに喜んだり、頼ったり、二人だけで堕ちて行く事への罪悪感、それらに私は甘美な何かを感じていたのでしょう。どうせ私は傭兵達の間に産まれた子供だから、なんて、自分がやりたくもない事をする事への言い訳にして、仕方ないといって自分を誤魔化して、そこから抜ける事を忘れてしまったのです。


 だから、私は、私は何もかも失ってしまったのです。


 ギルドのメンバー達が残っています。そんな自分も騙せない嘘を吐く事はできるけれど、でも……私が本当に欲しかったものはもうここにはありません。


 何も。


 何もありません。


「イクスはDEMON LORDとあの悪魔の関係が羨ましかったのよね。とっても羨ましくて、羨ましくて……自分には絶対に出来ない事がただのデジタルデータに出来ている事に怒りを覚えたのよね。だから、あれを殺す事を望んだのよね。ほんと、馬鹿なんだから。……結局、ROUND TABLEの面子を迎え入れるのなら、DEMON LORDだってどうにか和解出来ていたと思うわよ」


 心底私を虐めるのが楽しそうでした。けれど、でも、その言葉だけは……私に優しくしてくれていたキョウコのようでした。それもきっと錯覚なのでしょうけれど……。


「正直にいえば、お兄様の事だから、最初から何も起こらなければ、皆助かったのよ。人間はそれでも平和を望むなんて格好つけて、それで満足したんだと思う。でも、もう遅い。まぁ、そうならないように布石は一杯打っていたみたいだけれども。それでも尚、人が人を殺さないならば、お兄様はそれで満足したはずなのよね」


「随分勝手なことを言ってくれるね……」


「それは当然よ。お兄様も人間よ。勝手に生きて、勝手に死ぬ。人間は誰かのために産まれて来るわけじゃないのよ。それが当然。私がここにいるのも私自身の我儘でしかないわけだしね。さて、想い出話はこれでおしまいかな。イクス。そろそろ幕を引きましょう。私と貴女の物語の……幕を」


 それからは互いに無言でした。


 刀と弾丸の作り出す音とカァカァと嬉しそうに鳴くスカベンジャー達の声だけが響きます。他には誰も居ません。他には何もありません。悪魔の一匹も、NPCの一人も。誰も。


 私達二人だけの世界でした。


 ひらひらと舞い降りてくる雪の華。もう見えない月の光。皆で作った教会の上、私達は、その関係を終わらせるために、現在を過去にするために刀を振り、銃の引き金を引いていました。


 手首を切りつける刀。足先を打ち抜く銃弾。腕を切られ、腕に風穴を開け。近づき、遠ざかり、息を吐き、息を吸い、笑い、睨み。幾度となく、何度となく相手の命を奪い合う行為を繰り返しました。


 きっと、もう。ネージュ君の欠片も残っていない様に思います。


 これだけ時間を掛ければスカベンジャー達の食事も終わっている事でしょう。でも、私は自分の想いを優先してしまいました。ネージュ君を殺したキョウコを殺したいと、そう思ってしまったのです。復讐は何も産まないと言います。それでも私は自分自身の気持ちに折り合いを付けるために、彼女を殺します。許す事なんて、絶対にできないのですから。


 彼の気持ちを知ってしまったから。だから、尚更に。尚更に……許せませんでした。抑えきれないこの感情を何というのでしょう。後悔、憎悪、怨嗟あるいは嫉妬と言ってしまえば簡単なのかもしれません。自ら手を伸ばせば届いたかもしれないその光。それを手に入れられなかったからと他人を恨んでいるだけなのかもしれません。子供のようでした。欲しい物が手に入れられなくて叫んでいる子供のようでした。


 大人ぶって。


 皆の前に立ち。ネージュ君のためといって一杯人を殺してきました。


 願いが叶わないのも当然でしょう。


 人殺しの願いが叶うほど神様は優しくありません。


「ハァハァハァ……」


 五分でしょうか。十分でしょうか。あるいは一時間でしょうか。


 お互いの服はもうボロボロでした。刀で切られ、銃で穴を開けられ。キョウコの赤く綺麗だったトレンチコートももはや襤褸雑巾の様です。脱げば良いのに、と思います。


 その瞬間、理解してしまいました。


 あぁ。


 ここに至っても私は―――


「……」


 相手キョウコの心配をしていました。


 私は、ネージュ君を殺されてもキョウコを嫌いになれていなかったのです。


 勿論、恨みはあります。憎悪もあります。殺したいと思う復讐心もあります。でも、それはキョウコの事が嫌いだからじゃありませんでした。同じ事と言われるかもしれません。けれど、私にとっては違う事でした。


 馬鹿です。


 本当に私は馬鹿です。


 キョウコにとってはただの嘘だったのかもしれません。でも、辛い時に優しくして貰いました。苦しい時に助けて貰いました。どうしようもなく悲しみに暮れている時だって、彼女が隣に居てくれました。それは間違いないのです。


 そんな相手をどうして私は殺さないと駄目なのでしょう。


 他に道はなかったのでしょうか。


「…………キョウ……」


 もうやめようという言葉が出そうになりました。でも、今更、殺さないでいられる道はありません。ここで止めた所で私の想いは消えないのですから……。


 辿りつく所まで辿りついてしまわなければ、私はもう止まれないのです。


 馬鹿です。


 もっと私が、巧くやれていたら。もっと早くキョウコの事に気付いていたら。あの時、掲示板をフォーラムだと口にしたキョウコに対してもっと強く聞くべきでした。あの頃ならキョウコは何もしていなかったのですから、あの時に止めていられれば、今も私達は親友で、二人で楽しく過ごしていたんです。


「ハァ……ハァ。今更言葉は必要ない。でも一言、言うわ。…………イクスの所為じゃないわよ。これが私のサガよ」


 その言葉は、幾分悲しそうに見えました。


 その言葉に、やっぱりキョウコは生まれながらの殺人者ナチュラルボーンキラーではないのだと確信しました。


 この世界の神様や、あの男とは違って。


「カーテンコールにはまだ早いのかしらね」


 余計な事を言ったとばかりにそう言い、口を閉じ、真剣な面持ちで再び私の下へと駆けて来ます。このバランスの悪い屋根の上で良く、そんな風に全速で駆けて来られるものだと思います。流石、キョウコでした。


 お互いに止まる事はできません。どちらかがどちらかを止めるまで続くのです。


 だったら、私はその責を担います。


 親友だった彼女キョウコのために。


 これ以上、彼女キョウコが人を殺さないようにするためにも。


「じゃあね、イクス。先に地獄に行きなさい!」


 真っ向から来るその一撃を避け、


「See you there」


 ストレージの中からスタームルガー・スーパーブラックホークを、コルトM4A1を、ステアーAUGを、ブローニングM1918を、IMI タボールAR21を次々と取り出し、引き金を引いて行きます。屋根の上、弾倉が空になった物から投げて行きます。視界の端、新しい餌だと思って、スカベンジャーが取り付いているのが見えました。咥え、ペッと吐きだし、再びネージュ君と騎士ナイトの死体に群がります。


 けれど、もう構いません。


 それに、これで終わりです。


 次々と襲ってくる弾丸の雨に、キョウコも避け切れなくなったようでした。酸化した黒い血がトレンチコートの色を変えていきます。


 これを刀でどうこうできる人なんていません。DEMON LORDのような防御力特化ならばどうにかなるかもしれません。ですが、キョウコにはそれがありません。喰らわず、避けて、やられる前に殺すタイプです。ですから……これで、終わりです。


 私に、コレをさせた時点で彼女の負けです。


「……げほっ……かはっ……」


 キョウコのHPバーがどうなっているかは分かりません。ですが、もはや死に体です。後は血の流れだけでも死に至るでしょう。


 これでおしまいです。


「ぁ……ぁぁ……わ、私の負け……ねぇ……」


 ばたん、とキョウコが屋根の上に倒れ、そのまま滑り落ち、落下していこうとしたのを、私は……止めました。


「なんで助けるのよ……趣味が悪いわよ……」


 そんな事、分かっています。


 でも、身体が勝手に動いたのです。自分自身ではどうしようもありませんでした。


「……何よその顔……今にも悲しくて歌いそうじゃない。まったく、止めてよね……私なんかが死んだところで悲しい事なんてないわよ。復讐果たせて良かった!で良いじゃない。それに、私……貴女の歌、嫌いだったのよ。…………だから、絶対に歌わないでね」


 途切れ、途切れの言葉でした。もはや喋るのも億劫だというのに悪態をついている、そんなキョウコに、私は……


「笑わないでよ……失礼なやつね」


 きっと、涙を流せるなら、笑いながら、泣いていたのだと思います。


 嫌な世界です。とっても嫌な世界です。涙一つ流せない世界なんて、本当に……嫌な世界です。


「ほんと……月の綺麗な日ね……こんな日に死ねるなら、満足よ」


「私、月が見えません」


「そっか……それは残念ね」


「はい」


「―――じゃあね、先に行くわ」


「はい。いずれ」


 いずれ地獄で会った時には悪態を吐きながら、一緒にいられれば良いと思いました。


 キョウコの身体から力が抜けて行きました。


 意識が、魂がその身体から抜けていったのです。もうこれはただのデジタルデータ。そんな0と1で出来たものに悲しさを覚える事なんてあるわけがないのに。でも、それでも……私は。


『北海道 現城主 BLACK LILIY が打倒されました。』


 無感情なアナウンスが世界に流れました。


 機械的な無感動で無感情なその言葉が、彼らを、彼女らを送る葬送曲だというのならば、こんなにも悲しい事はありません。


 だから、自然と、


「---LA」


 唄っていました。


 鎮魂の唄。


 ネージュ君、キョウコのために。他にも死んだ人たちのために。今まで死んだ人たちのために。これから殺す事になる人達のために。


 大好きな人が殺されたから、殺した相手を憎んで、でも、その相手を嫌いになれなくて、でも、自分で殺して、それで悲しんで……馬鹿みたいです。どうしようもない程、私は馬鹿なんです。


 謳いながら、自嘲気味に笑みを零した時でした。


「あ……」


 月のある方向。


 キョウコが最後に見ていた方向。


 そちらに目を向けた時、きらりと光るものが見えました。


 見えた瞬間―――


 


 死神あのおとこの姿が見えたような気がしました。




 ―――腹部からの酷い痛みと共に世界が暗転しました。




 暗い。


 とても暗くて何も見えません。


 でも、だからこそでしょうか。




 金色に輝く美しい月が見えました。




「あぁ……キョウコが言った通りだ。本当に、綺麗……」




 キョウコの馬鹿。


 勝手に制限を解除しないで欲しかったです。


 これじゃ、私、無駄死です。


 でも。


 これで良かったのかもしれません。


 ネージュ君がいなくなり、キョウコもいなくなって……私は……


 ……何も見えなくなっていた私にはちょうど良かったのかもしれません。




 ネージュ君、さようなら。


 大好きでした。




 それと、予定より随分早くなったけれど……


 地獄で続きをしましょう、キョウコ。






『東北地方、北海道地方 現城主 SISTER が死亡しました。以後、 東北地方 は城主無し となります』


 


 意識が沈み込むのと同時に、そんなアナウンスが聞こえました。



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