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「北海道に行きましょう」
銃器とカップの置かれたテーブルの前、椅子に座り、そのカップの中身を飲みながら武器のメンテナンスをしていれば、灰被り姫がそんな事を言った。
NEROがアリスによって殺されてから一週間と少し。僕達は未だに関東に居た。別段関東に用があって居座っているわけではない。特に何をするでもなく、時折思い出したようにNEROの貯蔵していた武器を手に入れたり、WIZARDにNPC討伐に連れて行かれたり、アリスの入れたコーヒーを飲んだりしながら元NEROの城で過ごしていた。
そんな日々にも、見渡す限りの廃墟にも飽きて来た頃であり、NEROから聞いた『彼』の妹であるBLACK LILIYに会いに行くのも良いと思っていた所だった。
「寒いのは嫌いだと思っていたが?」
「先回りしただけよ。いい加減暇だからBLACK LILIYが見たいとか言いだすんでしょう!そうなのよね!」
「全くその通りだが……」
分かり易くそんな主張をした覚えはないが、いい加減僕がどういった人間なのかがWIZARDも分かってきた、という事だろう。
ふむ、と変な納得をしながら作業の手を止め、紅茶を口にする。
作業に集中していた所為だろう。僅か温いそれを一気に喉の奥へと流し込む。喉を通るぬるま湯の動きを感じながら、空になったカップをテーブルに置く。
そのタイミングを見計らったかのように、
「鬼畜様の浮気性にも困ったものですねぇ」
NEROの城にあった給仕服を着ているアリスがそう言った。
その給仕服はこの城で手に入れたものだった。
その服にしろ、この城にしろ、妙に懐かしいと言う。過去を自ら殺したNPCが今更何をと思わなくもないが、心が無いからこそであろうとも思った。アリスは覚えていないし、興味もないと言っていたが、NEROの言葉は正しかったのだと僕は思う。
α時代の名前をランカーネームとして与えられたのは『彼』……もとい、春という男の性格の悪さの表れだろう。姿形を変えられたのもそういう事なのだろうが……あの姿形に関してはまた違う理由のようにも僕には思えた。……それが正しいかは分からないが、何れにせよ、アリス曰く、NEROのあの姿はαテストでアリス……イリスを殺した者の姿だという。
NEROの様子から、その人物と『ネロ』との間には何かがあったのだろう事は推察できる。アリスのその名を見た時に見せたNEROの表情を思うに、NEROの身体の持ち主の名前が『ありす』なのではないだろうか。そう思う。その女とNEROの間には色々とあったのだろう。彼がαのサバイバーである以上、少なくともその『ありす』は死んでいるのだから。例えば、自分で殺したものの、その人物はNEROにとっては未だ忘れられぬ相手だとか、そんな所ではないだろうか。
そうと考えれば、NEROは表向きには『イリス』を求めていたが、彼が真に欲したものはその『ありす』なのではないだろうか。そんな事を思った。そうでもなければ、嫌いな奴の顔を毎日見るのは苦痛で仕方ないだろう。僕にはどうにもNEROがあの姿を気に入っていたように思えたのだ。
……まぁ、NEROの事に大して興味があるわけでもなく、彼自身もはや死人である。春という男に聞けば真実を知る事は出来るだろうが、態々聞きたい事でもない。
吐息を一つ。
考えを改め、アリスへと目を向ける。
見れば銀盆を持ってちょこまかと動いていた。
後悔をするのは人間だけだ、とでもいわんばかりに普段通りである。
給仕服姿や城への懐かしさがその時体験した楽しい記憶を想起させたのか何なのか。せっせと僕とWIZARDの身の回りの世話をしていた。家庭的な爆弾魔であるところのWIZARDには自分でやれる、鬱陶しいと突っぱねられているが……。
「それで?行かないの?」
「行くさ」
「あ、勿論私も行きますからねっ!」
「邪魔よ」
身も蓋もない言葉であった。
言葉にショックを受けてがーんとしているアリスではあるが、それでも銀盆からカップを落とさない辺り、プロである。そういえば、昔、精神統一のためといって頭に盆を載せてその上に湯呑みを置いていた馬鹿がいた。妹である。何かの漫画に影響されたのだろう。そんな事をしていた。その事を思い出し、懐かしさに苦笑が浮かぶ。
「ひ、酷いです……お、お姫様と鬼畜様の愛の営みの邪魔をするつもりはないんですよ、私。給仕は見た!ぐらいはすると思いますけど。あ、でも。おこぼれをくれるなら貰いますよ!我儘は言いません。さきっちょだけで良いですから」
「鬱陶しい上に下品極まりないわねぇ……ねぇ、シズぅ?糞餓鬼の事が終わったんだから、元の所に帰して来なさいよ」
「面倒くさい」
「帰すことを否定して下さいよ!」
「WIZARDの言うように、君がいたところで邪魔になるだけだ。寧ろ、死ぬ確率が減るのだから良いと思うが?」
「こ、これだから鬼畜様はっ!乙女心が何も分かっていませんねっ」
「シズぅだしねぇ……まぁ、人形の言う台詞じゃないけれども」
これみよがしに大きくため息を吐かれた。
姦しい。
がちゃがちゃと拳銃のメンテナンスをしながら、そう思う。
銃といえばNEROとの戦いでXM109は破損し、使い物にならなくなった。代わりといっては何だが、NEROの死体付近からFN P90を手に入れたものの、攻撃力でいえばXM109の方が遥かに高い。正直、FN P90やTAR-21だけでは心許ない。実際問題、NEROより低レベルのプレイヤーしか居ないのだから、TAR-21だけでも、Cz75だけでも気にする程の事ではないのだけれども……また、NEROの倉庫を探ってみるとするか、などと考えていれば目の前でカチャと音がした。
テーブルにアリスがカップを置いた音だった。
先程なくなった紅茶の代わりにコーヒーを入れてくれたようだった。
コーヒーの香りに惹きつけられるようにカップを手にし、一口。
「……うまいものだ」
「鬼畜様のデレいただきましたーっ!ということで、ついていって良いですよね?ね?」
「NPCの死体に興味はないんだが」
「死ぬ事前提で語らないでくださいよ。死なないようにしますからっ。ほら、私って強いですし!」
NEROを殺したことを誇っているNPC。
それとは対照的に自分でいれたコーヒーを苦そうな顔をして飲んでいるWIZARDがぽつりと零す。
「人形に見せ場を取られた私達って何なのかしらね……」
と。
「人の生き死に見せ場も何もないと思うがね。綺麗か汚いかの違いしかない。そんな高尚なものじゃない。まぁ、しいていえば、アリスの殺し方はWIZARD同様、僕は嫌いだ」
「……おかしいわねぇ。なんで私同様とか言われているのかしら。というか、私のことを形容詞扱いするのそろそろ止めてよね」
「殺し方を変えたら考えるさ」
「無理ね」
くすり、とWIZARDが笑った。
それと時同じくして、
「雨、降ってきましたねぇ……どこかで誰かが泣いているのでしょうか?」
雨が降って来た。
ぽつぽつと弱い雨。
それを誰かが泣いていると表現できるアリスがこの中では一番人間くさいのかもしれないな、と改めて思いながら、作業中の銃を置いたまま、僕は部屋を出て行こうとする。
「シズぅ?何処行くのよ?北海道?」
「折角なんで外に出て来ようかと思ってね」
「あっそ……」
肩を竦めるWIZARDを余所に僕は外へと向かう。
外に出ればぽつぽつと空から降り落ちる雨に髪が、顔が、肩が、腕が、手の先が、腰が、足が濡れて行く。冷たいものだった。
それから暫く雨に打たれながら呆とする。
何がしたいわけでもない。何か目的があってのことではない。
「…………」
北海道は雪なのだろうか。
きっととても寒いのだろう。雪は嫌いではない。氷は嫌いではない。氷漬けの死体はとても素晴らしいと思う。BLACK LILIYが死体を、四肢を凍らせて飾っていてくれたりすれば、僕はとても喜ぶだろう。楽しみだった。その楽しみが故に、僕は外に出て来たのだろうか。遠足を楽しみにし過ぎて熱を出す子供の様だった。NEROを子供だと称したが、今の僕こそがそうだった。自然、苦笑が浮かぶ。
だが、それも仕方ない。
きっと最後の一人だ。
僕がこの世界で満足できる死体。それを作ることが出来るのはもはやBLACK LILIYしかいない。NEROの予想からすれば、そろそろ彼女は動き出す。動き出した事で殺されそうになるかもしれない……それは許し難い事だ。
そんな僕の思いは誰にも理解されることはないだろう。勿論、誰に理解を求めるわけでもないが……。ともあれ、もしBLACK LILIYが殺されそうになるのならば……SISTERとBLACK LILIYが戦う事になるのならば、僕はBLACK LILIYに手を貸す。それは間違いの無い事だ。
そんな事を考えていればいつしか雲に切れ目ができ、その隙間から偽りの月が見えた。興覚めだった。
「……WIZARDがごねる前に戻るか」
建物の中に入り、風呂場へと移動し、服を脱ぎ、熱いシャワーを浴びる。
頭上から伝う熱湯が髪に、頬に、肩に、腹に、腰に、臀部に、足に伝っていく。次第、次第と身体が熱を帯びて行く。
暫くシャワーを浴びていれば、ふいに何故NEROはシャワーを設置したのだろうかと思った。今の僕のように冷えた身体を温めるにはちょうど良い。確かにそうだ。汚れが落ちるのも事実だし、気分転換にもなるだろう。けれど、NEROにとっては見たくもない自分を間近に見て、触りたくもない身体を触らなければならないわけだ。そうと考えると何故NEROはこんなものを配置したのだろうか、と疑問が沸く。やはり、NEROにとってあの身体は特別だったのではないだろうか……。
……そういえばNEROの城は今、誰のものでもない。城を支配しているボスがまたぞろ沸くわけでもなければ、勿論、城の支配権がアリスに移ったわけでもない。であれば、だ。今現在、NEROが支配していた城は関東のみならずその他の城も、その全てが誰の手にも入らない状態にある。ゲームとしてそれは如何なものなのだろう?と疑問に思う。『彼』は城主がNPCに殺されることを想定していなかったのだろうか?……などと考えてみたものの、だからといって僕が城主になりたいというわけでもなく、別にNEROの城が誰の手にも入らないこの状態に不満を持っているわけでもない。
などなど。
そんなどうでも良い事を延々と思い浮かべる自分に、相変わらずどうでも良い事ばかり考える頭だな、と叱責に似た感情を浮かべ、どうでも良い思考を掻き消すようにまた暫く熱湯に浴びていれば、ふいにカタンと音がした。
「シズぅ……?」
「何か?」
脱衣所。硝子越しにWIZARDが座り込んでいるのが見えた。
「寝る」
「せめて僕が出るまで待ってくれると嬉しいんだが」
「嫌よ」
我儘なシンデレラである。寝た後に出れば良いか、と考えながら呆と熱湯を浴びていれば、硝子越しにくぐもった声が聞こえた。
「シズぅ。他の奴ら殺し終わったら旅しない?」
「いきなりだな……今までも十分旅をしているような気はするが」
「人間とかNPCとか悪魔とか殺さずにただのんびりと旅をして、山奥の温泉に二人で浸かって、ぼけっーとしたいのよ。狸とか狐なら一緒に温泉に入ることは許すわよ!」
「動物好きとは知らなかったな」
「犬とか好きよ、私。殆ど映像でしか見た事がないけれど。そういえば、犬といえば……盲導犬っているわよね?……何でいなかったのかしら?」
具体的に何が言いたいのかは分からなかったが、きっとWIZARDが鳥籠から逃れようとして逃れられなかった時にSCYTHEのような人を見たのだろう。
「僕は猫の方が好きだがね」
「比較する様なものじゃないわよ。そういえば、飼っているとか言っていたっけ?えっと、……アイン?」
「良く覚えているな。アインソフオウル。ちなみに命名は妹だ」
「こんな変な兄を持ってほんと大変な妹さんよねぇ」
「それは否定できないな」
「そりゃそうよ」
くすくすと笑うWIZARDと流れ落ちる熱湯の音。暫くそれだけが響いていた。
「何かあったのか?」
「どうせ私とシズぅのどっちかが勝つんだから、最後ぐらいは感傷に浸っても良いじゃない」
「未来のことは分からないというがね」
「それでも、よ。NEROでさえああなのよ。他の連中が私達を殺せるわけが無い。……何十人来ようと、何百人来ようと、何千人来ようと関係ないわよ……それに悪い魔法使いなのよ、私」
「シンデレラが良く言う」
「……そういうのはシズぅだけよ」
きっとWIZARDの口元にはいつもの苦笑が浮かんでいる事だろう。だから、そう。気まぐれに。
「プレイヤーがいなくなれば暇になるのは確かだ」
そう口にした。
「ありがと」
今暫く。
12時を超えればWIZARDが苦しみ出し、戸を開ける事もできるようになるだろう。それまでは好きにさせるのも良い、そんな風に思った。




