08
「ネージュ君が……行方不明?」
その報告を聞いた時、私は呆然としました。
書類を落とし、慌てて拾おうとして指先が書類を掠めました。慌てるようにその情報を伝えて来た方が、私の代わりに書類を拾ってくれました。
それを受け取り、漸く口にしたのがその言葉でした。
「はい。ネージュと元RTの騎士、二人が行方を眩ましました」
騎士と聞いて一瞬誰の事か分かりませんでした。どこかで聞いた名前だと思っていれば、すぐに思い出せました。あの人か、と。あの人とネージュ君に付き合いがあったとは知りませんでした。
ギルドメンバーが多くなればなるほど皆の顔が見えなくなっていきます。以前は誰と誰に付き合いがあって、その人達が今何をしているかを把握していました。勿論、全員の名前も覚えていました。けれど、今は名前を覚える事すら無理でした。ましてやどういった関係にあるのかなどもっての他でした。
忙しない日々の所為だとそう思ってしまえれば良かったのですが、それも言い訳なのでしょう。自分がそう思うのですから、多分そうなのです。
「NEROの残したNPCの所為ではないのですよね?」
あの日、教会の完成式典を行っている最中の事です。私達にとって最大の敵であるNEROが死にました。
その日からもう一週間近く経ちました。
あの時のギルドメンバーの喜びようといったらなかったです。
アナウンスに一瞬、世界から音が消えたかのように静まり返り、数瞬後の事です。皆が示し合わせたように叫びました。私は叫びませんでしたが、肩の荷が僅かに下りたのを感じました。キョウコがその場にいれば二人して喜んだとは思います。けれども……キョウコはその時、丁度少し用があるといって席を外していました。しばらくして戻ってきましたが、その頃にはギルドメンバー達はお祭り騒ぎ状態で、私はあちこちで担ぎあげられている最中で話す事はできませんでした。
でも、私はキョウコと二人、視線を交わしました。
やったね、と。よかったね、と。これからがんばろうね、と。後二人倒せばゲームクリアだね、と。
その喜びは、しかし、その後に訪れた激動の日々の始まりでもありました。
死ぬ間際にNEROが何かをしたのでしょう。
NEROのNPCの数が以前よりも多くなっていました。より正確にいうならば一度に相手する数が、です。
以前の倍にも感じる程でした。
加えてレベルも高く、私やキョウコが出なければならない事もありました。対抗しようとこちらも高レベルNPCを用意しました。それでもキルレシオは6:1になってしまいました。もちろん相変わらずこちらが1です。
確かに長期的に考えればこちらに分があります。あちらは増える事がなく、こちらはいくらでも増やす事ができます。プレイヤーのレベルもいつかはNPCを超える事ができます。ですから、長期戦に入れば私達が有利です。この構図は変わりません。ただ、どうやって長期戦に持っていくかが問題でした。
以前に比べて―――まるでNEROが遊んでいたかのように思える程―――NPCの侵攻は苛烈でした。
レベル上げのために悪魔を狩りに行った人達がNPCに襲われて死にました。気分転換に仲間達と共に海に行くと言って出発した人達が途中NPCに襲われて死にました。県境を防衛しているそれなりにレベルのある人達も死にました。騎士団の人達は何とか逃げおおせたという話です。
大勢の人が死にました。
このままでは皆のレベルが上がる前に全員殺されてしまいます。
積極的にレベルをあげている騎士団の面々でもどうにもならない現状では、私かキョウコが出て行って相手をしなければ安全とはいえません。ですが私達は二人しかいません。同時に三か所攻め込まれればそれで終わりです。
考えるまでもなく、じり貧です。
その対策として、キョウコや騎士団の面々と相談した結果、拠点を北海道に移す事にしました。準備が整い次第、皆で移動する予定です。
北海道は元々DEMON LORDの土地であり、今は私達の領地です。ですから、NEROのNPCも殆どいません。本州とは海で分かれていますので早々にNPCが私達を襲う事はできません。ターミナルを伝って来るNPCはどうしようもありませんが、そのターミナル自体を壊してしまう、あるいは埋めてしまおうと考えています。城壁を作るために貯めておいた建設素材が役に立ちそうでした。
これ以上ない案だと思います。これ以外に私達に残された道はないと言えるぐらいに。
ですが、住み慣れた……というと変ですが、荒廃した世界でも慣れた場所というものはあります。これを捨てて移動することに否やを唱える人達がいました。
その人達に、だったらどうすれば良いと問いました。案の定、答えはありませんでした。
人が増えればそういう人も現れるのだと、理解しました。
否定のために否定する人達。主義や主張なんてありません。不満を撒き散らすだけの人達です。比率としては、初期LAST JUDGEMENT、元ROUND TALBE以外の人達にそういう人は多かったです。『理不尽にこの世界に閉じ込められたのだから』、『私は何も悪くないのだから』という感情が根底にあるようでした。キョウコが皮肉気な表情でそんな事を言っていました。
そういう人達には説得という行為自体が無意味でした。
だから、強権を発動させるしかありませんでした。ギルドマスター命令。従わなければ罰を与える、と。それがまた、その人達には不満のようでした。上層部は何も分かっていないという言葉もちらほらと、私の所まで聞こえて来ていました。
人が増えた事でそういう問題が出るのは仕方ないのだと思います。それと同時に、こんな状態であっても人間同士が分かり合う事は凄く難しいのだと知りました。
ある時、元会社の経営者という人と話をしました。その人自身はもういません。くすぶったままでいるわけにはいかない、と自ら前へ出る事を是とし、NPCに殺されました。その人が生前、言っていました。『下は好き勝手言う。私が本当に何も考えずに、何も分からずに事を成していると思っている。まぁ、この何も分かっていないというのが問題でね。その個人を幸福にする事がそのもの『分かっている』事に繋がるのだ。だから、個人を幸福にしない施策は否定するのさ。私は最大多数の幸福を望んでいるつもりだ。けれど、最大多数の幸福なんて誰も望んでいない』と。どこか寂しげな苦笑を浮かべながら---きっと現実世界の社員を思い浮かべていたのでしょう―――そう言っていました。
惜しい人を亡くしました。そういう人がいてくれればどれだけ心強かったでしょう。どれだけ現状の助けになったでしょう。もっとも、そうやって現状を打破しようとしていた人だからこそ、死んでしまったのだと思いますけれど……。
皮肉なものだと、思います。
現状から逃げようとする人達は生きて、現状を打破しようとする人が死ぬのです。『いい人は早く死ぬ』という言葉があります。その意味が少し分かりました。それと同時に、きっと、これが世界の縮図なのだと……そう感じました。
そんな反対意見の出る中で、それでも私達は北海道へと移動しようと準備を進めていました。急ぎ北海道に建物を作り、物資と人員の搬送計画の立案等々。その準備に手間取って今まで移動はできていませんでした。
……今は、そんな時期です。
そんな時期に、ネージュ君が行方不明になったと報告があったのです。
「と、思います。北海道の事ですから、その可能性はかなり低いかと。NPCの目撃報告もありませんし。いなくなった時期を考えると完成式典のどさくさに紛れて姿を眩ました可能性が高いです」
行方不明とは言わずにこの人は眩ましたと言います。まるでネージュ君が自分から出ていったのだとでも言わんばかりでした。その事に腹立たしさは感じませんでした。そんな心の余裕がなかったからです。
「元RTのメンバーに唆されたのではないという話も出ています」
ネージュ君はそんな人じゃない!と声を大にして言いたくなりました。けれど、それもできませんでした。
どんどん余裕がなくなり、心の奥底が冷えていきます。
「イクス様?」
きっと相当に顔色が悪かったのでしょう。その人―――以前の軍服姿の人とは違う大人の女性です―――が肩を支えてくれました。
「……大丈夫、です。ネージュ君の最近の動向、私は知りませんので何ともいえませんけれど……元RTというと」
「騎士を筆頭に何人か。まぁ、元RTだけではないのですけれども……ネージュはグループを作っていたみたいですよ。何を目的としたものかなんて知りませんが……」
心が跳ね上がるのを意志の力で……抑えられそうにもありませんでした。酷く嫌な想像が浮かんできました。
いいえ、ネージュ君だってうちの中ではレベルが低いわけじゃないから……と心を落ち着かせながら、『騎士』について思い浮かべます。
彼はランカーです。
NEROが落ちた瞬間、その名前がランキングに現れました。だからこそ、名前を覚えていられたのです。そうでもなければ今の私は覚えていられません。
今のランキングはWIZARD、SISTER、BLACK LILIY、Cz、そしてKNIGHTの順です。4位のCzとは大きく離れていますが、それでもランカーである事に違いはありません。
ROUND TALBE時代に随分人を殺したのでしょう。勿論、うちに来てから増やしているわけではありません。ですが……それでも、人殺しがネージュ君と一緒に居た事に恐れを覚えました。―――自分の事を棚に上げて。
だから、もしかして騎士に殺されてしまったのでしょうか?一瞬、そんな風に考えてしまいました。でも、その考えは即座に間違いだと分かりました。彼が殺せばランキングの数字が増えます。この人が態々『行方が』と言っている以上そうではないのでしょう。それにネージュ君と付き合いのある人がそんな事をするわけがありません。
だったら何故二人は……?考えても分かりませんでした。ランカーである騎士が早々やられる事はないと思います。この人も言っていたように、北海道にはNEROのNPCだって殆どいません。ですからその可能性はかなり低いです。だったら一体、何故……ネージュ君と騎士は行方不明になったのでしょうか。
いくら考えても分かりませんでした。
「……そのグループの人達を呼んで下さい」
せめてネージュ君達が何をしようとしていたのか?それをネージュ君の仲間に聞かない事には考える余地もありません。レべリングをしている最中に悪魔に襲われて、逃げる内に迷子になったとかそんな単純な事ではないのでしょう。それだったら行方不明だなんてそんな大げさな事にはならないでしょうから……。
「イクス様。報告しておいて何ですが、今はそれどころではありません。今は北海道への移動が優先されます。例えネージュが殺されていようとも」
瞬間、肩に添えられた手を振りほどきました。
「かまいません」
「イクス様。同窓の者の事です。ですから、その気持ちは分からないでもありません。しかし、貴女の肩にはギルドメンバー全員の命が掛っています。ネージュ一人に代えられるものではありません。貴女はギルドマスターなのですから。少女のように泣き叫ぶだけなら誰にだってできるんです。貴女にしかできないこと―――」
「かまわないって言っているでしょうっ!さっさと呼びなさいっ」
そんな言葉が自分の口から出ていることに、自分でも驚いてしまいました。言われた方も言われた方で驚き……いいえ、恐怖に怯えたような表情を浮かべていました。
彼女は優秀な人です。彼女の主張は何も間違ってはいません。ですが……自ら切り離したネージュ君ですけれど、それでも……それでも、彼が居てくれてこそ私は……
「……分かりました。そのように手配致します。ですが、30分だけです。それで済ませて下さい。それ以上は許されません。皆が許しません」
ここにはいない『皆』という何か。それが私の肩に重くのしかかってきます。どこの誰とも知らない皆。ネージュ君よりもそんな皆を優先しなければならない、そんな状況が辛いと思います。けれど、でも……私は打算的なのです。『皆』というモノを助けていればネージュ君は戦う事も争う事もなく安穏と生きられるのです。外の世界へと戻ることができるのです。だから、私は『皆』を助けます。
「30分という時間、ありがとうございます。言葉荒げたこと、ごめんなさい。それが終われば私は皆のために動きます」
頭を下げれば、その人は言葉なく、私に背を向けて席を外しました。
扉が閉まる直前、小さく、
「人殺しの癖に……」
そう言ったのが聞こえました。
「…………」
この世界には涙というものがなくて良かったと、そう思いました。




