48日目 少し嫌いで少しキモい
スーツ姿のパパは本当に格好いい。
だから一緒に歩くのは大好きだ。
手を繋いだパパを見上げていると、あたしと目が合う。
「理沙、パパの会社の人にちゃんと挨拶できるかい?」
「パパ、理沙ももう2年生よ。挨拶くらいできるもん」
あたしはわざと、ツンとそっぽを向いて見せる。
そう、今日は初めてパパの会社に連れてきてもらった。
高いビルの6と7がパパの会社になっている。
会社ってどんなことをしているんだろう。
テレビで見た会社は机がたくさんあって、たくさんの大人の人が電話をかけて、忙しそうに走り回っていた。
ポンと音が鳴り、エレベーターのボタンの上に6の数字が出て来る。
「パパ、着いたよ!」
エレベーターの扉が開くと、あたしはパパの手を引いて外に出る。
あたしはその途端、キャッと言ってパパの腕にしがみ付いた。
だって、背広を着たおじさんたちが、何人もエレベーターの前に並んでいたから。
「!」
「社長、お帰りなさいませ」
「お帰りなさいませ」
おじさんたちが一斉に頭を下げる。
社長って……パパのことだ。
「やあ、ご苦労さん」
パパは家とは違う顔をして、軽く手を上げる。
あたしはパパの腕を離すと、大きく頭を下げた。
「か、加賀美理沙です。みなさん、いつもパパがお世話になってます!」
頭を上げると、ちょっと不思議そうな顔をしてから、おじさんたちはみんな笑顔になった。
「お嬢さん、どうぞいらっしゃい。社長、利発そうなお嬢様ですね」
「なに、まだまだ子供だよ。さあ理沙、一緒においで」
「はい、パパ」
パパと手を繋いで廊下を歩くとすれ違う人がみんなパパに頭を下げて、あたしには笑顔を向ける。
……パパは凄い。
きっとみんな、パパのことが好きなんだ。
「パパの会社の人、いっぱいいるんだね。えっと……7……8人?」
「ははは、それだけかな。こっちにおいで」
パパに連れられるまま大きな部屋の前を通りかかる。
そこには小学校のクラスくらいの人がいて、みんな一生懸命にパソコンを叩いている。
キーボードを叩く音が、ガラスの扉を通して廊下にまで聞こえて来る。
「凄い一杯いるね。みんなパパの会社の人?」
「そうだよ。上の階にも、これから行く部屋にもまだいるんだよ」
パパは少し自慢げにそう言うと、あたしの手を引いて先に進む。
あたしはみんなが黙ってキーボードを叩いているのがちょっと怖くて、パパの手をギュッと掴んだ。
——————
———
パパと一緒に入ったのはさっきより少し小さな部屋。
それでも10人より多い人が仕事をしている。
さっきとは違って女の人が多くて、キーボードだけじゃなく電話や書類で仕事をしている。
部屋に入った途端、いくつもの目があたしを見る。
一人の女の人が立ち上がってあたしの前に来る。
「社長、こちらがお嬢さんですか」
「ああ、少しの間頼む。理沙、パパは少し仕事があるから応接室で待っていてくれ。」
あたしがハイと返事をしようとすると、身体の大きなおじさんがパパの側に来る。
「社長、ミウラ興業の方を応接室にお通してます」
「なんだ予定より早いな。分かった、すぐ行こう」
パパはあたしの頭に手を置く。
「悪いがここに少しいなさい。みんなに迷惑かけないようにな」
「はい、パパ。理沙いい子にしてます」
パパは大きな身体のおじさんと隣の部屋に行ってしまう。
真顔でパパの背中を見つめていた女の人は、急に笑顔になると膝を曲げてあたしと視線を合わせて来る。
「理沙ちゃんだっけ。おばさんといい子で待ってようか」
「あ、はい。よろしくお願いします!」
言われるままに座った椅子は、床に足がつかない。
白くて広いテーブルに、女の人がジュースとお菓子を乗せてくれた。
「じゃ、お父さんが戻ってくるまでここに居てね」
「はい、ありがとうございま———」
もう一度笑顔を見せると、女の人はあたしの言葉の途中で背を向けた。
ジュースに手を伸ばしたけど、あたしはその手を膝の上に置く。
甘い飲み物はママが良いって言ってくれた時だけ。果汁100%のジュースだけ。
忙しそうに『働く』会社の人達をぼんやりと見ながら、あたしはパパが戻ってくるのを座ったままずっと待ち続けた。
———それからも、時々パパに会社に連れてこられた。
ママの会社が忙しくなって、行事で昼に授業が終わった日はパパが相手をしてくれるのだ。
パパの会社のみんなは優しくて、みんな私に笑ってくれる。
あたしが挨拶をするとみんなが笑顔を向けて来る。
可愛いとかいっぱい言ってくれるし、お菓子をくれたりジュースをくれる。
みんなあたしに優しくしてくれるから、きっとあたしを好きなのだから、あたしもみんなのことが好き———
……今日は廊下の長椅子に座って、廊下の白い壁をボンヤリと眺めていた。
いつものソウムの部屋は、いつもみんな忙しそうだからだ。
蓋を開けてないジュースも、手の中ですっかり温くなっている。
「パパ、早く来ないかなー」
独り言を言いながら足をぶらぶらさせていると、最近よく見る若いおじさんがフラフラと歩いてきた。
「こんにちわ」
あたしがぺこりと頭を下げると、その若いおじさんは火の点いてない煙草をくわえて、眠そうな顔を向けて来る。
「……こんちわ」
あたしが笑顔で挨拶してるのに、ニコリともしない。
詰まんない人だ。
そして少し嫌いな人。
見ていると、廊下の奥の重そうな扉を開けて外に出ていく。
きっと『サボって』いるんだろう。
そんな人がいるってソウムの女の人達が言っていた。
……あの人はパパにろくに頭も下げないし、この前なんか『キツエンシツ』で喧嘩までしてたんだ。
「ねえ、あの若いおじさん。パパのこと嫌いなの?」
こないだの帰り道、車の助手席からあたしがそう聞くと、パパは困ったような顔をした。
「うーん、彼も若いからね。少しでも会社を良くしたくて、意見を言ってきただけだよ」
「でもぉ」
だって、あたしの大好きなパパにあんな口を聞くんだもん。
「パパも若い頃はあんな感じだったよ。生意気なとこがちょっと似てるかな」
「嘘だぁ。パパ、カッコいいもん! あんなくたびれたおじさんと違うもん!」
「くたびれたとはひどいなあ」
ハンドルを握りながら、パパは楽しそうに笑った。
あたしはホッペを膨らませて、パパにコウギの気持ちを伝えた。
少し嫌い……じゃない。全部嫌いだ。
それにしても外に出てから、いつになっても戻ってこない。
やっぱり『サボり』だ。
……退屈して学校で習った歌を口ずさんでいると、ようやく戻ってきたおじさんがあたしの前を通り過ぎる。
パパと似た煙草の匂いが、ふわりと鼻をつく。
……あのおじさんからパパと似た匂いがするのがちょっと不思議。
顔を上げると、通り過ぎたはずのおじさんが両手に飲み物を持って立っている。
「お茶と珈琲、どっちがいい?」
「……え?」
なんだろうこの人。
ジュースを持っている相手に飲み物を差し出して、しかも片方がコーヒーなんて。
「じゃあ……こっち」
あたしはお茶に手を伸ばす。
おじさんはホッとしたように頷くと、コーヒーを手に歩き出す。
「ねえ、おじさん」
あたしは思わずその背中に声をかける。
おじさんはあたりをきょろきょろ見回してから足を止める。
「……なんだい」
「あたしジュース持ってるのに、なんでお茶をくれたの?」
「いつ見かけても、蓋も開けずにいたから。ジュースが飲めないのかなって」
それだけ言うと、おじさんは足早にその場を立ち去った。
……当たり。
お茶を飲みながら、あたしは自分の中で、おじさんの評価を改めることにした。
あの人は、少し嫌いで———少しキモいおじさんだ。
メスガキちゃんとアラサーさんの出会い。前半です。
予想通りというべきか、第一印象はそんなに良かったわけでは無いようです。
たまに見かける程度の、女児の飲み物を把握しているアラサーさん……ひょっとしたら最初から素質があったのかもしれません。
次回、二人の出会い後編。明日の朝、更新です。




