27話
殿下を見送り部屋に戻った私は、婚約者カサロの姿を思い浮かべようとしても、頭の中を満たすのは――カーサリアル殿下のことばかりだった。先ほど頬に触れた、あの優しいキス。その感触がふと蘇るたびに、頬が熱を帯びてしまう。
(次に殿下に会ったら……私、どうなってしまうかしら?)
寝支度を終えてベッドに潜り込むと、シーツの上でごろりと転がりながら悶える。出会って間もないはずなのに、彼への想いは抑えがたいほど膨らんでいた。
学園で、彼の「浮気」を指摘するまでなんて、もう待てない。
婚約者という足枷のない自分で、カーサリアル殿下に会いたい。だから、明日こそ……お父様にカサロとの婚約破棄を申し出るのだ。
もし、本当に婚約を解けたなら。
この身をじわじわと侵す呪いを、解かなければ。胸元に浮かぶ黒いバラの意味も、きちんと確かめなくてはならない。
「私に関係のない“前世の呪い”なんて、もうたくさん……。毒で苦しんで死ぬなんて、二度と嫌。カーサリアル殿下と……ずっと一緒に、生きたい」
十八歳を越えても、生きていたい――強く願う。
その祈りを胸に抱いて、私はそっと目を閉じた。
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次の日。朝食を終えた私は、叱られる覚悟を胸に、書斎へと足を向けた。机で書類を整理しているお父様に、深く息を吸ってから声をかける。
「……あの、お父様。お願いがあります」
「ん? 願いとはなんだ」
「私……カサロ様との婚約を、破棄したいです」
その瞬間、お父様と目が合い。
お父様が、すうっと深く息を吸い込む音が耳に届く。
――来る、怒鳴られる。
固く身構えた私の耳に入ったのは、しかし予想とは違う穏やかな声だった。
「……ルルーナは、カサロ君との婚約を破棄したいのだな。……そうか、わかった」
「えっ……よろしいのですか?」
「ああ。ただな、ルルーナ……もし“そもそもカサロ君と婚約していなかった”と言われたら、どうする?」
私はカサロ様と婚約していなかった?
思考が止まり、思わず問い返す。
「お父様、それはどういうことですか?」
「カサロ君とルルーナが婚約を決めた日に、二人が署名した書類があっただろう。本来なら、あれを王家へ提出し、陛下の判をいただいて正式な婚約となる……だが最近、陛下の判が押されていない書類が見つかってな」
「……え? つまり私とカサロ様は、正式には婚約していなかった?」
「そういうことになる」
嬉しい誤算だった。胸がふっと軽くなる。しかし、すぐに現実の重さが追いかけてくる。
たとえ書類に不備があったとしても、この婚約は私から願い出たもの。逃げるわけにはいかない。きちんとカサロ様、本人と話し合わなければならない。それが礼儀であり、私の責任だ。




