教会の影
夕食を終えた宿屋の食堂には、まだ人の気配が残っていた。
村人たちは俺たちをちらちらと盗み見ながらも、誰一人として露骨に距離を取ることはない。
――むしろ、妙に丁寧すぎる。
「勇者様、本日はこの村にお泊まりいただき、誠に……」
年配の宿主はそう言って頭を下げたが、その口元がかすかに震えているのを俺は見逃さなかった。
「……どうしたの?」
リリカが小声で尋ねると、宿主は一瞬だけ目を伏せ、そしてぎこちなく笑った。
「いえ、何でも。……ただ、神の御心は深いものですから」
その言い回しに、俺は引っかかりを覚える。
神を讃えるでもなく、感謝を捧げるでもない。
まるで――叱責を恐れているような口ぶりだった。
その時、背後から静かな足音が近づく。
「……勇者殿」
振り返ると、灰色のローブをまとった巡礼者が立っていた。
顔は深く影に沈み、年齢も素性も判然としない。
「王都へ向かわれると聞きました」
「ああ。そうなるな」
巡礼者は小さくうなずき、祈るように両手を胸の前で組んだ。
「それは……試練の道でしょう」
「試練、だと?」
「選ばれし者ほど、神は厳しく見つめられます。
ときに王の玉座は、信仰から人を遠ざける」
責める口調ではない。
忠告とも言い切れない。
ただ、淡々とそういうものだと語る声音。
「どうか、お忘れなきよう。誰に仕え、何を信じて剣を振るうのかを」
それだけ言い残すと、巡礼者は静かに踵を返した。
梨香も引き止める理由はなかった。
だが、胸の奥に冷たいものが残る。
気づけば、近くにいたピルクが眉をひそめていた。
「今の方……教会の正式な巡礼者ではありません」
「やはりそうか」
「聖句の引用が、意図的に欠けていました。導く神ではなく、裁く神だけを強調していた」
つまり――教会はまだ姿を現していない。
だが、すでに言葉だけは、この地に根を下ろし始めている。
俺は窓の外、闇に沈む村を見下ろした。
静かだ。
あまりにも、静かすぎる。
――この静けさこそが、不穏の前触れなのだと。
*
時を同じくして、ここはホーリーシティーの静まり返った大聖堂。
最低限の灯りだけが灯された薄暗い堂内にて、大神官ニコラスをはじめとした高位聖職者が円卓を囲うように集まっていた。
「勇者リカーシャの一行により制圧されましたヌイヌイタウンの教会ですが、今後いかがいたしましょう?」
高位聖職者一人の報告に、ニコラスは素っ気なく答える。
「あのような地方教会の端くれ、暴走した末端と片付ければよい。教会全体に影響は出ぬ」
「かしこまりました」
報告した高位聖職者が聖なる印を結ぶと、また別の高位聖職者がこう言った。
「勇者リカーシャ。彼女は神に選ばれた存在でありながら、導きから逸れてしまった。なんと惜しいことだ」
「――その勇者たちが、国王陛下に招かれて王都へ向かっているという」
深刻そうな顔の聖職者たちに、ニコラスはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「国王など神の裁きを理解していない俗人、そのような者が勇者を招く程度は想定内だ」
そう告げたニコラスは顔を歪め、言葉を続けた。
「王家ごときが、信仰の流れを変えられると思うな」
ニコラスは円卓を見回すことなく、鼻で笑う。
一瞬静まり返る円卓、そこへ聖職者がまた独り発言をする。
「下級の宣教師による噂流しは今後どのようにいたしましょう?」
「続けろ。我々は刃でなく、言葉で勇者共の首を絞めるのだからな」
「はっ」
そうして密会は終わり、ニコラスは大聖堂の地下に足を運んだ。
そこにあったのは、聖なる鎖でがんじがらめに縛られた祠のようなもの。
「もし勇者が神を選ばなかったなら、破滅の光は再び目覚めることだろう。……しかしまだその時ではない」
ニコラスの歪んだ笑みを映すかのように、祠を縛る聖なる鎖が、かすかに――脈打った。




