第7話 魔女は別れを決意する
この物語はL75年
創世記と呼ぶ時代が舞台となっております。
月読命 秋影という少年は、あれから狩りに出る度にワタシの居る丘に来るようになった。
ワタシは自分の役目を知っていたので、他者との関わりは避けるべきだと思っていたのだが、いつの間には彼が来るのを待つようになっていた。
「イザナミさんは何でここに住んでるんですか?」
「な~いしょ」
秋景少年はここに来る度に、村ので起きた出来事や、噂話を話してくれた。
彼の村にある伝説、裏山にある天の岩戸という祠に天女が住んでいるとか、その近くの河には8つの頭を持つ龍が住んでいるとか、いかにも伝説らしい戯言であったが、ワタシは秋影の話を聞くのが大好きだった。
(この世界が出来て、せいぜい50年そこそこなのにね)
伝説って、そんな事有り得ないのにね。
人間というものはつくづく娯楽に飢えた生き物なんだなぁ……アタシは自分の心臓に手を当てて思う。
(でもワタシは人間じゃない……)
ワタシが関わるときっとこの子を不幸にしてしまうかもしれない。
そうは思ってもワタシは秋影に、もうここには来るな。そう言おうと思っていた。
でも……言えなかった。
――3年後。
「御子様がご祈祷したらね? 母様の病気が治ったんだよ? 僕ビックリして……卑弥呼様は神の使いって呼ばれてるんだ」
今日の話題は彼の村の祈祷師の話だった。
まじない師の類だろうが正直眉唾だ。
あの村からはワタシの様に特殊な「力」は感じ取れない。そういう如何わしい者でも無理やり信じ、頼っていかないと生きていかなければいけないのが人間だ。ワタシの様に全て思い通りに出来る人間ばかりではないのだから。人の生命は短く、儚く、そしてそれ故美しい。
「良かったね。お母様が元気になって」
「う……うん! 父様はちょっと怖いけど。母様は凄く優しいんだ?」
彼の笑顔は見ていて飽きない……この子が3歳の時、不意に目に止まっただけ。ワタシと違って美しい輝く「人間」の人生を送っている男の子――それ故、不死で朽ちないこの身は醜く汚い。だからずっと独りで皇が現れるのを待とうと決めたはず。
ワタシには重要な使命がある。皇に知識を与え、導く使命が。きっとその時が来れば人類全てを武器にして、奴らを迎え打たなければならない。他人に情を持ってはいけない。きっと自身も辛
い思いしてしまうだろうから。
周囲の風に身を委ねる――その頃から、丘に住んでいた動物達が、少なくなってきたような気がした。
――それからまた3年の歳月が経ち、秋影は14歳になっていた。
相変わら彼は、狩りに出る度にワタシの居る丘に毎週来てくれる。だからこの子はいつも弓矢を持ってワタシに逢いに来る。最近亡くなった父親の形見だそうだ。
「イザナミって苗字でしょ? 名前はないの?」
「う~ん……考えた事も無かったなぁ」
ワタシは年を取らない。
人間では無いのだから、そんなものは必要ない。そう思っていた。
彼は何か考え込んでいたが、その横顔が可愛くて、ワタシは久しぶりに笑った。
最近動物達をあまり見なくなった。
――更に2年が経ち、とうとうこの丘で生きているのはワタシだけになった。
(やっぱり……ワタシは人間ではない)
丘にあった緑は無くなり、動物達を1匹も見なくなった。
これはワタシに備わった能力「生命の木」――後の世に特型武装気と呼ばれるこの力は、大木の根のように無意識下に吸い続ける。ワタシは他の生物の生命核を吸い取り、自分のものとして生きている。故に年を取らない。
知ってはいたけど、自覚したくはなかった。自分が化け物だと。
今度ここに秋影が来たら、ちゃんと言おう。
もうここには来るな……と。
数日後――いつものように彼が、寂しい風景となったワタシの丘に顔を出した。
この頃には秋影は、16歳の青年になっていた。
彼はいつもと同じように、弓と荷物を背中に抱え、ワタシに笑顔を向けてくれる。
彼の眩しい笑顔を見ながら、ワタシは意を決して言葉を告げる。
「秋影……もうここには――」
「イザナミさん。今日はこんなものを持ってきました」
それは美しいフィラメント糸が優しい輝きを放つ、絹の衣だった。
「浴衣とか着物とかって……俺の村では言います」
「……綺麗ね……どうしたの? それ」
確か白の衣は、この子の村では結婚の時に男性が女性に渡すもの。
そうか……結婚するんだ。今日はきっとお別れを言いに来たんだね。良かった……ワタシから別れを言い出すのが辛かったから、正直少しホッとしていた。
「蚕の調子がずっと悪くて……織るのに2年掛かっちゃって」
「そう……なんだ」
でも何だろうこの気持は……この子がもうここには来なくなる……本当になんだろう。この胸の痛みは……
ワタシは彼に背を向けた。
「な、名前!――あげます。 俺が貴方に」
え? ワタシは背中越しに聞こえてきた、彼の言葉に心臓が止まりそうになった。
何を言ってるの? アナタは……
秋影が、ワタシのすぐ後ろまで歩み寄ってきたのを背中越しに感じる。
「絹の衣……ずっとイザナミさんが着たら……似合うと思ってたんです」
振り返ったワタシは、彼の持つ衣に目をやった。
その白い衣には、ワタシの髪の色に合わせた黒と朱のラインが入っていた。
彼のオッドアイと同じ――朱黒の色彩が。
「そう思ってから……気付いたら2年も経っちゃって……」
ワタシはどんな顔をしたらいいか解らなかった。それになんて言えば良いのか解らなかった。
「絹の生地は機織り機で、綾織りで織るんです……」
男のクセにって、また友達にバカにされました。
そう言って彼は少し恥ずかしそうに笑った。まさか自分で織ったの? もしかしてワタシの為に……
「そして親父の形見の弓と……俺の宝物の中から貴方に名前を送りたい」
そ、そんな……ワタシはアナタにお別れをしなくちゃ……
「綾乃――」
彼のくれた名は「綾乃」伊邪那美 綾乃……
「……受け取ってくれませんか?」
化け物のワタシには涙が出なかったが……彼のその言葉に、胸が締め付けられ、上手く言葉が出なかった。
綾乃さん……
「ここの景色は哀しいよ」
周囲の景色を見た後、秋影はワタシに衣を手渡してくれた。
ワタシ……人間じゃないんだよ? 化け物なんだよ? ワタシはきっと、アナタを不幸にしちゃうんだよ?
「俺達の村で……」
一緒に住みませんか。
いつの間に……こんな顔が出来るようになったの? あの小さかった男の子が。
ワタシはずっと同じ姿……ずっと同じ景色を見ながら生きているのに。ずっと……ずっと変わらずに……それが一番良いと思っているのに。
緋色の瞳は、アタシを真っ直ぐに見ている。
アナタの言葉に……ワタシは黙って頷いていた。




