第19話 生者を羨む眼
王都の冬に降り注ぐ雪――否。
「ギぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁあ!」
降下するソレは雪ではない。
上空から降るのは風を切る音と断末魔であった。
「あぁ?」
「ドッチオーネ?」
大地に激突した物体に、地上にいる魔人四体の視線が集まった――鋭い刃物のようだった両翼が切り裂かれ、唯の人型になった女魔人を。
「ぶひ?」
「あーらら。ぶっさいくな死に顔ぉ♪」
「ヒャッハハハ鈍臭いヤツだぜ」
「斬り傷……? むぅ」
煙を立てて溶けはじめた同族にそれぞれの最後を述べる魔人達。そう、これが魔人族という存在。
「やれやれ……つくづくお前達というのは、そういう存在だよな」
「っ…? アンタもしかして」
「知ったような口をきく割には大した気を感じない。経験を積んだ冒険者と言った所か。つまらぬ」
人やヒトと共に生きる生命から誕生した筈なのに、人とは異なる存在として生まれ変わった――それが魔人族。鉄壁の結界で体表面を覆い、生まれながら人類より上位の因子核を持つが為に何かを成し遂げようという本能が欠落し、ただただ欲望の赴くままに余暇を持て余す。しかし逆にソレは自分自身の殻に閉じこもり、周りを視る事を忘れた生物とも言える。
「いるよね~♪ イキがって派手な武器ぶん回して目立とうとするヤツ」
「あっひゃっひゃそーそー真っ先に死んじまうヤツなぁ」
仲間という概念はある。
強い者に従うという本能もある。
ただ人族と決定的に違う所は心にではなく、体表面に結界を持つという事。己の身体を強力な結界で覆う存在。故に心を偽らない傷付かない心配しない。欲望と渇望のみを追い求めて生きるのが魔人族。一番があって二番と三番が無い。
一番とその他しかないという思考。
「まぁそれはそれとして…だ」
突如として落下した死体と共に現れた無表情な剣士は、老執事にぶっきらぼうに手を振った。
「そこの橋を渡って城内にいてくれないか…アンタに見られてると怖い」
「やはり変わった御方だ。今回は私の方が接近に気付きませんでしたよ」
「それは光栄だ」
「そしてこの場をお任せ出来ると?」
無表情の為伝わりにくい筈なのだが、どうやらこの執事は、男が何をもって自分を遠ざけようとしているかを理解したようだ。長年に渡って背中を預けてきた戦友が如く。
「姫さんが心配する…だろ」
「おやおや。お嬢様のエスコートを代わって下さるとは」
「アンタなぁ」
「宜しいので?」
(やれやれこのジーさんは)
細い眼を更に細めて執事を睨む。
心を見透かしたような老兵に胸中でため息を付くが「宜しいので?」この一言には冗談の他に、狙った獲物に横槍を入れた相手への牽制の意味でもあるのだから。
「すまないがな」
微妙にバツが悪そうな無表情男ユウィン=リバーエンドの少し崩れた表情を確認したクロードは、何やら薄い笑いをつくった後――背を向ける。
「……それではお言葉に甘えてこの老兵、少し休ませて頂くと致します」
「あぁ。ありがとう」
周囲に張り巡らせていた自分の気を解き、クロードは城に続くメインブリッジ方面へ歩みを進めた。
「執事逃げるか!」
「じーさん程じゃないが」
――ズィドン!
魔人ロキとユウィンの間合い中央地面に亀裂が入る。
「俺も少しは武装気を使う」
「むぅ、斬撃を飛ばすか」
それでも龍鬼はクロードの背を追おうとするが、ユウィンがラグナロクを向けて牽制したため踏み込みを中断している。
「うふふ。久しぶりじゃないのさぁ」
場に拮抗した空気が流れる中、頭にウサ耳を生やした妖艶な女が、余裕の笑みで前に出る。
「うふふ龍鬼様。申し訳ございませんよろしいでしょうか。古い顔なじみのようなのです」
「むっ」
既にブリッジを渡りきったクロードに興味が無くなったのか、ロキは構えを解いた。
「お前は確か、あの時の坊やよねぇ?」
「……こちらには憶えがないんだが。お嬢さん」
強烈な匂いを撒き散らしながら接近してくる女はファジーロップという。
「喰ってやった右手も生えてるし、まだ生きてるなんておかしいけど。フフフ」
「俺を知っているという事は何処ぞの魔人の使徒か」
本性を表した状態であるファジーロップという使徒が放つ香りはフェロモンである。強烈な制圧力を有するこの”誘惑”という能力は、常人が吸えば瞬く間に冷静な判断を失い、吸い続けると女の性奴隷と成り下がる。
「あの時、あの魔女さえ来なければ、ねぇ」
「……この匂い」
遥か昔の記憶を呼び戻す匂い。
清掃員を雇う金銭をケチった結果、便所の匂いを薬で上書きしたような強烈な芳香。ソレを撒き散らしながら近づいてくる女。
「四肢を切り取って、あの売女に縫い合わせてヤレたのにねぇ」
このファジーロップという女は、創造した主人である兎の魔人ラビットハッチ同様に品性というものが存在しない。だらしない仕草、下品な匂い、何を思い出しているのか下品でだらしなく笑いながら。
「フフフフ確か……マリィちゃんだっけ?」
「お前…」
『マスター。この女…』
もう一度言うが、本性を表したこのファジーロップという女には、創造した主人である兎の魔人ラビットハッチ同様に品性というものが存在しない。強靭な肉体耐久力を持ち、超速の再生能力を有し、兎の魔人の性奴隷として美しく作られた筈の顔を下品に醜く歪ませながら近づいて来る。
「また逢えて嬉しいわぁ。あの娘元気ィ~? ウフフフフハハハハハ」
あの時の続きをヤッてやろうと。
溜まった鬱憤を晴らしてやろうと。
兎の使徒が有する絶対君主の力、テンプテーションをもって。
「そろそろ効いてきたかしらねぇ? あの時は本当に惨めだったわよねぇあの女。ユウィンだけはユウィンだけはって……ゲフフ駄目ねぇ思い出したら笑いが止まらないじゃないゲフゲフゲフ」
「そうか、お前はあの時の…」
「ゲハハハハハハハハハハハ」
……どくんっ
男の因子核が一瞬高鳴る。
いつもの無表情に変わりはなかったが、周囲の方に異変が起きていた。ブリッジから風が吹き抜け、王都全体に小さな光が発生し収束していく――これは、魔法粒子ミストルーンの光。
「なんてこった。こんな事まで忘れていたとは……俺と言う奴は本当に度し難い」
「ゲハハハハハ憶えていてくれて嬉しいわぁ坊や」
「あの時いなかった方の使徒か……二体いたんだったなよな。そうか、そうか。あぁそうだ。これで…もう一度」
魔法言語を操る魔導士。
その人類最上位とされるLv4――神魔級を越える力を持つ者に許された”我儘を通す魔法の力”は言葉に乗って外部空間に投影される。選ばれし因子を持つ者がなせる業。
「あぁ助かった思い出させてくれて。これで無くしてしまったあの時の激情を、もう一度」
バチっ!
黄金色の大太刀――ラグナロクから火花が上がる。
「マリィを助けてくれーってアンタ。おしっこ漏らしながら叫んでいたわよねぇ!?ハッチ様の美しい触手でびしょびしょになったあんな売女の為にさぁぁあ」
ゴキュ――――キンっ!
妙な光景だった。
男が剣を反対の手で掴んで抑え込んだのだ。まるで大太刀が勝手にファジーロップに飛びかかろうとしたのを無理矢理止めた。そう見えなくもない。
「気にするなD……ん? あぁすまない。俺の為に」
その光景にファジーロップは眉を潜めるが。
「なぁ~にぃさっきから変な坊やねえ……せっかくの再会じゃない。また楽しみましょうよぉ。今度は腕だけじゃなく五体切り刻んで」
あの時から多少は力を付けたかもしれないが、オスである対象がテンプテーションに掛からないわけがないと。
「ラビットハッチ様の土産にしてあげるからさぁ!」
本能の赴くままに相手を完全に格下と見た女には余裕しかなかった。正面から獲物に飛びかかる。
その対象、かの無表情男は――笑っていた。
「あぁ少し、少しだけ、心が震えた」
だから
「もう我慢しなくていいぞ。D」
『雷電呪文詠唱開始!!!』
――ゴッ!
空間が歪む。
ユウィン=リバーエンドの体を中心に青緑色の粒子流が竜巻の如くうねり、燃え上がった――正にこれは幻想的な現象ではあったが、少しでも魔法というものに携わるものなら解るはずだった。
この現象は異常だと。
魔法粒子は肉眼では見えない。つまりこれはどういう事なのか。人類より高い魔法出力を持つ魔人達にもこの現象は理解出来なかった。精神に警戒本能を刻みつける――この人間の最大魔法出力は自分達よりも高いのではと。
「誘惑が吹き飛ばされて――」
『こんな下賎な能力…こんな度し難い下品な匂いがマスターに届くわけがないだろう? マスターには私がいるんだから』
竜の女王を宿らせしツルギ――竜剣ラグナロク。
『貴様が、オマエのような女が、マスターの仇? 貴様如きが……私のマスターを。許せない絶対に』
許せるものか。
デバイズ=オペレーション=システム=ラグナロクが烈光を放ち輝いた。目の前の下品な女に向けてDの声に感情が乗る。この感情は怒り――激怒である。怒りの感情のない主人の為、愛する主人の為に代わりに彼女が怒っているのだ。憎き仇、抹殺すべき対象であったウサギの魔人の使徒に。
城門前の執事は人知れず呟く。
ゆっくり静かに、何処か少し、嫉妬を混ぜて。
「やはり魔法使いでしたか……それも」
執事が望んだ「圧倒的魔法の力」
そんな淡い奇跡を――眼前に。
◆◇◆◇
「アンリエッタ様!?」
魔導出力計機の異常――トリスタンは報告と言う名の悲鳴を上げる。
「何事です!?」
「城門前メインブリッジに高ミストルーン反応。 魔人勢の動きが止まりました!」
部屋一面に設置されている計器が煙を上げていた。魔法粒子の共振で激しく振動していた。まるで何かに怯えるように。
「ま、まさかクロードが」
「いえ、執事長様はご無事です」
皇女は胸を撫で下ろすが。
「ではこの共振は一体…」
機器に疎いアンリエッタにもわかる異常事態。
「あの男……現れたあの男を中心に、国中の魔法粒子が収束している」
「敵か味方か。モニターに出してください」
「最大望遠で出します」
モニターに写し出された男に未熟な皇女の表情が崩れた。それは決して他者に見せなかった弱い女のそれ。即位してから決して見せないと誓っていたあの感情と言葉。
(あ、あの……人っ)
ユウィン=リバーエンドを見たアンリエッタの胸がズキリと高鳴った。初めは自らの、傷ついた魔法因子核の痛みかと思った。でも違う気がする。この痛みは喜びだ。でもそれはとても痛く、心に突き刺さって、決して出してはいけないあの言葉が出てきそうになって、彼女は力いっぱい口をつぐんだ。その代償に溢れてしまう――涙というヤツが。
ドクンっ
(戦ってくれていた……の?)
無礼な男だった。
それでいて自分の全てを見透かしたようなあの空っぽの瞳をした無表情男――なのに。
「何でアイツ。逃げてっ…っく…逃げてないのよ……ぉ」
憎まれ口が出てしまう。
本当は言いたいのに――あの言葉を。
しかし彼まで死んでしまったら? 国の、民の、全ての重圧を背負う自分がここで折れたら? だから言えない。
絶対に。
流れ出る涙は止められないのに、アンリエッタは押し殺す。
あの感情と共に、口をつぐんだ。
キィィィィィィィィィィィィィ
「皇女殿下これ、この計器の共振は……」
光は増していく。
押し殺した感情に呼応するかのように。
「魔法出力……測定不能」
「それって」
「信じられない。出力計が、魔導出力計の針が振り切れて……います」
図り得る数値は――?
「それって、まさか。じゃあ、じゃあ、あの人は」
アンリエッタは圧し殺した――弱音を。
「肉眼でミストルーンが目視出来るほどに高まっている……こんな事が出来るのは」
出さないようにしていた――あの言葉を、恐怖を。
「魔法出力10万以上――何者なんだあの男は」
「レ、レジェンド…クラスの魔法剣士」
創世記から現在に至るまで900年――魔法言語を産み出した伝説の魔女イザナミと賢者イザナギ。魔法出力10万を越える人類は過去、二人しか観測されていない。
「シーラが教えてくれた…魔人殺しの…」
アナタが連れてきてくれたの…?
彼女の押し殺した感情は――
「助けて」
と……もうひとつ。
マリィの時は掴めなかった、手のひら。
掴める程に己を鍛え上げた末に、守る者と感情が無くなってしまった空っぽの男がいた。
でも、今は少しだけ違うような気がする。
だからソイツは言う。
失った、居なくなってしまった、自分を守って死んだ女に。
俺は、誰かを守れるくらい強くなったぞと。
だからソイツは唱えるのだ。
この刹那に己を改変えろと。
その心が不変であり続ける為に。
弱い自分に戻らない為に。
そんな愚かな男。
ユウィン=リバーエンドの最大魔法出力は、計器測定量と人類の限界を優に越える18万9,600ルーン――魔人達の10倍。並の魔導師の300人分の出力を有し、絶望の冬が降りた王都に差した一筋の光。
黄金色に輝く、魔人殺しの刃である。
◆◇◆◇
……アントウェル=ゼクスヒュート=ペンノーテ=六人の御使よ、闇と空と炎をもって眼前の敵を無へと昇華せよ……
「えぎゃあアぁぁぁぁぁ腕が! わ、私のうでぇがぁぁぁ」
襲いかかり、腕をねじ切ろうとしていたファジーロップの両腕が逆に無くなっていた。
大太刀を美しく舞わせ鮮血がユウィンを赤く染める。完全に相手を侮っていたファジーロップの表情が恐怖と困惑に歪み老婆のようにシワだらけに見えた。
「お、お前…… あの人間じゃぁ……惨めに泣き叫んでいたあの坊やじゃ!?」
「その坊やさ……少々長生きの、ただのな」
ユウィンは全く表情を変えず脳内で術式を完成させている。
「何? 何? 何なのよぉぉあんたぁ!?」
ファジーロップは後退り即座に無い腕をジタバタ振りながら逃げ出そうとするが、離れていく目標をゆっくり確認するよう、そして何かに苦笑するように魔法剣士はこう返す。
「そいつは俺も探しだした所さ」
強力な魔法言語が完成しつつあった。そいつはゆっくりと丁寧に 、しかしながら渾身の魔力を込めて。
「ひ、ひあぁ助けて!? な、何でもするからどんなことでも――」
「命乞いか……そいつはお前が売女と呼んだ女にでも言ってやってくれ……魔人四天王魔獣ラビットハッチの使徒様よ」
「あの、あの、なんていったっけあの女の事なら、謝るから! あの時――」
バランスが取れず何度もバタバタ転げながら逃げようとするファジーロップを眺め、ユウィンは一度嘆息した。
「感動の瞬間なんだがな……どうもやはり、何も感じないか」
かといって無論ファジーロップを逃すつもりはない――左手を突き出し魔法の言葉を呟いた。
『Lv4歪時空爆烈地獄ドリスヴァン=ネシオン』
グッ……ドムッツドガガガンッ!!
ファジーロップの上半身が歪み、そのまま大爆発を起こして吹き飛んだ。――更に後方に立っていた哀れな鉄槌の魔人トトロスも巻き込んで同時に四散する。魔人達どころか周辺にある城壁までも同時に爆砕して崩れ落ち、強力な古代魔法言語の影響で周囲空間が歪む。
その視界の悪さに漬け込んだひとつの影があった。魔人龍鬼がユウィンの斜め後方死角より踏み込んでいる。
「人間の魔法使い如きが! 詠唱を終える前に頭を吹き飛ばしてくれる!」
踏み込んだのち龍鬼の姿が消えた。この技は「縮地」というオーラスキルである。
死角から超高速で迫るロキの正拳にユウィンは右手を突き出した。魔人の攻撃を掌で受け止めようとしているように見えるが。
「馬鹿めが!」
魔人龍鬼は元々ゼノン王国が建国される前、トロンリネージュ人との混血が生まれる前の先住民族、アイヌツベと呼ばれる戦士の一族である。魔人化する前より武人である彼の拳は素手で青銅の甲冑を破壊する威力を誇ったとされる。その力は魔人化した際に数倍に引き上げられ現在の力は人間だった頃の比ではない。
人の身で彼の正拳を受け止める事叶わず――先の戦いでも、硬質オーラの達人であるクロードですら背骨に壮絶なダメージを負った攻撃力――武装気でクロードより劣るユウィンが片腕で受け止められる攻撃ではない。
龍鬼は口許を歪ませる――目の前の剣士に向かって上半身全部を吹き飛ばす気持ちで右手目標に高速の拳を解き放った。
――バグンッ!
「ごあっぁぁっぁ」
だが逆に龍鬼の正拳どころか腕全体が消滅する。――10分前に圧縮しておいた古代魔法『Lv4封魔呪縛弾=ヴェイパライズ』――触れる全ての生命に寄生し、吹き飛ばす呪いの設置型爆弾である。ユウィンの右掌からの呪弾が腕に寄生し内部から吹き飛ばしたのだ。
「ぐぅぅ……な、何故だ。なぜ縮地で見えぬ筈の拙僧が右手へ攻撃するのが……」
ラグナロクを右肩に持ち直し、ユウィンは無表情に何処か冷えた影が落ちたように見える。うんざりするほど魔人どもというのは、こういう生物なのだな。と。
「魔人族……お前達には強力な防御結界があるが故の心の隙がある」
「馬鹿馬鹿しい! 貴様ごとき若造が拙僧の武を悟れるわけが!? 拙僧の320年の武をぁぁぁ」
全く表情には出さないが、ユウィンが一瞬笑ったようにも見えた。思った通りの反応――そしてもう1つ「若造ねぇ……」軽く口許が歪む。
「だが常に人間は丸裸だ。寿命の短いヒトという種族はな……必死で生を周りから掴もうと手を伸す。
お前は見なかったのか? 未熟な王女の小汚ない姿を。俺はアイツと、アイツの友達に希望を見た……ヒトという種族の美しさを見た」
「何を言っておる貴様! 人間など所詮魔人より下位の因子を持つ劣等種でしかないわ!」
「彼女達には見えたんだろうよ。他人の掌の暖かさが」
人は所詮独りで弱くて脆い生き物。でもね? あのとき繋いでくれた……君の掌は暖かかったよ。
ユウィンは苦笑する。
過去――自分にそんな事を言った女がいた。その娘は彼の前で壮絶な死を遂げ彼の魂に後悔を刻み付けるが。
「貴殿! 何を言っておるのだ」
今、刻まれ血だらけになった魂にうっすらと、かさぶたが張られようとしている。
「一生結界の内側から出られないお前達には解らないだろーさ」
再び魔力が集中される。
ユウィンは確信があって右掌を差し出したのだ。ひ弱な人間が、魔人の攻撃を素手で受け止めようと前に出されれば、人間を下に見ている魔人は必ずそこに攻撃を仕掛ける事が解っていたのだ。そう、彼は目の前の相手以上の年月を掛けて、魔人族を狩ってきたのだから。
「この……若造がぁ……拙僧の320年の武を、若造風情が、お前などがぁ!」
片腕を吹き飛ばされた魔人が再び構えをとった。先程と全く同じ構えを。そして踏み込み――再び姿がかき消える。先程と全く同じ速度で左手により正拳を繰り出すつもりなのか。
「掌は掴むものだ。お前の320年の拳はあの執事の60年に劣るさ」
それにな。
ユウィンは武装気を展開した。索敵武装気アスディック――感覚を強化し、広げるオーラスキル。
「あの性悪執事が万全なら、戦いは俺が来る前に終わってるよ」
「――な!?」
背後――そちらを見ないままユウィンは掌を龍鬼の動線上に突きつけ、Dにより詠唱を完了させていた3つ目の魔法を解き放つ。
『Lv4雷電招来ヴァルト=ベイレンドルク』
ズドツガガガ!
指定空間内を雷が疾走する。
「うごォぁぁあバババババ!」
拳豪の魔人龍鬼は直立のまま炭化し
絶命した。
後ろで戦いを見ていた魔人カップルの一人。――エリュトロンはようやく事態を重く見たのか少々焦り気味に持っていたポシェットを地面に叩きつけ――勢い良く踏み抜いた。辺りにカエルを踏み潰した時にあげる断末魔のような嫌な音が響き――叫ぶ。
「全媒介をもって湧き出ろぉ!」
『Lv3死霊遊戯エタブル=メイニーオーダー!』
叫ぶが、王都に到着して即実行していた術式は今回全く発動しなかった。静寂のみが辺りを支配する。
「えっ? えっ? どうして? 」
「どしたんだぁハニーそんな可愛い声出して。オレちょっとムラっときたわぁ」
まだ状況がわかっていない馬鹿を完全に無視してエリュトロンは再び魔力を集中させていた。――それすらも無視している無表情男ユウィンは中から透明と赤い液体を覗かせるグシャグシャになったポシェットに視線を向けていた。こう思っていたのだ。「やぁ待たせたなもう終わるさ」と。
「無駄だよお嬢さん……王都全体に浄化魔法を薄く張って固定してある。この王都で死霊は後3時間は召喚できないし反魂の術式も立ち上がらないさ」
「なぁ!?
ちょっと魔法が使えるぐれーで舐めやがって! そんな術式聞いたこと無いし! 適当な事言ってんじゃねぇテメェ!」
死霊使いはそう言いながらも周囲の気配を探っていた。
え? どうしてだ。死霊どころか怨念の類の気配も全く無くなっている、清々しい程に周囲の空気が潤ってしまっているのだ。これでは自分の得意とする死霊の術は効果を発揮しない。
(う、うそだろオイオイオイオイ)
そして彼女の見た目より優秀な魔導の力が、更に不利なことを気付かせてしまう。――計18の魔人が召喚して王都内に解き放った悪魔共も殆ど残っていないという事を。
「そんな……いつのまにこんな」
エリュトロンは尻込みし暴食のイケメン魔人ガルシアの後ろに隠れた。
「おぉハニィー胸が背中に当たってるって! でもよぉ何か良くわかんねぇが食っちまえば良いんだろぁ」
どうやらもよおしてキタらしいガルシアが勝負を早めようと全力を開放する。魔人の気迫に周囲の空気が震え出した。美男子顔が醜悪に歪みだす。――顎が外れ、胃袋が肥大し腹がパンパンに膨れ上がった。魔人暴食のガルシアは地獄の亡者"餓鬼"と呼ばれる妖怪の魔人である。ありとあらゆるモノを食し食し食しても満腹にならない業を持った地獄最下級の存在。
「さ、流石ダーリン、あのオッサン殺っちゃってぇー!?」
「おぉ勿論だっつの!」
彼氏の変貌にドン引きしているとはいざ知らず、ガルシアが後ろのエリュトロンに振り返った瞬間の事だ。ユウィンがガルシアに問いかけたのは。
「3時間って何分か知ってるか?」
「馬鹿にすんなぁ! さんびゃくじゅっ分に決まってんだろーがぁ!」
――ドスッ!
どうだ俺頭良いだろ!?
そんなガルシアにユウィンは笑顔で正解を述べる。
「正解だ」
「え、合ってた?」
ガルシアも笑顔で答えた。胸にラグラロクが突き刺さっているとも知らずに。後ろにいたエリュトロンは「げ」的な面持ちで後退りしている。
「すまん嘘だ馬鹿男」
「嘘がよぉぉおおおおおおお!!」
ジュアアアアアアア!!
胸の魔人因子核を直接破壊され、ガルシアは蒸発――――場にはエリュトロンのみがポツンと残るという何とも言えない空気が流れる。
「う~わっキッモッ! 死んでるしキモイキモイキモイキモイブッサイクがぁ!」
ガルシアの溶けた残骸を踏みつけながら魔人エリュトロンは毒づき、その瞳に殺気が漂っていた。どうやらキレたようだ。
「エノキ、マイタケさっさと来やがれ何してやがる!?」
使徒に助けを求めるが、周囲に彼女のゴーストの気配は全く無く、冬の冷たいピンと張った空気だけが残る。
「お前達の使徒は全て片付けた……後はお前だけだ」
「はあぁぁぁあ!?」
ユウィンはここに来る前に、残り14体居た使徒を全て倒していたのだ。ともなれば魔導師であるエリュトロンを詠唱中に守護出来る者は誰もいないという事である。高位魔法戦において呪文の詠唱時間は致命的な弱点であり、エリュトロンが相手をしている相手は近接戦闘もこなす魔法剣士であることも承知の上――八方塞がりであるエリュトロンの取った行動は――。
「ねえおじさま? 死人を生き返らせたいと思ったことはあるかしら?」
その言葉には強力な言霊が含まれていた。ビキビキと空気が震えている。
「……あぁ、あるよ」
ビキビキビキ
空気が軋む。この世界ルナリスを形成している半分は魔法粒子という微粒子である。この粒子は全生物が持つ因子からなる意思の力を具現化し、魔法もしくは奇跡や、結界などという超常現象を引き起こす源流なのだ。
「ここに1冊の本があるのね? なんだと思う?」
「……見当も着かないな」
相手が何を言いたいか、何をしようとしているか。正直な所解っていた。
「死者の書……興味あるんじゃないかしら」
魔法粒子とは魔法を行使する際の火種である。そして今、王都周囲の全魔法粒子はユウィン=リバーエンドにより支配されている。空気の軋む音はいわば強力な魔法言語を行使しようとしているユウィンとエリュトロンによる魔法粒子の綱引き、奪い合いにより起こる現象である。
「あたしを見逃してくれたらおじさまの大切な人を1人だけ生き返らせてあげる……ってのはどうかな」
「あぁ……なるほど解った」
ずずずずず
魔人エリュトロンに魔力がみなぎる。いとも簡単に魔法粒子の綱引きを手放したユウィンにエリュトロンは内心ほくそ笑み――詠唱を開始した。
……ジェンダー=ユニクエオ=ユニセクロス=心理を司る精と魔において生き道れぇ……
『マスター!? 彼女が編んでいる術式は――』
「ん? 心配してくれるのかD……」
『それはもちろ……いやそうではなく何を』
そこまで言ってからラグナロクに憑依するDには解った。主人の意図が。これ以上は無粋――そう考え言葉を切る。
「おじ様? 生き返らせて欲しい人の名前を教えてよ」
ユウィンは瞳を閉じた。
マリィとの思い出――出会いと生活と別れ――王都に行った時の事を――二人で麦パンを焼いた時の事を――お前を助けてやる、と、叫んだあの日の事を。そして考え――悟った事を。
死んだ人間は生き返らない。
ーだから。
「……シーラ=アテンヌアレー」
エリュトロンはページをめくる。
死者の書とはネクロマンシアとも呼ばれ、死霊術を極めたものだけが持つことを許される特殊な魔人核である。
エリュトロンには結婚を約束した幼馴染がいた。只の街娘である彼女にはその男性との世界が全てだった。――だが、それは無惨にも叶わぬ約束となる。男は領主の娘に見初められ、その娘の夫として嫁いでしまったのだ。普通なら泣いて泣いて……時が彼を忘れさせるまで泣き続ける所なのだが彼女は違った――彼を取り戻そうとしたのだ。
だが領主の館に忍び込んだ彼女は彼にたどり着く前に捕まり、当然のように捕らえられた。そのまま何も与えられることなく使用人達の玩具として弄ばれ、一生を終えた――筈だった。
その後で骨と皮と体液にまみれた彼女の遺体に一人の女が現れたのは――領主の娘、名をセシリア=マクシミリアーナという女だった。
その娘は暇潰しにエリュトロンの人生を破壊し、興味本位でエリュトロンを生き返らせた。
1冊の本――ネケロマンシアで彼女に偽りの生命をあたえ、その後魔人として転生させたのだ。
そう――魔人エリュトロンは生きる屍の魔人である。永遠に朽ちることのない業深く醜い不死の死体である。
彼女は生なる者を憎む。
他者の瞳に映る自分の姿を恐れる。
故に眼玉を集める。
二度と自分が惨めだと思わないように。
無論彼女に死者を甦らせる術などないのだ。
魔人エリュトロンが持つネクロマンシアで出来るのは、死体に死霊を宿らせアンデットを精製させる事だけである。無論別の生命の命を吹き込む為、元の人格など残りはしないし、源流である死者の書からの魔力提供がなければ即ただの死体に戻ってしまう。
エリュトロンがユウィンに提案した「大事な人を生き返らせる」という申し出はもちろんブラフである。――ただただ時間と魔力が欲しいが為、数分前のユウィンとファジーロップの会話から相手が乗りそうな内容を提示したにすぎない。
「余裕かましやがってこっのブ男がぁぁ!」
ユウィンは苦笑しながら、あえてエリュトロンと視線を合わせる。
『Lv4霊子操眼エンダスキーナぁぁ!』
「お……っ」
ユウィンの視界が闇に落ちた。心の中を探られるような感覚――精神系の魔法を掛けられているようだ。
「この術式は因子核に同調し、心を潰して操る魔法――お前の精神をその御自慢の魔法因子核ごと内部からブッ壊してやらぁ!」
……ドクンッ。
……精神の世界は記憶と本性の世界。――小柄で愛嬌のある女性が見えた。背丈に反比例した官能的な胸元を気にしながら歩く姿が愛らしい、そして街娘のようだが着ている服は少しだけ露出度が高い気がしないでもない。彼女は隣で歩く男を見上げながらこう言った。
「この街は魔人領が近いから皆どこかキズのある人が集まるの」
男は年齢の割には若く見えるが、何処にでもいそうな普通の男だった。ただ、この世界でも少しだけ特殊な色が目立つ灰色の髪と、何処でおろしたのか解らない見たこともない漆黒の革のジャケットと、白くシワ一つないシャツが印象的な男だった。
『じゃぁ君もそうなのかい?』
「私? もっちろんキズ物だよぉ~」
男はお日様みたいな娘だな。そう思い、笑った。
――za――
全身を傷だらけにした灰色の男は、女に頭を地面に擦り付けて懇願していた。緋のように紅い長い髪の女は少し驚いたようだが、黙って男を見下ろす。
『お願いします……マリィの病を治してやって下さい。もお……もう貴方しか頼れる人が居ないんです……お願いします。お願いします』
頭を下げ涙を流すその男に女は心底驚いたようだ。彼女は複雑な表情を瞬時に直しながらこう返した。
「お前が私に約束するなら……その女の病を直してやってもいい」
――za――
燃えている。――街も人もそいつの心も何もかも――炎に燃えていた。魔法光のネオンが、酒場の瓶が、吹きだまりの街、歓楽街で土に根を張らない悲しい人々と共に全て弾けとび燃えている。その男は街の片隅の街角で虫の様に地面に這いつくばり右腕から大量の血を流して叫んでいた――
『ああぁ助けて! マリィを俺に、俺に返してくれよぁっぁぁぁぁ!』
「ゲヘヘヘこんな状態の女をか? いいぜ、ほらよ――」
魔人ラビットハッチは四メートルもの巨体から触手で絡めとっていた『物体』を放った。男は泣きながら這いずりながら物体に近づき抱き寄せて――天に向かって絶叫した。
俺の女を助けてくれと――この世界は地獄だと。
――za――
エリュトロンはユウィンの精神世界の中でほくそ笑んだ。この男の思い出に闇が深かった為だ。霊視操眼とは――対象者の心に闇が深ければ深いほど効果を発揮するのだから――最悪の思い出に心が潰れてしまうほどの圧力をかけて対象を操る、神族を源流とするLv4古代魔法言語。――彼女は勝利に酔いしれニタリと笑いながら開いた掌を閉じていった。
(ウフフ~ アンタ中々燃える経験してるじゃない可哀想~泣いちゃいそ~う…………ん?)
閉じようとした掌が動かなくなった――精神世界の景色がガラリと代わり、別の情景が映しだされた。
(な、なんだまだ底じゃないのか!? はぁ!? 誰だこれは)
…………ドクンッ。
…… 精神の世界は記憶と本性の世界。
片腕の無い男がうずくまり側に横たわるもう一人の男に向かって話しかけていた。嘔吐し、むせかえりながら苦しそうに。
「この世界におけるユウィン=リバーエンド………その全てを御前に託す。どうかマリィを、情けない俺に代わってあいつの仇をぉぉと、とって……おああ……あああああ!」
凄まじい怒気に空気が歪んで見えた。
その時だ――片腕の痛々しい男の姿が黒く――黒く変わっていったのは―。あまりの叫びに口が裂け、開き切った眼と口からは大量の体液を流しながら絶叫していた。
「すまないすまないすまないすまないすまない――俺なんかでごめん……ごめんなぁ……っ」
男は切れた唇の両端、口角から大量の体液と血を流しながら月に向かって懺悔していた。
「マリィイイイイイイイイイイあぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ……」
黒い男は逃げるように何処かに消え――残された男に女が歩み寄る。一部始終を見ていた緋色の髪の女は足元の男ではなく、走り去った黒い男を見つめながら。
「ユウィン……お前は失敗した。だがその方が良かったのかもしれない――残されたお前にはここに来る以前の記憶は存在しないだろう。そしてワタシはお前を決して導かないが……アイツの望みをどうしても叶えたいのなら……ワタシは――」
その女の顔には確かな後悔が刻まれ。
「ワタシの全てをお前にくれてやる」
その男は黙って頷いていた。
――za――
魔人エリュトロンは困惑した――掌にはユウィン=リバーエンドという男の思い出が握られていたのに、後はこの思い出と共にこの男のリンカーコアを握りつぶせば済む話だったのに――手が動かないのだ。それどころか別の思い出と、とてつもない力が溢れだして来るのだ。
エリュトロンには見たこともない情景が写し出される。――高層マンションと大量に人間を収用した電車、毎日毎日同じ事を繰り返すデスクワークとPC画面、線路、マンションのベランダから見える景色、そして小さな幸せを宿したごく当たり前のささやかな家庭――そんな日常にごくごく少なからず不満を抱えてきた哀れな男が。
(なんだなんだなんだこれはどこだ此処は――この男は一体誰なんだ)
困惑する――そしてこう思う。コイツの精神は異常だと。
(な、何なんだコイツなんなんだ……これはコイツの記憶じゃない。……心が、コイツ心が……2つある)
魔法言語は意思の力を具現化させる『言葉』であるが、魔人エリュトロンの意思の力は――もはや完全に消え去る事となる。
ユウィンは空を見上げる。
俺にはアヤノさんの言っていた事が今でも解らない。だがどういう訳か、あの日から俺は怒れなくなり、あの日から俺は泣けなくなった。それだけの話だ。そんな事より――さっきからやたら寒いと思っていたんだが何だ――やっぱり雪が降ってきたな。雪に打たれるトロンリネージュの城は童話の世界が蜃気楼となって現代に蘇ったかのように美しいな……君と一緒に見たかったな……マリィ。
――バシュ!
魔法粒子が弾け、現実世界の空に戻った。そこには同じく雪が振りだした空が見えた。
(例え想い出のキミでも……また逢えて嬉しかったよ)
微笑むユウィンとは対照的に、目の前の魔人エリュトロンは掌を震わせていた。
「あ、あり得ないだろ……古代魔法言語を打ち消すなんて」
目の前の異常な男に恐怖を覚える。これだけの恐怖を覚えたのは今まで130年生きてきて二度目だけだ。一度は自分を魔人に転生させたあの女の目を見たときと、二度目はこの男の中身を見てしまった今だけ。
「何なんだぁぁぁテメぇはああああああ!」
「そんな事言われてもな……」
精神世界から帰って来たユウィンは何故かこの戦いに興味を失ったように明後日の方向を見ていた。トロンリネージュ最北端の辺境の方角を見据え呆然としている。
「お前ぇ人でも魔族でもエルフでも天使でもない――何なんだよぉ化け物めぇぇ」
最後の手段までもが呆気なく一蹴され、先程まで調子を取り戻していた死霊使いは完全に戦意を消失しガクガク震えながら後ずさりする。どうやって逃げようか逃げられるか、そんな顔をしていた。
「君みたいな可愛いお嬢さんに言われるとは心外だ」
ユウィンはそんなお嬢さんに笑顔を向ける。同時にエリュトロンに向けて掌を掲げる。
「ひっゴメンナサイぃ! 許してぇ」
「帰っていいよ」
向けた掌をぶっきらぼうに降った。
「え?」
「あぁ 帰っていいよ。もう戦う気は無いんだろう」
うんうん何度もエリュトロンは頷く。ユウィンという男は完全にヤル気を削がれたのか明後日の方を向き続けている。
「じゃあ暗くなる前にお帰ったらどうだ。あとラビットハッチに宜しく言っておいてくれ」
「う……うんうんあ、ありがとうぉ素敵なお兄様~」
彼女は即回れ右して少しつまずきながらも駆けて行った。あっさり自分を見逃した男に恐怖心が少し薄れていき、次にフツフツと怒りが込み上げてくる。
(畜生ぉ! あんなブ男に尻尾巻いて逃げるなんてよぉぉぉ腹いせに何人かぶっ殺して内臓引きずり出さないと気が済まないよ~エ~ン)
エリュトロンはそう思いながらも一目散に逃げる。――生に、偽りの生に向かって。
重い涙の雪が降る日――少女の遺体と出逢った。魔薬装う者の力で実体化した少女は、俺の死んだ恋人マリィと同じく――夜明けの太陽みたいな笑顔を持つ女の子だった。
俺は言った。
「死後1~2時間か?」
彼女は無残な遺体となっていた。
「全ての死体から眼がえぐり取られている」
Dは教えてくれた。
『恐らくは魔人でしょう』
昔なじみのアンコリオは俺に眼を集める魔人の正体を示してくれた。
死者を蘇らせるとかいう術式書か……
「眼を返してほしくば我に従え、確か生者を羨む眼という歌があったな」
死んだマリィと同じ太陽の少女シーラ=アテンヌアレー姫――彼女は死んでなお親友の為に残された時間を使い、魔人殺しは彼女の依頼を受けた。
あの少女は復讐など望まないだろう。
そう、でもそれはあの少女なら――という話だろう。
◆◇◆◇
トロンリネージュ王国アンリエッタ皇女は城の管制塔である新月の間にて、王都にいる全て人間に念話で回線を繋げ声高らかに言った。
(魔は一体残らず去りました! 私達のトロンリネージュの勝利です)
「「おおおおおおおおおおおおおお!!!」」
歓声は風に乗って聞こえてくる。アンリエッタは傍らの相棒に話しかけた。
「トリスタン……私達やりましたね」
しかし相棒の返事はない。
「トリスタン?」
見れば彼は精魂尽き果てたのか、コンソールに頭を突っ込んで失神していた。
「フフッ本当に手のかかるお兄様みたいですね」
アンリエッタは優しく笑い。置いてあった毛布を起さないように優しく掛ける。トリスタンの寝顔は達成感に満ち溢れていた。
全国民の歓声が風にのって響いている。
『皇女バンザイ! トロンリネージュ万歳! アンリエッタ万歳!』
皆で戦い
皆で泣き
皆で怒り
皆で勝利したこの戦い。
自分の皇女としての概念に気付いたこの戦い。
大勢が亡くなったこの戦い。
復讐を願ったこの戦い。
そして大切な親友を失ったアンリエッタには
何故かこの嬉しい筈の歓声が、美しくも哀しい鎮魂歌に聞こえていた。
◆◇◆◇
――国全体に勝利の歓声が湧き上がっている時の事だ。トロンリネージュ王都上空に男が一人――アッシュグレイの髪を風がさらっていた。
王都の外門を抜け、北へ北へと凄い速度で逃げ去って行く死霊使いを見ていた。
中に着込んだ白いシャツが血で染まっている男の名はユウィン=リバーエンドと言った。
「見ているかラビットハッチ……次はお前が来いよ。250年前のように、何度でも殺してやる」
彼はトロンリネージュ王都上空で浮いたまま停止していた。重力制御オナーというLv4である。
「……最近とある少女に教えられてな……ずっと執着していた問題の答えが出そうなんだ」
周囲に魔法粒子が集まりつつある。
「ラビットハッチよ……お前がマリィにした事は今でも毎日毎日思い出す。だが……どんなにお前が憎くても怒りと哀しみを持たない今の俺は心底お前を憎むことが出来ない」
周囲空間の青緑の魔法粒子がまるで彼を取り巻く蛍のように舞う。
「だから俺は復讐者となる事に固執する事でマリィの事を忘れてしまわないように、長い年月を復讐に費やしてきた」
人の魂のようにも見て取れる魔法粒子は美く舞っていた。
「でも……お前ら魔人に散々弄ばれて殺された少女に、友達を救ってくれと言われてな……笑いながらだ」
『DOS起動――赤眼帝呪文詠唱開始』
Dは演算を開始した。
主人の為心に刻むように丁寧に術式を編んでいく。――赤眼魔王の断罪魔法を。
「解るか? お前らや俺にそんな人間の気持ちが……だから全部終わったらあの娘に聞いてみようと思うんだ」
そう、思うんだ。
「あの娘ならきっとまた……困った顔で笑うんじゃないだろうか」
そんな事があるのなら俺は……
きっと……彼女ならきっと
そう思い続けたが信じられず――信じたら自分を許せなかった。
でも今なら――
マリィならきっと――
俺の太陽だったマリィならきっと――
「マリィは俺を恨んでいない――そう思えるかもしれない」
『詠唱完了しました』
「あの少女はこんなこと望まないだろうからな」
そうだ。
死者の書は死霊使いの力をもった術式書という名の魔人因子核である。
生者を羨む眼という哀れな歌があった――
その歌は雪の日出逢った少女に降り積もったが――
眼を抜かれた哀れな遺体は――
相手を恨むどころか救いを願った――
そして少女の想いは――
親友アンリエッタの掌と――
彼の無くした心に――
優しい奇跡を起こしたのだ。
「シーラの眼は返してもらう……可愛いお嬢さん」
ユウィンの掌に紅く発光する瞳が出現した。
「魔人領からじゃあ見えないだろうがラビッドハッチよ――」
その瞳に急速に集まる光――魔を討ち滅ぼす断罪の光。
「お前の使徒への手向けの花だ」
受け取れ!
「赤眼帝波斬スカーレッドアルタ!」
――カッ――
死霊使いエリュトロン――彼女はそう呼ばれていた。
彼女は生に向かって駆けていた。
彼女は顔の良い男が好きだった
美男の眼が好きだった
自分より可愛い女の子の顔が嫌いだった
美女の眼が好きだった。
抜いた後の空洞が好きだった。
そうだ良い事を思いついた。
今度あのブ男にあったら
数人がかりで半殺しにしてやる。
そしてアイツの見ている前で
ここの皇女の目玉を刳り貫いて食わせてやろう。
どんな顔をするだろうか?
今度人間領に来る楽しみが出来た……
しかしどうやって帰ろうかな?
……そんな事を思いながら駆けていた。
…………ボッ
幸せ一杯に生に向かって駆けていた
夢見る魔人エリュトロンはこの世界からいなくなった。
後には直径40m――
まるで天が少女を哀れみ
地上に落とした涙のように――クレーターだけが残っていた。
あの少女――シーラ=アテンヌアレーは仇を討ってほしいとは言わないだろう。死してなお親友を想う、優しいその心に彼は動かされたのだから
だからユウィンは、あえて自分の仇に手向けの花を贈った。少女が空で哀しまないように――
赤眼の魔王を源流とする高位魔法言語の頂点。『Lv3赤眼帝波斬スカーレットアルタ』最大出力の光。
ユウィン=リバーエンドの表情に感情はなかったが
これは哀しみの感情を待たない彼の――涙の光にみえた。
なぁ…相棒よ。
「さっき俺の心の動揺ってやつ……あったか?」
やれやれまたですか?
ディはちゃんと解ってるんです、貴方に着いて行くと決めた時に――
Dは彼の横に実体化し、クールな瞳を主人に向けた。
『貴方にはちゃんと優しい心がありますよ……マスター?』
◆◇◆◇
「全滅!?……18体もの魔人が3時間足らずでだと」
魔人四天王ヘルズリンクの使徒ノワールが玉座の間にて進軍の結果報告をしている所である。
ラビットハッチは先日のダメージでここには居らず、魔王キャロル、冥王ヘルズリンク、雷帝キリン、魔人影王の四体に向かっての言葉だ。
「…トロンリネージュには…魔導兵が少なかったんじゃ?」
ヘルズリングだけでは無くキリンにしても、少なからずこの結果には驚きの様子だ。魔人1体の力は人間の魔法使い1,000人以上に匹敵する。
如何に5万近くの兵力が王都に集結していたとしても、その中で魔導兵は3,000に満たなかった筈。
王都を落とせなかったにしろ全滅は在り得ない結果であった。
「ありゃりゃ~ 全滅じゃぁドラゴンさんでお迎えに行けなくなっちゃったねぇ」
魔王キャロルはあまり気にしていないようだ。旅行に行きそびれたけどまぁどぅでもイイや。そんな気軽さだ。
「はい……大多数の魔人を倒したのは1.5m近い大太刀を持った剣士でした」
生気の通わないフランス人形のようなメイド使徒ノワールの言葉に主は眉を寄せる。
「…… 竜王を倒したと言われている剣士ですね」
「ナニナニ誰それ」
竜の国は魔人領にあり、どの種族にも属さない孤高の種族にして一部魔人を凌駕する力を持つ者もいる。
故に魔人達もあえて竜族に喧嘩を売るような事はしない。竜王はその中でも最強の力を持っていたドラゴンの総称である。
「今は失われた金属火廣金の長剣を持つと言われる剣士で、200年程前に魔人領で竜王バハムートを仕留め、その50年後にラビットハッチを破り、我ら魔人族同士の戦争終結の引き金になった人間です」
「キャロルが生まれる前に、兎ちゃんとお父さんが喧嘩してた戦争ってヤツか~でも人間ってそんなに生きれるの? 」
「無理でしょうね …… ですので噂なのです。出会った魔人は全て死んでいますので」
「ワォ!それはスッゴい強いねぇ、剣を使うんでしょう~? お父さんとどっちが強いかな?」
全員の視線が影王に集まる。
影王の周囲に赤黒い気が揺れ、空気が震えていた。
その異変にヘルズリングは身構える。
影王は憤怒の魔剣士――通常は温和だが一度怒ると手は付けられない。隣で立つキリンが緑髪を慌ただしく振りながら焦る。だがコレはヘルズリンクとは違い彼の身を案じての動揺であるが。
「あれ? お父さん怒ってる?珍しいね。死んだ中で誰か好きな魔人でもいたの? キャロル超ジェラシーだよぉクフフ」
甘えたい盛りの子供のように、魔王は怒りの気を纏った影王の首に手を回し頬ずりしている。普通の子供と違う所が一点、その真っ赤に染まる瞳がギラリと揺れる。
「でも~ 何にせよその剣士さん …… 今王都にいるんでしょ? クフフッ」
「キャロル様? 」
ヘルズリンクは嫌な予感がした。
魔王レッドアイ=キャロル=デイオール。
彼女がこの笑い方をする時は
常識人の自分にとってロクな事が起きない時だ。
「お父さんとキャロルで王都に遊びにイック~~!」




