第29話 神の器(バビロン) 其の壱
ひゅー……ひゅー
作られてからどのぐらい経っているのか。
薄暗く仄暗い地下世界で、何処からか空気が漏れていた。
口から吸い込み肺へ供給され、鼻から漏れ出す空気の流れを、まるで交響曲を聴きながら上機嫌に――今迄は鼻歌を奏でていた少年の眉がへの字に歪んだ。
「急激に出力が下がった?……まいったな何て不幸なんだ」
何でこんな事になるんだよ全く。
この地下より王都全体を覆っている神呪刻印ゴッドイレイザー。その源流点となる装置から魔法粒子の光が減少したのだから。
唐突に、なんの前触れもなく。
「博士のプログラムにエラーはない。これはスナッチ(強奪)だな……」
外部から術式に干渉されたと考える方が自然。
この王都で、この呪いに干渉出来るのはイザナミ=アヤノ唯一人と聞いていた。ただ、彼女は今リィナ博士自らが足止めを行っているはず。
「この術式は天使の力をベースに組み上げられているのに……という事は、イザナミ意外に人皇勢を支援するものが居たのか。僕のせいになるなコレは……あぁ何て不幸なんだ」
眼の前の巨大な装置――そのてっぺんに座する少女に視線を上げる。
「痛いか妹よ……ん? おぃ聞いてるかブービー=オーダー」
鼻血が固まる事により上手く声が出せない少女は、兄の言葉に何とか反応を見せる。
「いたぃ…よぉ…痛い…おにぃ…ちゃん」
「そうか可哀想に…でも、この不幸な兄の心はもっともっと痛いんだ」
「おにぃ……ちゃ」
「お前をもっと痛めつけないといけなくなったのだから」
「――――――――――――っ」
声にならない絶叫が響き渡った。
座する装置から無数の細い鉄線が触手のように、指先の爪から侵入して肘まで喰い込んだ所で蠢き、皮膚から飛び出したのだから。
「ぎぃぃぃぃぃ!!」
叫ぶ少女の声帯がズタズタに傷つき、そこから生み出された体液が臓腑に届く前に逆流して体外へと放出される。
「ああああヤメでぇええもぅいやぁああ!!!」
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
「さぁもっと泣いてくれ妹よ。この不幸な不幸な兄の心を癒やす為に」
少女の絶叫に呼応するように、装置は黄金の光を強めて地上へ供給される。
「これもメアがタイタロスを予定より早く起動させたせいだ妹よ。僕を恨まないでおくれよ」
「おにぃ…ちゃん…もう…無理……これ以上は…死んじゃ」
「死にはしないよ妹よ、お前は自分がそんなに脆く創られていると思っているのかい?」
「我が城で、あまり猟奇的な事は慎んで頂きたいのですが」
少年が再び、こめかみの突起物に指を触れようとした瞬間の事である――薄暗い地下室に凛とした声がかかった。
「君はえーと…アンリエッタ皇女様だよね」
「御挨拶が必要でしょうか」
心底不快そうに、当国の皇女はざっと周りを見渡す。
「よく此処がわかったものだね」
「捜し物が得意な外務大臣がいまして」
「という事は王都の闇とかいう捨て駒は全滅したか……不幸な事だ哀しいねぇ」
「ウチの執事達は優秀ですからね。それと、早く此処から出て行ってくれません? 城の地下って……あまり良い思い出がないので」
数か月前まで親友の遺体が安置されていた地下牢より、更に数階分降りた場所が此処であった――勿論皇女である彼女も知らない箇所であり、元々この城に設計されていない場所である。
「此処に入ってくる前に扉があった筈だけど」
「ここは私の城なんですけどね。いつの間に改築されたのかは聞きませんが、侵入者…盗賊紛いのアナタ達に居座られるのは迷惑なんですよ」
「君こそ盗賊の才能があるんじゃない?」
アンリエッタのこめかみがピクリと動く、彼女のプライドが刺激された時の癖である。
「手癖が悪い、みたいに表現されるのは遺憾なんですけど」
「あの扉を自力で? それとも優秀とかいう部下が開けたのかな」
「あの程度なら手を借りるまでもないですよ」
少年は頭を抱えた。
まるで自分が世界一不幸な中間管理職のように。
「この短時間で…1,002,695通りもあるパスコードを抜いて来たのか、とんでもない演算速度だ」
この場所に侵入される筈がないとそう思っていた。
此処は王都全体へ張り巡らせていた魔法陣術式――神呪刻印の心臓部、源流点と呼ばれる場所。任されたこの少年は此処を死守する為に配置された存在。
「そんな事より彼女、妹さんなんでしょ開放してあげないんですか? 痛がってるじゃないですか」
「あぁ可哀想なヤツなんだよコイツは」
自分は世界一不幸だと称する少年が額の突起物に指を触れる。
「ヤメてヤメてヤメておにぃいああぎぃぃいい!」
アウローラタイプ99番素体ブービー=オーダーの絶叫が地下に響き渡る。
「あぁなるほど……その娘さんから王都全体に出力されている訳ですか、この迷惑極まりない術式は」
「あれ? 普通人間って、こういう時は怒るモノじゃないのかな、君って冷たい女の子なのかな」
「私は冷たい冷たい皇女ですからね」
「さぞ因子核も冷えきってるんだろうね……確認するのが愉しみだ」
「今日は本当に何て日なんでょう。乱暴されるようになるし、こんな猟奇的なモノを見せられるし、それより何より……」
「そうだねぇ、このお城の人達どころか城下の人達も心配してあげたらどうかな冷たい皇女様。外はもっと散々な事になってると思うよ? 僕程じゃないにしても不幸だよねぇ全く」
「さっきから気になってたんですがアナタ……」
「何だい冷たい皇女様」
「被害妄想って言葉、知ってます?」
少年の大きなため息と共に、地面に蠢いていたアルミ線や銅線、はたまたこの世の金属とは思えないグロテスクな生物的な接続コードが装置から次々に外れ、アンリエッタに迫る。
「侵入者を排除する」
「気に障りました?」
「因子核が無事なら良いらしいからね……心臓以外はザクロみたいに割ってあげよう」
「あら怖い」
「何だ――制御が?」
アンリエッタの瞳に気と魔法陣が浮かんだと同時に、金属の触手たちは動きを止める。
「空間に干渉している博士と同じ能力か。なら――」
「一言いっておきますど私、相当怒ってますから」
止まっていた触手が更に枝分かれして部屋一杯に広がる――アンリエッタに覆い被さるように。
「しゃらくさい」
――ドドドドドドドドドド!
「速い――いや速いなんてもんじゃない魔法を言葉にしないで実行している……」
「じゃあ言いましょうか? Lv2爆裂×10ですよ」
「空間を直接変換して魔法言語を実行しているのか……未覚醒状態の筈なのに。ほんと最低だな、この仕事」
「なら、そろそろ退場されては? その装置――破壊させて頂きます」
「でも、その程度では此処は堕ちないよ」
アンリエッタ=トロンリネージュは狙いを定める。
「あの人はきっと来てくれる――でも!」
「素体No.1 イー・オーバラキエルの名において言葉を発する」
「守られるばかりが私じゃない!」
オータイプの長兄が放つは救いの光である。
「LvΩ天道波動輪廻ノ―アディット=シュガーブリーゼ!」
「これは……幻術?」
「そんな生易しいものじゃないよ皇女様」
アンリエッタの視界――世界が書き換えられる。
自分の渇望を具現化した甘い理想の世界に――しかし。
「押し通ります」
「無理だってオメガレベルだよ皇女様?」
「同時発動――魔装天地無用」
「なんだそれは……魔法言語と特型気の同時使用……?そんな事が可能なのか」
狙いを定める。
この国の皇女という人間は夢など見ない。
何処までも現実主義者で純真で一途でプライドの塊のような女――それがアンリエッタ=トロンリネージュという人間であるから。
「もう一度言いましょうか? 押し通ります」
狙いを定める――非現実世界と、その奥に見える巨大で迷惑な装置に。
「わぁ…私って、あの人といる時こんなだらし無い顔してるんだ…気をつけなきゃ」
「理想の世界を客観視出来ている……何て」
「アナタ今…とても失礼な事考えてますよね遺憾なんですけど」
視界に飛び込んできた甘い世界。
一人の村娘となった自分と、灰色髪を揺らす魔剣士との甘い生活――皇女としての責任から逃れ、想い人とただただ自堕落に、笑い合う毎日が。
「幸せというのは、ある日唐突に与えられるのではなく自分でコツコツ引き寄せるモノですよ……被害妄想のお兄さん」
「オメガレベルの魔法言語が破られるなんて事が――」
「あと、ユウィン様はこんな器用に笑いませんよ再現度の低いドラマでしたね」
「全くもって不幸だ。102年前といい…お前達カップルは何で僕の救いを拒絶するのか」
アンリエッタの権能と魔法言語が合わさった時――それは世界を改変する空間魔法となって発動する。
「十六転換――天照!」




