第24話 茜色の魔女
「――来る」
胸を撃つ衝動――アヤノは声をあげた。
「ユウ君より秋影の方が……早い」
影王を秋影と呼んでしまう――この感情は駄目だと、アヤノの中のもう一人の自分は舌打ちするが、何も言わない。今何を言っても無駄だと言う事が解ってしまうが為に。
「秋影はもういません! 諦めてリィナと一緒に」
「黙りなさい、そしてアンタはそこで大人しくしてなさい」
今とてもとても良い所なんだから。
考える事を止めてしまったアヤノに裏人格のマクスウェルは、かける言葉が見つからない。
(ユウィン…どうしたら良い主殿……このままではアヤノは…)
今まで文句を言いながらも、この戦いに参入してきたアヤノ。――マクスウェルは少し安心していた。もしかして自分の表人格は自分の運命を受け入れる決心をしたのではないかと。
だが違った――何も変わっていなかった。この期に及んで賭けに出たのだ。自分では選べないユウィンと影王――早く来た方に自分自身の決定権を委ねようと。
(アヤノは何も決めてないし乗り越えていない。秋影に依存し、リィナのようにユウィンの敵にもなれないから……逃げている)
人皇の導い手としての自分の運命から。
そしてマクスウェルは知っている。全てを知りながら900年生きた魔女は――ここぞという時に必ず選択を間違える人間である事も。
(このままでは権限者が全員死ぬぞ……主殿)
頼む早く、速く来てくれ。
身体の決定権を決めるのはアヤノだ。
自分は今、人格を入れ替えるのは不可能なのだ。
アヤノの激情――期待と希望と恐れに満ちた感情に邪魔されて声も出せない。
重力結界に囚われていたリィナが声をあげる。
「出てこい――蛭子神!」
ゾワッ゙
リィナ博士のバックパックから暗黒色の空間が広がり、自身を呑み込んだかに見えた瞬間――アヤノの背後現れる。
「アキ!」
『イエスマスター』
――バッ!
弾かれたようにアヤノは空に逃れた。
「厄介なデバイスを作ったもんね」
「アヤノ様! 何故わからないのですか」
「あの時の能力ね。それの解析は終わってるけど?」
「本気でやればアヤノ様とて脱出は出来ませんよ!」
「へぇ…ワタシに逆らうの」
「貴女が悪いんです!――リィナは、リィナはこんなにもアヤノ様を愛しているのに」
「だからさぁ…それは違うって言ってるでしょーが」
「アヤノ様が間違ってるんです!」
「何でも知ってるワタシが間違えるなんて事はない!」
「貴女がリィナの邪魔をするのが既に間違いなんですよぉ!」
「言うじゃない助手」
「秋影を生き返らせる事もできるかもしれないのに!」
「出来たとしてもそれはもう秋影じゃない――知ってる!」
「蛭子神!」
ゾゾゾバッ゙――
「侵入――解除!」
「無駄ですよアヤノ様ぁ!」
「なっ解除エラー!?――そうかアンタは」
「今はリィナの権限を増幅器でボアアップしてます――いくらアヤノ様の権限だろうと侵入も解除も出来ません!」
「ちっ…空間書換に乗倍譲渡――権限の力を玩具にするなんて」
「リィナはこの二つの力で何としてもルナティック=アンブラを破壊します! アヤノ様は虚空間でソレが終わるまで、大人しくしていて下さい!」
「大人しくしてるのはアンタはだっての――邪魔をするな!」
「わからずやぁ!」
――ゾバン!
暗闇色のシーツがシングルベットサイズからキングサイズへ――更に拡大しアヤノに覆いかぶさるように広がり――収束する。
「くっ――しまっ」
「魔神剣――因果断裂斬!」
「秋影!?」
輝く視線を向けるアヤノの面が瞬時に曇る。
「アヤノ何をやっている、こんな所で!」
「何をしようが貴方には関係ないでしょ……アーサー」
「蛭子神を斬り裂いた……?」
魔神剣によって斬り裂かれた暗黒空間が霧散し、リィナの周囲に再び収束してゆらゆら揺れる。
リィナ=ランスロット専用デバイスにして無形の武器――DES(デバイス=エクステンション=システム)蛭子神は――彼女に残った極微量な権限の力を増幅し、投影出力させるツールである。空間を形成している魔法粒子までも操作し、空間そのものを武器と出来る――故に同能力か、それ以上の出力で打ち消す以外に攻略は不可能のはず。
「イヒヒッ少し驚きだわアーサー……そうかお前、天使勢の存在だったか」
「既にルールもないこのゲームじゃ、ワシのような人間もいよう」
「その若返った姿……果たしてどれだけの人間の因子を糧にしてるのか……化け物め」
「化け物だらけのこの世界……特に珍しくもなかろうよ」
化物――アヤノはその言葉に更に瞳を濁らせる。
死にたいと生きたくないは同義語だ。
死にたいと言っている人間はソレを言った瞬間生きている為初めから死ぬ気がない。生きたくないというのは、生きる目的が見つけられずただ生きている人間の事だ。
そういう人間達は総じて感じている――理不尽を。
人生というゲームをリセットして、やり直せないのは理不尽だと。
だが、不死人にはソレが可能である。
何度間違えても寿命を持たず、姿も変わらないが故に何度でもやり直せば良いだけの話なのだが。
アヤノにはそれが出来ない。
自分が不死の化物である事を恥じ、秋影一人だけを想い続ける事を止められないから――そんな自分自身が嫌で嫌で仕方がない。幸せになってはいけないと、思い続ける自分が嫌いで仕方ない。
どうしても怖い。
あの時、秋影は自分の正体を知っていても愛してくれたのか――もしそうでないなら、自分は今でもあの丘に一人で待ち続けていたのではないか。
生命の居なくなった、虫一匹居ない荒野の丘で一人。
そんな重い女――誰が好いてくれるの?
「アーサー! アンタも 邪魔だほっといてよ」
「断る。……今の状態のお前を捨て置けるか」
「ワタシがイカれてるとでも言うの?」
「お前の選択は間違っている……ワシは君が」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!」
リィナも、アーサーも、自分自身であるマクスウェルですらも間違っていると言う――知ってるんだ本当は。そんな事は解ってるんだ――でも。
「あの……キラキラした尊い想い出まで無くしたら……ワタシはいったい何の為に生きてきたのよぉ……」
ズゾバッ゙!――ザン!
膝を折ってしまった女に蛭子神が覆いかぶさるが――再びトツカノツルギ二刀の斬撃が飛ぶ。
「アヤノ様には時間が必要だね……待ちますよリィナは、何年でも何百年でも――アチシが月を掌握した後の世界でねぇ!」
「やらせんよ――そして時間などない。この世界は終焉に向かっている、絶対にそうはさせん」
「お前のソノ因果を斬り裂く刃、興味深いねぇヒヒッ。《絶対に斬れない》という結果を改ざんしているのか……なぁるほどねぇ」
「あの時お前を逃していなければ…こんな事には」
「同じような立場であるアチシに同情でもしたか? 気持ち悪いヤツだなお前は……この偽善者めぇ!」
「偽善者か……全く、言葉もないわ!」
アーサーに暗黒空間が迫る――
「因果――魔神剣水薙!」
「結果を改ざん出来る事が解っていれば、ヤリようはあるやねぇ」
「やりおるわい……出がらしの老婆が」
「あの時とは違うぞぉアーサァァぁあ!」
「そのようじゃのぅ」
荒ぶる波のような空間の刃がアーサーに迫るが、それらを全て撃ち、薙ぎ、弾き落とすが。
『アーサー様これ以上権能を使われると』
「免れんか――だが!」
目尻にシワが刻まれ始める。
四十過ぎの姿となったアーサーは居合の構えのままリィナとの間合いを詰める。
「近づいてしまえば、その妙な武器も使えまい」
「ばぁ~かが! 脳筋はコレだから」
「なに――自分ごと!?」
「虚空間内でミンチにしてやるよぉイッヒヒヒヒ」
―――――バグん。
アーサーとリィナが闇と共に消え、跡に残された女の髪が揺れる。長い、長い、朱の髪を地面に擦り付け嗚咽を漏らすが、枯れた涙は雫とならず。
「どぉしてよぉ…何でよぉ…しょうがないじゃない…だってしょうがないしゃない…選べないんだからぁ」
『…アヤノ』
『アヤノサマ』
かける言葉が見つからないマクスウェルとアキ。
ずっとアヤノを見てきた――人類の為に戦い、魔導科学の母と呼ばれ持て囃され、人類の敵と言わた女と共に生きた数百年。
誕生して900年余り――彼女が泣いたのは一度だけだ。
秋影が魔人となった時も彼女は泣かなかった。
打倒魔王を声に上げ、秋影を取り戻そうと人間に戻そうと自分を奮い立たせた。
魔法と科学を融合させた技術をもって人類に繁栄をもたらせた。その技術で月のマザーコンピュータに反逆し、この世界を書き換えようと考えた。秋影との出会いを、秋影という人間との出会いを始めからやり直そうと、世界をリセットする為に奮闘した。
だが、失敗した。
世界のリセットは彼女の望まぬ形の結果を呼び、大勢の人間が命を落とし、人類の技術は創世記まで衰退した。
世界は変わっても彼女だけは変わらない。
女は次第に外の世界に恐怖を感じるようになる。
そんな時に現れた――魔人陰王
『秋影を殺すなんてワタシには出来ない…出来ないよぉ』
「―――――――」
陰王のあの言葉の後――女は朱い結晶となった秋影を抱いて泣き叫んだ。
アヤノが泣いたのはその時の一回だけ。
魔人を人には戻せず、彼はもう人ではなく魔人なのだと諦めてしまった――あの時だけ。
「またオマエか……女」
今宵この場所で、出逢うまでは。
「あ、秋影ぇ…っ」
再び出逢う長い灰色の髪と、夕暮れによって茜色に染まる髪。
魔人影王は、うずくまるイザナミ=アヤノから数歩の所で足を止めていた。
「俺の邪魔をしたり助けたり…オマエは一体なにがしたい」
「っ………うぅぅ」
嗚咽で声が出ない。
待ちに待った待ち人が目の前に現れたというのに。
悲しい……他人のように接される事が。
苦しい……その声が秋影でない事が。
だが、知っている声なのだ。
知っている、そしてこの人こそが自分の存在意義である事も。
想い人と存在意義という2つの《核》を持った魔人。
激闘の跡が見受けられる破損した黒の甲冑と腰の下げた巨大な黒刀――アメノムラクモのツルギ。魔王率いる魔人達の頂点にして四天王が一人《魔剣・影王》
「何故を俺を助けたのか知らんが」
「ワ、ワタシは…秋影…は」
「王様だの秋影だの……影王というのは随分と名前の多いヤツのようだ」
「ワ、ワタシは…ワタシは貴方の」
嗚咽で声が詰まる。
否、怖い――拒絶されることが。
お前など知らないと拒絶される事が。
「過去の俺を知っている女……そういう事か」
「うっ……あ」
声が出ないから、頷く。
「では聞こう、オマエは魔族か人間か……どっちだ」
化物なのか人なのか。
「わた、しは」
「俺は魔人だ、それ以上でも以下でもない。オマエが何を知っていようと、俺に何を求めていようと変わらない……忘れろ」
「……貴方も……アナタまで」
そういう事を言うの?
「俺には娘がいる……可哀想な娘だ。俺のせいでそうなった」
「……魔王」
「そうだ。そして俺は……娘の為に死ぬだろう」
そう遠くない未来に。
だから、自分を忘れろと。
それだけ言って影王はアヤノを横切った。
突き放した――今の答えを、女は理解出来ただろうか。
「秋影…影王…アナタは…どっち?」
「さぁな」
「あ、秋影は…秋影はもう居ない?」
「さぁな」
「ワ、ワタシは……」
「去れ……女」
涙が降っていた。
男は嘆息する――女には理解出来なかったようだ。
(そうか……言葉足らずなのは、前からか)
紅に光る右眼がうずく。
女の声に反応するかのように。
魔人核はどうしたい?
そこまでしてやる義理も無ければ、そういう存在でもないと自嘲するが。
「秋影ぇ…何でアナタは…私にそんなに冷たくするの…ぉ」
鍛錬と、背負った業によって鋼のように固まった背中に体温を感じた。
影王は背中でむせび泣く女に、足を止める。
「どうしてどうしてぇ? もぅ嫌なのぉ……」
「……」
「一言だけでも……良いからぁ…お願いだからぁ……」
ワタシを救って。
「ソイツはもういない、ソイツがどう思っていたかも知った事ではない」
絶望という言葉は便利なツールだ。
このワードは誰かに望みを託して、それが勝手に叶わなかった時相手のせいに出来る。自分が悪いのではなく、相手が悪いように書き換える事が出来る。他人から見ればソイツの勝手な望みが勝手に絶えただけの話なのに。しかしアヤノが生きる永遠の時を終わらせるのに、その絶望という奴は疲弊しきった女の人生を終わらせるのに、十二分に効果を発揮し。
「もぅやだ……死にたい」
「そうか」
「殺して……影王」
「……そうか」
背中に感じていた体温が消える。
耐えてきたのだこの女は、秋影を失って500年以上――想像を絶する想いを胸に秘め、何度も何度も立ち直ろうとはした――でも無理だった。あの時こうしていれば、あぁしていれば、不死故にある無限の時間が、どうしても女に考える時間を与えてしまう。
輪舞曲のように回り、繰り返す。
ただただあの輝く想い出を失わないように、秋影という男が存在した事を誰一人として憶えいる人間が居なくなった世界で、自分だけは彼を憶えておこうと。でもそれは間違いだったのだろうと女は思う、何でも知ってる自分は、また間違えたのだ。
遂に女は己の間違いを肯定する。
「もぉ……いいや」
「知った事ではない……だがな」
止めどなく湧き出る涙と死。
背中に感じる絶望――だが、それでも影王は振り向いたりはしない。
決して振り向かない。
男は知っている。
女の涙を止める事が出来るのは自分ではない事を。しかし知っいる――ここで伝えるべき”言葉”だけは。だが、それを決めるのは自分では無い――だから問う。
魔人核はどうしたい?
「俺が魔人となって400年余り……夢を見た」
魔人は夢を見ない――これは妄言ではある。
この 男もまた、自分は幸せになってはいけないという呪いを携えて生きているが為。そして他者の幸せを願うという、何処までも魔人らしからぬ半端者であり気まぐれな存在――それが影王という男の原点であるが故の――夢など魅てはいけないという妄言。
「魔人である俺が、夢を見た」
「………っ」
影王は伝えるべきか問う。
見ず知らずの茜色を揺らし……泣きじゃくる女に。
成熟してそうで、少女のような魔女に。
「夢に出てくる女がいる。……二人だ。
一人は黄金の翼を持ち……もう一人はお前に似ている」
「っく………………え?」
女は顔を上げる。
「その見ず知らずの女は、俺にこう言ったよ《どうしていつも自分に冷たくするの》と」
目を見開く女……男は一切振り返らずに。
「《それはお前に》……そこまで言って俺は黙る。おかしなものだ、その女と逢った事もないのに」
「そ、それは………ぁ」
女は崩れ落ちた。
その昔――自分をあの丘から連れ出し、命を賭して生きる喜びを教えてくれた男がいた。アヤノを想い、アヤノに愛という名の呪いをかけてしまった男――最後はアヤノ自らの手で深紅の魔人核へと姿を変えた。
名を、ツクヨミ=アキカゲと言った。
影王は問う――魔人核はどうしたい?
大切な女なんだろう? 何なら俺が終わらせてやろうか?「死にたい」ではなく「自分を殺してくれ」と言った女――核となったソイツが応える事はないが。
「その男がどう思っていたかなど俺は知らん……だが」
「………うんっ………うん」
ソイツが応える事はない、無いが、伝えようと思う。
孤独な魔女へあの夢を――あの言葉を。
「俺ではないソイツはな……お前に、この世界を好きになってほしかったんだ」
この世界を好きになって欲しかった。
自分が死んだあと、自分を追って死なないように。
アヤノが寂しくないように。
想い人が魂を拘束られないように。
新たな人生を歩めるように。
永遠に近い時の中で―――再び幸せを見つけられるように。
だから辛く当たったのだと。
「ツクヨミ・アキカゲは……オマエが不死なのを知っていたよ」
彼女は誕生した時から既に成人であった。
魂に刻まれた名は伊邪那美――イザナミ=アヤノ=マクスウェルの枯れていた筈の悲しみが、数百年にも及ぶ哀が瞳から濁流となって溢れ出す。長い、長い、身長よりも長い髪をびしょびしょに濡らせて泣いて、泣いて、泣き叫ぶ。
秋影――自分に自分を殺させた
初代影王の最後の言葉――
『さようなら……火の国の魔女』
ソイツは「綾乃」と呼ばなかった。
ソイツが女に贈った名前。
父親の形見の弓と、絹の衣から贈った名前。
世界で一番綺麗で、大切な君へと。
伊邪那美=綾乃。
女がずっと言えなかった、聞けなかった言葉。
ずっと心に閉まったまま、聞けずに居なくなってしまったソイツ。
自分が不死の化け物だと知っていても愛してくれたんだろうか?
「秋影ごめん…ごめんなさい…信じてあげれなくて…臆病なワタシでごめんなさい」
不器用な野郎だ。
自嘲する男の右目から一筋の雫が流れ落ちたから。
わからんでもないがなと、やはり自嘲気味に微笑みながら
その瞳は――夕闇に燃える王都を見据える。
「この世界は地獄だ……残酷で、度し難い」
影王は振り返ることなく歩み出す――王都トロンリネージュへ。
「だが、この空と――」
女の髪と同じ――茜色が差す夕暮れに、夜が降りつつある空を見上げる。
「人間の想いは……とても、とても美しい」
アヤノはつられて天を見上げる。
輝き始めたワシ座のアルタイルが、うすらぼんやりと見え始めた空を見上げた時――やまなかった涙が、止んだ気がした。




