キール編その9 そして誘われて
暗闇の中で、ディアナの使っている香水が漂う。キールはやわらかな安堵に包まれていた。ディアナの添い寝権利を得たことで、キールの発作はいつしか止まり、ほとんど眠りの世界に入っていた。どうやら、治療のときに眠り薬を仕込まれていたらしい。ディアナは飲まないように、唇にでも塗ってあったのだろうか。治療に夢中になってしまうなんて、迂闊だった。
「……私の心はグリフィンのもとにあります。発作が落ち着くまでですよ、添い寝は。あなたがグリフィンの弟ならば、私にとってもあなたは弟、私は姉です」
ディアナがキールを諭した。キールは答えたかったけれど、眠くて眠くてことばが出てこない。ただ、ディアナの首にしがみつき、離れまいと必死に頑張った。わたしは、弟なんかじゃない。男として見てほしい。声にならない声が、喉を張り裂かんばかりに込み上げてくる。
「おやすみなさい、キール」
ああ、いつの間に立場が逆転しているのか。姫を追いつめていたのは自分で、自分は優位な立場にあったはずなのに。そうこうしているうちに、ディアナはそっとキールから身体を離し、去ってゆこうとする。
「発作のときはいつでも駆けつけます。この旅の間は、私が対処します。だから、グリフィンの行動を私と一緒に見守ってください。反論がなければ、同意してくださったと考えます。おやすみなさい、キール。また明日」
そっと、戸が閉まる。
そんな。
重い泥のような眠りにくるまれて、キールの身体は指一本たりとも動かない。だめだ。同意なんてしていない。姫はわたしひとりだけのものだ。ほかのやつになんか、くれてやらない。ほかの、やつには……。
けれど、嬉しかった。道中は、ディアナがずっとついていてくれる。これからしばらく、姫と同じ時間を過ごせるのだ。誘惑して陥落するチャンスはいくらでもある。銀の国に到着するまでの短い期間とはいえ、姫をわたしに預けたこと、じっくりとグリフィンに後悔させてやろう。ディアナも、次期王太子の座も、王の寵愛も全部、わたしのものだ。グリフィンだけには、絶対に渡さない。
キールの記憶にあるのは、そこまでだった。
その夜。キールはディアナの夢を見た。夢の中の姫は、自分だけを見てくれていた。どうか、現実になりますように。いや、実力で現実にしてみせる。姫に、自分を選ばせてみせる。
翌朝。
国使一行と、ディアナを連れて、キールは銀の国を目指している。まだまだ、戦える。ディアナのすべてをグリフィンに奪われたわけではない。それどころか、やつは姫と一線を越えていないらしい。勝負はまだついていない。
キールは隣に座っているディアナに流し目を送った。姫はキールに見つめられて思わず頬を染める。ほら、まだまだいけそうだ。夕刻には毎日の治療のこともある。キールは、治療相手に姫を指名し、いっそう接近してしまおうと企んでいた。たとえ姫がほかの男を想っていても、治療は治療だ。ディアナも理解している。
かわいい姫を困らせることは、なんて楽しいのだろう! キールは、笑った。 (了)
読了ありがとうございました。
番外編の番外編がこれ以上長くなるのもどうかと思い、このあたりで切り上げます。
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