三人の奴隷
ワイバーン狩りが入れ食い状態で容易かったのは最初の1日だけだった。
初めて見る人間をゴブリンやオークのようにすぐに倒せる餌だと思って飛び掛ってきたワイバーンたちも、次々に仲間を倒されて冒険者たちが強敵であると理解したのだろう。安易に襲い掛かってきたりせず岩山の上からじっと様子を窺うようになってしまった。
こうなると岩山をよじ登って倒しに行ったり、餌でおびき寄せたりと冒険者達も趣向を凝らさないといけない。中にはオークの皮を被ったり、ゴブリンのように顔を緑に塗るものまで現れて、冒険者達とワイバーンの知恵比べは迷宮討伐軍の買取上限である百体に到達するまで一週間ほど続いた。
その間、ジークたち三人は毎朝夜が明ける前に迷宮都市を発ち、夕食時には『木漏れ日』に帰ってくる生活を続けていた。ジークに対し宣戦布告とも取れる爆弾発言をかましたリンクスだったが、その後はそのことに触れることも、変わったそぶりを見せることも無く、いつもの様にジークとマリエラに接し、ジークやエドガンと一緒に「ただいま」と『木漏れ日』に帰ってきては夕食を食べて帰っていく。
ちなみに夕食はシェリーちゃんやアンバーさんと一緒にマリエラが作って、ニーレンバーグ親子も食べて帰る。新婚のアンバーさんは流石に新居でディック隊長と食べるのだが、メニューは同じで料理を器に入れて持って帰っている。アンバーさんも作っているから手料理には違いない。アンバーさんは「食事はずっとマスターにお世話になってたから助かるわぁ」とほくほくしているが、手抜きなどでは断じてないのだ。
大人数で食べるにぎやかな夕食にマリエラは嬉しそうにほっぺたにソースを付けていて、隣に座るジークはこの席に座れない日が来ることを想像することが出来なかった。
ワイバーンの輸送依頼を受けた黒鉄輸送隊だが、装甲馬車の出番はない。ラプトルとレンタルしたヤグーに荷を積んで往復するだけなので、駆り出されたのはユーリケとディックだけだ。迷宮討伐軍上層部と今後の対応について協議していたマルローは別として、ドニーノ、グランドル、フランツと三人の奴隷達は迷宮都市の拠点でゆったりとした時間を過ごしていた。
「おい、ニコ、スパナ」
接続詞を一切使わず単語だけで話すドニーノ。
装甲馬車の下にもぐりこんで車輪周りの改造を行っているドニーノにニコと呼ばれた奴隷はスパナを渡す。黒鉄輸送隊に買われた当初はおどおどと一塊でいることの多かった奴隷達だが、すっかり隊に慣れたのかそれぞれの個性や特技が見え始めていた。
ドニーノにスパナを渡したニコは装甲馬車に興味があるらしく、ドニーノが馬車をいじっていると傍によって何かしら手伝う。三人に共通することだが、もともとチンケな強盗だから手癖が悪いし善悪の判断も曖昧だ。武器のようなものを持ちたがるのか、ニコは装甲馬車のメンテナンス用の工具をしょっちゅうちょろまかしては、ポケットなどに入れている。勿論ドニーノはそれに気づいていてそんなに工具が持ちたいのならばと工具をぶら下げられる職人用の工具ベルトを買い与え、工具を全部持たせている。ニコは武器にもなりうる鉄製の工具を沢山持てて強くなった気がするのかご満悦で、ドニーノも歩く工具箱が出来たと喜んでいる。
ちなみに工具を大量に持たせてもらっているニコだが、ドニーノを始め黒鉄輸送隊のメンバーには絶対服従で工具で襲い掛かるようなマネは決してしない。
魔の森で休憩のため下車していた時に、たまたまゴブリンが襲い掛かってきたことがある。ニコは隠し持って居たスパナで応戦したのだが、ゴブリンにスパナを奪われ返り討ちにあいそうになった。
「工具を粗末にすんじぇねぇ!」
怒鳴ったドニーノの怒りの鉄拳が、振り下ろされるスパナごとゴブリンを打ち負かした。そう、スパナもドニーノのステゴロに打ち負かされて折れ曲がっていた。工具を粗末にしているのは誰なのか、そんな疑問以前にドニーノの、いや黒鉄輸送隊の強さにニコは小悪党らしく服従を誓ったと言うわけだ。
今日もニコは武器をまとった冒険者よろしく工具を大量に身につけて、強者の子分になった気分でドニーノにくっついて装甲馬車のメンテナンスを手伝っている。もともと猫背なニコが重い工具を身につけると、重さに負けているようで殊更弱そうに見えるのだが、その事にニコは気付いていない。
もう一人、ヌイと呼ばれる猫背の奴隷はというと、拠点の台所で保存食作りに精を出していた。黒鉄輸送隊は月の半分以上を移動に費やす。魔の森ではゆっくり野営などしないのだが、魔の森を抜けた後帝国までの間は野営して食事も簡単なものを作って食べる。当然料理は奴隷達の仕事になるのだが、三人の中でヌイが一番上手に料理を作った。以来料理はヌイの仕事で、野営の食事は勿論、拠点にいる間は自分たちの食事だけでなく保存食も作成する。黒鉄輸送隊のメンバーは街にいる間は3食を外食で済ます者がほとんどなのだが、ヌイが料理をするようになって朝食や昼食を拠点で取るものも増えてきた。
そんなヌイではあるがやはり手癖の悪さは直らないもので、料理途中のつまみ食いが大層多い。人より多く食べたいという意地汚さなのか、満足に食べて来られなかったせいかはわからないが、野菜の皮をわざと分厚くむいては綺麗に洗って干したり油で揚げておやつをこしらえ、人目を盗んでこそこそと食べている。当然黒鉄輸送隊のメンバーにはばれているのだが、体が資本の職業でお腹一杯食べる事をとやかく言う者はおらず好きにさせている。
「生煮えの野菜なんかを盗み食いするより、完成した料理をお代わりすればいいのに?」
ユーリケなどはそういうのだが、治癒魔法師のフランツによると、
「盗み食いをした、という達成感も味わっているんだろう」
ということで、皆見ないフリをしている。おかげで出汁をとるとか下ごしらえをするといった料理の基本すら知らないヌイの創作料理はおかしな進化を始めていた。
盾戦士のグランドルなどはヌイの食への執着をむしろ感心していて、様々な調味料を買い与えたりしている。
「ヌイ、いきますぞ」
グランドルに呼ばれてヌイは慌てて駆けつける。手には洗濯してあるエプロンと料理用のナイフ。
「『ヤグーの跳ね橋亭』のマスターの言うことをきちんと聞くのですぞ」
グランドルの言葉にこくこくと頷くヌイ。グランドルの取り計らいにより、今日から『ヤグーの跳ね橋亭』に手伝いに行くのだ。短時間だが下働きをしながらマスターに料理を教えて貰う。身長は高いが細身で綺麗に巻いた傘をステッキよろしく持つグランドルはとても盾職には見えない。カイゼル髭を整え休日だと言うのにかっちりとした服装の紳士然としたグランドルの後に続くヌイは、何処から見ても主人と丁稚、あるいは弟子といったところだろう。
ヌイ本人は元盗賊らしく『うまく取り入って、旨さの秘訣を盗み取ってやる』などと思っているのだが、その発想はもはや唯の弟子である。娘のエミリーちゃんが『木漏れ日』に入り浸るようになってちょっぴり寂しいマスターにたっぷりと仕込まれる毎日は、見た目も心意気も料理人の弟子になったヌイにとってそれなりに充実したものといえた。
そして、最後の奴隷、ジヤはと言うと。
「ひゅひぃぃぃぃ、ふぅぅぅううぅぅぅ」
ラプトルたちが出払った獣舎の隅で、音の出ない潰された咽で悲鳴をあげ、フランツの仕置きを受けていた。
「ラプトルの餌のオーク肉をつまみ食いするくらいは見逃すけどね、腐りかけの粗悪品に摩り替えて差額を盗むのは感心せんな」
フランツは治癒魔法使い、と言うには体格に恵まれた男だが、常にフードを目深に被り鼻より上は仮面を付けて顔を隠している。火傷の痕のように治癒魔法では跡が残る傷跡もあるし、迷宮都市にはポーションがないから顔を隠すことはさして珍しくはない。
ジヤを怯えさせたのは、仮面から覗くフランツの縦に伸びた瞳孔と、ジヤの顎をつかんで開かせる鋼のような指だった。
(こっ、この亜人野郎め……)
ジヤの顎を片手でつかみ口を大きく開かせている手は、人間の物としてはいささか大きく、文字通り歯が立たないほど硬い。指の先端全部が爪になった手は人間の其れではない。
海を越えた先にある大陸には、亜人と呼ばれる種族が住んでいるらしい。人よりはるかに長寿であったり、獣の姿をしていたり。はるか昔に国交を断って、今尚親交があるのはドワーフだけだ。けれど過去に交流があった証か、帝都には亜人の特徴を備えた人間が稀に生まれる。彼らが闇に潜み、人目を避けて暮らさざるを得ない現実が国交断絶に至った経緯を物語っている。
「痛んでいる歯があるな。丁度いい」
ギッ、ギリギリ、ギシ、ミシ。
「っふぅーーーーーー!!!」
頭蓋がみしみしと立てる音と絶えがたい激痛にジヤは必死に抵抗するが、片手だけでジヤの顎をつかんで引き倒すフランツの豪腕に、ジヤ如きの抵抗が通じるはずも無い。
ぶちり
何かが千切れる音がしたとき、ジヤは意識を手放した。
じょろじょろと流れ出す黄色い水がズボンにシミを作り、獣舎の床を汚していく。
「……この歳で漏らしたやつは初めてだな」
汚いものでも捨てるようにジヤの溶けかけた歯を投げ捨てると、フランツは円錐型をした青黒い粘土のようなものを取り出して特殊な治癒魔法を唱える。「これを使うのは久しぶりだな」そんな事を呟きながらフランツは、抜いたばかりのジヤの抜歯跡に円錐形の先端を突き入れた。再びジヤを襲う激痛。痛みに覚醒したのか開いた目は白眼をむいていて、体はビクビクと飛び跳ねる。死に掛けて動かない魚に刃物を突き入れたような、そんな痙攣をした後に再びジヤは意識を手放した。
フランツがジヤの抜歯後に突き刺した青黒い差し歯は、抜歯した歯の代わりに骨に食いつき神経と接続し、形も歯列やかみ合わせに合わせて変化する便利なものだが、『呪い歯』と呼ばれる呪具でもある。
違法すれすれの品物で真っ当な治癒魔法師は取り扱わないが、フランツが帝都のスラムで治療院を開いていたときは、犯罪奴隷や終身奴隷に対してよく施術を頼まれた。
効果は単純で『痛みを与える』だけなのだが、歯の神経と繋がっているのだ。先ほどジヤが味わった抜歯の強烈な痛みを特定の条件下で与えることが出来る。フランツがジヤに施した『呪い歯』の発動条件は隷属の焼印と連動してある。隷属紋を強化すると言えばわかりやすいだろう。
そもそも、奴隷が施される隷属の焼印も、宣誓魔法も、魔法契約も被術者の心理に働きかけるという点において同一の魔法体系に分類される。
最もありふれているのが魔法契約で、術が施された専用の用紙に血を垂らしたインクでサインすることで成立する。効果はランクによって異なっていて、最も低ランクの物は結ばれた契約が破られたとき、正確には契約者が《破ったと認識した》時に、対象者の血の混じったインクの色が変わり不正を示す証拠となる。
ランクの高い魔法契約になると、契約条項は契約者の深層心理に刻まれて意図せずとも契約を破ろうとした時に、頭痛や呼吸困難と言った“警告症状”が現れる。警告症状は耐えられないものではないが、“意図的に契約を破った”という事実は契約破棄の罪をより重いものにする。
何れの魔法契約も契約が破られた事を証明する『証拠』であって、魔法契約自体に契約を守らせる強制力は無い。契約を守らせたり罰を下すのは司法の仕事になる。
守秘に特化した魔法契約になると、情報を漏らさないように一時的な記憶喪失を招くものも有るが、民間で出回っている魔法契約書の強制力は何れも《約束を破ってしまった》という意識によって発動する効果の限定されたものだ。
宣誓魔法も同様で《偽りを言った》という意識によって警告症状を起こすものだ。
この、《約束を破った》、《偽りを言った》という警告症状を起こす《鍵》を自由に変更できるのが、終身奴隷や犯罪奴隷に施される隷属紋だ。本人の同意無く行動を制限する隷属紋は人権を保障されている借金奴隷には施されない。借金奴隷は借金の金額に見合った期間強制労働を強いられるものだから、施される隷属契約も焼印を伴わない術だけで、内容も《主人の命令に従う、逃げない、危害を加えない》といった当たり前のものだ。漠然とした内容であるから"主の命令"に違反したときの警告症状も弱い。
けれど焼印と術式で刻まれた隷属契約は、命令を個別に指定できる分より強い強制力を与えることが出来る。一番大きい焼印で刻まれた場合は、かつてロバート・アグウィナスが盗賊の男に命じたように、僅かな時間であれば本人の意識を無視して体を操る事さえ出来てしまう。
それでも《命令》に篭められた魔力は減衰するし、警告症状を押さえ込むほどに嫌がる内容であれば効果は薄まる。だから無茶な《命令》を強制しようとする者は『呪い歯』などを植えつけて警告症状を苛烈にしようとするわけだ。
(自分が『呪い歯』を使う日が来るとはね……)
フランツはビクビクと痙攣しながら気絶するジヤを冷たい目で見下ろす。
彼が帝都のスラムで違法すれすれの行為も辞さない治療院を開いていたとき、『呪い歯』を植えつけた奴隷達の多くは自らの無実を訴えていた。恐らく真実なのだろう。彼らの主は皆、加虐趣味の異常者ばかりだったから。そんな仕事に嫌気がさして、養い子のユーリケと共に黒鉄輸送隊の誘いに乗ったというのに。
フランツはジヤの倫理感の低さに呆れ果てる。ラプトルの肉を腐りかけの安価品とすり替え利ざやを稼ぐ事が、《主に害を与える》事だと思っていないのだ。思っていても弱い警告症状しか起こらないほど意識が低い。恐らく奴隷商のレイモンドのところにいた頃からの常習犯なのだろう。
不愉快な過去を思い出させた愚かな男を一瞥すると、フランツはジヤを獣舎に転がしたまま、もうじき午前の輸送を終えて迷宮都市へと戻ってくるユーリケと昼食を取るため、黒鉄輸送隊の拠点を後にした。
歯科治療の恐怖をジヤに。




