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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第三章 芽吹き育つもの
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ワイバーン

「6年前Bランクになれたのは精霊眼の加護のおかげだ」

 ジークムントはそう思っている。


 あの頃は、矢をつがえれば魔物の急所に必中していた。それまで倒してきた比較的表皮の柔らかい低級な魔物に対するような甘い感覚で、当時共に狩をしていたパーティーとワイバーンを狩りに森へ向かった。


 狩りの場所は、ワイバーンの生息地から距離が有る、飛翔しにくい森の中が選ばれた。自分たちに有利な地形まで、斥候は苦労して一匹だけワイバーンを連れてきたのに、盾職の男にはワイバーンを留める力量がなかった。いや、他のメンバーたちもそうだ。散り散りに逃げ惑うメンバーたち。

 混乱の最中、ジークムントを獲物と定めて襲い掛かるワイバーンを1人で倒す力量は、当時のジークムントには備わってはいなかった。



 ドッドッドッと心臓が早鐘を打つ。自らの血で視界が赤く染まったあの日の事を、あの時の痛みをジークムントは思い出していた。


 あの時と同様に、ジークとワイバーンの間には、ワイバーンの攻撃を遮るものは何も無い。

 ワイバーンが高所から急降下し、数mの距離に迫ってくる。毒針を食らわし上空へ急旋回しようというのだろう。振りかぶる尾の動き、旋回に備えて収縮する翼の筋肉の動きが見て取れる。


(見える……)

 あの時はワイバーンの接近を許したと思ったときには尾で吹き飛ばされ毒を喰らっていたのに。あの時見えなかった振りかぶる尾の動きが、軌道が、翼の僅かな動きさえも見て取れる。振りぬかれた毒の尾を僅かな動きで躱すと、ミスリルの剣で切り捨てる。


(あの時は武器に魔力を通すことさえ知らなかった……)

 ごく普通の鉄の矢が刺さる魔物しか倒してこなかった。そんな狩りばかりしていたから、体もロクに鍛えてはいなかったし、今思えば体の使い方さえわかっていなかった。射た矢はワイバーンの表皮にはじかれて傷を与える事は叶わなかったのに、魔力を纏ったミスリルの剣はまるで縄でも切るかのようにワイバーンの尾を断ち切った。


「ゲキョギャッ」

 痛みと怒りの声を上げるワイバーンは、尾をなくして崩れたバランスをたちどころに修正して、再び飛翔に移ろうと翼をはためかせる。


 《ウィンド・エッジ》

 けれどその翼膜をジークの風の刃が切り裂く。揚力を失ったワイバーンの翼は空を掻き、体は浮き上がることなく地に落ちる。


「ギョキョキョキョキャッ」

 怒りの声を上げるワイバーン。二本の後ろ足で立ち上がると、ラプトルのように二足で走って向かってくる。主に岩山や火口などの高所、絶壁で暮らすワイバーンだが脚の筋力は発達していて、ラプトルに劣らぬ速さで向かってくる。翼の鉤爪でジークの頭をつかみ、首筋に噛み付こうと爪を、牙を剥く。


(あの時と同じだ……)

 あの時、ワイバーンの鉤爪はジークの右頭部を掴んで精霊眼を潰し、頭を引きちぎらんばかりの勢いで右へと引き裂き顔に深い傷を残した。むき出しになった左の首筋にワイバーンがかぶりつこうと大口を開けたその時に、つがえたままだった矢が偶然口内に突き刺さったのだ。口内から脳髄に達した矢によってワイバーンを倒すことが出来たのは、単に幸運だっただけだ。

 あの時をなぞるかのように、つかみかかろうと伸ばされる鉤爪を、ジークはミスリルの剣で受け、力任せに跳ね除ける。あの時、力任せに翻弄されたのはジークの方だったが、今はワイバーンの翼手ごと鉤爪を打ち返すことが出来る。鉤爪を跳ね除けたあと、そのまま開いたワイバーンの口へと剣を横に打ち込んで、後頭部まで振りぬく。口から頭蓋へと剣戟が走り、頭部を切り飛ばされたワイバーンはズシンと音を立ててそのまま大地に倒れ伏した。


(あっけない……)

 苦戦することなく、あっさりとワイバーンを倒した先ほどの戦闘はまるで他人事のように実感が薄かった。ワイバーン狩りの話を聞いたときは、倒せないと思っていたのに。


 ミスリルの剣を掲げて刀身に映る顔を見る。

(これは誰だ?)

 6年前のあの日、ジークムントは精霊眼のもたらす強さに酔いしれ、自らの強さを信じきっていた。

 刀身に映る男は精霊眼など持ってはいない。精霊眼を持つ男が苦戦したワイバーンをたやすく葬り去った片目の男は、毎日毎日訓練の度に地べたを這いずり、主人を護るための力が足りぬと、己の弱さと向き合っている。


(これは誰だ?)

 精霊眼を持っていた男は言い寄る女の多さに、自分の顔立ちにすら自信を持って毎朝鏡に向かっていた。記憶に残るその顔は、鼻持ちならない高慢さがにじみ出た厭らしいものだった。

 精霊眼を失い、奴隷に落ちたそのあとは、水鏡に映る姿を見る余裕さえ無くしてしまったけれど、僅かな糧を得るために地べたに額を擦り付ける事に何の躊躇も無くなった顔は、酷く虚ろで醜く、しかしそれに心を動かされることすらなくなっていた。

 今刀身に映る男は、ジークが覚えているどの自分とも違っていた。迷宮都市に来てからは身だしなみを整える目的以外で鏡をじっくり見る事などなくなっていた。もっとずっと見ていたい、目がはなせない人が出来たからだ。


 毎朝鏡に向かって髪を梳り、『かんぺき』と心の声が聞こえそうな表情で頷いた後頭部は、見事な寝癖が残っている、そんな人だ。

 誰からも相手にされない、汚物のような奴隷の膿爛れた傷跡から目を逸らさず癒し清め、異臭を放つ髪に触れて整えてくれたのに、少し髪を切りすぎただけで気まずそうにちょっぴり目を逸らしてしまう、そんな人だ。

 すさまじい魔力量を誇り、日に百本もの上級ポーションを涼しい顔で作るのに、段差の無い石畳で躓いて転びそうになる、そんな主を見守ってきた男の顔は、知らない誰かのように思えた。


 刀身に映る男は精霊眼などもってはいない。

 けれど、刀身に映るその男ならば、ジークムントが心に秘めた思いを、願いを叶えられる、そんな気がした。


(これは……、これは、俺だ)


 ジークムントはミスリルの剣を握り締める。迷宮都市に来たばかりの頃、まだ生活の目処も十分立っていないというのに、財産の半分をつぎ込んでマリエラが準備した剣だ。主であるマリエラの身に何かあってもジークが困らないように、という気持ちもそうだが、自分の生活すら定まらない時に全財産の半分を惜しげもなく費やされたその剣は、ジークにとって金額以上の価値がある無二の宝だ。この剣はジークの魔力に良く馴染み、篭める魔力の冴えに合わせて切れ味を増していた。

 刀身に映る男は、この剣にきっと相応しい。今はまだ届かなくとも、きっと辿り着けるはずだ。ジークムントにはそう思えた。



「おーい、ジークムントさんやーい、帰ってこいよー」

「リンクスー、もうちょっと浸らせてやろうぜー」

 剣を見つめて立ち尽くすジークにリンクスが声を掛ける。エドガンはその辺の石に腰掛けて完全に見学モードだ。「第一章 ジークの雪辱戦、第二章 勝利の感慨」などと、タイトルまで付けて実況中継をしている。


「あぁ、すまん。考え事をしていた」

 リンクスの声に我に返り、二人のほうを振り返るジーク。


「いいけどさ。な、ワイバーン、やれたろ? オレらならAランクも目指せるだろ?」

「そうだな。コイツを輸送部隊に渡したら、どんどん倒していこう」

 剣を鞘に収めるとリンクス達の元に歩いてくるジーク。悩みが晴れたような、すっきりとした表情だ。目標に向かって前向きに進んで行こうという強い意志すら感じられる。


「おう、なんか吹っ切れたみたいで良かったよ。でさ、オレ先に言っとくことがあるんだわ」

 リンクスがジークに向かって話しかける。ジークは酷く穏やかな表情だ。今ならどんな話でも心静かに受け入れられる、そんな気持ちでいるのだろう。「ん? なんだ?」とばかりにリンクスに続きを促す。



「オレさ、Aランクになったら、マリエラに告るわ」



 ジークムントはその場でピシリと固まった。


「うわぁーお。第三章 強敵、現る?」

 エドガンのナレーションが新しい章の開幕を告げた。


 凍り付いているのはジークムントだけで、ぶわりと吹き抜けた風に冬の厳しさは感じられない。


「いや、『春、来たれり』じゃね?」

 エドガンが付けた章タイトルを修正すると、リンクスはまるで風を追うように吹きぬけた森の奥へと目を向けた。風が揺らした木々の先には、まだ硬いながらも蕾が育っているのがわかる。よく見ると足元には下草を割って新芽も顔を出している。耳を澄ませば風が草木を揺らす音に、冬眠から覚めた森の動物たちの息吹が混じる。


 迷宮都市に、春が訪れようとしていた。





こんな引きですが、ラブ旋風は吹き荒れません。

次回は誰得なジヤ回です。

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生き残り錬金術師短編小説「輪環の短編集」はこちら(なろう内、別ページに飛びます)
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― 新着の感想 ―
エドガンは面白いキャラですねーw
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