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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第三章 芽吹き育つもの
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黒い悪魔の群

「でねー、ジークがいない間にキャル様が害虫駆除団子の工房を立ち上げたの。んで、処理されたサソラル石が地下から運ばれて来て、ここで殺虫特化型中級ポーションにして、迷宮討伐軍経由でキャル様の工房に運ばれるの」

 暖炉の前でココアを飲みながら、ジーク達がアーリマン温泉に行っている間の出来事を話して聞かせるマリエラ。長い回想話にマ()エラの幻影が見えそうになったのか、ジークは少し目頭を押さえている。


「それで、ウェイスハルト様が『木漏れ日』においでになるのか……?」

 ウェイスハルトの視察に立ち会ったマリエラだったが、彼の胸中で何かが始まったことにはまったく気付いていない。ただ「ウェイスハルト様の前でキャル様が華麗にゴキブリをやっつけた」話をジークにしただけだ。ジークにしてもマリエラの説明で全てを理解したわけではないだろう。リンクスのように「マリエラ」の呟きだけで相手の意図を読み取るような特殊能力は備わっていないのだ。

 ただ、あの日以来、キャロラインが『木漏れ日』にいる時間を狙って、迷宮討伐軍の兵士の格好をしたウェイスハルトが『木漏れ日』を訪れる。



「こんにちは、キャル様。今日もお美しい。ニーレンバーグはいるかな?」

「まぁ、ウェイス様。お上手ですこと。先生ならそちらに」


 いるも何もニーレンバーグは魔除けの像としての責務を全うすべく『木漏れ日』の入り口からよく見える場所に鎮座ましましている。だというのに、ウェイスハルトの目にはキャロラインしか見えていないらしい。『木漏れ日』の主にして迷宮都市唯一の錬金術師ことマリエラに至ってはもはや空気と言っていい。名前もいつの間にやらマリエラに倣って「キャル様」呼びだし、自分のことも「ウェイス」と呼ばせている。王子様スマイルも2割ほどマシマシで菓子やら花やらを持っては足繁く通ってきているというのに、肝心のキャロラインはウェイスハルトの好意にまったく気がついていない様子だ。

 ウェイスハルトが贈った花は『木漏れ日』に飾られ常連客の目を楽しませているし、菓子も大半が常連客の胃袋へと消えていっている。今日だって「お仕事のお話でしたら、奥の診察室が空いておりますわ」と自分に会いに来たウェイスハルトを追いやろうとしている。

 これには鬼と名高いニーレンバーグも助け舟を出さざるを得ない。


「いつもの用件ならここでいいだろう」

 そう言って部屋の隅に移動する二人。いつもはここで差しさわりの無い情報交換を行っている。

「ところで、『菓子』はいつ揃う?」

「2,3日といったところだな。『配達』に人手がいる。ニーレンバーグ、お前も来てくれ」

「了解した」

 昨日マリエラが作成した分で、殺虫特化型中級ポーションは必要量が揃っている。今はキャルの団子工房で大量の団子を作成中だ。薬用の攪拌魔道具を大型化し大量の攪拌が可能となっていて、出来た団子は順次迷宮討伐軍の基地へと運び込まれている。工房の立ち上げからそれなりの時間がかかってしまったが、団子の量と作成の手間を考えれば、マリエラ一人で作るより短期間で仕上げることができた。


 ゴキブリ駆除団子は、麦、芋、玉ねぎ、砂糖蕪の搾りかす、オークの脂、ライナス麦の果皮と種皮、その他にも卸売市場から出た魔物の脂や髄、果実や野菜の皮や屑といった廃棄部位を粉にしたり細かく刻んでポーションと混ぜ合わせて作られる。材料量は膨大で刻んだり粉にするだけでも大仕事だ。練り混ぜた材料を人手で丸め、乾かした後に容器に入れて虫が来ないように密閉していく。昼夜を徹した人海戦術と魔道具の効率の良い作業によって短期間での増産が可能となったと言える。


 連日、作業者の入れ替えの時間に工房へ赴くキャロラインに、工房で働くものの意欲は少しずつ高まっていった。迷宮討伐軍への最後の出荷が終わったとき、かつては『材料』と『管理する者』だった奴隷達と技術者たちの間には、ほんの僅かではあったが連帯感が芽生えていたし、「このままこの工房で働きたい」という声すら聞こえてきたことは、嬉しい誤算であったろう。



 ************************************************************



 数日後、全ての団子を受け取った迷宮討伐軍は黒い悪魔との最終決戦へと赴いた。


「ご武運を」

 団子と共にキャロラインから激励の言葉を受け取ったウェイスハルトに、もはや恐れる気持ちは無い。

 いや、相変わらず虫は嫌いなままだったが、黒い悪魔を思い出すたびに「ぺちこーん」とヤツらをやっつけるキャロラインの雄姿が浮んで平静を取り戻せるのだ。


「火魔法も宜しいですが、氷魔法のほうが効きますのよ」

 キャロラインの教えに従い氷魔法の錬度も上げた。もはや無秩序に火魔法を放つ失態は犯さない。かさりと音がした瞬間にヤツを氷漬けにする様子に、『氷の貴公子』の二つ名が付きそうだ。


 第55階層『黒い悪魔の群』討伐の概要はシンプルだ。まず魔道師を中心とした少数の部隊が55階層に火を放つ。55階層には定期的に54階層の底に穴でも開いたのかと言うほどの雨が降るから、放火のタイミングは降水の合間、木々が乾燥した頃合だ。階層が全焼したとしても定期的な降水で鎮火し、物凄い速度で森が再生する。同時に焼け死んだ黒い悪魔が残した卵が孵り、森の恵みを糧に急速に成長する。黒い悪魔を含め森が復元するのにおよそ一晩。団子を散布するのはこのタイミングだ。いつもは迷宮討伐軍から逃げ回るのにこのときだけは兵糧を狙ってやってくるのだ。急激に成長した黒い悪魔は栄養が不足しているだろう。このタイミングで団子を撒けば一匹残らず喰らいつくに相違ない。


 団子の散布は急を要する。ぼやぼやしていると次の雨が降ってきて、団子の臭いが飛んでしまうし、ポーションが流れ出てしまうかもしれない。だから今回は迷宮討伐軍総出の作戦だ。レオンハルトの竜馬や迷宮討伐軍のラプトルたちも参加していて、人も騎獣も団子を大量に背負っているからまるで大規模商隊の様でもある。

 昨日大森林に放った火がちょうど鎮火した頃合に、一行は第54(一つ上の)階層にたどり着いた。この迷宮では階層主は復活しないから『海に浮ぶ柱』を討伐して以降、ここは安全地帯と化していた。『海に浮ぶ柱』討伐後の54階層は遠浅の海の洞窟になっていて、人魚と見間違えた怪魚も本来は深海に棲むものなのか見かけることは無かった。階層を繋ぐ階段付近は迷宮討伐軍が駐屯できる程度の陸地になっていて、今は55階層になだれ込むべく迷宮討伐軍の兵士が待機している。


「第55階層 『黒い悪魔の群』討伐作戦を開始する! 全軍、かかれ!」

 レオンハルトの号令に従い、次々と階段を駆け下りていく兵士たち。あれほど嫌そうにしていた55階層に嬉々として飛び込んでいる。


「この団子喰ったら、ひっくり返ってあっという間に消えるらしいぜ」

「まじで? すげぇ! みてみたい」

 作戦開始前、ひそひそと囁く兵士たち。生き物が物を食べるシーンというのは動物昆虫問わず興味深いものだ。昆虫という良く分からない口の形をしたものでさえ、食事シーンを観察したいと思わせる。目で見てわかる劇的な効果というものもまた然り。

 黒い悪魔に毒餌を与えるというこの作戦は、兵士達の好奇心と子供じみた残虐性をがっちりつかみ、戦闘可能性の低さも相まって遠足のような雰囲気をかもし出していた。


「気を抜くな! 基地に帰るまでが作戦だぞ!」

 あのニーレンバーグでさえ、どこか気の抜けた声を発している。「家に帰るまでが遠足です」と説教する先生のようだ。おやつは無いが代わりにポーションを3本ずつ配布してある。日々暢気な『木漏れ日』の雰囲気に当てられでもしたのか。自分の発言の気の抜け具合に気がついたのか、ニーレンバーグは少し眉をひそめ、無精に伸びた顎ヒゲを少し撫でると、団子の散布を行うべく自らも階層階段へと進んでいった。



 階層階段に近づくと、むわりとした熱気が立ち昇っている。55階層は常夏の階層で、たっぷりと降った雨が蒸発して第54(一つ上の)階層にまで昇ってきているのだろう。魔物は階層を移動しないのに空気の移動はあるようだ。

 ひんやりとした海岸洞窟から常夏の森林へ。55階層へ降立って数歩進めば54階層の涼しさは感じられない。階層主を倒しても階層毎の気候環境は維持されるが、階層主がいる階層のほうが気候を維持する力が強いようだ。55階層など何度も全焼しているのに、酸素が無くなることが無い。


 ニーレンバーグは割り振られた隊を引き連れ、担当する区画へと走り出す。湿気を孕んだ熱帯の空気にじっとりと汗ばむのがわかる。再生したばかりの森は緑がまだ薄く、葉を透けて差し込む光に輝いている。作り出されたばかりの空気と新緑の香りにこちらまで生き返るような気分がする。かさこそとあちらこちらで黒い悪魔の影が見えなければ、ゆっくりと散策したいくらいだ。

 担当区画につくや、団子を散布し始めるニーレンバーグ達。

 彼の通った後をささっと横切る黒い影。影が通った後には撒いたはずの団子は無い。気付かないフリをしながらニーレンバーグは黙々と団子を散布する。黒い悪魔に苦手意識は無いものの、凝視したいものでもないらしい。


(空気の入れ替えが無ければヤツらも窒息したろうに、面倒なことだ)

 そんなことを考えながら団子を撒き終えると、来た道を戻る。ふと見た草陰に黒い悪魔がひっくり返っていて、不気味な足を引くつかせている。


(確かに、興味深くはある)

 見る間に動きが遅くなり、やがて差し込む光に影が消えるように実体を失う黒い悪魔たち。卵から孵った個体だろうが、生まれて間もない黒い悪魔は受肉してはいないようで跡形も無く消え去っていく。もっとも卵など残されては敵わないのだが。


(この階層は暑いな)

 雨後は特に地面から立ち上る熱気がたまらない。まるで下から蒸されているようだ。奴らにとっては丁度いいのかもしれないが、人間にとってはいささか不快な気候ではある。


(あぁ、そうか。ヤツら向けの気候と言うわけか)

 階層階段前の集合地点へと向かいながら、ニーレンバーグは考える。迷宮の気候は階層に住まう魔物に適した状態に調整されているのだろう。だから55階層が全焼しても酸素が無くなることが無い。酸素が無ければ魔物まで死滅してしまうから。この階層の魔物には高い攻撃力はないけれど、高い繁殖力と再生能力がある。


 集合場所には既に半数ほどの兵士が戻ってきていた。二軍の者は報告後撤退して良いと言うのに隅に固まって整列している。階層主が倒され新たな階層の扉が開く瞬間に立ち会いたいのだろう。

(今回くらいはいいだろう)

 二軍兵が階層主攻略に立ち会える機会は少ない。だらけて立っている訳ではないし、経験により得られる成長は得がたいものだ。レオンハルト達も同じ考えなのか、整列する二軍兵に帰還を命じたりはしていない。


「だがお前は駄目だ」

「いてぇ!」

 ニーレンバーグは見慣れた兵士にゲンコツを落とす。優秀な一軍の兵士ではあるが、隠れた場所で石に腰掛けて休んでいたのだ。

「やー、先生。ここさ、ケツがぬくいんだぜ? 先生も座ってみろよ。あっつい中ぬくもるっつーのもオツなもんだぜ」

 へへへと笑う兵士。

「作戦行動中だ。気を抜くな」

「先生は硬えなー。もうすぐカタつくんだろ?」

 ぶーたれる兵士に列に戻れと命じるニーレンバーグ。遠方に団子を撒きに行った兵達が戻ってきたのか遠くから草木を踏み分ける音が近づいてくる。


 あれほど黒い悪魔に苦しめられたというのに、なんともあっけない幕切れだ。

 レオンハルト達の元へ移動しながら、どこか長閑な迷宮討伐軍の様子を眺める。眉をひそめ顎の無精ヒゲを指でなぞるニーレンバーグ。

(む……、なんだ? なにかひっかかる……)


「ご苦労だったな、ニーレンバーグ。もうじきか」

 戻ってくる兵達をねぎらうレオンハルトの目は階層階段の辺りを見つめている。作戦がうまくいき、最後の黒い悪魔が倒れれば新たな階段が出現するのだろう。


「次はいかなる階層か……」

 誰にとも無くつぶやくレオンハルト。

 そう、この階層は暑かった。雨後などは下から蒸されるようでたまらない。先ほどの兵士も石がぬくいと言っていた。


「ここは暑かったですからね」

 散々火を放ちまくって55階層をさらに熱したウェイスハルトが雑談に応じる。

 黒い悪魔に酸素が必要なければ攻略はさらに難航しただろう。


(もし――)

 ニーレンバーグの脳裏に一つの仮説が組み上がる。

(もし、酸素を必要としない魔物が棲まう階層だったら?)

 酸素がなくなったとして、空気の入れ替えが起こるのだろうか。

(もし、この階層が下から熱されているのなら?)


 しゃがみこみ地面に手を当てるニーレンバーグ。その目が大きく見開かれる。

 丁度その時だ。最後の黒い悪魔が死に絶えたのだろう、第54(上の)階層へ続く階段のすぐ傍の大地が薄くなり、ぐぐぐっと盛り上がっていった。


 地面は不自然なほどに熱く、僅かに震えて湧き上がる大気の圧力をニーレンバーグに伝えていた。


「逃げろ!」


 ニーレンバーグが叫ぶのが早かったか、56階層へ続く階段が開くのが早かったのか。

 臭気を孕む高温のガスが56階層から吹き上がり、階層階段の周囲は死地と化した。





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― 新着の感想 ―
次は灼熱地獄ですか…。 マグマの海? なんか、錬金術師(マリエラ)さんがいないと 倒せない魔物ばっかになってきて 最早、静かになんて暮らせない人に なっちゃったねぇ。
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