再生する森と主
※ゴキ注意。グロ注意
あと、ジーク達がアーリマン温泉に出かけていたときの話です。念のため。
第54階層、海に浮ぶ柱の討伐を終え、55階層の探索を終えた斥候の報告はこうだった。
「第55階層は温暖で緑豊かな大森林で、攻撃的な魔物は発見されませんでした」
そんな馬鹿なといぶかしみつつも55階層に降立った先発メンバーだったが、そこは斥候の報告に相違なく緑豊かな常夏の大森林だった。そこかしこにカラフルな花が咲き乱れ、木々には甘い香りを放つ果実が実っている。ここが魔の森であったならすぐに魔物が大量に押し寄せてくると言うのに、蝶が舞い飛び虫が樹蜜をすするばかりで、魔物は出ては来なかった。
迷宮の外は冬。暖かく実り豊かな55階層の自然に警戒がほぐれた兵士が、傍に実る木の実に手を伸ばした。迷宮都市の卸売市場でも見かける少々高価な果物だ。艶やかに色づいてよく熟れている。薄い皮の向こうには黄金色の甘い果実がたっぷりの果汁と共に詰まっているのだろう。
迷宮には魔物が出るが階層毎の気候に適した植物が育ち、実をつけている。食用できる植物は階層が深いほど美味だから、ここの果実はさぞかしうまいに違いない。
「おい、作戦行動中だぞ。やめとけよ」
仲間が注意するより早く、果実をもいだ兵士は皮もむかずにがぶりと果実に喰らいついた。
ズゾゾゾゾゾベババババ
果実の中にもぐりこみ黄金色の果肉をむさぼっていたモノが大量に溢れ出た。
「へぁっ、おぇっ、げっ、ゲッ……、ひっ、ひぁぁぁあああぁぁぁぁぁあぁぁ……」
齧った果実を吐き出す兵士。吐き出した果肉からは何匹もの黒い豆物のような虫がこぼれだし、かさかさと草むらの陰へと消えていく。果実を持っていた手にも、齧った口の周りにさえも奴らはへばりついていて、首を胴を服や鎧の中を伝って外へ逃れようとガサガサと動く。
「ッ…………、ヒッイーィィィ…………」
白眼をむいてその場で気絶する兵士。
彼が第55階層の脱落者第1号だった。肉体に損傷は無かったものの彼の治療は長期に渡り、戦線に復帰した後も55階層に立ち入ることは勿論、果物を一切食べられなくなってしまったと言う。宜なるかなと言うには余りに悲劇的な悪夢の幕開けだっただろう。
第55階層は『黒い悪魔の森』だった。
探索を続けるにつれ、次第に明らかになる全貌。何匹も見つかる1m級の黒い悪魔。
兵士が喰らってしまったモノは黒い悪魔の幼生体に違いない。
斥候の報告に偽りは無く、ここに攻撃的な魔物はいない。1m級の黒い悪魔は魔物ではあるが人を襲ってこないのだ。非常にゴキブリらしくカサカサと動き回り、平たい体を草木や岩の隙間に滑り込ませて何処かへと消えていく。如何に体が大きかろうとその習性は変わらない。奴らは第55階層で果物や落ち葉を食べ日陰に潜んで静かに暮らしているだけだ。栄養豊富なこの森だから1mもの大きさにまで成長できたのかもしれない。
そしてウェイスハルトの見立てでは、奴らこそが第55階層の階層主。一匹残さず絶滅させるまで下階層への扉は開かない。
黒い悪魔一体一体の攻撃力はさして強いものではない。恐るべきはその防御力と体力。あらゆる魔法に耐性を持ち、他の魔物であればとうに倒れているだろう攻撃を受けても死ぬことが無い。頭を潰しても暫らく活動を続けるとは一体どういう生物か。斥候部隊の蟲使いが「脳と心臓が複数あるのですよ」と嬉しそうに語っていたが聞かされた迷宮討伐軍の兵士たちはみんな大層嫌そうな顔をしていた。
それでも単体の強さを見れば、隔離された部屋で時間さえかければCランク冒険者でも1:1で倒すことが可能ではある。
金獅子将軍レオンハルト率いる迷宮討伐軍ならば倒すことは可能なのだ。
黒い悪魔が逃げさえしなければ。
うんざりするほど湧き出ては襲い掛かってくる魔の森の魔物が可愛くみえる。黒い悪魔はあれほどに眼を惹く色、フォルム、動きで視覚を攻撃し、カサカサという音で聴覚を攻撃してくる。魔法などというくくりに捕らわれない深淵かつ高度な精神攻撃に違いない。だと言うのになぜ逃げるのか。ヒットアンドアウェイ戦法か。当て逃げがごとき悪辣さだとウェイスハルトは会議室で言葉の限りに罵っていたが、現状を打破する名案は浮ばなかった。
タフさが強化された黒い悪魔に熱湯は効かなかったし、洗剤液が効くという女性兵士のアイデアに従って石鹸水の雨を降らせた作戦も、大森林の木々が遮って木の葉の隙間に逃れた黒い悪魔には効果が無かった。風に吹かれてシャボン玉が舞い踊るファンシーな景色の中、勝ち誇ったように黒い悪魔が大空を飛翔するカオスな光景が見られただけだった。『木漏れ日』をはじめとする石鹸を扱う店は少しだけ儲かったが、迷宮討伐軍は精神的に大損害だ。
業を煮やしたウェイスハルト率いる魔道師兵達によって階層全てを焼き尽くしたこともあった。燃え盛る大火の前で高笑いするウェイスハルトがメチャクチャ恐ろしく、「どちらが悪魔かわからない」とレオンハルトは心中呟いたものだったが、驚いたことに翌日には森林は元通りに再生していた。勿論黒い悪魔もだ。いや、完全に元通りではなかったのだろう。森林に果実は実っておらず黒い悪魔は一回りサイズが小さい個体ばかりだった。餌が不足したのか黒い悪魔どもは、再生した大森林を前に唖然と呆ける迷宮討伐軍の隙をついて兵糧を食い漁っていたのだから。
「恐らく火災を逃れた卵から孵った個体が急成長したのでしょう。なんと言う生命力。素晴らしい」
心から賞賛する蟲使い。兵糧をむさぼる黒い悪魔に気付いたウェイスハルトが、無言で蟲使いごと黒い悪魔に火魔法を叩き込みだしたため、その日は撤退を余儀なくされたのだった。
(今回も全焼か。次回は兵糧の管理に気をつけねばな……)
レオンハルトは迷宮討伐軍基地の自室で疲れたように目頭を押さえる。『海に浮ぶ柱』もそうだったが、迷宮討伐軍を殲滅するというよりは攻略させず時間を稼ごうとするような階層が続いている。特に黒い悪魔はタフな上に逃げ回るし、今日のように階層に火を放っても翌日には再生してしまっている。酸欠で兵が倒れないのは有難いが、それ以上に今回はウェイスハルトの様子が不味い。大嫌いな虫、しかも黒い悪魔を相手に無理をしているのだろう。別人のようになって来ている。
マルローが錬金術師の殺虫特化ポーションを持ってきたときなど、「待ちかねたぞ、マルロー! それがヤツを殺る薬か!」とギラギラした目で詰め寄っていた。
「はい。こちらがオススメの使い方だそうで」
ウェイスハルトの余りの剣幕に思わず一歩下がったマルローは、ポーションと共にマリエラがしたためた説明書きを差し出す。
「フ、フフフフフ……、これなら……。直ちに準備しろ! 材料は基地内で揃うはずだ! 明日の討伐に間に合わせよ! 夜明けまではまだ6刻もあるぞ!」
ポーションの説明書きを舐めるように読んだ後、さも当然のように徹夜作業を命じるウェイスハルト。
「はっ」
側近も側近で説明書きとポーションを受け取ると、この緊急案件に対応すべくきびすを返した。黒い悪魔相手に消耗し殺気さえ放つウェイスハルトを思えば、徹夜くらいどうということもない。目の下のくっきり黒いクマを見れば、誰よりも眠れていないのは明白だ。
『俺らも頑張るから、少しは寝てください』
そんな兵士達の願いが届いたのか、単にポーションの効き目が良かったのか、5種類のうち1種類のポーションを練り込んだ餌を食べた黒い悪魔は十ほど数える間に動かなくなり、卵も残さず消えうせたとの報告がもたらされた。
「量産だ!! 第55階層の面積からやつらの最大生息数を試算しろ! 殲滅するぞ!」
目の下にくっきりと隈の浮んだ顔で「殲滅だ、掃討だ、一匹たりと生かしておかぬ」と叫ぶウェイスハルトは狂った独裁者のようである。ヤツらを全滅させなければ55階層は攻略できないから仕方が無いのだし、何より相手は黒い悪魔だから、酷く適切な表現ではあるのだが。
「ウェイスハルト、少し寝ろ」
弟の余りの様子に、心配したレオンハルトは将軍命令を発動してウェイスハルトを寝かしつけた。
(階層主でさえなければ、黒い悪魔といえど攻撃をしてこぬ者を毒殺などしたくは無いのだがな)
黒い悪魔の見た目をどうとも思わないレオンハルトは、見た目で毛嫌いされる黒い悪魔を少しだけ哀れに思うのだった。
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「えー、またそんな一杯。ジークいないし無理ですよー」
「出来ない言い訳よりやれる方法を考えましょう」
ムリムリとゴネるマリエラにキリッと正論で答えるマルロー。出来る上司のごとき発言だがマリエラに効果はない。マリエラが求めているのは、疲れたときに淹れてくれるココアだったり、一緒に作って食べるご飯だったり、馬鹿なことをしたときに諌めてくれる声なのだ。
要するにボケに対する突っ込みな訳で、相方不在で一人天然ボケを垂れ流し続けていたマリエラは大層ご機嫌ナナメだった。最早、ムリムリ言いたいだけのムリエラだ。
「サソラル石をスライムの酸とかで処理したやつが原料の一つなんですけど、ポーションに必要な成分を得るのに五倍から十倍のサソラル石がいるんです。そんな重たいの、一人じゃ無理です。あと喰い付きのいいお団子の見本もいるんですか? お団子とか、うっかり食べちゃったらどうするんですかー」
ここで「いや、食うなよ」というような一言があればマリエラの機嫌も多少は良くなったのだろうが、マルローは「人間にも毒なのですか……」と呟くばかり。
「それでは、サソラル石の処理は命の雫を用いませんから、外注処理しましょう。餌の配合についても提案のみという形で、ご提案に基づいて外注で検討して頂きましょう」
マルローはマリエラの負担軽減と、日に日に壊れていくウェイスハルトを助けたい一心で合理的に仕事を推し進める。
「外注費を除いた今回のお見積もりは明日お持ちします」
などと最後までお仕事モードでマリエラにトドメを刺してしまったのだが、彼に悪意は微塵も無いのだ。お陰で、翌日キャロラインたちとお菓子を食べながらおしゃべりを楽しむまではマリエラの口はへの字のままだった。
「錬金術師ご機嫌ナナメ」の急報を聞きつけたウェイスハルトは『木漏れ日』にお菓子を追加投入するし、「機嫌をとれ」と最も不得意な命令を受けてしまったニーレンバーグは、マリエラがお菓子をむさぼるのをとめることが出来なかった。ムリエラのゴネ得が通ってしまうとは、迷宮討伐軍の管理体制の弱さが浮き彫りだ。
ムクれているのかムクんでいるのか判らなくなってきたマルエラは、ジーク達が帰ってくるまで一人おやつを貪りながらポーションを作り続けた。




