常夜の湖畔
「オウオウオウ、ニーレンバーグ先生よう、コレはどういう了見だ?」
リンクスがオラついている。
コレと言って指差されたのは練り終わったライナス麦のようにもっちりぷよんと椅子に腰掛けているマリエラだ。椅子に座ると太ももが横に広がってむっちり感がやばい。ある意味、仮死の眠りから目覚めて以来の危機的状況と言えなくも無い。
リンクス達3人はアーリマン温泉でニードルエイプ相手に地獄の一ヶ月を過ごし、全員がBランクとして十分なほどに成長していた。レベルアップと言ってもいい。そして漸く帰ってきたと思ったら、マリエラまでもがまさかの急成長だ。レベルアップどころかクラスチェンジの次元だ。こんな成長は求めていない。予想外すぎてリンクスは威圧だか因縁だかのチンピラスキルに目覚めてしまいそうだ。
「む……、注意はしたのだがな……」
珍しいことにニーレンバーグが目を逸らしている。迷宮討伐軍の兵士たちが見たら驚きの余り目を見張って三度見ぐらいしたに違いない。アーリマン温泉カースト最下層だったリンクスが、あのニーレンバーグを圧倒していると。
「もー、リンクスひどいー。私の食生活ならちゃんと手紙に書いたじゃない」
「あぁ? あの何処そこの菓子がうまいだの、ナントカってーケーキを食っただの書いてたやつか?」
「うん、おやつごはん」
にへらと笑う餅エラ。いや、マリエラ。
おやつご飯とは此れ如何に。意味はわかる。わかるのだが。
「おやつはおやつ! ごはんはごはんだろうがー!! 変な造語で正当化すんなー!」
「俺たちの村は田舎で菓子など手に入らなかったからな。つい食べ過ぎたんだよな」
「そうなの、ジーク」
「そうなの、じゃねーよ! ジーク、お前甘やかしすぎだろ。そういうのコイツのタメになんねぇの!」
「マッ、マリエラのタメ!?」
このタイミングで言う必要の無い幼馴染設定を持ち出して、マリエラを庇うジークにまで切れるリンクス。「マリエラ」以外の言葉を発したと思ったらコレか。リンクスはガシガシと頭をかきむしると、ビシッとマリエラを指差して宣言した。
「マリエラ! いや、元に戻るまではマルエラだ! 迷宮に素材採取にいくぞ! ダイエットだ!」
「おぉ!? 迷宮? 素材採取! いくー」
この日から、マルエラの迷宮探索は始まった。
リンクスの「マリエラのタメ」という台詞がジークのスイッチを押したらしく、鬼教官は二人に増えた。ちなみに迷宮探索の運動とジークのおやつ制限によって体形はすぐにもとに戻って、マルエラはマリエラに戻ることが出来た。危機的状況はマリエラの努力と仲間の協力によって回避されたのだった。
************************************************************
《乾燥、乾燥、かーんーそうっ》
マリエラの暢気な声が迷宮内にこだまする。ここは迷宮第23階層の『常夜の湖畔』。ルナマギアの群生地だ。
迷宮討伐軍の依頼に基づいて上級ポーションを大量に作成していたせいで、迷宮都市のルナマギアが品薄になってきていたから、マリエラのダイエットをかねての採取にはもってこいと言えた。
ルナマギアは迷宮の19階層から23階層に生育していて、20階層で採取する冒険者が大半だ。この迷宮では20階層まではDランク、21階層からはCランクの魔物が出現する。Cランク以上の冒険者にとって、19階層から23階層に出現する魔物はうまみのある物ではない。ルナマギアを入れても別の階層のほうがよほど効率の良い狩ができる。
だからルナマギアの採取を生業とする冒険者はDランクばかりで、必然的に採取場所もDランクの魔物がでる19、20階層に限定される。
マリエラ達のいる23階層はガーク爺のオススメの場所で、ルナマギアの群生地が幾つもあるし現れる魔物は21、22階層よりも強いが大型で数が少なく、護衛の戦力が十分であれば非戦闘員を連れて安全に採取できる場所だ。
この階層は『常夜の湖畔』と呼ばれるだけあって、常に満月の夜のように薄暗い。満月を思わせる明るさは、階層の天井や壁、地面や湖の中にさえ散らばる月光石の光によるものだ。湖畔の名が示すとおり大小さまざまな湖が連なっていて、木々の合間を縫って流れ出すせせらぎが美しい。遠くから水音が聞こえてくるから、どこかに滝があるのかもしれない。
水音のする方角には大きな湖があると言う。滝の音色、せせらぎの囁き。水音の響く夜の湖畔は美しくも、どこか探検心をくすぐられる。木々を掻き分け水音に誘われるまま進んでみたい衝動に駆られるが、そこに待っているのは魔物の巣だ。
「シギャァァァ」
「シャッシャゥッシャゲェ」
ここはリザードマンの巣窟でもあるからだ。
ルナマギアの生育地帯と被るように、19階層からトカゲの魔物が現れるのだが、階層を増すごとにトカゲの魔物は大きくなり、21階層ではラプトルのような前かがみの二足歩行をするリザードマンに変わる。22階層では完全に二足歩行をして手も長くなり、木を尖らせた槍を手に大量に襲ってくる。まるで、トカゲの進化を見ているようだ。
ここ23階層になるとリザードマンの出現数は減るが個体の体は大きくなり、身長は2~3m、尻尾まで入れた体長はさらに1mは長い。鱗も堅く鎧をまとっているようだからメイルリザードマンと呼ばれている。多少の知恵もあるようで、23階層の個体は「シギャー」と言葉らしき鳴き声でオークのように仲間同士である程度の意思疎通を図っているようだ。
タフで知恵が回るから、Cランク冒険者ならば斃すのに時間がかかる魔物だが、得られる素材は皮か肉で魔石の出現率は他の魔物より低い。革は重くてかさばるし肉は臭くぱさぱさしていて食用に向かない。ルナマギアを入れてもCランク冒険者には割に合わない狩場だから、今はマリエラ達の貸しきり状態だ。
もちろん23階層のメイルリザードマンなどアーリマン温泉で鍛え抜かれたジーク、リンクスの敵ではない。マリエラがあっちうろうろ、こっちうろうろしながらルナマギアを千切っては暢気な声で《乾燥》させてもまったく問題ないわけだ。
「シギャーシュキャシャジャララァ」
「グギャギャッギャグッギャー」
荷運びにつれてきたラプトルがメイルリザードマンを挑発している。爬虫類でもこんなに憎たらしい表情ができるとは驚きだ。
迷宮の階層を繋ぐ階段付近は安全地帯といわれていて、なぜか魔物は入ってこない。一般的に魔物の知性は低く、深い階層の魔物が浅い階層の魔物を捕食することが確認されている。魔物が自由に階層間の移動を行うと、上位種による下位種の捕食が起こり、人間を排除するという迷宮の機能が損なわれるから、迷宮が魔物の移動を制限しているのだと考えられている。
迷宮に思考能力があるのかは議論の別れる所であるが、迷宮の都合で魔物の移動が制限されているのだから、迷宮側の条件が整えば移動制限が取り払われて魔物が迷宮から溢れ出ることも起こる。迷宮の氾濫だ。迷宮の氾濫を防ぐために、迷宮には軍隊や冒険者が入って魔物を倒し、力を殺ぐ必要があるとされている。
このような場所だから、階層移動は安全だといってもヤグーのような比較的おとなしい動物は迷宮内に入りたがらない。荷運びは人間が行うかラプトルのような獰猛な騎獣が必要になる。
さっきからメイルリザードマンを挑発しているラプトルだが、メイルリザードマンより強いわけではない。リンクスの後ろからリザードマンを挑発しているだけなのだ。隙あらば噛み付こうと牙をむき出しにしていて好戦的すぎる。ラプトルの様子にイラついたのかリンクスは、もう一人の荷運びに連れてきた者に声を掛けた。
「オイ、ジヤ。ちゃんとラプトル見とけよな」
リンクスに言われ、のろのろとメイルリザードマンが落とした皮や魔石を拾っていた黒鉄輸送隊の奴隷、ジヤがラプトルの方へ寄っていく。
ユーリケによってきちんとしつけられているラプトルではあるが、人によって態度を変える所がある。リンクスやジークのように自分より強いものにはおとなしく従うが、弱い者の命令には従いにくく舐めた態度をとるのだ。ユーリケがいる場合には調教スキルの支配が行き届いているから誰に対しても従順ないい子になるのだが、今ユーリケを含む黒鉄輸送隊のメンバーは帝都に出かけていて、迷宮都市にいるのはリンクスと新婚のディック、そして奴隷のジヤだけだ。
アーリマン温泉の修行でエドガンの戦力が強化され、迷宮都市に残れるようになったディックだったが、黒鉄輸送隊の最強戦力を残すためには戦力面でマルローの同行が必要だった。あぶれた最弱の奴隷三人のうち、たまたま目に留まったジヤが今回迷宮都市に残留したと言うわけだ。
当然ラプトルの世話などの雑用はジヤの仕事になるのだが。
「グッ、キャッ」
「!」
ラプトルは自分より弱いジヤの言うことなど聞きはしない。ラプトルに噛み付くそぶりを見せられて尻餅をつくジヤ。あちこちにせせらぎがあるから地面は何処も湿っていて、ジヤのズボンは見る間に湿って尻に無様な汚れをつける。
「かー、なさけねぇ」
ジヤはリンクスの声に僅かに顔を赤くするも、転んだ拍子にぶちまけた素材を黙って拾い集める。もっとも、ジヤの咽は潰されていて文句一つ言うことは出来ないのだけれど。
「ラプトルー、おいでー」
「ギャッ、ギャッ」
マリエラに呼ばれ、尻尾をふりふり駆け寄るラプトル。ジヤどころではなく最弱のはずのマリエラではあるが、その身に宿る魔力は膨大だ。普段は人に悟られないよう抑えているのだけれど、魔力の篭った水を貰っているラプトルにはそれがわかっていて、ユーリケの次くらいにマリエラの言うことを聞く。また魔力入りの水が欲しいという期待のこもったものだから、リンクスたちには餌付けだとからかわれているのだが。
マリエラは乾燥させたルナマギアの束をこれでもかとラプトルの背に乗せる。たった2頭で装甲馬車を引くラプトルにとって乾いた薬草など荷物のうちに入らないらしく、マリエラに「のる?」とばかりに背を見せる。実に働き者の良い子だと両手の平から水を与えてやりながら、「自分で歩くよ」と断るマリエラ。
マリエラが楽をしようとするとリンクスが両手を顔の位置でわきわきさせながら、「ムダ肉もぐぞー!」と追いかけ回すからなのだが。
(ほら、今もリンクスの目が開いてるし!)
リンクスに追いかけられながら、迷宮23階層から地上まで走って上がらされたマルエラ時代を思い出してマリエラはぷるぷる身震いするのだった。
ちなみにジークはマルエラに併走しながら、「もうすぐだ!」だとか「運動後の食事はうまいぞ!」だとか「今日はココアにマシュマロを3つ入れよう」などと全力で応援してくれていた。
階段ダッシュの翌朝、膝がくがくのマルエラに、「マッルエッラちゃーん、迷宮いこー」と誘いに来たリンクスのいい笑顔をマリエラは決して忘れない。リジェネ薬で筋肉痛を癒せなければ恐るべき地獄が待っていただろう。ヤツの目は本気だった。リジェネ薬のありがたみを体感したマリエラだった。




