楽園の覇者
ニードルエイプは諦めない。
猿たちの楽園を不当に追われた復讐かもしれない。
猿たちの楽園に魔物除けポーションを放り込まれ、悪臭漂う沼地に変えられた怨恨かも知れない。
麗しの女性がハーゲイに心を奪われた腹いせもあるだろう。
けれどニードルエイプは魔物なのだ。魔物は人と相容れない。どんな魔物であろうとも、その身に宿る魔石が人を襲えと囁くのだと、帝都の学者は提唱している。この世の穢れと魔力が凝り固まって魔石となるのだと。だから魔石を身に宿した魔物は人を恨むのだ。魔石に宿る穢れは人から生じたものだから。
人間の悪意が憎悪が嫉妬が恐怖が憤怒が欲望が。ありとあらゆる邪悪な思念が『穢れ』となって世界に漂う。餓え乾き満たされることの無い『穢れ』は凝り固まって、魔力を無限に求める。ゆえに魔石が顕現するのだと学者たちは考えている。だからそんな物を身の中心に宿してしまった魔物たちは、人が憎くて仕方が無い。穢れがこれ以上世界に満ちてしまわぬように、人を滅ぼそうとするのだと。
真意の程はわからない。ただ、魔物と人が決して相容れないことだけは確かで、その関係は殺すか殺されるか以外にありえない。
だから、アーリマン温泉が200年前はエンダルジア王国の保養所だったとか、今はニードルエイプの楽園でそれを迷宮都市が奪い返しただとか、そういった善悪の判断で折り合いをつけることはありえない。
ジーク達人間がアーリマン温泉に陣取っている限り、ニードルエイプはジークたちを殲滅するほかに選択の余地は無い。
冬のアーリマン山で、ジークたちはその事実を嫌と言うほど思い知った。
「ナターシャちゃーん、そんなに歯をむき出してムキになっちゃってかーわいーい」
「エド兄、落ち着け、そいつはニードルエイプだ!」
「差別はいけないぞー、リンクスー。愛は種族を超えるんだぞー」
「あああ、もう!ジークも何か言ってやれよ!」
「マリエラ……」
ニードルエイプに愛を囁き始めたエドガンに、「マリエラ」としか言わなくなってしまったジークムント。それでもジークはニードルエイプを斃しているだけまだましだ。エドガンなどは、ニードルエイプの尻を追いかけまわしているのだから。
ジーク達が冬のアーリマン山に篭り始めてもうすぐ1ヶ月。
アーリマン温泉を囲う柵は魔物を寄せ付けないしっかりとしたものになって、寝泊りできる小屋も完成していた。アーリマン山の温泉に片っ端から魔除けのポーション樽を放り込んでは、ジークたちの匂いのついた手拭や靴下などを置いていったハーゲイのせいで、アーリマン山中のニードルエイプに目をつけられるハメになったジークたち三人だったが、その実力は否応無く高められていった。Cランクの実力しかなかったジークはBランクとして申し分ない実力を得ていたし、リンクスは『影使い』のスキルを使わずともBランクのニードルエイプを倒せるほどに成長していた。エドガンの成長は二人よりも遅かったけれど、それは雌猿の尻を追い掛け回していたので仕方が無いことといえた。
「お前たちもずいぶん成長したもんだぜ! ニードルエイプもこれだけ減れば問題ないだろうし、温泉のほうも開発の拠点は完成した。明日には下山するといいぜ!」
なんと、ハーゲイの許可が下りた。
「ホントかよ、ハーゲイ! やった! 帰れる!」
「ヨアンナちゃん? ヨアンナちゃんにやっと会える! 待っててくれ! ヨアンナちゃん!」
「マリエラ!」
迷宮討伐軍が運んできたマリエラの手紙を握り締めて喜ぶジーク。
ちなみにリンクスとエドガンにもマリエラは手紙を書いている。ジーク達を哀れに思った迷宮討伐軍の兵士がマリエラに手紙を書いてやってくれないかと持ちかけたのだ。やさしい世界だ。
快諾したマリエラは『元気がでるクッキー』などに添えて小まめに手紙を書いた。その内容は、今日は何を食べた、昨日はこれが美味しかった等、ほとんど食べ物のことばかりだった。ちなみに内容は三人とも一緒だったのでありがたがっていたのはジークだけだった。
「マリエラ……(食事のことを手紙に書いていたから、きちんと食べているようだけれど、元気にしているだろうか)」
「うんうん、そうだなジーク。あいつに限って寂しくて食事が咽に通らないなんて無いよな」
「ヨアンナちゃんはテレ屋さんだから、手紙くれなかったんだろうなー」
「エド兄、ニードルエイプのナターシャちゃんはいいのかよ?」
「ナターシャちゃんは繊細なオレにはちょっとワイルドすぎるっていうか?」
「マリエラ……(最近、迷宮討伐軍の兵士がこの辺りで取れる鉱石を持って帰っているが、新しいポーションだろうか。無理をして魔力切れなど起こしてないだろうか)」
「そうだよな、ジーク。マリエラちょっと押しに弱いところがあるから心配だよな」
「ヨアンナちゃんにお土産なんにしよう~。ニードルエイプの毛皮しかないけど気に入ってくれるかな」
「エド兄、ナターシャちゃんの毛皮プレゼントすんのかよ、ひどくね?」
この状態で会話が成立している事実がすごい。リンクスは何か新しいスキルでも身につけたのだろうか。
帰れると舞い上がる三人は忘れていた。
魔物と人は相容れない。ニードルエイプは決して諦めはしないのだ。
その夜、三人が帰ることを知り示し合わせたかのように、生き残ったニードルエイプがアーリマン温泉を襲撃した。
明日帰るからと、ヒゲをそり、髪を整えた三人の切り落とした髪の毛を、ハーゲイがアーリマン山にばら撒きまくったせいなのだが、勿論三人は気付いていない。ハーゲイとの実力差はまだまだ埋まっていないのだ。
三人が温泉に放り込んだ魔物除けのポーションは湧き出る湯に薄まって流されていき、ニードルエイプにとって耐えられない悪臭ではなくなっていた。温泉周囲は高い柵が築かれていて、魔物除けのブロモミンテラとデイジスも植えられているが、殺意によって乗り越えられない障害ではない。
ニードルエイプは知っているのだ。自分たちを追い出し、滅ぼそうとする人間がここで眠っていることを。
魔物と人の関係は、殺すか殺されるか以外にありえない。
だから、ニードルエイプたちは生き残った仲間を集めて最後の戦いに臨んだのだろう。
魔物除けの施された柵を乗り越えて、ジーク達の眠る小屋に押し寄せるニードルエイプ。漸く建てられた小屋はあっという間に破られてしまった。
「くっ、なんだ!? まさかニードルエイプ!?」
「ナターシャちゃん! 夜這いだなんて積極的だな~」
「マリエラ!」
飛び起きる三人。引率のハーゲイはとっくに起きて高みの見物だ。
「気づくのが遅いんだぜ! ここがめちゃくちゃになったら、帰宅は再建するまで延期だぜ!」
「なんだって!?」
「ナターシャちゃん、ごめんよオレ帰らなきゃ!」
「マッ、マリエラッ!」
ここまできてお預けを喰らうわけには行かない。三人の闘志は燃え上がり、ニードルエイプと決着をつけるべく外へ飛び出した。
温泉の熱によって雪は解け、温泉の周囲は地面が露出している。ニードルエイプは石や壊した小屋の破片を拾うと、投石器かという勢いでジークたちに投げつける。
アーリマン温泉に着いたばかりの頃であれば一溜まりも無かっただろう。それほどの速度だ。コントロールもよく頭や足を的確に狙ってくる。それを紙一重で躱し、飛び掛るニードルエイプを次々に倒す三人。
リンクスの放つ短剣は、その弾道を追うことが難しいほどの速度で飛んでいき、ニードルエイプの眉間を貫く。ジークムントの剣は金属の針のようなニードルエイプの毛皮を容易に切り裂く。来たばかりの頃はジークの剣などニードルエイプの毛皮にたやすくはじかれていたと言うのに、剣に流す魔力をニードルエイプに接触する僅かな瞬間だけ研ぎ澄まし、その切れ味を何倍にも押上げているのだ。
「ナターシャちゃん、歯をむき出しにしちゃ、チューできないだろ」
相変わらずに見えたエドガンも、すれ違いさまにニードルエイプの毛並みに沿って双剣を突き立てている。ニードルエイプはじっとしているわけではない。金属針の鎧のような毛並みは動きに添って揺れ動き、一瞬たりとも動きをとめるわけではないのに、何と言う技巧だろうか。テクニシャンか。
ちなみに、ばったばったとニードルエイプを切り裂いていくエドガンだったが、雌全員にナターシャちゃんと囁いている。どうやら個体の区別はついていないらしい。
ハーゲイに焚き付けられたニードルエイプとの最終決戦は夜が明けるまで続けられた。
死屍累々たる戦場に、最後に立っていたのは、三人の男たち。
彼らには帰るべき場所が、待っている人がいるのだ。
その思いの差が、勝敗を決したのかもしれない。
「単なる実力差だけどな!」
ずびし! 朝日にきらめきながら、湯煙を超えて現れたハーゲイは、いつもより暑苦しく見えた。
「ハーゲイ、俺たち帰るぜ!」
「ヨアンナちゃんが待ってるからな!」
「マリエラ!」
三人にハーゲイを構っている暇など無い。1ヶ月もの間寝食を共にしたと言うのに、実にあっさりと挨拶を交わすと、ハーゲイが再建だとか延期だとか言い出す前に迷宮都市に向けて走り出した。
マリエラに会える。ようやく、やっと。この日をどんなに待ち望んだことか。
マリエラ、マリエラ、マリエラ――――。
襲い来る魔物をなぎ倒し、わき目も振らず迷宮都市を目指すジークムント。
早く会いたいと願う気持ちを微塵も隠すことなく迷宮都市へ急ぐジークの様子を、何処かまぶしく感じながらもリンクスは負けじと足を早めた。
転がるように山を下り、風のように平野を走る。
一ヶ月もの間ニードルエイプと死闘を繰り広げた成果か体が軽い。流れる景色の速さから、自分たちがどれ程の速度で走っているのか良くわかる。
かなたに迷宮都市が小さく見えるなり、三人の走りは一層早くなる。
迷宮都市の門が見えてきた。あれは北門だろうか。
迷宮討伐軍の兵士から連絡が行っていたのか、野生の獣のように目がギラつきワイルドさが増した三人だったが、すんなりと迷宮都市の中へ入ることが出来た。北門の大通りを街の中心部に向かって走る。迷宮の手前の筋を曲がれば『木漏れ日』はすぐそこだ。
ああ、聖樹が見える。見慣れた景色が、見慣れた看板が、帰ってきたのだと教えてくれる。
ああ、マリエラ。ようやく、ようやく会える。
バタン!
息せき切って競うように『木漏れ日』の中に転がり込む三人。
「あー、おかえりー。ジーク、リンクスー。あとエドガンさんも!」
夢にまで見た声が、いつもの様に迎えてくれる。
むっちりぽよん。
おかえりと声を掛けた笑顔は、いつもよりちょーっと横に広がっていた。
なんだか服もぴちぴちしている。
服を押し上げているものはどこぞの霊峰のように山あり谷ありの神々しいものでは無い。
どっちかと言うと、なだらかな丘だろうか。谷はない。
「太ってんじゃねーーー!!!」
「マリエラァー!!!」
『木漏れ日』という名の楽園に放し飼いになったマリエラは、むっちむちに太っていた。
ちなみに、最近のエドガンのお気に入り、ヨアンナちゃんは待ってなかった。




