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生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい  作者: のの原兎太
第三章 芽吹き育つもの
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楽園争奪戦

 アーリマン山には複数の温泉が湧いており、彼らが拠点にしているのは比較的迷宮都市から近く、湯量の多い場所だ。二百年前に温泉を利用した保養所が設けられていた場所でもある。この一帯は魔の森の氾濫(スタンピード)の被害を受けていないが、長らく放棄されていたため、かつて保養施設だった建物は温泉から噴き出るガスによって劣化が進み、雪の重みで押しつぶされてたり屋根が抜けてしまっていた。


 今、ジークたちは仮設のテントで寝泊まりしている。

 来てすぐの頃は大変だった。目標の温泉に“迷宮討伐軍が”準備したという魔物除けのポーションの小樽を放り込み、湯でくつろぐニードルエイプを追い出したまではよかった。低級ランクの魔物除けポーションは人間にとっては無臭だが、魔物にとっては耐え難い悪臭に感じられる。ニードルエイプからしてみたら、いつも通り温泉で寛いでいたところに、悪臭放つ汚水をぶちまけられたようなものだ。

自分たちの楽園が一瞬のうちに悪臭を放つ汚水溜まりに変り果てる。立ち上る湯気に混じって周囲は臭いにおいに満ち満ちて近寄ることもできない。温泉に溶け込んだ汚水は毛皮の芯までしみこんで、体中から立ち上る悪臭はなかなか消えなかったに違いない。


「いいお湯だ、素晴らしい打たせ湯だ」と寛ぎながら振り返ると、酔っぱらったおっさんの粗相が打たせ湯の正体だった、というくらいの衝撃だったろう。もし、そんな仕打ちを受けたとしたら。


「ブチコロス」

 ニードルエイプの猛攻を受けたとしても不思議はないだろう。


 ニードルエイプは賢い。自分たちの楽園を臭気漂う悪夢の沼に変えたのが、ジークたち三人だとわかっているのだ。目を血走らせ狂乱の叫びを上げながら迫り来るニードルエイプに、戦う前から逃げ出したくなった三人だったが、ニードルエイプとニーレンバーグなら後者のほうがもっと恐ろしい。

 ぐっと踏みとどまり、地獄と化したアーリマン温泉で三人とニードルエイプの死闘は繰り返された。


 昼間は雪国温泉出張(日帰り)を引き当てた迷宮討伐軍の兵士たちがやってきて、温泉の周りに柵をめぐらしブロモミンテラやデイジスを植えつけて温泉一帯を魔物が侵入しない状態に作り変えていく。ニードルエイプは昼夜を問わずジークたちに襲い掛かるから、来てすぐの頃三人がゆっくり休めたのは迷宮討伐軍の兵士が来たときだけだった。迷宮討伐軍の治癒魔法使いに治療をしてもらい、彼らが運んだ食事を取ったあと泥のように眠る。マリエラが持たせたリジェネ(再生)薬をこっそりと飲んでいるから、三人の成長速度は異常に早いのだがそんなことに気がつく余裕も無いほどに過酷な日々だった。


 迷宮討伐軍の兵士たちは皆日帰りで、一日の作業が終わったあとは温泉につかってから雪山を下山していく。アーリマン温泉を復興するための資材を背負って登山し、ジーク達が斃したニードルエイプの素材を担いで下山する連日の日帰り温泉出張は、迷宮で鍛えた彼らであっても楽なものではない。

 『温泉で療養』とはなんだったのか。

 数十分の温泉のために朝から晩まで雪山で活動している。温泉と言えば、湯煙の向こうの柔肌を想像するものだが、この地にいる女性は(ニードルエイプ)ばかりではないか。しかも雌猿は皆ハーゲイに夢中ときたものだ。


 『温泉療養(?)』の間は日が昇る前に迷宮都市を出立し、深夜に戻ってくる有様なので、かわいいウェイトレスが給仕してくれるレストランで食事を取ることさえ出来ない。三度の食事を雪山温泉出張のむさ苦しいメンバーで、顔をつき合わせて、しかも旨くもない保存食を食べるのだ。それでも夜は自分の部屋のベッドで眠れるだけましだ。


 ニードルエイプと戦わされている三人は何の罪を犯したというのだろうか。落ち着いて眠れるのは迷宮討伐軍の兵士がいる僅かな間だけで、あとは昼と無く、夜と無く闘い続けている。彼らに向けられる温かなまなざしはハーゲイのものだけだ。ズタボロになりながらハーゲイに幼子を見るような慈しみに満ちたまなざしを向けられる。自らに置き換えて想像すると、なんとムカつく光景だろう。雌猿のジェラシーまでも降りかかる三人を思うと、迷宮討伐軍の兵士たちは自分たちはまだましな方だと思うのだった。


 迷宮討伐軍の兵士たちから、アーリマン温泉ヒエラルキーの最底辺に認定されてしまった三人はというと。


「なー、ジークー、他にワクドキ同居生活な話ないの?」

「黙ってメシ食え、エドガン」

「だってよー。いっつも同じ保存食じゃん。調味料代わりになんか話せよー」

「メシっつったら、マリエラ結構料理うまいよな」

「あぁ。だが、マリエラがうまく作れるのはレシピのある料理だけだぞ。リンクス」

「え? アレンジ料理とか駄目なの?」

「駄目とか言う次元じゃないな……。あれは先月のことだったか。マリエラに差し入れを持ってきた冒険者がいてな。マリエラはああ見えて、意外とモテるんだ……」

「なにっ!?」


 食いつくリンクスにジークは話を続ける。

 冒険者達にとって薬や煙玉と言った消耗品は身近なものだ。 迷宮都市の薬師のレベルが上がって、薬師による品質の差がほとんどなくなってからは、迷宮の入り口付近に建つ冒険者ギルドの売店で、同一量同一料金で気軽に買えるようになっている。だから普段冒険者達は、迷宮探索の帰りに得られた素材を売却するついでに売店で消耗品を購入する。しかし『木漏れ日』の人気は根強く、製品をあるいは癒しを求めて『木漏れ日』に休日訪れる冒険者は少なくない。

 薬師という安定した職を持ち、いつもほんわかにこにこしている少女(マリエラ)は、『手が届きそう』な平凡さも相まって実は人気が高かった。


 街の情報発信基地、薬味草店のメルルさんによって、『本命はジークかリンクスか!? 未だどちらにも脈はなし! 今日もオークキング肉の一人勝ちだ!』という噂が流されているにも関わらず、「我こそはオークキング肉を打倒する者」と名乗りを挙げる若者もたまーにだが存在する。


「マリエラちゃん、良かったらこれ食べて」

「わー、珍しい! 稲妻鹿の肉ですか?」

 オークキング(メジャー)肉に勝つのに、稲妻鹿(レア)肉を持ち出したらしい。自分の魅力で勝負しない辺り彼に目は無いのだが。

「マリエラ、折角だから稲妻鹿の肉で夕食をご馳走したらどうだ?」

「そうだね、ジーク。鹿肉だったら赤ワイン煮込みかなー?」

「いいの? マリエラちゃん! 手料理なんて嬉しいな! ジークさんも有難う?」

 既にジークの策中にはまっているとも知らず、マリエラの手料理を喜び、いぶかしみつつだがジークに礼まで言う若者。

「おい、ヨハン。ワシ、パン買ってくるからお前赤ワインな」

「わかったぜ、親父。俺、軟らかいパンな」

「じゃー、わしはサラダ用の野菜でも買ってくるかのー。あ、パンは堅めで」

「ついでに煮込みに使う根菜類も買ってきとくれ! あたしゃ臭み抜きのハーブを取ってくるからね。マリエラちゃん、トマトのペーストも持ってくるから待ってておくれね。アタシのパンは粗漉し糖の甘いやつにしとくれね」

 ガタガタッと席をたち、動き始めるゴードン、ヨハン、ルダンのドワーフ三人組にメルルさん。

 なぜ当然のように参加するのか。


 料理が出来上がった頃に、話を聞きつけオーク肉のハムの塊持参でやってきたガーク爺も交えて夕食会場と化す『木漏れ日』。流石に貴族の令嬢が庶民宅で夕食を食べるわけに行かないのか、キャロラインだけが残念そうに帰っていく中、閉店後の店内にマリエラの手料理が並べられた。


「美味しいよ! マリエラちゃん!」

 大喜びの若者。常連達も満足げに大皿から料理を取り分けては食べている。レシピ通りにハーブをすり込み、筋切りをして軟らかく煮込んだ鹿肉の煮込みは獣独特の臭みがなく、噛むほどに深い味わいがある。


 こんな料理を作れるなんて、マリエラと暮らせる男は幸せだろう。

 そんな幻想を抱きながら若者が料理を堪能する間にも料理はどんどん無くなっていく。当然のように参加している常連達の辞書に遠慮などという文字は無い。

 マリエラの分はキッチリジークが取り分けているし、ジーク自身にもぬかりは無いから食いっぱぐれたのは最初に少量取り分けて、感慨に浸っていた若者だけだ。


「あ……、あれ? パンしか残ってない」

 皿に残った煮込み料理の汁をおかずにパンを齧る若者。パンはゴードンが買ってきた既製品だ。ゴードン行きつけのドワーフ親父の手作りパンだ。


「デザートもあるよー。今日は新作だよー」

 お腹一杯食べたマリエラが、冷蔵の魔道具からタルト生地の上に3層のババロアが乗ったケーキを出してくる。色合いからすると柑橘類だろうか。

「新作? 新しいレシピかい?」

 メルルさんの抜かりない質問に、

「んーん。私が考えたのー。今回のは自信があるんだ!」

 と答えるマリエラ。


 その瞬間。『木漏れ日』の店内が静まり返り、かつてない緊張感が走ったことに、若者とマリエラだけが気付かなかった。


「どうぞ」

 常連達が固唾を呑んで見守る中、マリエラが笑顔で差し出すケーキの皿を若者は大喜びで受け取り、「いただきます」と一口食べた。


「うぉぇっぷ……」

 やっぱりか。吐き出さなかっただけ、今日の若者はイイヤツだ。

 常連達の見守る中、ぐびぐびと水を飲んでマリエラの新作ケーキを飲み込む若者。


「今日のケーキも美味しいな。この白い層は舌ざわりが独特だ」

 その横で顔色一つ変えずにケーキを食べるジークムント。長い劣悪な奴隷生活のお陰で、どんな料理も食べることが出来る特技をジークは身につけていた。


「ほんと? どれどれ……、うぉぇっぷ……」

 ジークの笑顔にケーキに齧りつくマリエラは次の瞬間、ケーキを水で流し込んでいた。

「また失敗しちゃった……。おかしいな。この柑橘類の皮と実の間の白いもわもわは、栄養たっぷりなんだよ。甘みを加えて苦味を消したつもりなんだけど」

「甘みと苦味が引き立てあって、味が染み込んだもわもわが口の隅々まで行き渡って長く味わえるな」

「うぅ……。甘味を多めに入れたから酸味を引き立てたつもりだったのに」

「目に染みるような、突き刺す爽快感が斬新だな」

「味をまとめるためにヤグーのミルクの層も入れたんだけどなー」

「驚くほど獣くささが引き立っているな。鹿肉の処理が完璧だっただけに思わぬサプライズだったよ。タルト層が口の水分を奪ってくれるからダイレクトに攻めてくる感じだ」

「ジーク、お兄さんもごめんね、変なもの食べさせて……」

 しょんぼりとするマリエラ。

「マリエラの作る料理はどれも美味しいよ」

 そう言って、残りのケーキを全て平らげたジーク。勇者である。ドヤ顔である。「ふふん」と言いたげな表情で若者を見ている。


「くっ……」

 完敗を喫した若者は、「ご馳走様、楽しかったよ……」と挨拶をした後、すごすごと帰って行った。

「マリエラのオリジナルの料理を出してやると喜ぶんじゃないかな」

 と、ジークがマリエラをそそのかしたことなど露も知らずに。


 ************************************************************


「マリエラの料理は素材の効果を引き立てるからな。味も引き立ててしまうんだが。お陰で俺は翌日から暫らく透きとおる様な美肌を手に入れてしまった」

「ジークの美肌とか誰得だよ?」

「つーか、案外黒いよな、ジーク」


 仲間に入りたそうにうろうろしているハーゲイを尻目に、ジークたち三人は意外に仲良くやっていた。


「はぁ、マリエラの料理が食べたいな……」

「オレもくいてー」

「俺も!俺も!」

「オリジナルのケーキも食えよ」

「それは断る」

「いや、レシピ通りに作ったらいんじゃね?」


 ジークの話にちょっぴりホームシックになる三人だった。





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