冬の楽園
「はーい、いらっしゃい!いつもの薬ね、今日はニーレンバーグ先生いるから診てもらったら?」
「らっしゃーい。オススメのお茶はとうろもこしのお茶だよ」
『木漏れ日』に美女と幼女が増えた。
「だって、ディックはほとんどこっちにいないだろ?暇でさー。アタシこう見えても経理とか得意だから!」
新婚なのにいいのかと聞くと、押しかけ従業員の美女は、胸を張って答えた。ちなみに、大渓谷はハイネックのセーターに隠されてもはや見ることは出来ない。セーターの編み目が胸部辺りで広がっているので、山を愛する登山家の心を揺さぶるのだろうが。
「シェリーちゃんあそぼー」
歳の近いお友達ができて嬉しいエミリーちゃんも足繁く通ってくる。『ヤグーの跳ね橋亭』でのお手伝いが終わってすぐに寒い中走って来たのだろう。ほっぺも耳も赤くしたエミリーちゃんは、お客さんにとうろもこしのお茶を薦めたあと、シェリーのほうへトトトと走りよる。
「もう、エミリーちゃんたら、また髪ゆがんでる。わー。ほっぺつめたーい」
面倒見が良いシェリーちゃんがエミリーちゃんのほっぺを両手で包んで暖めた後、髪の毛を結びなおしてあげている。
なんとも心温まる光景だ。これには登山家も山より身近な暮らしを求めざるを得まい。
「新しい魔道具が届きましたのよ」
「フォー、何コレ、何コレ!どうなってるのー!」
薬の腕ではもはやマリエラを追い越す勢いのキャル様といつもの平民女子。
より取り見取りだ。ハーレムだ。王様はどこだ。
ガチャリ
「アンバー! 俺が悪か……」
ぱたん。
アンバーさんを迎えに来たらしいディック隊長は、『木漏れ日』の奥に鎮座ましましているニーレンバーグを見るや否や扉を閉めた。木漏れ日ハーレムに王様登場かと思ったら違ったようだ。
この反応も見慣れてきた。キャル様にちょっかいをかけようとする貴族から、悪いことをしていないはずのマルロー副隊長、診察を受けに来たはずの迷宮討伐軍の兵隊さんまで一旦扉を閉めるのだ。外の冷気が入ってくるから出入りは一度にしてほしいのだが。
今、『木漏れ日』にいるのは年齢様々なビ女子と、植物のように日光をむさぼる常連さんと、魔よけの像だけだった。折角のハーレムなのにビ女達にあれやこれや指図する者は誰もいない。ハーレムと言うよりは楽園と言ったほうが正確かもしれない。
そう、今『木漏れ日』にジークやリンクスはいないのだ。
「あ、ディックさん、寒いのに何で外に立ってるんスか?」
またお客さんが来たようだ。診察に来た迷宮討伐軍の兵らしい。
がちゃり、ぱたん。
(だからなぜ一旦閉める …… )
魔よけの像にお参りする作法か何かだろうか。聖樹は生えているけれど、聖地というわけじゃないのだけれど。
「お、おじゃましまーす」
今度こそ迷宮討伐軍の兵隊さんが入ってきた。後ろにこそこそとディック隊長がついてきているが、体が大きいので全く隠れていない。アンバーさんがため息をついて、「ディックはこっち。重たい荷物があんのよ」とディック隊長を荷物運びに連れて行った。「まかせろ」とカッコつけてアンバーさんの後ろをついて行くディック隊長はかっこよくは見えなかったけれど、とても嬉しそうに見える。
「診察室は奥だ」
アンバーさんに連れて行かれたディック隊長は天国行きの切符を手に入れたような顔だったのに、ニーレンバーグに連行される兵隊さんは地獄へ飲まれるような顔をしていた。
ニーレンバーグ先生の診察は普通の触診だとマリエラは思っている。マリエラも診てもらったことがある。体の凝っていたり流れが滞っている部分を押して、調子を整えてくれるのだ。ジークは呻いていたけれど、マリエラはちっとも痛くなかった。水を汲みに行くのが面倒という理由で日々命の雫をがぶ飲みしているマリエラの体は、どこにも凝りも停滞も無く、全身ふにゃふにゃのぷにぷにだからなのだが、本人は全く気付いていない。
(あー、あの人 …… )
しばらくして診察の終わったニーレンバーグが兵士のカルテをマリエラに渡す。マリエラはカルテに書かれた薬を袋に詰め、最後に何か書き足した。
診察された兵士はちょっとふら付きながら店内に戻ってきて、薬を受け取るとお茶を飲んでから帰って行った。
エミリーちゃんが「とうろもこしのお茶だよ」といって渡したお茶を嬉しそうに飲んでいたから、彼の辞書から『とうもろこし』が消え、『とうろもこし』に書き換えられたことだろう。
数日後、その兵士に辞令が下った。
『 アーリマン温泉での一週間の療養を命ず 』
彼は(地獄の)雪国温泉旅行の(日帰り)招待券を手に入れたのだ。
アーリマン温泉。
迷宮都市北西部にそびえる山脈の一つアーリマン山に湧き出る温泉で、命の雫含有量が多いことで知られる。アーリマン山は勾配のきつい山ではあるが、迷宮都市から近くアーリマン温泉は日帰りが可能な温泉地としてエンダルジア王国時代は栄えていた。
魔の森の氾濫以降、湯量は半減したうえ、ニードルエイプと呼ばれる金属の針のような毛を持つ猿の魔物の住処となってしまった。特に冬場は温泉を好んでニードルエイプが大量に集まってくるため、誰も近寄ろうとはしない。ニードルエイプは B ランクの魔物で、森林地帯は彼らがもっとも得意とするフィールド。しかも冬場は雪による寒さと足場の悪さが加わる悪環境だ。そんな中、大量のニードルエイプと戦おうなど誰が望むだろうか。そんなことを命ずるなど、どこの鬼畜生の所業だろう。
「な …… 、なんで、俺まで …… 」
「いい加減あきらめろよな、エド兄」
「 …… マリエラ …… 」
エドガン、リンクス、ジークムント。この三人は雪国によほど縁があるらしい。
大量のニードルエイプに囲まれている現状は、マリエラの何気ない一言で始まった。
「え? 何かが混じっちゃってる人の治療ですか? 温泉とかいいと思いますよ」
温泉には地下水よりもたくさんの命の雫が混じっているし、体内の水の流れを良くして悪いものを出してくれるのだと師匠も言っていた。肌がぷりつやになるのだと。マリエラは行ったことはないけれど、師匠がアーリマン温泉のことを、緑と美食と湯煙あふれる湯池肉(食べる方)林の楽園だと話していたから、大分曲解した形で憧れていた。
「私もいきたい」と駄々をこねるマリエラを、「アーリマン温泉は猿の楽園だから」「雪山登山は危ないから」となだめすかして諦めさせたまではよかったのだが。
「ニードルエイプか。ちょうどいい相手かもしれん」
アーリマン温泉は、『木漏れ日』の魔除けの鬼畜生のツボだかスイッチだかを押してしまったようだった。
「冬の間にニードルエイプを駆除できれば、春には温泉旅行に行けるかもしれんな」
ニーレンバーグの一言に、温泉に行きたいマリエラと、マリエラと温泉に行きたいジークの思惑が重なり、運悪くその場に居合わせたリンクスとエドガンを巻き込んだ冬のニードルエイプ討伐と相成った。リンクスとエドガンの抗議を聞いた黒鉄輸送隊のディックとマルローは、ニーレンバーグの「よろこべ、戦力増強だ」の一言に、もろ手を挙げて送り出していた。残念なことに、助けは現れないようだ。
とはいえ3人の中で純粋な戦闘力だけでBランクに到達しているのは双剣使いのエドガンだけで、リンクスは『影使い』という斥候に向いた能力込でBランクだし、精霊眼を失ったジークに至ってはCランクだから、3人だけでBランクのニードルエイプを、しかも冬の山で大量に相手取るのは自殺行為だ。今回は修練が目的だから、魔物除けポーションなども使えない。
あっという間に囲まれて、四方から絶え間ない攻撃を浴びる。ニードルエイプはその名の通り金属の針のように強靭な毛皮を持つから、下手な攻撃は通らない。下手な装甲など槍で簡単に貫いてしまうディックや、ハンマーを武器にするドニーノのようなパワータイプであったなら、毛皮ごと強撃して叩きのめすこともできるのだろうが、3人の得物は短剣、双剣、長剣と長さこそ違えど何れも刃物で、力より技で敵を倒すタイプだ。ニードルエイプを倒すには毛の流れに沿うように刃を刺し通すか、毛皮の薄い顔面などを狙うしかない。
「だーっ、もう、ちょこまかと! ジーク! 弓使えよ、お前ほんとは弓使いだろ!」
「精霊眼頼りだったから! あたらないんだ! というか、護衛に弓は向かんって、リンクスが言ったんだろ!?」
「あー、あのサル、雌だから殺すとか無理ー」
「エド兄ー! 手ぇ抜くなー」
「エドガン! 混浴だ! ベリーサちゃんと混浴が待ってるぞ!」
「まじで? フゥ~、俺の湯~トピア~」
ちなみにエロガンの愛読書には露天風呂や混浴など異国情緒溢れるな楽園でのアレやコレやが描かれているが、シューゼンワルド辺境伯領にそのような文化は無い。アーリマン温泉を再開発できたとしても、身分のあるものは貸切の個室、庶民は男女別の大風呂になるだろう。勿論、屋内風呂で露天風呂ではない。魔物が徘徊する地で、丸腰で露天風呂につかる等、不可能な話なのだ。
「待っててくれよ~、ヨアンナちゃん!」
「ベリーサちゃんじゃなかったのか?」
「あー、それ前の前」
鰓石のプレゼント虚しくエドガンに春は訪れなかったようだ。不屈の男エドガンは尽きぬ闘志をとりあえず眼前のニードルエイプに向けて双剣を振るう。友の雄姿に励まされるように、ジークとリンクスもニードルエイプの群れに果敢に立ち向かっていく。
ニードルエイプは道具を使う。と言っても石を拾って投げたり、枝を手折って武器にしたりという程度だ。大地が雪に埋もれたせいで石が露出しておらず、投石してこないのは不幸中の幸いだったかもしれない。そうでなければジークたちはもっと早くに倒れていただろうから。
しかし、同格以上のニードルエイプの物量を前に、不利な立地で根性論だけで何とかなるものではない。 雪に足を取られ、飛び掛ってくるニードルエイプを除けつつ太刀を浴びせるしかない三人と、木の枝から飛び降りては攻撃を仕掛けてくるニードルエイプ。
三人の体力が尽き、サルの牙がリンクスの喉笛を、エドガンのはらわたを、ジークのたった一つ残る左目をかみ砕こうとしたその時。
「今日はこの辺で終いだぜ!」
ニードルエイプのボス猿がしゃべった。
いや違う、毛皮をまとったハーゲイだ。頭まで毛皮のフードで覆っているから、一瞬誰かわからなかった。
別に頭部で認識しているわけではない。フカフカのフードをかぶるハーゲイがいつもより 1 割ほど男前に見えたのは、危機的状況に現れたいわゆる雪山効果という物だろう。フードを被ったほうが男前だとか、そんなことはありはしない。雪山が見せた幻に違いないのだ。
今にも力尽きそうな三人の前に現れたハーゲイは、マシラもかくやという動きで木々の間を飛び回り、ニードルエイプを片っ端から蹴り飛ばしていった。木の側面すら足場にするその動きはニードルエイプさえも追随することはできず、羊飼いに追われる羊のように山奥へと撤退を余儀なくされていく。ハーゲイに蹴り飛ばされたニードルエイプはやわらかい雪の上を狙って落とされているので、すぐに意識を取り戻して撤退する群れについていく。
ニードルエイプは賢い。敵わない強敵が来たとわかるのだ。殺さないように蹴り飛ばされた優しさが伝わったのかもしれない。さすがはハーゲイ、いやボス猿だ。メスのニードルエイプがちらちらと熱い視線を送りながら、名残惜しそうに撤退している。
「どうせなら、間引いてくれたらいいのに、何で倒さないかなー」
「お前らがたっぷり修行できるように、細心の注意を払ってるんだぜ!」
ジークたちが3人掛かりで苦戦どころか逆に討伐されかけたニードルエイプ。それを一人で追い払った非常識な戦闘力からは思いもよらない常識的な回答だ。修行をかねてニードルエイプ討伐を言い渡されたジークたちだが、何のサポートもされないわけではなかった。
ウェイスハルトは冒険者ギルドにジークたちの支援を依頼してくれていた。冒険者ギルドのギルマス、ハーゲイが育て上げた幹部たちを数人派遣できるだけの依頼料が支払われているのだが。
「なんで、ギルドマスターが出張ってきてんだよー」
「はっはっは。冒険者ギルドの職員は優秀なんだぜ! 2,3人も抜けると業務に差し障りがでるんだぜ!」
「ギルマスは抜けても問題ないのかよー」
「それは言わない約束だぜ!」
ずびし! いつものように歯を光らせてサムズアップをカマすハーゲイだったが、いつもよりちょっぴり元気が足りない。この依頼を受けたとき、冒険者ギルドの職員一同が「ギルマスが適任です」以外の言葉を発してくれなかったせいかもしれない。
「誰か一緒にいこうぜ!」
「ギルマスが適任です」
「講習会があるんだぜ?」
「ギルマスが適任です」
「今日の昼飯は……」
「ギルマスが適任です」
「アーリマン山の引率は、俺が行くぜ」
「お気をつけて! ギルマス!」
こうなったら、是が非でもアーリマン温泉を復活させて、冒険者ギルドの幹部達で慰安旅行に来ようとハーゲイは心に誓うのだった。




