ウェイスハルト:予測と誤算と
アグウィナス家の一件以降、ウェイスハルトは悩んでいた。
アグウィナス家が代々錬金術師を擁しているのでは、という疑問はずいぶん前から抱いていた。
きっかけは偶然屋敷の書庫で見つけたポーション保管設備の試算報告書だった。ウェイスハルトは魔道具の専門家ではないが、試算に用いられた根拠がどれも甘く200年後の現状とかけ離れていることは容易にわかった。
これでは200年もつはずがない。
その結論に至ったとき、この200年の間、定期的に保管庫を有する各家に鮮度の高いポーションが提供されてきた理由が腑に落ちた。アグウィナス家は鮮度の高さを新たなタンクを開封したためと説明していたが、そのタイミングで錬金術師がいたのなら。
だからこそ黒鉄輸送隊がポーションを持ち込んできたとき、この地の地脈と契約した錬金術師が現れたのだと気づくことができた。同時にその存在を知ったアグウィナス家がどう動くかも簡単に予測できた。錬金術師の身の安全のために策を講じるのは当然といえた。
ポーションの買い取り量を半減し、アグウィナス家の出方をうかがった。彼らは錬金術師の存在を公にせず、高額なポーションの代金を要求してきたが、帝国や辺境伯家が作り上げたポーション保管庫の欠点を補って、200年に渡りポーションを提供し続けてきた功績は評価されるべきものだ。
正面から話し合いを求め、それが人道的かつ迷宮討伐において妥当なものであったならば、応じる用意はあったのだ。
ニーレンバーグの娘がスライム事件の被害者であったことは偶然ではあったが、都合が良くもあった。 アグウィナス家に対する囮として最適だったと言うこともあるが、職務に忠実なニーレンバーグは自分だけが特例となることを拒み、ポーションを受け取ろうとはしなかったからだ。黒鉄輸送隊にシェリーを託し、帝都で治療を受けさせるつもりだったらしい。地脈契約の錬金術師が現れ、何百というポーションを迷宮討伐に使用できる現状において、貢献度の高い側近にポーションを提供しない理由は無かったから、特殊任務に対する手当として上級ポーションを受け取らせることもできた。
被害者リストを流し、ニーレンバーグの娘シェリーを諜報員と入替え、家政婦を早く帰して犯行が行いやすいように整える。
娘は身の安全を確保するため、ポーションで治療をした後、シューゼンワルドの屋敷で保護していたのだが、娘の姿をした諜報員と暮らすニーレンバーグの機嫌が日ごとに悪くなっていき、迷宮討伐軍の兵達が心底おびえ始めた以外は思惑通りにことが進んだといえた。
拍子抜けするほどあっさりと、ロバート・アグウィナスは錬金術師の情報を得るためシェリー・ニーレンバーグの誘拐に及んだ。彼の精神はとうに擦り切れていたのだろう。地下室から見つかった赤と黒の魔法薬はそれほどにおぞましいものだった。そしてアグウィナス家が代々見守ってきた錬金術師達。
彼らの悲運と、死の淵に佇んで尚ポーションを供給し続けてきた隠された歴史を思うと、とてもアグウィナス家の所業を一方的に責めることはできなかった。彼らを含めたアグウィナス家の処遇をどうするか、頭の痛い問題だ。
ウェイスハルトはため息を一つつくと、サイドボードからグラスを取り出し魔法で氷を作って入れると気に入りのブランデーを注いだ。
氷で薄まっていない注いだままのブランデーを軽く口に含み、あの夜のことを思い出していた。
(あの錬金術師は、どうしてあそこにいたんだ……)
ウェイスハルトの頭脳をもってしても、それだけは理解できなかった。
キャロライン・アグウィナスとの接点は、『木漏れ日』内に限られており、その内容も友好的なものだった。万一、キャロラインが店からマリエラを連れ出そうとしたならば、直ちにメルルに連絡が行き、自然に阻止する手はずになっていた。諜報員達の目の届かない街中で、偶然に出会ってアグウィナス家までやってきたとでも言うのか。
ウェイスハルトは、深謀術策に長け感情の一切を隠すことができる。表情筋を自らの意思で完璧に制御できるのだ。視界は広く、別の場所を見ているフリをしながら周囲の状況を観察することも可能だ。そうでなければ、あの場に居合わせた全員がマリエラに注目しただろう。
誰に悟られることも無かったけれど、ウェイスハルトはかつて無いほど驚愕し、マリエラを凝視していたのだから。
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初めて廊下で会ったとき、どこかの商店の配達員だと思った。黒鉄輸送隊と親交があり最近街に現れた人物など何人もいないから、メルルを貼り付け、行動だけでなく外見に関しても報告は受けていたのだが。
(普通すぎる……、ユニコーンというよりは、その辺の森にいる小動物というか……)
若いとは聞いていたが、地脈と契約した錬金術師は若く見えると聞くから、見た目は若くとも相応の落ち着きや滲み出す知性によって、気高く只者ではない雰囲気を醸し出しているものだと思っていた。しかし、彼女は街ですれ違った十人中九人は振り返らないくらいには只者だった。
事情を知らない兵士が無礼を働かないように、ウェイスハルトの目の届く応接室に席を設けて座らせたまでは良かったが。
(なぜ、跳ねる……。200年前の儀式か何かか? いや、そんな話は聞いたことがないぞ)
落ち着きなく椅子の上でぽよぽよと飛び跳ねて後ろの護衛に止められていたし、知性の代わりに残念な雰囲気が滲み出していて、年齢よりも若く見えた。
彼女が見た目通りの年齢だとすると、なぜ上級ポーションが作れるのか。しかも一日百本も。ウェイスハルトは百本単位で注文はしたが、納品されたら次の注文をする流れで指示をしていただけで、毎日納品されるとは思っていなかった。
上級ポーションを作れるようになるには中級ポーションを十万本以上作る必要があると聞く。ポーション製造のネックは魔力量。上級ポーションを作れるようになるために、常人では数十年の歳月が必要とされる。そして上級ポーションを百本という量。魔力が上限の5あっても作れるかどうかだ。
だから、てっきり、若い女性の姿をした得体の知れない錬金術師なのだと想像していた。百本もの上級ポーションが連日納品されていると知ったときは、その驚異的な魔力量に友好的な関係を結べてよかったと、ひそかに冷や汗を流したものだ。
魔力の上限を上げる方法は分かっている。十歳に満たない幼少の頃から毎日魔力が枯渇するまで使い続ければいい。口で言うのは簡単で、魔力枯渇がもたらす苦痛は肉体の痛みにも勝る。体の内側に満たされた魔力が消えうせ意識ごと反転するようなあの感覚。
肉体を鍛え上げる時に意識を失うまで打ちのめされることはよくある話だ。けれど、意識を失うまで走り続けろと言われて、出来る人間がどれだけいるだろうか。
魔力が枯渇するまで使い続けるというのはそういうことで、意識を失うほどの精神的消耗を、苦痛を伴う行為だ。それを十歳に満たない子供が毎日行う。
ウェイスハルトや一流の魔道師達のように、幼い頃に才能を見出され、高い志を持つように教え込まれた者達であっても、容易にこなせるものではなかったのだ。
幼い頃から過酷な修練を耐え、唯ひたすらにポーションを作り続ける。ごく僅かな者だけが漸くたどり着くことの出来る頂は、一つの境地とも言えるだろう。
若くしてそこへ至った少女がどうしてあんなに普通に見えるのか。メルルたち諜報員のように擬態しているのだろうか。
幼い頃のマリエラは、師匠に与えられた『レインボーフラワー』を綺麗に乾燥させる『遊び』に夢中で、辺りの薬草から雑草から洗い立ての洗濯物まで目に付くものは片っ端から乾燥させまくっていただけで、過酷だとか修練だとか考えたこともなかったのだが。
師匠は師匠で、「頭をかばって上手に倒れる方法」だとか「安全な場所でうまく隠れて倒れる方法」を冗談交じりに教えては、魔力枯渇による気絶にかくれんぼ要素を盛り込んでマリエラを煽っていた。上手に気絶しては師匠に見つかってベッドの上で目が覚め、「またみつかっちゃった~」と言いながら、師匠にくすぐられて笑い転げているうちに、魔力枯渇による気絶は、遊びつかれて寝てしまうようなものになっていた。
そんなことなど露も知らないウェイスハルトは、キャロラインに状況を説明しながらも、只者で無いハズのマリエラの一挙一動を観察する。
マリエラの傍に配置した兵士は無礼な行いをしないように子供好きの気のいい男を選んだのだが、それがあだになったようだ。兵士は何やらポケットを探ると、保存食のクッキーを取り出してマリエラに与えてしまったのだ。齧りかけのものではないが、封を開けてしまっているから、人によっては『食べ残し』と怒るものもいるだろう。しかも高級な菓子ではなくて作戦行動用の保存食。その辺の子供に与えるならば喜ばれようが、高貴な者に渡してよい代物ではない。
(……。なぜ、食べる……)
深刻な話題で静まり返った応接室に、 カリカリコリコリとナッツの入ったクッキーを齧る音が聞こえる。こちらの会話は魔法で届いてはいないが、マリエラの咀嚼音は筒抜けだ。余りに場違いな様子に、キャロラインは「ふふ……」と笑うと、「そういえば、お茶もお出ししておりませんでしたわ」と表情を柔らかくした。
(あの保存食は喉が渇くからな……)
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人間混乱すると、良くわからないことを考えるのだな、とウェイスハルトはあの日のことを思い出しながらブランデーのグラスを傾けた。
「お前が飲むとは珍しいな」
「兄上。アグウィナス家の事件について考えておりまして」
軽いノックをして、レオンハルトがやってきた。ウィスキーを好む彼は、好みの酒をグラスに注ぐとウェイスハルトの傍に腰掛ける。
「で、どうするつもりだ?」
「ロバートの行いは禁忌ではありますが、罪状としては違法呪術系魔術による強制支配と誘拐、恐喝、迷宮討伐軍への背信行為ですからね。しかも贄の一族の秘術が絡むとなると公には出来ません。『病による廃嫡』辺りが妥当かと。ずいぶん疲れているようですし、ゆっくりと静養させる必要もあるでしょう。
アグウィナス家は今までの貢献を鑑みてもキャロラインを後継にすえて適当な婿を迎えることになろうかと。
あの新薬を使った兵士に何らかの影響がないか調べる必要もありますし、新薬製造に携わっていたアグウィナス家の技術者や、生き残った奴隷達の処遇も決めねばなりません。迷宮討伐もあると言うのに頭の痛い限りです」
「錬金術師はどうするつもりだ? 会ったのだろう?」
アグウィナス家の処遇など、仕事量が多いだけで解決しうる問題だ。
けれど、錬金術師についてはそうは行かない。アグウィナス家に眠っていた錬金術師たちは、目覚めることなく、あるいは目覚めることが出来たとしても血を吐き、塩と化して僅かな時間で死んでいったのだ。マリエラがそうならない保証は無い。
迷宮討伐におけるポーションの有用性は先の『呪い蛇の王』、『海に浮ぶ柱』で実証された。階層によって、必要となるポーションがあるということも。
ありとあらゆるポーションを無限に作らせるなど、無理な話だ。そんなことをして寿命を縮めたらどうするのだ。協力的な現状を損なう愚策を取るわけに行かない。
珍しく悩み黙り込むウェイスハルトに、レオンハルトが声を掛けた。
「昔、父上に伺った話を思い出した。何でも古の賢者の言葉だそうだ。
『命の雫は地脈を、その地に住まう全ての命を廻っている。だから本当に必要な時には全てが整うように出来ている』
だったかな。メルルの監視を抜けてあの場に居合わせたことさえ、地脈の導きだったのやもしれん。」
レオンハルトの言葉は漠然としたもので、何の根拠も確証もないものだったけれど、ウェイスハルトの心にすとんと落ちた。
矮小な人の身でやれる事など限られている。ならば人事を尽くすのみ。
「そうですね。とりあえず護衛を強化しましょうか。今回の一件でいらぬちょっかいをかけようとする愚か者がでるかも知れませんし。彼女はなんだか危なっかしい」
ウェイスハルトはグラスを回して氷をカラリと揺らすと、ブランデーに口をつける。多少の酒で酔えるような体質ではないけれど、氷が少しずつ溶けるに従い味わいの変わっていく様を楽しむのは気に入っている。話し込んでいるうちに、グラスの氷はだいぶ小さくなってブランデーは好みより薄まってしまっていたけれど、これはこれで悪くないとウェイスハルトは残りの酒を飲み干した。




