黒
残酷な描写があります。苦手な方はあとがきのあらすじをどうぞ。
アグウィナス家の離れの地下室、かつては大量のポーションが保管されていた一室に巨大なガラスのタンクが幾つも並んでいた。
「これが『黒の新薬』か……」
ジャック・ニーレンバーグは不快そうにつぶやく。
部屋の隅には新薬製造に携わっていたアグウィナス家の技術者たちが捕縛されている。彼らの顔はずっと感情を押し殺して生きてきた者特有の、目が落ち窪み張りの無い疲れきったものだったが、僅かに読み取れる感情の残骸は、やっと解放されると安堵しているようにも見えた。
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正気を取り戻したアグウィナス家先代当主、ロイス・アグウィナスは迷宮討伐軍の取調べに対して協力的であった。ロイスの供述から本件が極秘事項を多く含むことを理解したウェイスハルトは、彼と信のおける腹心のみで事情聴取に臨んだ。ロイスやアグウィナス家の技術者たちの供述に基づく『黒の新薬』に関する報告書は、以下の一文より始まっていたという。
『黒の新薬』は『贄の一族』の秘術を応用したダメージ転移の呪術薬である。
贄の一族とは、皇帝など極めて高位の人物に降りかかる災厄の身代わりとなる一族である。
『呪い』あるいはそれに至る前の『厄』を代わりに受けるというのは、古来では人の形を模した形代の役割だったという。呪いには至らない邪念や穢れが集まった『厄』であるならば血肉を持たない形代でもよく、贄の一族という集団が形成された古い時代においては、厄を紙や木、土で作った形代に移し浄化することが一族の生業であった。
しかし人の世が移り変わり、小国が帝国にまで成長し、同時に魔術や技術が発達するにつれ、人の邪念はより複雑に、より大量に凝り固まっていき、それを払う一族の術もより実効性が高く、醜悪なものへと変じていった。
形代に人間を使うようになったのだ。
身代わりとなる人間は誰でも良いわけではない。まず護衛対象である被術者との相性がある。災厄を受けるのが、一瞬あるいは一定期間であるならばその瞬間に術を発動させればよい。しかし沼地の空気が常に澱んで湿気ているが如く、被術者の周りに常に漂い蓄積し、運命を悪しき方へ掛け違えさせようとする形のない悪意や邪念を、常時身替わり続けるには生まれ持っての相性が必要とされた。
形代になりうる人間が限定されるがゆえに、形代以外の一族には形代が受けた邪念を晴らす術も求められた。相性が合う人間など一人の被術者に対して何十人もいるものではないのだから、形代となる人間を長く保たせる必要があるからだ。
歴代の皇帝は皆、贄の一族の里を訪れて、時間を掛けて調整された形代たちと『贄の契約』を結び、以降は皇帝に向けられる怨念の、災厄の全てを形代たちが受け持った。時には簒奪を企てる賊の凶刃さえも形代が身代わったという。贄の一族は災厄に苛まれる形代を癒し、護り、災厄の浄化に努めることで、影から皇帝を、帝国を支えてきたのだ。
ここまでは、ウェイスハルト達のような限られた上位貴族であれば聞き及んでいる話だった。
レオンハルトのスキルが明らかになった時も贄の一族を宛がう話は出たのだから。レオンハルトが『贄の契約』を結ばなかったのは、迷宮討伐で受ける物理ダメージが多いため、呪に特化した形代では相性が悪く、保たない可能性が高かったことと、本人が「遺志を次代が継いでいく」というシューゼンワルド家の教えに基づき強く反対したからだ。
贄の一族の秘術のおぞましい真相は形代にあった。
形代に選ばれた子供は幼い頃から被術者との相性を高めるために薬や魔術で体を作り変えられる。血液を全て入れ替えるなどは序の口で、何回にも分けて体を開かれ骨に直接呪術紋を刻みつけられる。前回は右腕、今回は左脚と場所ごとに腑分けされては、肉を、皮を、脂肪を、神経を特殊な魔法液に漬け込まれて変質させてから再び治癒魔法で元の形に作り直される。
被術者との相性が悪い者は培養された人工の組織に取り替えたりもするらしい。
こうして作りかえられた肉体は被術者が受けた災厄を高効率で引き受けることができるのだという。
けれどこんな邪法で作り変えられた肉体で普通に暮らせるはずが無い。作り変えられた肉体は持ち主の思うようには動いてくれず、光に、空気に触れるだけで痛みを伴うようになる。人工の組織に取り替えられたものなどは、薬液槽から出ることすら叶わなくなる。けれどそんなことは贄の一族には問題ではないのだ。
なぜなら形代の肉体は、形代となった者のものではなく、被術者となる護衛対象の別身だから。
形代は一方的に被術者の災厄を受け取るだけ。形代が感じる痛みも苦しみも、被術者には伝わることは無い。形代がどれほど苦しみもがこうが、それも形代として完成するまでの一時的なものなのだから。
被術者と形代を繋ぐ贄の一族の秘術をルイスは学んだ。贄の一族は彼を迎えるときの約束のとおりに全てをルイスに開示した。秘術の解読と応用術の開発にルイスは全霊をかけて取り組んだ。
形代として完成した時、自分がどうなるかわかっていたから。
形代は古来、人の形をした人形が当てられた。
形代は被術者のもう一つの身体。そこに形代の意思は必要ないのだ。
ルイスの肉体が形代として完成するよりもほんの僅かだけ早く、ルイスの研究が完成したのは僥倖だった。彼は考えうるあらゆる方法を用いて作成した呪術薬を双子の弟、ロイス・アグウィナスに宛てて送った。
贄の一族の妨害は予想のうちだった。彼らは秘術を外へ漏らすつもりは最初から無い。ルイスが形代になってしまえば何もできなくなることがわかっていたからルイスに秘術を開示したのだ。形代になりかけたルイスは里を出ることはできない。どれほどルイスが贄の一族の秘術を体得しようとも、手紙や送付物の検閲さえ行っていれば秘術が外に知られることは無い。
ルイスは秘術を書面にしたためたりはしなかった。そんな嵩張る方法ではとてもロイスに届けられない。
ルイスが送った百を超える魔法薬のうち、たった1本でもロイスに届き、そしてロイスが飲んでくれたならルイスの勝ちだった。ルイスとロイスは元を同じくする双子。相性としてこれ以上のものはない。何の術的処置をしなくともロイスの元へならばいける筈だとルイスは賭けた。
はたしてルイスは賭けに勝ち、形代としての完成と共に自我を壊される直前にルイスはロイスの肉体へと宿ることが叶った。形代の契約を応用し、被術者から形代へ災厄を一方的に送る代わりに、形代であるルイスの魂を呪術薬を用いた術の発動で被術者に当たるロイスへと移したのだ。
書面など嵩張り目立つものでは伝えられなかったから、小指の先ほどの小さな瓶に己を篭めて、ロイスやロバートに直接伝える方法をルイスは選んだ。ルイスはロイスの意識が無い間に現れて、ロバートに一族の秘術を直接伝授したという。
ルイスの唯一の誤算は、本来の肉体を奪われて尚、肉体が受ける苦痛を感じ続けたことだろう。
皇帝に向けられた憎悪や悪意に満ちた念は、形代となったルイスの肉体を酷く苛み、ロイスの体にあってなおルイスに痛みや苦しみを与え続けた。
痛みから逃れようとするたびに、ルイスはロイスを侵食する。ロイスの肉体はルイスにとって仮初のもの。もしもロイスがルイスを強く拒んだならば、ルイスの侵食を止めることができたかもしれない。けれど、本来ならば自分が養子に行くはずだったのだ。ルイスの痛みや苦しみは自分が受けるはずだったものだ。
ロイスはルイスを受け入れることを選び、ルイスと共に苦しんで少しずつ正気を失っていった。
ルイスが伝えた秘術を元に作られた魔法薬が「黒の新薬」。
使用した者のダメージを形代に移す呪いの薬。
形代の条件は三つ。
一つ、形代としての資質。相性の良し悪しは災厄を常時肩代わりするのでなければ大幅な緩和が可能だ。成人した肉体を改造した汎用型の形代で対応できるくらいには。
二つ、被術者と形代を結ぶ契約。これはルイスの応用研究により達成された。形代の肉体の一部を被術者が取り込むことで、一時的に契約状態を作り出せる。ルイスとロイスのようによほど相性がいい場合は、繋がった状態がずっと保たれるのだろうが、成人した人間を作り変えた汎用型の形代では、ダメージを移す僅かな時間で切れてしまう。ポーションの代替利用としてのロバートの目的からすればむしろ好都合といえた。
そして三つ目。意識を持たない肉人形であること――。
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「ひっ、ひぇぁぁ! なんだ、なんだよ、ソイツラは! 嫌だ、助けてくれよ。何でも、何でもするからよ!」
迷宮討伐軍が呪い蛇の王を討伐していたまさにその時、アグウィナス家に運び込まれた犯罪奴隷の一人、ロバートの眠りの《命令》から目覚めた盗賊は、タンクに眠る形代たちを見てそう叫んだ。ロバートの命令でジャック・ニーレンバーグに飛び掛ってきた盗賊である。
「なんでも? そうですね、我が家には荒事に向く人材が足りていません。うまく計画を成しおおせたら、材料にはしないであげましょう」
ロバートの提案に天の助けとばかりに盗賊はすがりつく。
黒の部屋に並ぶ巨大なタンクには、体じゅうに模様を描かれ、幾本ものチューブを生やした人間、いや肉人形が浮んでいた。その者達の頭部は脳が露出している。頭蓋を外すためなのだろう。果物の皮のように剥かれた頭皮がべろりと眼前に垂れ下がっていて、目隠しのように顔を覆っている。
何人も人を殺めてきた盗賊は人間の頭の中がどうなっているのか見たことがあった。だからわかる。水槽に浮ぶ頭蓋の無い肉人形からは脳の一部が取り去られていた。
ゴボリとタンクの肉人形が血泡を吐き、身震いをする。
肉人形は次の瞬間、何の攻撃も受けてはいないはずなのに、腹が割け、腕が足がベキバキと音を立ててひしゃげた。
黒の部屋はとたんに慌しくなって治癒魔法使いらしき人間が肉人形を治療し、他の技術者たちは傍の魔道具を操作してチューブを通して何かを肉人形に送ったり水槽の薬液の調整をしている。
「ばかな、使い方が荒すぎる。これではもたない」
ロバートが呟いた次の瞬間、技術者たちの努力もむなしく肉人形の体は黒く変色し、ただれて腐った肉片のようにぼろぼろと崩れていった。
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ウェイスハルトの報告を聞き、レオンハルトは深いため息をついた。
「我々が使っていた物はそういうものだったのか……」
唾棄すべき邪法であるとは思う。けれど新薬が無ければ53階層までたどり着けなかったこともまた事実。
「それで材料として集められた者達は?」
「目覚めたのは『赤』の半数だけでした」
残りの半数はチューブを外すとそのまま息を引き取った。残り僅かな生命を無理やり繋ぎとめて血に変えるような薬を飲まされ続けていたのだろう。
「目覚めた者の中でも魔石の投与量が多い者は何らかの障害が残るかと。全員、身元は犯罪奴隷や終身奴隷です。身体に欠損がある者が優先的に『赤』の材料にまわされたようで、五体満足な者は少なく治療後の取り扱いが難しいところです」
迷宮都市は常時人手不足ではあるが、障害や欠損のある奴隷などにもできる仕事は多くはない。新薬の販売という収入源を失ったアグウィナス家の資産を食いつぶすだけの重荷になりかねない。
「『黒』は?」
レオンハルトの問に、ウェイスハルトは静かに首を横に振る。
「ニーレンバーグ治療技師が始末をつけてくれました」
「そうか……。また、嫌な仕事をさせてしまったな……」
アグウィナス家をめぐる騒動は、ウェイスハルトの思惑通りに進行し損害を出すことなく終結したといえる。けれど明るみに出た事実は、シューゼンワルド家の兄弟の心にしこりを残した。
ロバートが最後に言った「錬金術師がいなければ、貴方たちは『材料』を知って尚、新薬を使い続けただろう」という言葉を否定することは、彼らにはできなかったのだから。
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さくさくと新雪を踏みしめてニーレンバーグは家路を急ぐ。
あらかたの仕事を終え、アグウィナス家に到着した後続の部下たちに仕事を指示し終えた頃には夜はすっかり明けてしまっていた。
雪はいつの間にかやんでいて、すっかり白く染まった街は、どこか知らない場所のようにも思える。
家に近づくと、雪玉が一つ飛んできた。
犯人は分かっている。さっと隠れた曲がり角の石壁から黒い髪がちらりと見えている。避けずに軽く手で受ける。
「お帰りなさい、パパ!遅いから雪だるまこんなに作っちゃったのよ」
角を家の方角に曲がると、毛糸の帽子を目深く被ったシェリーが雪だるまの並んだ軒先を指差す。
彼女の肌は右も左も雪のように白く美しい。
黒髪は焼け落ちてまだ生え揃ってはいないけれど、季節は丁度冬だから帽子で十分隠せるし、すぐに伸びて彼女の顔を引き立たせるだろう。
降り積もった雪は朝日を反射してキラキラと煌いていて、ニーレンバーグに新しい日々の訪れを告げていた。
活動報告にも描きましたが、更新頻度落とします。次回はたぶん明後日です。
【残酷描写回避された方用のあらすじ】
『黒の新薬』は『贄の一族』の秘術を応用したダメージ転移の呪術薬だった。
シェリーちゃんの傷跡はすっかり回復した。




