アグウィナス家の闇:ルイス・アグウィナス
「た……たす……け……て」「おレ……の、かラダ……だ」
「二人? 何か分かったのか?」
マリエラが思わず漏らした言葉にウェイスハルトが反応する。部屋の入り口で立ち尽くしたマリエラの肩に、気遣うようにジークの手がそっと重ねられる。マリエラはジークの手に自分の手を重ねると。小さく呼吸を整えてウェイスハルトにこういった。
「この人に、眠りの魔法を使ってもいいですか?」
ウェイスハルトの許可を取ったマリエラは、ジークにキャロラインの父、ロイス・アグウィナスに眠りの魔法を使うよう頼んだ。
「大丈夫ですから、少しだけ眠っていてください」
ジークと共にロイスの横たわるベッドに近づいたマリエラの言葉は、誰に対するものなのか。
マリエラを見つめた後、軽くうなずいたロイスは目蓋を閉じて、そして開いた。
傍から見れば、ゆっくりとまばたきをしたように見えただろう。
「……、眠りの魔法が効かぬようだが」
「いえ、効いているんです。貴方は、貴方は誰なんですか?」
マリエラの質問に、ベッドに横たわるロイスはこう答えた。
「ぅぉれハ、るイス。ルぃス・あぐウィなス。こノ、イェの、トぉシュ、ダ」
「ルイス?」
「この方は、先代の兄上でございます」
部屋のすぐ外で兵士に伴われて立ってた年老いた家令が答えた。
「お久しぶりでございます。ルイス様」
「オ……ぉ、ひサ、しぃ、ナぁ」
ルイスと名乗った男は答える。けれど正気に思えたのはそのひと時だけで、すぐにその目は宙を見て正気とは思えない言葉を叫ぶ。
「もゥすグだァ!モウすグ、こレハぁ……、ア゛ァイダぃぃ、ニえのミガぁ、まダァ……」
痛みを訴えのたうつルイスを見て、わが身の痛みを感じたかのように老いた執事は顔を曇らせ、静かに語り始めた。
「先代は双子でございました。兄君のルイス様と弟君のロイス様。ルイス様が養子として引き取られましたのは『贄の一族』でございました」
「贄の一族だと?」
ウェイスハルトは眉をひそめて聞き返す。贄の一族。噂にならば聞いたことがある。
皇帝を守るために生贄となる一族だと。
皇帝のような高位の人物に悪意を寄せる人間は多い。皇帝がどのような人物かは恐らくは問題ではないのだろう。意識的にせよ無意識的にせよ、頂点に立つその人物を、恨み、妬み、憎しみ、嘲り、自らの不運の原因を理由を短絡的に向けることで、自己を肯定する人間は地を這う蟻のように数多い。
いくら呪術を禁じようと、魔力を伴う悪意ある意識が幾千と合わされば、それは確かな呪いとなって皇帝に届くだろう。こういった不確かな悪意の集合体だけではない。中には明確な意思をもって物理的な攻撃力を伴って皇帝へと刃を向ける者もいる。
こういった有形無形のあらゆる悪意を、皇帝の代わりにその身に受ける『贄の一族』なる者がいるのだと。
「噂に過ぎぬと思っていたが……」
ウェイスハルトの呟きに、老いた執事が話を続ける。
「アグウィナス家はポーションに代わる魔法薬を作り出すため、家督を継がぬお子様方を帝都の錬金術師や治癒魔法の権威の下へと送り出してまいりました。本来ならば先代をお継ぎになるのは兄君のルイス様で、弟君のロイス様が贄の一族へと養子に行かれるご予定でした」
ロバートに良く似た賢く優秀な兄ルイスと、キャロラインに良く似た優しい弟ロイス。二人はとても仲が良く、養子に行くロイスとの別れを惜しんだルイスは帝都まで弟を見送りに行ったという。そこで運命が狂ったのだ。ルイスに贄としての強い適性を見出した贄の一族は、ロイスではなくルイスを養子に望んだのだ。
望むだけの知識を与えることと引き換えにルイスは贄の一族の養子となった。
「贄の一族に養子にいかれたルイス様に何があったのか、誰も知ることは叶いませんでした。ただ、数年前に、ルイス様から便りが届いたのです」
ルイスからの便りはたまたまアグウィナス家が研究のために取り寄せていた、ユニコーンの角の中に仕込まれていたと言う。小指ほどの小さな瓶に赤黒く、けれど白い光を放っている不思議な色合いの液体が入っていて、瓶を包んでいた小さな紙片からルイスが弟ロイスに宛てたものだと判明した。
紙片にはその不思議な液体をロイスが飲むことで、ルイスが贄の一族で得た知識を伝えることができるとあった。丁度その頃、アグウィナス家に宛てた送付物が次々と紛失する事件が多発していた。ルイスは幾通りもの方法でこの液体をロイスに送り、そしてこの1本を除くすべてが阻止されてしまったのだろう。
兄を慕っていたロイスは周囲がとめるのも聞かず、その不思議な液体を飲み干したという。
「それからでございます。ロイス様にルイス様が混じられるようになったのは」
はじめはロイスが眠っている間の僅かな時間だけだった。ルイスの現れる僅かな時間を惜しむようにロバートとルイスは離れの工房に引きこもり『贄』の秘術をロバートに伝えたのだという。
けれど時間が経つにつれルイスは苦しみを訴えるようになり、まるで苦しみから逃れようとするかのごとく現れる時間は長くなっていった。ついにロイスが起きている時にさえルイスが現れ、二人は混濁するかのように混ざって行った。水と油をどれほどかき混ぜたとしても消して溶け合うことが無いように、ルイスとロイスは別の人間のままに、意識や思考は細かくほぐれ分散して混ざり合ってしまった。
「どうか、ルイス様を、ロイス様を楽にして差し上げてください」
年老いた家令はウェイスハルトに懇願する。
こんなものは病などではない。それはこの場にいる誰もがわかっていることだ。
「何か、手立てはないのか。解呪のポーションは……」
尋ねるウェイスハルトにマリエラは首を振る。
きっとルイスにとってこの肉体が一番『近い』のだろう。今ではもう、ルイスの本当の肉体よりも。
マリエラは錬金術師だ。錬金術スキルが高ければ素材の状態を錬金術スキルで知ることができる。
植物に、動物に、あらゆる生命に宿る命の雫の有りようを感じ取ることができてしまう。
だからこそ分かったのだ。ロイスの体に二種類の命の雫が宿っていることに。一つの体に二人の人間が生きるなど、それはとても不自然なことで、だから二人は正気をなくしてしまったのだろう。
けれど二人の命の雫の状態は悪霊に取り憑かれたような黒く穢れたものではないのだ。二つの異質な、けれど根源を同じくするモノが絡み合い交じり合いながらも別個の個として存在し一つとなっている。ただただ歪でそしてどちらもこの肉体に合致する。マリエラにはそのように感じられた。
眠りの魔法に引きずられなかったこの人は、確かにこの肉体の主ではないのだけれど。
「元の体へ戻れないんですか?」
マリエラが問う。
「お……レのダ……、ァ……イダぃ……、コれ、オレ……の、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛い゛い゛ダ……ゥ、モウす、グ、こノ……イダみ……かラァああアアアあ゛あ゛」
「呪いで無いならば悪霊の類か?神官や祓魔師には見せたのか?」
「勿論お見せいたしましたが……」
ルイスを悪霊のように祓い清めることはできなかったという家令に、「何とかならんのか」とウェイスハルトは眉をひそめる。それは苦しむ者を捨て置けないというシューゼンワルド家の者としての思いでもあるし、今尚離れの地下室に隠れ潜むロバートを捕らえねばならぬという迷宮討伐軍副将軍としての使命でもある。しかし先代ロイスがこの状態では秘密の地下室への入り口など聞き出せまい。
いっそ離れを解体するか、とウェイスハルトが考え始めたとき、おずおずとマリエラが声を掛けてきた。
「あの、少しだけこの人と二人で話をしてもいいですか」
「いいだろう」
いぶかしげな表情の家令に扉を指し示し、自らも退出するウェイスハルト。
「ジークも出てて。大丈夫だから」
マリエラに言われ、最後にジークが退出した後、静かに扉が閉ざされた。
廊下の灯りが遮断され、ベッド脇の小さな燈し火だけの寝室は酷く薄暗い。長く窓を閉ざしたままの重苦しい部屋の空気が深い穴倉の中を思わせる。
「う゛あぁ……、いダぃ……あぁ……」
痛みを訴え身をよじるルイスにマリエラが問う。
「あなたの本当の体が痛いんですね」
「あぁ……あレは……モぅ、おレノじゃ……」
「戻れないんですね。戻りたくても、もう、繋がっていないんですね」
ルイスの瞳がマリエラを見る。その目は痛みに曇っていたけれど、マリエラには狂人のそれには見えなかった。
「でもこの体はあなたのものじゃない。ロイスさんがいなくなっても、あなただけになっても、きっとその痛みは消えないでしょう」
苦しみもだえる人を見るのは誰だって辛い。それが実の父ならなおさらだろう。
正気を失い苦しみ続ける父を見るたび、キャロラインはどれほど辛く悲しかったろう。
苦しみ続けるこの人も、この人と共にロイスさんも、それを見守るしかなかった老いた家令も、みんなみんな助けたい。
家令の「楽にしてほしい」という言葉は軽々しく口にできるものではないとマリエラは思っている。
「た……すけ……」
ロイスの体でルイスが希う。助けて欲しいと、この苦しみから逃れたいのだと。
「自分の体に帰れないのなら、還る場所は一つしかありません」
マリエラは錬金術を発動し、《練成空間》でロイスの体を包み込む。
《命の雫》
それは、雫と言うには余りに多い光景だった。まるで泉が湧き昇るように白く光る水がルイスの周りに湧き上がる。暗い部屋の中、まるで星の河の中にいるようにも見える。
「お……、お……、お……」
あたたかくやさしい光を放つ命の雫は、ロイスの体に触れるとすぐに実体を失って消えてしまう。
なんて、なんてもどかしい。この身はこれほど飢えて乾いているというのに。これほどまでにこの身を包み溢れるこの水を、触れて感じることはできないのか。
こんなにも、さむいのに。
こんなにも、いたいのに。
こんなにも、つらくて、かなしくて、さみしいというのに。
こんなにも、一つに還ってしまいたいのに――。
「命の雫の流れ落ちる先に、あなたが、いえ、みんなが還る場所があります。」
マリエラが伝える。あそこは恐ろしい場所ではないと。全てから、“自分”というカタチからさえ解き放たれて還っていける場所なんだと。
地脈のとても深い場所で契約を交わしたマリエラのラインは、本人も知らぬことではあるが、誰よりも太く強い。あんなに地脈の深い場所でマリエラが“自分”を失わなかったのは、抱きしめられた師匠のぬくもりが心の底まで染み込んでいたから。そして友人になった精霊がマリエラの手を握り締め必死に護っていたからだ。
その誰より強いラインから、大量の魔力を惜しげなく使って命の雫を汲み上げ続ける。
どれほど汲み上げ続けても、底の無い桶に注ぐかのようにロイスの体に触れた端から命の雫は、解けて消える。板ガラスを作ったときのような激しい魔力の消費にめまいを覚えながら、それでもマリエラは命の雫を注ぐことを止めない。
ルイスがどのようにしてロイスの体にはいったのかは分からない。地脈とラインを結ぶときマリエラを肉体から連れ出したのは精霊で、マリエラにルイスを体から出す方法などは分からない。マリエラにできるのは、肉体を離れた先に還る場所があるのだと示して見せることだけだ。
「あ、あ、あ」
ルイスが光に手を伸ばす。触れることの叶わない命の雫を求めるように。
(あぁ、誰か。この人を導いて……)
マリエラの魔力は残り少ない。この人に希望を見せてしまったのに、また痛みの中生きる苦痛を感じさせてしまうのか。
(だれか)
「……エ…………りァ……?」
ルイスが口にしたのは誰の名前だったのだろうか。
その瞬間、ルイス・アグウィナスは光に溶けて地脈へと還っていった。
マリエラが主人公らしい仕事した!
ロイスとルイスが混じってるイメージはエッシャーの「婚姻の絆」、「二重の小惑星」辺りを眺めながら考えました。




