アグウィナス家の闇:ロイス・アグウィナス
みなさんこんにちは、マリエラです。
今キャル様のお屋敷の応接室にいます。応接室であっているんでしょうか、この部屋は。ものすごく広いんですが。立派な長椅子に彫刻まみれのテーブル。暖炉もありますがこちらも彫刻まみれです。絵も飾ってあります。お花や風景の絵が多いですが、一枚果物の絵もあります。なんという果物でしょうか、初めて見る果物ですがおいしそうです。
床に敷かれた絨毯も立派です。織物なのに複雑な模様が描かれています。きっとお高いんでしょう。土足で入って良かったんでしょうか。皆さん土足ですが。
部屋の隅っこに椅子を用意してもらって座っておりますが、こちらの椅子もフカフカです。すごいクッションです。座面でぽよんぽよんと跳ねていたら、背後に立つジークに肩に手をおかれて、「静かに」と叱られてしまいました。ごめんなさい。
部屋の真ん中ではキャル様が金髪碧眼の王子様っぽい人とお話をしています。二人とも絵にかいたような美男美女で貴族の恋愛物語を見ているようです。王子さまっぽい人はにこやかにお話をしていますが、キャル様はとても険しいお顔をしています。そこだけ見れば絡まった愛憎劇に見えなくもないですが。険しい顔になっちゃうのも仕方ないですね。
だってこの部屋、武装した兵隊さんでいっぱいですから。
暇を持て余したマリエラは心の中でしょうもない解説を垂れ流しながら、部屋の隅っこの椅子に座って足をぷらぷらさせていた。マリエラの後ろには護衛のジークが控えており、キャロラインの後ろにも専属メイドと護衛が控えているのだが、二人の周囲には迷宮討伐軍の精鋭が幾人も立っているのでジークやキャルの護衛など『護衛の同席を許した』という建前程度のものだろう。
応接室へ移動したのはつい先ほどのことだ。キャロラインの工房で歓談を楽しんでいたマリエラたちは、部屋の外が騒がしいことに気が付いた。メイドの一人がたいそう慌てた様子でキャロラインに知らせにやってきた。内容を聞いたキャル様はとても困惑した表情でマリエラに説明してくれた。
「シューゼンワルド辺境伯家のウェイスハルト様がお越しになられたそうですの。何やら調査に来られたそうで……。辺境伯家に叛意なき者は家人から客人、下男に至るまで集まるようにと仰せですの」
キャロラインの後に続いて部屋の外に出ると、屋敷のエントランスに金髪碧眼の王子様っぽい人が何人もの兵士を連れて立っていた。
この人がウェイスハルトだろう。
なんとなく、キャロラインに続いてエントランス付近まで歩いていくマリエラを見咎めた兵士が、「家人か?それとも商人か?お前はこっちだ」と別の部屋に連れて行こうとする。
「その方はわたくしの客人です。当家に何をなさりに来たかは存じませんが、関係のない方です。手荒な真似は許しません。」
マリエラをかばうキャロラインに、「客人?」とウェイスハルトがマリエラをいぶかしげに見る。それは仕方あるまい。マリエラは服装も顔立ちも庶民らしさに満ち溢れていて、アグウィナス家の客人にはとても見えない。服装だって召使のお仕着せの方が衣装としては上質かもしれない。薬草を届けに来た配達の少女と言えば納得がいったに違いない。
ウェイスハルトのそばにいた一人の兵が何やら耳打ちをする。ウェイスハルトは僅かばかり眉をひそめると、「もしや、キャロライン様が懇意にしている薬屋の娘か?」と聞いてきた。
「そうですわ。マリエラさんは商人ギルド薬草部門公認の薬師。身元は当家とエルメラ部門長が保証してくださいます」
迷宮討伐軍の、しかもシューゼンワルド辺境伯の前で庶民の権利などひどくもろいものだ。マリエラを必死に守ろうとするキャロライン。
「キャロライン様のご友人であれば無礙にはいたしますまい。お前たち丁重にな。失礼があってはならんぞ」
キャロラインの願いにこたえ、マリエラを丁重に扱うように指示をするウェイスハルトの瞳には動揺の色が浮かんでいたのだが、ウェイスハルトは自らの心内を言動に表わすことはなく、誰一人彼の動揺に気が付くことはなかった。
家人は別の部屋に集められているようだったが、「キャロライン様のお客人ならば」というウェイスハルトのよくわからない気配りによって、マリエラは応接室の隅に置かれた椅子にちょこんと腰かけていた。護衛であるジークの同席も帯剣さえも許されているから、特別待遇というやつなのだろう。もっとも迷宮討伐軍の精鋭に囲まれているから、万一ジークやキャロラインの護衛が暴れたとしても、すぐに鎮圧されてしまうのだろうが。
キャロラインとウェイスハルトの会話は何らかの阻害魔法で聞こえてこない。《聞き耳》の魔法を使えば盗み聞きできるのかもしれないが、マリエラもそこまで空気を読まない真似はしない。状況がわからないまま時間が過ぎてマリエラはお腹がすいてきた。もう晩御飯の時間だ。今日の分のポーションを作らないと夜の納品に間に合わない。というか、納品時間までに帰れるんだろうか。リンクスたちに心配をかけそうだ。
ぐぅ~
マリエラのお腹が鳴った。二人の会話は聞こえてこないのにお腹の音は聞こえたらしく、近くの兵士がポケットをごそごそと探るとでっかいクッキーのようなものをマリエラにくれた。ジークにも分けようとしたけれどいらないらしい。なぜかジークは「うちの子がスイマセン」とばかりに兵士に会釈をしている。
貰ったクッキーは木の実と干し果実、蜂蜜がたっぷり入っていてとてもおいしいのだけれど、保存食なのかちょっぴり硬くてぱさぱさしている。
部屋の隅っこで両手でクッキーを持って、カリカリとちょっとずつかじるマリエラを見て、部屋の真ん中で険しい顔をしていたキャロラインは「ふふ……」と表情を柔らかくした。
「そういえば、お茶もお出ししておりませんでしたわ」
キャロラインは少し余裕を取り戻したのか、令嬢らしく微笑むと後ろに控えるメイドにお茶を入れるよう指示をした。
けれど残念なことに、お茶が運ばれてくるより先に、ウェイスハルトの元に知らせが届いた。
「離れの地下に新薬製造の工房は発見できましたが、現当主ロバート・アグウィナスの姿は見当たりません。屋敷から逃走した形跡はないのですが」と。
「キャロライン様、この屋敷に秘密の抜け道や隠れ場所は有りませんか?」
質問するウェイスハルトにキャロラインは、少し考えた後こう答えた。
「秘密の地下室があると聞いたことがございますが、場所は代々の当主しか知らされておりませんの」
「ふむ、では先代はご存知なのでは?」
「父、ロイスは……、まともに会話が出来ますかどうか……」
「お会いすることは出来ますか?」
「……、どうぞ」
キャロラインとウェイスハルトが席を立ち、暫らくして戻ってくるまでにマリエラは大きなクッキーを食べ終わってしまった。クッキーのお陰でお腹は膨れたのだけれど、保存食のクッキーは乾燥していて口の中がぱさぱさだ。
戻ってきたキャル様は泣いた後のように目元が少し赤い。ウェイスハルトも困惑したような面持ちで、左手をあごに当てて応接室をうろうろと歩いていた。
なにがあったんだろうとマリエラがウェイスハルトとキャロラインを眺めていると、ふとウェイスハルトと目があった。じっとマリエラを見るウェイスハルト。
なんだろう、クッキーの食べかすでも付いているのかしらと、口元をごしごしとこするマリエラの所に、ウェイスハルトが歩み寄る。
「君は確かマリエラと言ったね。キャロライン様のご友人ということで、君の事は少し調べさせてもらっているよ。帝都辺りの錬金術師で、優れた薬師でもあるそうだね。少し君の知恵を借りたいのだが」
ド平民のマリエラにウェイスハルトのキラキラしい貴公子オーラは心臓に悪い。
「は、ははははい。マリエラです。えっと、あの……」
ぴょこんと立ち上がると、スカートをぎゅっと握ってお辞儀をするマリエラ。カーテシーのつもりか。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。何、たいしたことじゃない。キャロライン様のお父上がお心を病んでいるようでね。治す手立てが無いものか知恵を借りたいのだよ」
(キャル様のお父さんが……、だからさっき目が赤かったんだ……)
キャロラインは友達だ。さっきだってかばってくれた。心の病を治す方法など見当も付かないけれど、治せるものなら治してあげたい。
「お役に立てるかは分かりませんが」
自信なさげに答えるマリエラと護衛のジークを伴って、ウェイスハルトは再びキャロラインの父の寝室へと向かった。
そこは、薄暗い部屋だった。窓には分厚いカーテンが引かれ、寝台横の台に小さな灯りが点っているほかは月明かりさえ入ってこない。大きな天蓋つきのベッドに一人の男が横たわっていた。
部屋のすぐ外に兵士に伴われて立っている老人はこの家の家令だろうか。
マリエラが部屋にはいると、寝台に横たわるキャロラインの父ロイスが口を開いた。
「ひか……ひ……かり……だ」「い゛い゛い゛い゛だい゛い゛……」
廊下から差し込む光に手を伸ばすように、そして同時に逃れるようにロイスは身もだえする。枯れ枝のようにやせ細った腕は左右別々に違う動きをしながら中をさまよう。部屋の薄明かりではよく見えないが、ロイスの顔は左右でまるで別人のように見える。
同じ顔なのに、左右がまるで別の人生を歩んできたような。
ロイスを見たマリエラは、部屋の入り口で立ち尽くしていた。その顔は驚愕に染まっている。
「どうして……、どうして、二人もいるの?」
マリエラが思わずそう呟いたとき、ぐりんっとロイスの顔が持ち上がり、左右異なる表情でマリエラを見つめた。
口の中がぱさぱさなのは、さっき食べたクッキーのせいではない。
マリエラは喉の渇きを覚えて生唾を飲み込んだ。
ウェイスハルトさん、めっちゃ動揺したはず。いろんな意味で。




